第4話 司書とピアスの秘密


「危なっかしいな」


 そんな声が聞こえた。聞いたことのある声だ。灯りを落とした薄暗い部屋の中、ぼんやりとした意識で誰の声だったかを懸命に思い出そうとした。


「そうですね。普段はこんなことないんですが」

「大丈夫だろうか」

「疲れてたんじゃないですか。任務が終わったとこで安心していたのかも。――レティ? 起きたのか、僕が分かるか」


 フェリクス先輩の声だ。どうもまだ寝惚けているようでふわふわしている。知らない部屋の知らない寝台の上だ。そして私を見下ろす男が二人。


「ここは?」

「私の別邸だ。お前は一服盛られたんだ。それは理解しているか?」


 盛られた? 薬を? そんな、バカな。あの場に居たのは仲間だけの筈だ。混乱する私をフェリクス先輩が頭をぽんぽんとあやすように叩いた。


「心配しなくてもいい。薬を盛ったのはジョスランでもアナイスでもない、僕だからな」


 はああ?! 一気に意識が覚醒した。咄嗟に上掛けを跳ね除けてフェリクス先輩に迫って、左手は胸元を掴み、ついでに右手で目の前に翳し、今にもその眼球へと指を突き立てようとした。落ち着けって、と焦ったようにフェリクス先輩は殺気だった私の右手をそっと押し戻す。


「素晴らしい反射能力だ。見事だ」


 すぐ脇でぱちぱちと拍手をしている細身の男性をようやくじっくりと観察して、観察して、……先日まで内偵していたドニ・ノエル・バティスト公爵閣下だと気付いて思わず顎を落とした。


「何、何なの? どうしてこの方が、」

「うーん、何処から説明しようかな。君はまだ横になった方が良い」


 とりあえず、と言って、公爵閣下が部屋の隅で控えていたメイドにお茶を持ってくるようにと申し付けた。


「久しぶりだな、レティシアーネ」


 なんとなく覚えのある声だが、内偵していた邸内ですれ違ったことがあるだけだ。口を利いた覚えもない。そんな不安な気持ちが伝わったのか、閣下は耳に着けていたピアスを外した。


「……っ! 貴女様はっ!」


 白髪に濃い茶色の瞳だった初老の男が、突然艶のある輝かんばかりの白金プラチナの髪に真紅の瞳の麗しい熟年の淑女にすり替わった。驚く私を面白げに眺めて、お前も分かっている筈だとばかりに私の耳に軽く触れた。驚き過ぎて咄嗟に距離が取れなかった私は、思わずその手を振り払ってしまう。


「……っ、申し訳ありませんんんっ」


 淑女の正体は、現王の妹君で今は臣籍降下されて女大公となられたユージェニー・ノエラ・ヴォルテーヌ王妹殿下だった。私自身、何度か侍女兼護衛としてお側に付き従ったことのある方だ。その上、<レファレンスサービス> のリーダーであって、<図書館> を統括されている理事の一人でもある。


「不用意に触れて悪かった。気にしないでくれ。それはそうと、レティシアーネ、そのピアスの聖石が寿命ぎりぎりだったそうだよ」

「殿下の言う通りだ。昨日の晩、効果が切れかかっていたからね、ちょいと薬を盛って寝て貰ったんだ。レティが期日通りに交換に来ないのが悪いよ」


 そうだった、うっかりしていた。フェリクス先輩に手間を掛けさせてしまった。


 私の着けているピアスには、見ている人に別人と思わせる認識阻害の効果がある。大体が髪と瞳の色を変える程度だが、諜報活動には必要不可欠なものだ。余程近寄らない限り、それこそキスでもしない限り、見破られることのない便利な代物で、聖道具と呼ばれるものの一つである。


 残念ながら我が国ではこういう道具を作る技術がない。遠く海を隔てた島国アジーラの聖職者と言われる技術者たちが作成していると伝わっている。伝わっている、というのは、直接その国へ行った者がいないから良く分からないのである。彼の国と連絡を取るには、各国にひとつづつ与えられている、顔を合わすことなく話が出来る“テルフ”と呼ばれる聖道具を使う。他にもいろいろ便利なものはあるのだが、それらの道具を動かすのに、聖なる石、つまり聖石が必要になる。ピアスのような小さなものだと使える聖石も必然的に小さくなり、割と頻繁に交換してやらないといけない。


 内偵から帰ったらいの一番にやっておくべきことだった。素直に先輩に謝罪した。だがそれよりも。


「それより、殿下が公爵閣下だったなんて……私が内偵する必要なかったじゃないですかっ!」

「あははっ。悪かったよ。客観的な視点が必要だったんだ。それに万一の時に、信用出来る人間に側にいて欲しかったからね」

「それに、それに、……」

「うん? 何だ?」


 あの夫人とどうやって閨事を?という疑問を私は飲み込んだ。聞かなくてもいいことは聞かない方がいい。


「言っておくが、あの夫人とは寝ていないからね」


 先回りしたかのような殿下のお言葉に私は顔に熱が集まるのが分かった。駄目だ、お姉さま方から話はたくさん聞いているが、これでもまだ未経験の私には刺激が強すぎる。


「殿下、そんなあけすけに言わなくても」

「フェリクス、はっきりしておく方がいいだろう? まあ、寝てやっても良かったんだが、どうにも気持ちが乗らなくてな」


 寝てやっても、とはどういうことだろう? 男性に化けていたのはまだ分かるが、このピアスは顔の見え方を変えるだけで、身体まで変えることは出来ない筈だ。余計な妄想が膨らむのを抑えつけた。聞かなくてもいいことは、……。


「レティシアーネが百面相してる」


 そう言って殿下は目尻の皺をきゅっと寄せて柔らかに微笑まれた。


 ◆ 


 私の初めての任務は、大公殿下の護衛を兼ねた侍女として、隣国エーデルシュタイン公国へお供することだった。エーデルシュタイン公国は、領土はかなり小さく我がヴァイセブルク王国の五分の一ほどしかない。だが、輝石や宝石を多く産出し、それを輸出することで成り立たせている、実は経済的には重要な国なのだ。そこへ通商条約を締結するために、国王陛下の代理人として大公殿下が出向くことになったのだ。それが三年前のことだった。


 本来は王太子の仕事じゃないのかとその時私は毒づいたのだけど、王太子殿下にはその頃、懸案事項があって国を離れる訳にいかなかったのだ。王太子自身の婚約者の問題で。婚約破棄だの破棄の取り消しだの、ややこしいったら。いや王太子の婚約だ、国にとって重要事項なのは分かる。でもそれに掛かりきりになり過ぎるのもどうなのよ? と、いち臣下としては思わざるを得ない。そこはかとなく不安の漂う王太子殿下なのだ。


 難しい交渉を上手く纏めて帰国した大公殿下の株はますます上がり、比例するかの如く王太子殿下の評価は地に落ちていく。大丈夫かこの国は、と思いながらも粛々と侍女兼護衛の任務を特に苦労なく勤め上げた。


 大公殿下は私をたいそう可愛がってくれた。そのまま本当に侍女として仕えてくれないかとも仰られた。有難いお言葉だったが、それに真っ向から反対したのは私の養父だった。そこまで激しく反対しなくても、という勢いだったので、私は元通り司書として働くことになった。まあ常時大公殿下のお側に仕えるのには、ちょっと問題があったのだ。それは分かっていた。


 メイドの持ってきてくれたハーブティーを一緒に飲んで、殿下とフェリクス先輩を見送った。ほんの少しだけ寝直して、まだ早朝という時刻に再び目が覚めた。今日は仕事に行かなくてはならない。湯浴みをしようと続きの部屋の浴室へと入った。昨日から着たままの、煙草の煙にまみれた酒臭い服を脱ぎ、そおっと着けていた真珠のピアスを外した。鏡に映るのは、本来の私。大公殿下とそっくりの白金プラチナ色の髪と殿下よりは暗めの深紅の瞳。紛れもなく王族の証の色だった。


 私の本当の親は誰なのか、全く分からない。誰も教えてくれないからだ。でもこの色を見る限り、父と母のどちらかは王族であることは間違いない。私の推測だが、既に故人となられた現王の王兄殿下の血統じゃないかと思っている。


 どうして王兄殿下が王位に付かなかったのか。どうやら病弱であったらしく若くして儚くなられたからだと聞いている。若くして、とはいえ既に成人済みだったので、お子が出来ていたとしても不思議ではない。しかも婚約者がいらっしゃったのだ。だがその婚約者は、王兄殿下が亡くなられた後、現王、つまり弟君と結婚された今の王妃殿下で在られる。


 これは嫌な想像だが、亡き王兄殿下と現王妃殿下の間に生まれた、なんていう背筋に冷や汗が滴りそうな可能性も無きにしも非ずだったりするのだ。私の顔は見たところどちらにも似てなさそうなので、あくまでも可能性の一つというだけだけど。子爵に引き取られていることを考え合わせると、例えば侍女やメイドなど母親の身分が低かったなんてこともあり得る。どちらにせよ、産まれてはいけない理由があったのだろう。そこには殺される未来だってあった筈だ。だが、こうして認識阻害機能付きピアスのお陰でなんとか命を繋いでいる。

 

 物心付いた頃にはピアスを装着して王族の色を隠してきた。このことを知っているのは、養父である子爵と子爵家に長く仕えている使用人たち、聖石を用意してくれるフェリクス先輩、絶対に私の本当の親をご存じだが何も言わない大公殿下、それから最も親しい友人のアナイスくらいなものだ。いつまでも、多分一生、これを付けておかなければ命の危険があるのだろう。もうさんざん考えて諦めの境地に達した筈だが、改めてほんのり寂しい気持ちになる。ふううと息を吐いて、またピアスをつけ直して元の色に戻した。

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