1章 第6話

 不様に転がり痛みに耐えていたら、何もかもがどうでも良くなってしまった。

 葉山真はやままことと言う人間は、昔からずっとサッカー一筋で生きて来た。友達と遊ぶ時間すら取らず、ボールと共に駆ける日々。

 それしか知らない俺は、サッカーを失ったら何をしたら良いのか分からない。家に帰って何をしたら良いのか分からない。土日に何をしたら良いのか分からない。


 あぁ、このモヤモヤの正体はこれだったのか。この空っぽな俺に残されたのは、あの頃の様に何かしていたいのに、何をすれば良いか分からなくて、暴走していた情熱だったのだ。

 でもそれも消えていく。だってもう、俺にやりたい事なんて何一つ残されて居ないのだから。

 そうして陰鬱いんうつな気持ちが心を満たし、鬱屈うっくつとした感情に全てが飲みこまれそうになっていた、その時だった。彼女が俺の前に現れたのは。


「あ、その! えっと……だ、大丈夫ですか?」


 全く知らない女子ではない。俺と同じクラスに居る、確か佐々木ささきさんだったハズだ。いつも教室の隅っこで、大人しそうにしている文学系女子。

 彼女はこれと言って目立つ要素のない容姿をしている。普通のボブカットに普通の黒髪、体型も普通だし声に特徴を感じた事もない。

 特徴と言える点をしいて挙げるならば、ちょっと大きめな丸眼鏡だろうか?彼女についてはそれぐらいしか知らない。

 何か良く本読んでるな。ぐらいの印象しか、今日までに持った事はない。だからだろうか? お互い殆ど良く知らないもの同士だったから、今この抱えたままの苦悩を聞いて貰いたくなったのだ。

 普段接点がない彼女になら、情けない姿を見られても困らないから。それに見た感じ言いふらす様なタイプでもない。


 みっともなくに地面に転がり、俺にはもう何もないと泣き言を漏らす情けない同級生が、彼女にはどう見えたのかは俺には分からないが、彼女は思いも寄らない行動を取った。

 優しく両手で俺の頭を持ち上げ、自分の膝の上に乗せたのだ。年頃の女子ならば良く知らぬ男に触れるのも、触れられるのも嫌悪感があると聞くが、彼女にはその様子が見られない。そして彼女なりに慰めようとしてくれたのだろう。色々と声を掛けてくれる。

 俺の何を知ってるんだ! と反発する事は簡単だ。だが俺も彼女の事を何も知らない。そんな事を叫んで何になると言うのか。勝手に聞かせておいて感想は言うな?そんな身勝手な話はない。


「私と違って明るいし、クラスの皆を笑わせたり出来るし、私みたいな陰キャにも優

しくしてくれるし。あ、覚えてるかな? 前に私がメガネをケースごと側溝に落としちゃって通学路でオロオロしてたら取りに行ってくれたよね! 凄く助かったんだよ! あの時はありがとうね!」

 

 今何と言った? メガネケース? そう言えば何だかそんな事もあった様な気もするが、俺はもうあまり覚えていない。目の前で困っている人が居たら手助けする様に心掛けているので、恐らくはその一環だろう。

 本人がもう覚えていない様な些細な事をこの女の子は覚えていて、感謝までしてくれている。

 もう何も残っていない空っぽの存在だと思っていた俺に、まだまだ残っているものはあると説いてくれる彼女は、俺の格好悪い弱音にとても真摯に向き合ってくれている。ろくに会話もした事がない俺の為に。

 その姿が、何だか俺にはとても綺麗に見えた。俺に好意を持って欲しくて、気を引きたくて言っているのではない。ただ本当に心から思った事を話してくれて居るのが伝わって来る。


 数ヶ月前に故障で引退を余儀なくされた俺に、慰めてあげるだの何だの言いながら告白して来た奴とは大違いだった。そいつは弱った心に漬け込もうとする打算が隠し切れておらず、あまりの醜悪さに声を荒げそうになったが、どうにか堪えて冷静に断りを入れたのだ。


 そんな経験があったからこそ、目の前のクラスメイトが語る彼女から見た葉山真と言う人間像が、空っぽだと思っていた俺自身に詰め込まれていく。

 お互い良く知らないもの同士から見た俺と言う存在は、そんなにも色々出来て他人に優しい人間だったのか。

 俺自身が気付いて居なかった外から見た俺が、意外と結構あったらしい。サッカー以外にも、ちゃんとあるらしい。

 そう思ったら、何だかまだやれそうな気がした。だから礼だけ言って立ち去ろうとした時だ。


「私は素敵な男の子だと思うよ!」


 そう言って彼女が向けて来た純粋な笑顔を、忘れる事は出来そうにない。小春こはると言う学校でもトップクラスの美少女を、幼馴染に持っている。その更に上を行くあの人を知っている。告白して来た様々な女子達を知っている。

 そんな数々の女性達の誰よりも、この素朴で平凡な見た目の女の子が一番好ましいと思った。



 サッカー一筋で恋愛など興味が無いと言い続けて来た男が、こんなにもアッサリと惚れてしまう、思いもよらぬ相手と。恋愛と言うのは得てしてそう言うものだ。

 容姿と言うのは、確かに恋愛の切っ掛けになり易い要素ではある。ただし、それだけが決め手になるとは限らない。特別優れた容姿では無くとも、個人個人の味と言うものは確かに存在する。その事を理解している人間にしか、見えない景色があるのだ。





 思わぬ展開にはなったものの、再び立ち上がる気力を取り戻した俺は、彼女に礼を告げて立ち去る。このお礼はいつかしっかり返したい所だ。

 それにしても、先程まで感じていた甘い良い香りは、どうやら彼女のものだったらしい。……もう少しだけ膝枕を堪能してからでも良かったかも知れないと思ったが後の祭りである。

 今のはお情けみたいなものだ。自分が彼女に胸を張って向き合える男になってから。葉山真がこれから歩む道を、ちゃんと見つけ出したらまたやって貰おう。

 その時は出来たらクラスメイトの男子ではなく、佐々木さんの恋人と言う立場になっておきたいと願うのは欲張りだろうか?

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