5  クラウド・フォン・トレンメル



「クラウド様。これでは花嫁の到着に間に合いませんね」


 バーデン湖畔に到着するなりアベルが言った。


 ついさっきまで所領となった村へ挨拶や事務的な手続きに回っていた。竜を退治した俺に好意的な者たちも多いが、領地経営の視点からするとまだまだ信用もないし、課題も多い。

 そんなあれこれを考えていた俺は、アベルの言っていることに頭がついていかなかった。


「何の話だ?」

「これだからクラウド様は」

 アベルは困ったように笑んだ。鳶色の髪が微かに揺れる。

「忙しすぎるのです、クラウド様は。御自身の花嫁のことですよ? リヴィエール公爵令嬢エステル・リヴィエール様。まさかお名前まで忘れてしまったのでは?」

「いや、思い出した。エステル・リヴィエール。そういえばそうだったな」


――三大公爵家の一つ、リヴィエール家から花嫁を出そう。

 王のニヤついた顔を思い出し、こみ上げる嫌悪感をこらえる。下心丸出しの王の言葉の裏は『だから魔石鉱泉の利益を流せ』だ。

 報告する前から魔石鉱泉のことを知られていたことに王家の情報網の秀逸さを改めて思い知ったのと、俺にとっても悪い話ではなかったので、その場で了承した。



 自分の領地を持つ。

 やっと。

 やっとここまでこぎつけたのだ。

 まだその先に、叶えたい願いがある。



 そのためには、領地経営がうまくいくことが重要だった。


 俺のように、生まれついての地位も後ろ盾もない者が、竜退治その他の軍功で功績を上げて爵位を得た場合、領地経営が困難になることが多い。それは『この領主なら安心して任せられる』という民からの信用がないからだ。


 その信用を得るために、公爵家の名を

 つまり、それがエステル・リヴィエールだ。


「たぶん、もう城に着いている頃ですよね。残っている者には手厚くお迎えするように言ってありますけど、なにせ人手不足なもので」


 アベルは俺の後衛でずっと一緒に戦ってきた弓の名手、頭の切れる男で治癒魔法も使える。性格も穏やかで人望も厚い。俺の陣営では事務的なことはすべてアベルが引き受けてきたし、これからの領地経営でもその手腕を発揮してくれるだろう。


「使用人を募ってはいるのですが、なかなか難しくて……」

 アベルは言葉を濁す。


 竜殺し。血みどろ伯爵。冷酷辺境伯。


 自分に付けられた数々の異名は知っている。


 人は竜に蹂躙され苦しんでも、心のどこかで竜を神聖なものだと崇めている。この国の神話が関係しているからだ。ゆえに、誰も竜を退治しなかった。もっとも、退治する力量がなければ不可能という問題もあったが。

 それをやってのけた俺を英雄だと讃える裏で、人々は俺を怖れ、信用しないのだ。


「まあ『竜を退治したから今日からここの領主になります』と見知らぬ若造が突然やってきても、民にとっては受け入れがたいところもあるだろう」

「そんな! クラウド様がいなければ、今年もまたどこかの村がまるまる消えていたでしょうし、生贄の乙女も出されたんですよ!? せめて城の使用人の募集にくらい集まってくれてもいいじゃないですか」


 珍しく不満を爆発させるアベルの肩を軽く叩く。


「得体の知れない領主に仕えることに抵抗を感じるのは仕方ない。民が暮らしやすい領地に改良して、信用を得ていこう。花嫁を迎えたのはその第一歩だ」


 湖畔に腰を下ろすと、ルイスが隣に来て水筒を渡してきた。

 一口飲むと、キリッと冷たい旨みが喉を潤していく。


「うん、美味い水だな。どこで汲んだ?」

「さっきの村を出た沢だ。あの村は水量が豊富だと思ったから、どんな味だか気になってな」

「さすがだな、ルイス」

「ま、難しいことはオレにはさっぱりだからアベルに任せるが、こういうことは得意だぜ」


 獅子を思わせる精悍な顔がニヤリと笑う。


「それにしても、王都でのうのうと暮らしてきた公爵令嬢ねえ。せいぜいその辺を散歩して痛い目に遭ってねえといいが」


 ルイスは竜退治を含め、俺とずっと前衛で組んでいる騎士だ。

 少々荒っぽい性格ではあるが、勘が鋭く目の付け所がいい。その勇猛果敢な戦いぶりに俺は何度も助けられた。今でも俺の補佐として動いてくれている。


「勝手には出歩かないだろう。若い娘が好むような風光明媚な土地ではないからな」

「こんな殺伐とした魔物だらけの土地なんて聞いてないわ、とか泣かれたらどうします?」

「気色悪い声を出さないでください、ルイス」


 女の声色を真似するルイスに、アベルが秀麗な眉をひそめた。


「ルイスの言うことはともかく、エステル様には謎が多い。なにせほとんど情報が集まっていないのです。病弱で社交界にも出てきてなかったそうでして」

「病弱か! そりゃまずい! 魔物なんか見たらショックでぽっくり逝っちまうかもな!」

「不吉なことを楽しそうに言わないでください!」


 いつものようにガーガーじゃれ合う二人を見つつ、俺は苦笑した。


「ま、訳アリ令嬢なことは確かだろうな。ぽっと出の辺境伯にこうも簡単にくれてやると言うのだから。もっとも、リヴィエール家にも選択肢は無かったのだろうがな」


 三大公爵家の一つリヴィエール家は、今の当主になってから財政が危ういと聞いている。

 魔石鉱泉の利益をチラつかせられ、王に嫁を出せと催促されたのは願ったり叶ったりだったのかもしれない。旨い話に食いついてきた、という感が否めないからだ。

 その理由は、婚姻の契約を交わした途端すぐに花嫁をトレンメル城へ送るから、というリヴィエール家の早急な態度だった。結婚式すら挙げていないのに。


「まるで生贄だな」


 花嫁を憐れだと思う。

 だがそれは特別な感情ではない。竜を鎮めようと生贄に出されてきた乙女たちに対する憐憫と同じだ。


 生贄に出されるのが貴族としての彼女の運命だったのだろう。


 人にはそれぞれ、背負った運命がある。彼女の場合、それが王と実家の目論見に利用されるというものだっただけだ。


 どちらにせよ彼女にかまっている時間はない。

 今は領地を周り、いまだ残る竜の瘴気によって出現する魔物を討伐し、内政を整えていかなくては。

 やらねばならないことは山積さんせきしている。


「魔石鉱泉のこともあります。花嫁が実家から何を言い含められているかが見えるまでは、見張りを付けた方がよろしいかと」

「おう、そうだな。いくら公爵令嬢サマとはいえ、オレたちの土地から何かを掠め取ろうっていうんなら、この手で叩き斬ってやるぜ!」

「やめろルイス。花嫁には外面だけでも友好的にしてくれ。新しい領地を得た我らに必要な『公爵家』というだからな」

「はいはい。わかってるよ」

「どんな娘か知らないが、16歳で病弱、社交界にも顔を出さないくらいだから、ロクに外へ出たこともない深窓の姫だろう。閉じこめておくことはきっと容易い。せいぜい城でおとなしくしててもらうさ」


――しかし、それがとんだ思い違いだったとは、城へ帰ってから知ることになった。


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