ヨセフによる『マリア』記-6

アダムは僕の名前を呼んだ。エヴァでもマリアでもなく、僕を呼んだ。


「こっちへおいでよ、ヨセフくん」


彼は僕の腕を握った。外へ連れ出そうというのか。いや、違う。彼が向かったのは裏庭だった。

裏庭は草木が繁りすぎて立ち入ったことがない。裏門からなら入れるだろう。だが窓から見えた庭にそこまでする理由を僕は持てない。だから裏庭は危ないと言ってマリアが迷わないようにした。子どもは探検事が好きだったから。危険なものほど魅力を感じるだろう。だから僕はマリアと約束をした。

僕は行かないからマリアも行ってはいけないよ。

でも今、僕はその約束を破ろうとしていた。


アダムは僕の腕を引いて知らない道を進んだ。その腕を僕は振りほどけなかった。アダムの力は強かった。


僕は思った。

これがエヴァや、ましてやマリアに対してされなくてよかったと。

この行為が僕に向いてよかったと。




アダムは僕の知らない道を行った。正面の庭から裏庭へ通じる道だ。そんな道があることなんて知らなかった。

建物の壁のすぐ横を這うようにして僕らは進んだ。狭くて狭くて、道が狭いのかと思っていた。だがそれは違っていて、アダムがいつの間にか僕を壁に押し付けるようにしていたのに気がつかなかった。

だって、彼との距離はいつだって近かったんだ。僕と彼の距離はいつだって重なるほどよく似ていた。

噂は語った。アダムという男は善い夫であり父親だ。

少年であり、青年であり、男となって女を愛し、娘を得た。彼と僕の何が違うのだろうか。彼は僕だったのかもしれない。僕は彼だったのかもしれない。そんな些細な違いなんて神にとっては無に等しいのではないだろうか。

今目の前にいる男が発する子どものような口調と、無邪気な笑みが僕に油断をさせたのかもしれない。指が喰い込むほど強く掴まれた腕の痛みはとうに麻痺していた。

僕には、もう逃げる道が残されていなかったのだろう。




アダムは僕と触れ合うほどに迫ってきた。そして首筋に息を吹き掛けた。生温いそれが彼の呼吸だと知った瞬間、僕はやっと彼との距離に気がついた。

近すぎる。女性とだってこんなに近づくのは普通ではない。そうだ。アダムは普通ではなかった。

それを証明するように、彼は僕の顔を見ながら言った。


「アダムくんってさあ、かわいいよね」


僕は誰と遭遇してしまったのだろう。

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