6 願いのためなら悪女になります



「お、美味しーい……」


 トロトロに煮込まれたお肉が、口の中でほろりととろける。


「それはよろしゅうございました。よろしければ、パンも一緒にどうぞ。ちょうど夕飯準備で厨房が忙しいようで、こんな物しかなくて大変申しわけないのですが」


 グスタフさんは恐縮しきっているけれど、そんなことない。

 屋敷でもらえた残飯はスープの具がないのは当たり前、肉などカケラが入っていればとても幸運で、パンはいつだってカチコチで、カビが生えていることもあった。


 それに、わたしの今までの貧しい食生活や、朝から何も食べていない空腹を差し引いても、とても美味しいシチューとパンだ。


 スープは野菜を丁寧に切って煮崩れないようにしてあってシチューの味がよく染みている。パンは表面はパリッと、中はふんわりと、口に入れればバターと小麦の香りがいっぱいに広がるバゲットだった。


「おかわりはいかがですか?」

「はい! いただきます!」

「かしこまりました」


 グスタフさんはにっこり微笑むと、部屋を出ていった。


 待っている間に、ふと部屋を見回す。


「すごいお部屋だわ」


 グスタフさんによれば、ここは食堂なのだそうだ。

 リヴィエール家の屋敷の食堂も、こんなに広くない。

 大理石の長テーブルに、立派な椅子が10脚並んでいて、立派なマントルピースの上には銀のレイピアが飾ってある。


「でもやっぱり寂しい感じね……そういえば、あまり人がいないからかしら」


 今のところ、グスタフさんしか人影が見当たらない。


「お城が広すぎるから人に会わないのかしら?」


――首を傾げているエステルを、扉の影から見守る影が数人あった。


『グスタフの言う通りだ。本当に食ってる』

『公爵令嬢だからお高くとまっていると思ったけど』

『しかし、あんなに痩せているのにずいぶん食う令嬢だな。アグネスがもうすぐおかわりを持ってくるはずだけど、それでもう五皿目――』


「失礼します!」


 ばん、と開いた扉にわたしは飛び上がりそうになった。

 そこには、メイド服を着た大柄な女性と、三人の少年が立っていた。


「?」


 小間使いの少年たちだろうか。なぜか気まずそうにもじもじとして、大柄の女性を見ている。


「エステル様ですね? あたしはアグネス。このお城の厨房係とエステル様のお世話係とその他諸々を担当しております!」

「え、えーと、それはつまり……」

「もうおわかりかと思いますけど、このお城、人手不足なんです」


 アグネスさんは朗らかに笑って、私の前にシチューのお皿を置いてくれた。


「グスタフは言わなかったかもしれないですけど、今このお城で働いている者は全員、クラウド様の討伐隊にいた者たちなんですよ」

「えっ……」

「あたしは炊事係。あの子たちは騎士見習い。グスタフはああ見えて、ベテランの騎士でした。今現在、この城にいるのはあたしたち五人です」

「そうだったんですね」


 どうりで人を見かけないわけだ。


「こんなに大きなお城ですからね、使用人を募集はしてるんですけど……ああ、シチューを冷めないうちに召し上がってくださいね」

「ありがとうございます」


 せっかくなので、わたしはシチューを口に運ぶ。

 うん、やっぱり美味しい。


「そんなわけで、使用人が集まるまではあたしがエステル様のお世話をさせていただきますので、よろしくお願いします」

 アグネスさんは丁寧に頭を下げる。お作法ではないけれど、素朴で温かみのある御挨拶にわたしはホッとした。


「こちらこそ、よろしくお願いします」

 スプーンを置いて頭を下げると、アグネスさんはふふふと微笑んだ。


「ずいぶん美味しそうに食べてくださるんですねえ。ちょっと安心しましたよ」

「安心、ですか?」

「ほら、なにせ公爵令嬢様でしょう? お高くとまっていたらどうしようって。ねえ、ヨン、トム、ロニー?」


 扉の傍に立っていた少年たちはギクリとした様子で、そそくさと立ち去ってしまった。


「礼儀を知らない粗忽者たちですみませんねえ。ついこの前まで、竜だ魔物だって山や野原を駆けずり回っていたので。ま、今でもあんまり変わらないですけどね」

「魔物が出るんですか?」

「ええ、竜の瘴気が魔物を呼ぶんですよ」

「竜の瘴気? 竜は、その……辺境伯様が退治してくださったのではないのですか?」

「その通りですよ。でも、竜の瘴気ってのは凄まじくてね。クラウド様が竜を仕留めたのは、この城からそう遠くない西の森と呼ばれる場所です。そこに竜の棲み処があったんですよ。で、退治した後も未だに残るその瘴気に、魔物が集まってくるんです。それで、所領の中や周辺の魔物を狩るのに、あたし以外は全員、出払っている毎日でしてね」

「でも、グスタフさんたちは」

「ええ。今日は特別に城に残ることになったんですよ。だってクラウド様の花嫁が来るっていうんですからね。クラウド様とアベル様、ルイス様が領地へ出ていって、他は留守番ということになったんです。とは言っても、あの子たちとグスタフがいただけじゃ、ほとんど何の足しにもならないんですがねえ。女手が増えるまで、もう少し待っててくださいな」


 わたしは少し考えて、食べ終えたスプーンを静かに置いた。


「あの、わたしじゃお役にたてませんか?」

「はい?」

「わたしも女手です。アグネスさんのお仕事、手伝います」


 アグネスさんはくるりとした目をもっとくるりと大きくした。その目は心なしか潤んでいる。


「ありがとうございます」

 アグネスさんは床に膝をついてわたしを見上げた。


「公爵令嬢様にそんなことを言っていただけるなんて。あたしはもう、胸がいっぱいでいっぱいで……」


 アグネスさんはわたしを聖女か何かのように見つめる。

 わたしは申しわけなくなって慌てて言い足した。


「い、いえあの、そんなたいしたことはできないかもしれませんけど! でも、わたし、お掃除とかお洗濯とかできますし、何かのお役に立てるなら、アグネスさんと一緒に働きます!お城の中も見たいですし」


 そう。こんなに広いお城、一人だったら迷ってしまう。案内してもらって、迷子にならないようにしなくては。


 それに、さっきアグネスさんが言っていた『西の森』。

 そのことについて、もっと詳しく聞きたい。


 竜の棲み処があった場所。魔物を呼び寄せるほどの瘴気。それは、西の森という場所の魔力が高い証だ。

 きっと、そこには記憶の花があるにちがいない。


――そんな下心のあるわたしに、アグネスさんが感動の眼差しを向けてくれているのが本当に申し訳ない。


 ああ、わたしって、悪女だったんだ。


 罪悪感が胸を苛むけれど、ここであきらめるわけにはいかない。

 記憶の花を探すためなら、悪女にだってならくては。


「さあさあ、じゃあ、さっそくお部屋へご案内しますよ。夕飯はもっと豪勢にしますから、お楽しみにしてくださいね!」

「は、はい、ありがとうございます」


 アグネスさんの朗らかな笑顔を直視できない自分が情けない。

 でも、わたしは悪女にならなくてはならないのです。

 ごめんなさいアグネスさん……!


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