定年退職したおじいちゃん、幼女になる。

@shinori_to

Ep0

第0話 老人と幼女

ダンジョンが現実世界に出現してから四半世紀。

定年を迎え長年勤めた会社を退職した私は余生をダンジョンで過ごすべく、プレイヤーとして本日も馴染のダンジョンへ潜っていた。


マジッククロスボウから射出された矢が浮遊クラゲの核を破壊する。

核を失ったクラゲはボロボロと崩れて消えた。

ポトリと小瓶が落ちる。

浮遊クラゲのドロップアイテムだ。


「これで4個目……」


ふぅ。と息を吐き出す。

これだけ出れば今日は黒字だな。


「おう。じーさん。今日もソロかい?」


ドロップアイテムを回収してウェストバッグにしまったところで数人のプレイヤーから声を掛けられた。

彼らは水族館ここのダンジョンで良く見る顔馴染みだ。


「ああ。そうだよ。君たちはこれから下層かい?」

「おう。きょうもリヴァイサン討伐だぜ!」

「じーさん。良かったらバフ貰えないか?」

「オーケー」


言われて、彼らに筋力ストレング敏捷アジェイル耐久フィジカルを掛ける。

ついでに復調リカバリー治癒ヒールもしておく。


「サンキュー」

「よぉし。一気に中層ボス撃破だぜ!」

「じいさん。これお礼」


渡されたのは中級マナポーションとクラゲの小瓶。

彼らに使った魔力からすれば多すぎる対価だ。


「多すぎるよ。それに礼なんていらないと以前から――」

「いやいや。じいさんには俺たちが駆け出しの頃から世話になってるからな」

「そうだぜ。楽して下層に行けるのは此処にじーさんが居るからだしな」

「ハハハ。違いねぇ」

「まったく。気を付けてな」


そうして手を振って彼らと別れる。


思わぬ臨時収入を得てしまった。

今日はここまでにして帰るか。と、移動を始める。

そして、いくつかの十字路を抜けた先で異変に気付いた。


――おかしい。


視界に広がるのはあちこちにポップしたモンスターたち。

状況を確認するため、隠蔽ハイドで姿を隠し、探知サーチで周囲の情報を取得する。

探知で取得した範囲内にも多数のモンスター反応。

中層でこれだけのポップ数は明らかに異常だ。


「モンスターパニックか。珍しい……」


モンスターパニックとは、モンスターのリポップが重なってフロア中にモンスターが溢れる現象だ。

対処法はフロア内のモンスターを倒すか、当該フロアからの速やかな脱出。

プレイヤーレベル27の私が取る手段は勿論後者一択である。


「まったく、年寄りにはキツイよ……。っと、残弾は……」


ハンドガンのマガジンに6発、予備のマガジンが2。

マジッククロスボウは装填済みカートリッジが後12発分、予備カートリッジは0。

後は、無音タイプの閃光弾が1個。

これなら最短ルートで行けば上のフロアまでは何とか行けるかな?

脱出アイテムを使えば即時脱出も可能だが、何故か使うのを躊躇った。

今思えば、慣れ親しんだ場所ダンジョンだから大丈夫だろうという驕りもあったのかもしれない。


「すぅー。はぁー」


深呼吸をして息を整える。

レベルによる身体能力の向上で齢60を超えたこの身体でもそれなりに動いてくれる。

とは言え、呼吸は大事だ。息が乱れては冷静な判断も出来なくなる。


「――我に行く道を示せよ。探知」


再度探知を使用しモンスターの配置を頭に叩き込む。


「よし」


物陰から出て、進路上のモンスターへクロスボウを撃ちこむ。

直撃を受けたクロスクラブ2体が消滅する。


(次!)


十字路の先にクラゲとクロスクラブが各1体。

クラゲは状態異常が怖いが足が遅いので進行方向以外は無視だ。

足が速く追いついてきそうなクロスクラブだけを倒す。

十字路の左側へ入り前方のクラゲ3体を倒し、振り向いてから接近してくるクロスクラブ2体も倒す。ついでにクラゲのドロップ品を回収。

これでクロスボウは残り4発。


(次、十字路を右)


十字路に浮かんでいるクラゲ2体を倒し、更に左手に居るクロスクラブ1体を倒す。

右折先に居たクラゲをクロスボウの最後の1発で撃破。

武器をハンドガンへ切り替え、背後から迫ってくるクロスクラブ2体を撃破。

ここまでノーミスだ。まったく、自分を褒めたくなるね。

探知の効果時間が終了したので探知を再使用。

上のフロアへの出入り口はこの先の十字路を左に曲がれば直ぐだ。

多くのモンスターが居るが、障害になるのだけを排除すれば問題無く突破できる。


――筈だったが。


「逆方向にプレイヤー反応1つ!?」


プレイヤーの周囲には複数のモンスター反応。

なのに動いていない? 状態異常?

いや、それ以前に何故脱出していない?


「ああもう!」


考える時間なんて殆ど無かった。

私は十字路をしてその先の広場へ躍り出る。


「目を閉じろ!」


広場に出て叫ぶのと同時に閃光弾を投擲。

直後、眩い閃光が周囲を包み込む。

半魚人が居ないのは救いだったな。なんて安堵しながら、閃光弾の効きが悪いクラゲを優先して撃破する。

結果、ハンドガンの残弾と予備マガジン1本が空になったが、若干の猶予はできた。

最後のマガジンをハンドガンに装填しながら座り込むプレイヤーへ声を掛ける。


「大丈夫か?」

「す、すみません。毒と麻痺で」


よく見たら年若い女の子だった。

手には薙刀を握っている。女性プレイヤーにしては珍しい組み合わせだ。

彼方此方に傷を負っているが、致命傷は見当たらない。


「わかった。――彼の者へ安らぎを。復調。――彼の者を癒せよ。治癒」

「あ、ありがとうございます……」

「動けるか? なぜ脱出アイテムを使わない?」

「ゆ、譲ってしまって……」


馬鹿かッ!! と思わず声を出しそうになってしまった。

脱出アイテムはプレイヤーにとっての生命線だ。

それを譲るなんて普通ならありえない。

余程のお人好しか、自殺志願者か……。


「いいか! これを使って直ぐに脱出しろッ!!」


言って、腕に着けていたリストバンド型の脱出アイテムを渡す。


「で、ですが、あなたが」

「大丈夫だ。私は此処に馴れているからね。どうにでもなる。――さぁ、行け!!」

「あ、ありがとうございます」


周囲のクロスクラブをハンドガンで倒しながらモンスターの注意を引いてその場を離れる。

直後、脱出アイテムが作動し年若い女性プレイヤーが消えた。

後は、上のフロアへ脱出するだけだ。


「――我に疾風を。敏捷」


私をターゲットしたモンスターたちを底上げした敏捷力で引き離し、出口へ向かって通路を駆け抜けて行く。

明日は筋肉痛確定だな。なんてボヤキながら先ほどの十字路をまっすぐ通り過ぎようとした。


――刹那。


側面から衝撃を受ける。

そのまま足がもつれて頭から転倒。

受け身を取ったものの身体は言うことを聞かずにゴロゴロと転がった。


「ぐぅ……。くそッ……」


霞んだ視線の先にはトライデントを構える半魚人

どうやら探知を使わずに突っ走ったのが仇になったようだ。

武器は――、さっきの転倒で落としたらしい。


『キシャァァァ!!』


振り下ろされるトライデントを横に転げて回避。

次いで鈍痛の走るわき腹を治癒で回復。しかし、痛みが引かない。

探知を使用。

目的地まで約100m。だがしかし、周囲は既にモンスターだらけだ。

このケガで突破は無理だろうな。

完全に詰んでいる。

まぁ、こんな独居老人一人が居なくなったところで誰が悲しむわけでも……。


あー。姉が存命だった。


葬儀ではきっと大馬鹿者と罵られること間違いないだろうな。

自嘲しそうになった時、不意に一人だけ泣きそうな顔が浮かんだ。

浮かんでしまったのだ……。

だからなのか少々悪あがきをしてみようと思った。

状況を先延ばしにしただけとも言えなくはないが、それでも僅かな可能性に賭けて、私はその手段を選ぶ。


「じゃあな。モンスターども」


手を伸ばし、探知で見つけていたソレを発動させる。


――転移罠。


探知した際、偶然手を伸ばせば発動する位置に転移罠があった。

そもそも水族館ここのダンジョンで転移罠は珍しいのだが、渡りに船とはこの事だろうか。

しかし、きっと行き先はここより下のフロアだろう。

運が悪ければ強力なモンスターと出会って即終了だ。

それでも他のプレイヤーと遭遇する可能性が無いわけではない。

だから、その僅かな希望に賭けたのだ。


光が晴れた後、高い空には星と月が浮かんでいた。

明らかに先ほどまで居た場所とは異なる光景。

むしろ、水族館ダンジョンにこんな場所あったか? 隠し部屋の類か?

探知を使う。

周囲に反応無し、ただの広い空間としか分からない。


「どういうことだ? こんなエリアがこのダンジョンにあるなんて聞いた事も無いぞ」


起き上がろうとしたが激痛で無理だった。

明らかに治癒が効いていない。

大治癒グレーターヒールなら回復できるのかもしれないが、残念ながら習得出来ていない。

治癒で地道に治すか? いや、その前に魔力が切れるのが先だな……。

足掻いてはみたもののどうやら意味は無かったようだ。

それもまた人生か……。


と、不意に視界に影が入り込んだ。


「ん? どうした。こんなところに?」


こんな場所に居る筈も無い存在に思わず声を掛けてしまう。

もしかして、これは走馬灯か? それとも、お迎えというヤツか?

いや、もうどちらでも良いか……。


「こんなところに君みたいな子が居たら親御さんが心配するぞ? 早く帰った方が良い」


「え? 親はいない? そうか。実は私も一人ぼっちでね。君と一緒さ」


「一緒に帰る? それは嬉しい申し出だ。でも、すまない。――実は帰り道が分からないんだ」


「脱出アイテムも譲ってしまってね。え? 違う?」


「一緒が良い? ハハハ……。参ったな……」


「そうだ。バックの中に何か役に立つものがあるかもしれない。良かったら使ってくれ」


「大丈夫。きっと……帰れる……よ――」


――



***


遠くから鳥の囀りが聞こえた。

目を開けるとそこは見慣れた自宅の寝室だった。


おかしい。


確かダンジョンに行っていて、モンスターパニックが起きて、深手を負って、転移罠を使って――


後はよく覚えていない。


むしろ、そんな状況から無事に帰還できるわけもなく、もしかしてダンジョンに行っていた事自体が夢だったのだろうか?

齢60も過ぎたことだし、遂にボケが始まってしまったか……。

悲しいけどこれきっと老化だよね。仕方ないね。

ベッドから身体を起こす。

やけに寒いな?

と思ったら寝間着を着ていなかった。そりゃ寒いわけだ。

というか、手が小さい?


んん? あれ?


ベッドから飛び起きて洗面所へ向かう。

覗き込んだ鏡には知らない顔が映り込んでいた。


「どちら様で?」


知らない顔の口が動き、聞きなれない声が耳に届く。


「へ?」


頬をつねってみる。


あ、痛い。

というか、これ私か?

ペタペタと顔を触る。

勿論、触る感触も、触れられる感触もある。

慌てて近くの椅子を運んでその上に乗った。

鏡に映ったのは、長い黒髪に赤銅色の瞳と色白の肌をした幼女だった。


――しかも全裸の。


「は? え? ど、どどどういうことなのぉぉぉッ!?」


絶叫する。

しかし、絶叫しているのも明らかに私だったのだ。

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