1章 第31話

 葉山真はやままことは大女優、斉藤悠里さいとうゆうりの息子である。その事実を聞かされた鏡花きょうか佳奈かなは、それはもう大層驚かされた。

 こんなごく普通の地方都市の、ありふれた街にそんな大物が居ようとは普通思うまい。何かしら理由があってこの地に本拠を構えたらしいが、現在彼の両親は揃って東京暮らし。

 真に好意を寄せられ、満更でもなくなっていた鏡花にとって、ここで両親と鉢合わせなかったのは幸か不幸か。

 単なる一般家庭の、至って平凡な娘に過ぎない鏡花には衝撃的過ぎた。その住む世界の違いに、鏡花は打ちひしがれていた。


 これで玉の輿だと、喜べる様な性格をしていれば違ったのかも知れない。言うまでも無く鏡花はその手のタイプではない。

 ポジティブには受け止められない。言葉通り本当に釣り合いが取れていないのだと、ただただネガティブな思考に陥る。

 そんな鏡花の前に、小春こはるが現れる。真と鏡花の事を、公認した彼女が。





「おはー! 3人共準備は……キョウ?」


「お、おはよう小春ちゃん」


 何とか返事だけは返す。モヤモヤした気持ちは、消えてくれない。いつも通り前を向いて挨拶すれば良いのに、何故だかそれが出来ない。俯いたまま、掠れた声を出すのが精一杯だった。


「……アンタ、キョウに何言ったの?」


「は? いや親の話をしてただけだぞ」


「あぁ~~~。そう言う事か」


 今来たばかりの小春は、何があったのかすぐに分かった。そして気付いた、自分の想定が甘かった事に。自分が考えていたよりも、遥に2人の関係が進んでいた事に。より正確に言えば、小春が考えていた以上に鏡花に変化が訪れていた。


「おい何なんだよ」


「ちょっとキョウ借りるわ」


「小春!?」


 いつかの様に、私は小春ちゃんに連れられて、人気のない場所に移動した。こんな事、ちょっと前にもあった。何だろう、私になんの用事があるんだろうか。今は出来れば1人になりたい。そういう気分なのに。何でかは分からないけど。

 今しがた小春ちゃんが出て来た葉山邸の隣の家、彼女の家と思われる敷地内に連れて来られた。……何だろう、珍しく不機嫌そうな顔をしている。思えば初めてかも知れない。こんな表情の彼女を見るのは。




「キョウ、あんた忘れてないでしょうね?」


「え?」


「私なんかは禁止だって、言ったよね?」


「……あっ」


 そうだった。衝撃的な事実に驚いて、すっかり忘れてしまっていた。どうして忘れていたのだろうか?

 小春ちゃんが公認だって言ってくれたのも、こうして2人だけになった時だ。そして幼馴染の彼女が、真君の両親について何も知らない訳がない。


「マコの両親については、アタシも黙ってて悪かった」


「そんな、小春ちゃんは何も」


 考えるまでもなく、小春ちゃんは知って居て当然の情報だ。知った上で公認だと言ってくれていたに違いない。

 それなのに、勝手に落ち込んでいた自分が悪いのだ。彼女に落ち度なんてない筈だ。ちょっと成長したつもりになっていても、結局はこうして後ろ向きでウジウジしてしまう自分が悪い。


「キョウは言う程マコに惹かれていないと思ってたから。でも、それは間違いだった」 


「え?」


 どう言う事だろうか。全然理解が追い付かない。小春ちゃんが間違っていたって、そんな事あるのだろうか。

 初めての接触から今日まで、何も間違った事はしていない様に思う。彼女は何でもこなせる聡明なイメージしかない。


「友達ぐらいにしか見てないから、親の事を知っても平気だと思ってた」


「えっと、どう言う事なの?」


「キョウ、アンタまだ気付いてないの?」


「な、なにが?」


「泣いてるじゃない」








「え……」


 そう言われて初めて気付いた。自分の両頬を濡らす涙に。自分が、私が泣いている事に。あれ? なんで? どうして?

 そんな事ばかりが頭を埋め尽くす。何が悲しいんだ。衝撃は受けたけど、涙を流す様な事では無かっただろう。

 自分の事なのに全然分からない。まるで別人の体に乗り移ったかの様に、言う事を聞いてくれない。確かにネガティブな思考をしてしまったけれど、普段ならこの程度で泣いたりなんかしない。

 それなのに、止まってくれない。言われて気付いたこの涙は、一体なんだって言うのか。涙に気付いた今、胸のモヤモヤは更に大きくなっていく。


「ごめんねキョウ。もうマコの事、好きになってたんだね」


「好き、え? 私が?」


 そんな事を言われても、実感がない。最近一緒に居る事が増えて、それが結構楽しくて。バイトの日は帰りに一緒に居て、バイトが無い日は放課後の教室で話していた。

 通話アプリでやり取りする事も結構ある。そうしている間に私の心境は、何か変化があったかと言うと、そう変化はない様に思う。でも、じゃあこの涙は何だろう。以前と変わった事は何だろう。


 最近、彼の為にお弁当を作っている。美味しそうに食べているのを見ると、作って良かったと思う。

 次は何を作ってあげようか、そんな事を気付けば考えている。バイトの後の短い時間だけど、2人で歩く時間も今や日常の一つになった。

 

「ねぇ、鏡花。真と一緒にいるのは楽しい?」


「え、うん。楽しいよ。」


「じゃあ、真と一緒にいられなくなっても平気?」


「……そん、なの」


 一緒にいられなくなる。それは考えた事が無かった。改めて考えると、一緒に居るのが当然の様に考えていた自分に驚く。

 もし、これから真君と一緒にいられなくなったら。…………嫌だ。そんなのは嫌。お弁当を食べて笑っている姿を、もっと見ていたい。

 放課後に2人で話す時間は、無くしたくない。バイトの帰り、体温が低めな私よりも、ちょっとだけ暖かい大きな手に安心感を感じている。

 あの温もりがなくなるなんて、考えたくない。……もっと、一緒に居たい。彼の居ない日々は、もう考えられない。

 そう言う事、なんだろうか。これが、離れたくないこの気持ちが、好き、と言う気持ちなんだろうか。


「一緒に、居たいよ。今はもう、離れたくない」


「そっか……じゃあそう言う事だ!」


「これが、好きって事で、良いのかな?」


「じゃなきゃ涙は流さないでしょ」


 そう、なんだ。この一緒に居たい気持ちは、もう友達としての好きじゃないんだ。ちゃんと、異性としての好きなんだ。

 好きになれるか分からない、なんて言ったのに案外あっさりだった。何が切っ掛けだったのかは、分からないけど。初めてデートした時、あの時は間違いなく友達だった。

 バイトを始めてからだろうか。それともお弁当を作る様になったからだろうか。思い返せば、いつの間にか彼の事を考える様になっていた。

 家に1人で居ても、昔の様に嫌な気分にならなくなった。だって、メッセージや通話で、いつでも真君と話せるから。


「安心しなって。マコの両親は、キョウを認めてくれる」


「そう、かな?」


「そうだよ! 私が保証する」


 これが見知らぬ誰かの在り来たりなアドバイスなら、勝手な事言わないでと言いたい。でも、真君の両親を間違いなく知っている彼女の言い分なら信用出来る。ただの気休めではないと信じられる。

 だったら、このままで居て良いのかも知れない。今まで通りに、彼と共に居て良いんだろう。

 それに前にも言われた事だ。選んだのは真君本人なのだから。また本質を見失って、要らぬ距離を空けてしまう所だった。


「……小春ちゃんが言うなら、信じるよ」


「さーて! その顔じゃちょっとアレだし、ウチで顔洗いなよ」


 私は涙の跡を消す為に、すぐ隣にある小春ちゃんの家にお邪魔させて貰う事になった。だってこんな泣き顔で、真君の前に出るのは嫌だ。以前の様に、恥ずかしいからじゃない。見せたくないから。

 例え平凡で地味な顔であっても、出来るだけ良い状態で会いたい。これからも一緒に居たい、特別な男の子には。

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