恋ではなかったけれど……

相内充希

恋ではなかったけれど……

 朝早くから屋敷中が騒がしい。

 その喧騒から逃れるようローゼルはこっそりと三階に上がり、奥にある物置部屋の扉を開けた。所狭しと置かれた家具や雑貨の間をすり抜けてカーテンを大きく開けると、春の柔らかい日差しが差し込む。


(懐かしい)


 他の部屋とは違う雑多な感じが面白く、子どもの頃は大きな秘密基地のように思っていた。かくれんぼなどの遊び場として、小さい頃はよく忍び込んだものだ。叱られてこっそり泣きにきたり、宝物のようなガラクタを集めたり。当時は特別に思えていた空間だった。


 物置部屋は、季節外のものが置かれた部屋だ。


 フィジアは四季がはっきりした国の為か、四季折々で部屋の家具や飾りをガラッと変える習慣がある。それはその季節を快適に過ごす為であると同時に、季節ごとに守ってくださる神様をお迎えするため、家を清めるという意味もあった。


 春のための模様替えは先日終ったばかりだから、物置部屋の奥には、つい先日まで使っていた冬の敷布や温かい色合いの棚などが置かれていた。手前には夏らしい籐のテーブルや椅子にレースのカーテン。左手には秋らしいコックリした色のテーブルや、行楽用の食器が入った箱もしまわれている。一番左に置いてあるのは、三年前にローゼルが選んだ大皿の入った箱だ。


 そんな、新しいものも古いものも全部目に焼き付けるように見ていたローゼルは、目的のものを見つけ手を伸ばした。


「やっぱりここにあった。よかった」


 カバンのように取っ手のついた箱の留め具をはずして蓋を開けると、中には婚礼衣装を着た伝統的な人形が一対収められていた。


 それは十二年前。

 当時六歳だったローゼルが、このラグランジア家に迎え入れられた年に養父母が誂えてくれたものだ。


「迎えに来たわよ」


 そう言って自然と微笑む。

 数年ぶりに見た懐かしい友達・・の姿に、ここ数か月の間ずっとささくれ立っていた気持ちが和いでいくのを感じた。


 もともとローゼルは養母の遠縁の娘にあたる。

 養父母は長らく子に恵まれず、生まれても直ぐ亡くなっていた。

 赤ん坊というものは育つのが大変難しい。せっかく生まれても三歳を超えるまでが本当に大変なのだが、ラグランジアの子たちは一歳の誕生日を迎えられた子が一人もいなかったらしい。

 それは本妻である養母に限らず、第二夫人も第三夫人もそうで、ついに主人である養父の提案で、ラグランジア家を継ぐためにローゼルは貰われてきたのだった。


 その半年後、ローゼルの婿として貰われてきたのが一歳年下のアスター。

 アスターは養父の遠縁の息子だという。


 最初から夫婦になる関係として貰われることは、この国、この時代では特段珍しいことではない。五女だったローゼルや八男だったアスターのように、家を継ぐ予定のないものが、婚姻のため他家に養子にいくのはよくある話だ。

 ただ、最初から跡取りの夫婦になるものとして同時に引き取られるのは稀で、そのような場合を引き取るではなく貰われると表現した。他家よりもらい受けた宝だと。


 そのため二人は許嫁でありながらも、姉弟のように伸び伸びと大切に育てられた。そしてそれは二年後、第二夫人に女の子トレニアが生まれてからも変わらなかったのだ。


 フィジアでは、どの夫人が生んだ子でも養子でも、等しく第一夫人の子として育てられる。トレニアも勿論そうだったのだが、既に諦められていた中での実子誕生ということで、三人の夫人が手を取り合ってトレニアを育てた。そのかいあってかトレニアは病弱ながらもすくすく育ち、ローゼルたちも年の離れた妹として大変可愛がった。


 養父の実子であるトレニアが育っているなら、もうローゼルは不要では? という親戚もいたけれど、養父母たちは取り合わず、婚約は継続した。

 だからこそローゼルもアスターも、アスターが成人したら夫婦になるものと信じていたのだ。



 それが変わったのは、トレニアがアスターに仄かな恋心を抱きはじめていることがわかってからだった。幼い妹が、七つ年上の親戚に憧れの目を向け始めていたのを、ローゼルも微笑ましく思っていた。愛しいとさえ思っていた。


 だから、『やはり自分の娘の願いを叶えたい』と頭を下げる養父に、ローゼルは静かに頷いた。

 本音を言えば、今後の身の振り方にだけは途方にくれた。けれど養父はローゼルの嫁ぎ先を探してきてくれた。この家の長女として嫁にいけると聞き、今更ながら、大切にされてきたのだと実感する。


 相手は隣国の貴族の長男だという。ラグランジア家よりは劣るものの立派な家柄で、その長男がようやく身を固めるつもりになったところを、すかさず捕まえたのだと養父が笑っていた。


 相手の姿絵は見なかった。

 年齢でさえ、自分より上だということしか知らない。

 養父が気に入ったというだけで十分だと思ったからだ。


 何よりそれは、妻の遠縁である養子を嫁がせる相手としては過分なくらいの縁談で、それだけでも養父がどれだけ手を尽くしてくれたのかがよく分かる。それぐらいの相手だ。

 それに否ということなど、ローゼルには想像もできなかった。



「姉上、ここにいましたか」


 不意に声をかけられ振り返った瞬間、古い箱のささくれが指に刺さり、小さく「痛っ」と声を上げてしまう。

 慌てたように駆け寄ったアスターがローゼルの手を取る。刺さっていたそれを抜くと、幼い頃のように傷ついた指先に一瞬口づけられた。


「懐かしいことをするわね」


 せっかく和いでいた心が、また小さくささくれ立つ。

 でもそれは、いたずらを咎められたようなアスターの目を見て、再び収まった。


「すみません、姉上」

「いいのよ」


 姉上。

 その呼びかけが、この胸をささくれさせてたのだと今更ながら気づいた。

 ローゼルが長女として嫁ぐことが決まったあの日から、アスターはローゼルをそう呼ぶようになったからだ。


 姉弟のようだったけど許嫁で、恋ではなかったけれど、大事な人だった。

 それは彼も同じだと思っていたけれど、突然姉と呼ばれ敬語で話され始めたことで、勝手に突き放されたように感じていたのだ。


(でも違ったのね)


 アスターの目の奥に一瞬こもった熱を見逃さなかったローゼルは、胸の奥にある痛みを見ないふりした。お互いに区切りが必要だっただけなのだ。


「その人形。懐かしいですね」


 そう言って目を細める彼に、ローゼルは頷く。

 アスターはこの人形を使ったままごと遊びにも、根気良く付き合ってくれた。


 花嫁はローゼルに似ていたけれど、花婿はアスターには似ていない。彼に決まる前に誂えられたのだから当然だ。

 濃い金髪の花婿人形をスルッと撫で、アスターは苦笑いした。


「子どもの頃、こんな髪の色になりたいと思っていたんですよ」


 内緒話だと人差し指を唇にあてたアスターに、ローゼルはクスッと笑う。

 小さい頃実際そう言ったことがあるのを、本人は忘れているのだろう。

 ローゼルの婿は自分なのに、なんで人形の髪はアスターのように青くないのだろうと、心底不思議そうだったのだ。

 それは、幼かったローゼルにとっての初恋が、この花婿人形だと言ってもいいほど、これが大好きだったからだろう。やきもちを焼く許嫁が可愛くて仕方がなかった。


「私も、この花嫁人形のように綺麗になりたかったわ」


 少々くたびれていてもなお美しい花嫁人形。

 アスターは優しく目を細め、でも少しぶっきらぼうに、「姉上は美しいです」と、早口で言った。


「婿殿も果報者だと思います」


 少し悔しそうな声だと思ったのは、きっと気のせいだ。


「そう思って下さるといいわね」

「その人形は持っていかれるのですか?」

「ええ。お母様が、持ってお行きなさいと仰ってくれたから」


 最後の花嫁道具だ。


「さあ、そろそろ行かないとみんなが探し始めてしまうわね」


 今日、嫁ぐためにここを発つ。

 そうすれば、ローゼルは二度とここへ戻ることはないだろう。


 先日トレニアが十歳の誕生日を迎え、正式にアスターと婚約した。

 六年後の婚姻の儀に、ローゼルが呼ばれることはないだろう。他家の、しかも嫡男に嫁ぐとはそういうことだ。実子であっても、そうでなくても、それは同じ。離縁でもしない限り、ここへ戻ることはない。そしてローゼルは夫になる男を大事にすると決めていたから、離縁などしないだろう。


「姉上」

「なあに?」

「婿殿の姿も知らないって本当ですか?」

「うん、本当。実際にお会いするときに、初めてお姿を見るのよ。素敵でしょう?」


 恋物語のように、もしかしたら一目で恋に落ちるかもと微笑む。

 実際そんなことはないだろうが、アスターが顔をしかめたので吹き出してしまった。


「心配しないで。きっと大事にしてくれるわ」

「当たり前です」

「そう?」

「もちろん。あなたには愛される価値がある」

「くさいこと言うわね?」

「事実ですよ」


 真面目な言葉を茶化しながら、皆の待つホールへ足早に進む。

 ささくれが刺さったあとの指先が小さく痛むけれど、人形の箱をぎゅっと抱きしめて気づかないふりをしながら。


「姉上」


 でもそう呼ばれて足を止めた。振り向いてじっとアスターを見て、姉の顔でにっこり微笑む。


「ねえアスター。子どもの頃のように名前で呼んで」

「ですが」

「お姉さんからの最後のお願いよ」


 姉の命令だと初めて言ったローゼルに目を丸くしたアスターは、しばしためらったのち、「ローゼル」と早口で呟いた。


 名前を呼んでもらって感じたものは、胸の痛みではなく懐かしさだと気づき、今度こそ本当に胸の奥のささくれが綺麗になくなる。


「うん、アスター。今までありがとう。私の妹を大事にしてね」

「――――はい」


 お互い家を継ぐことを使命にしてきた。

 道は分かれてしまったけれど、二人ともそれは十分に分かっている。


「さようなら」



 家族の中で一番泣きじゃくっていた妹を抱きしめ、養父と養母たち、それから使用人たちにも丁寧に頭を下げてから馬車に乗り込む。


 運命の歯車が再び回り始める。

 この先で待っているのは、今度こそ本当に生涯を共にする人だ。

 五年前にこの国が一夫一婦制になったのと同様、隣国も一夫一婦制だから、夫には自分が唯一の妻となる。

 だからこそ、どんな人なのかは考えなかった。まっさらな気持ちで出会いたいから。


 馬車の窓から手を振り、最後に許嫁だった人の姿をもう一度見た。


「さようなら、アスター」


 恋ではなかったけれど、大事だったよ。

 たぶんこれからもずっと。

 元気でね。




 二日後。

 国境で待っていたその人を見た瞬間、初恋を具現化したようなその姿にローゼルは息を飲むことになる。


 はじめての恋の物語が幕をあげるまで、あと少し。


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恋ではなかったけれど…… 相内充希 @mituki_aiuchi

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