三十億人目の少年

トモフジテツ🏴‍☠️

ハンドルネーム、天秤


『実は僕、人間じゃないんだ』

『天秤がそう言うなら信じるよ』既読


 閑静な住宅街、六畳一間の自室でベッドに寝転がりながら、少年はメッセージアプリを開き天秤に返信している。

 唐突に「自分は人間ではない」と言い出す天秤は、出会った頃から少年を困らせ続けていた。

 オンラインゲームを通して知り合った初日、しかもゲーム内チャットの二言目でいきなり連絡先を聞いてくる異常な距離感を少年はいぶかしむ。

 世界のどこかに存在する顔も性別も、年齢も分からない見知らぬ仲間との交流、それがチャット。

 連絡先を交換してみても、電話や通話アプリを用いたボイスチャットにまるで興味を示さない天秤の姿に少年は戸惑った。


 個別通話をしたがるわけではない、ゲーム外の現実リアルで頻繁に文章のやり取りをするわけでもない、声で喋り連携をとってゲームを楽しむでもない、わざわざ連絡先を交換した意味や目的に疑問を感じながら、それでも少年にとって天秤と一緒に会話をする時間は中々に有意義なものだった。


 天秤は少年よりもゲームが上手である。

 しかも天秤は物腰柔らかく、話しやすい。


 天秤は謎が多く、自身に関わるトピックはあまり語りたがらなかった。

 正体は弁護士なのかと少年が聞くと、それを否定。

 十月頃が誕生日なのかとうても、それもまた否定。

 天秤という名の由来を追及したところ、黙秘を貫く。


 歳も住所も職も、性別さえも明かそうとしない天秤。

 そんな天秤が〝自分は人間ではない〟と開示する姿を見て、少年は〝最後〟が静かに近付く予兆を感じていた。彼が天秤と知り合ってから、もうすぐ一年が経とうとしている。短いようで、彼の中ではとても長い一年である。

 


軌道きどうエレベーターについて?』

『うん。天秤はアレの仕組み知ってる?』既読

『分かるよ。気になるなら説明しようか?』

『ほんと? 教えてよ』既読


 これは、少年が天秤と知り合って一ヶ月ほど経った日の会話。

 軌道エレベーターの話題について触れた頃から、少年の中で天秤に対する評価が変化した。

 単にゲームが上手で対応が丁寧なだけではなく、知りたいことを優しく教えてくれる存在。


 そんな天秤に、少年は宇宙構造物関連の質問も投げかけた。

 新素材が発見され、技術と理論の確立から雨後の竹の子のように軌道エレベーターが増えたことは小学校高学年の少年も知っている。

 令和をさかい何基なんきもが世界中に建設された、大地と宇宙を結ぶ塔。


 しかし、その構造まで少年は理解できていなかった。


『ヒモをつかんで、ヒモの先に重たい石か何かを結び付けているとイメージしてみて』

『うん』既読


つかんだヒモをしっかり胸元で持ったまま立ち上がって、君がその場で回転すると、どうなる?』

『目が回る』既読

『違う違う、ヒモや石はどうなる?』

『俺が回るならヒモはまっすぐ伸びる?』既読

『そういうこと』


 例えるなら少年は地球、紐は軌道エレベーター、石は国際開発センター。

 地球が回り続ける限り、宇宙に開発センターという「重り」がある限り、ピンと張った紐のように軌道エレベーターは二点を結び続ける。


『ほんとに、そんな仕組みなの?』既読

『厳密に言うと少し違うし、他の理論もある』

『厳密ってなに』既読

『本当は、正しくは、みたいな意味の言葉』


 少年は天秤から新たな語彙を授けられることが嬉しく、軌道エレベーターの種類と変遷や物理学的な見地による解説は適当に聞き流す。少なくとも今の時代この国においては「なんとなく」でもそんな原理なのだろう、程度に分かれば十分である。

 少年の中で曖昧に納得した結論を元に考えると、ヒモを握ったままの少年が回転を止めるか、先端に不具合が生じ「石」がなくなるか、そのいずれかが発生した時にヒモは、たわむ。


 たわんでしまえば「まっすぐ」を維持できなくなる。


『伸びて張ったヒモがね、軌道エレベーター』

『すっきりした』既読



 少年が天秤と知り合い、三カ月が経つ。

 

『なるほど、しか』

『それ。推し活楽しいのに』既読

『最近よく話す赤い髪の配信者だっけ?』

『うん。クラスの友達は良さ分かってくれなくて』既読

『好みは人それぞれさ』

『あと隣のクラスにムカつくやついてね』既読

 

 やがて少年は、文章だけでたまに言葉を交わす時間が大好きになった。

 顔も名前も分からず、互いの私生活すら知らないからこそ気軽に遠慮無く話せる時もある。通話をしたがらないことも、時間にうるさく決まった曜日や時間にしか話せないことも、いつしか少年は気にならなくなっており「大人はそんな感じか」など漠然と割り切っていた。


『最後まで君と話すことが確定したよ』

『最後って?』既読


『最後は、最後』

『なんで確定したの?』既読


『君は一度も僕の業務について詮索してこなかった』

『ふーん。詮索って?』既読


『しつこく聞いてこないこと』

『なるほど。色々な言葉知ってるね天秤は』既読


『ネットで検索するといいよ、本も読もう、世界が広がる』

『そうしてみる。で、最後ってなんの最後?』既読


『最後は、最後さ。世界の最後』


 天秤は時々、今のように意味の分からないことを言うよなと少年は思いながらスタンプを送り会話を終える。



 少年が天秤と知り合って半年が過ぎた頃、世界に事件が起こる。


 国際開発センターの稼働トラブル、原因不明のロックが作動したことで内部侵入やシャトル接続困難というニュース。


『大騒ぎだね』

『大丈夫なのかな』既読


『君はさ、世界が滅んだら悲しい?』

『それはそう』既読


 このまま軌道エレベーターと繋がる国際開発センターが壊れでもしたら、紐がたわむように軌道エレベーターが崩れ甚大な被害が発生する。

 その可能性に思い至ったからこそ、世界滅亡などという突拍子もないことを天秤は言いだしたに違いない。


 少年がそう判断したさらに半年後、事件は続く。


 開発センターの恩恵を受け、宇宙産業が活発になり大型化や母数の増加が進んだ令和の衛星や産業用宇宙ステーション。その多くが、規定ルートを外れた方向に動き始めたのである。


『まずいだろうね』

『どんな風になるの?』既読


『テレビアニメで、そういうシーンがたくさんある。いくつかリンクを送るよ』

『ありがと』既読


 少年は「衛星が地球に落下したらどうなる?」と天秤にたずねてみた。

 添付てんぷされたページを開き動画を再生する。

 チープな表現をするのであれば、地獄絵図。

 それ以上の感想を言語化しようにも脳がこばむような、筆舌ひつぜつくしがたい凄惨せいさんな光景。


『これが、宇宙空間からの質量兵器。架空、つまりフィクションだけどね』

『隕石みたいだ』既読


 隕石の方がまだマシだよ、と天秤からすぐに返信が届いた。動画の中で描かれた落下構造物は地上の都市に激突してすぐ大爆発を引き起こし、街は消滅し各地の沿岸部で津波の被害をもたらす。


 正確なところを言うと、創作で描かれる宇宙空間の構造物オブジェクトと少年や天秤の暮らす世界に実在する衛星は異なる。

 しかしながら、大きな塊が宇宙から大量に飛来し人類の居住地域に激突した場合、という意味では大差ない話である。


『怖い?』

『うん。でも逃げても無理な気がする』既読


 衛星落下が現実味を帯びてくるにつれ、少年の恐怖心も日増しに強まっていく。

 しかし両親や兄から避難の説明を聞きながら、内心では無駄な足掻あがきだと諦めていた。


 そして、その諦観ていかんは決して間違いではない。


『とりあえずまた、ゲームでもするかい?』

『そうだね』既読


 どうせ避難してもみんな死ぬ。

 自分にできることなど、なにもない。


 だからこそ、と少年は出会った頃と同じように天秤とゲームをすることにした。

 平穏な電脳世界へログインしながら、少年はふと天秤がどこに住んでいるのか心配になる。


 名前も知らない、されど付き合いもそれなりに長い「友達」の所在や安否が気になりはじめる。



 ついに開発センターと軌道エレベーターを連結するブロックが何カ所もが解放され、そして大量の衛星までもが落下コースに近付き始めた。


 人類は、予断を許さない状況に追い込まれる。


『僕の住みは言えないな』

『衛星落ちてきても大丈夫?』既読


『大丈夫、ではすまないだろうね。僕も』

『なら避難しなよ』既読


 どこに住んでいるかは少年にとって大きな問題ではない。

 被害をまぬがれる地域にいてくれるなら、どこでも構わないと考える。


 だが、天秤はそうではなかった。


『衛星落下で僕の存在が消えるなら、それもまた天命さ』

『かっこつけんなバカ』既読


 イラっとしつつも、それでもやっぱり避難先でも端末が普通に使えるといいな、と少年は願う。


『そろそろだっけ?』

『うん、明日から避難』既読


『しなくてよくなるかもしれないよ、避難』

『なんで?』既読


『僕は色々と知っているからね』

『どういう意味?』既読


 天秤にしては珍しく既読をつけたまま少年の問いかけを無視し、少し間を置いてから回答の代わりに少年へ質問を投げかけてきた。


『やっぱり世界が滅ぶのは嫌?』

『うん』既読


『理由も、聞いていいかい?』

『いっぱいあるよ』既読


 少年には好きな食べ物がある。

 読むのが待ち遠しい作品もある。

 近頃、動画配信者の推しも出来た。


『ならさ、例えば君が一人で死んでしまって、そこから先の世界が滅ぶのは?』

『俺がいない世界ってこと?』既読


『そういうこと』

『ちょっと考える』既読


『楽しめないのが辛いなら、楽しめなくなってしまってから自分と関係のない世界が、その後に滅ぶって意味の話だね』

『わかるよ』既読


 それでもやはり、少年は嫌だった。

 悲しい気持ちになる。


『どうして?』

『他の人も多分、色々好きだから』既読


『君と同じように生きる楽しみがある人達が、それを享受できなくなる姿を想像すると忍びないということ?』

『うん』既読


 生返事をしながら、少年は「享受」「忍びない」の単語を検索する。

 分からない語彙や思い出したい事柄がある時、とりあえず検索する行為が少年の中で習慣化されてきた。


『死にたかったり滅びを願う者がいたら、どうする?』

『忘れてるだけなんじゃないかな、楽しいこと』既読


『どうだろう』

『嬉しかったこと思い出せば、生きたくなるよ』既読


『なるほど、参考になった』

『多分だけどね』既読



 その晩。

 少年が翌日から避難生活開始を控える四月六日の夜。


『避難は不要になるよ』

『は?』既読


『一分後、ニュースを見るといい』

『部屋にテレビないし』既読


 時刻は二〇時五十九分だった。



 二十一時。



 一分過ぎ、二分過ぎ、鳴りやむことのない家族や友人からの通知や着信。少年はこれを、全て無視。


 内容はどれも同じ。

 一瞬にして事態が好転したというしらせ。


 何故、天秤がそれを予測していたのか少年は気になった。

 だから他の物事を後回しにする。

 そもそも原因不明の宇宙施設不具合である、天秤が何らかの犯罪に関与していた可能性も否定はできない。

 しかし、悪い人間ではないはずという根拠から少年は疑いを捨て去る。


 そして、今一度「素性」を尋ねた。


『実は僕、人間じゃないんだ』

『天秤がそう言うなら信じるよ』既読


 人類と世界を管理する存在、繁栄制御プログラム、粛清制御プログラム、均衡きんこう制御プログラム。宇宙開発が盛んになる以前から、令和の人類史の裏には高度な管理者による干渉があった。


 三つ目の均衡制御プログラムこそが天秤の正体。


『さっき決まったよ、滅ばないことに』

『なんで俺と話してたの? 俺だけ?』既読


 電子人格が、世界中の多種多様な立場や年齢の人類と「対話」を繰り返す。

 選定や面接を繰り返した末、少年もまたその一人に選ばれたと天秤は言う。


『君の意見も最終判断に中々、食い込んでいる。君が世界を救ったと言っても過言ではない、誇らしいことだよ』

『まだ信じられない』既読


『開いてみなよ、ツブヤックス』

『見てみる』既読


 少年は、呟きアプリのツブヤックスを開く。

 タイムラインの一番上には、開発センター再固定と多数の人工衛星が通常軌道に復帰したニュースの切り抜き動画が貼られていた。

 その反響たるや五十万ヨカッタネと、四十万リツブヤイトという記録を叩き出す。

 なおも増え続ける数字を眺めながら、少年も引用リツブヤイト機能を使い「避難ないなった」と投稿した。



『そんなわけで、お別れだ』

『うん、話せなくなる気はしてた』既読


『正体も明かしたしね、僕はまた時間を置いてから別な誰かと対話をするよ』

『もう、ゲーム内も絶対に会えなくなるの?』既読


 そう言いつつも、また広い電子の片隅で再会することもあるのではないかと少年が抱いた淡い期待は、打ち砕かれる。


『僕は隠し事はしても嘘はつかない、分かるだろう?』

『うん』既読


 思い返せば、ずっとそうだった。


 その天秤の言葉で金輪際関わることはないと告げられるならば、きっとそれは覆りようのない事実なのだと少年は静かに悟る。


 少年は過去に何度か天秤の素性を知りたくなっていた。

 そろそろ仕事、と言い残し反応がなくなる天秤に何の業務が訊こうとしたことも、一度や二度ではない。年齢や性別にも思いを馳せたが、聞き辛かった。


『楽しかったよ、君との時間は』

『楽しいとかあるんだプログラムにも』既読


『そりゃあるさ。バカにしちゃいけない』

『性別も?』既読


『うん。僕は女性』

『そうなんだ。名前や声は?』既読


 ボクお姉さんなんてリアルで初めて見た、いやこの場合は現実リアルではあるが本物リアルと言っていいのか、何せ相手は人間ではない、そんなことを考えながら少年は三角マークの再生ボタンをタップする。


「シーエイチゼロワン、オカユ、トゥエンティツー」


 送られてきた数秒の音声は少年が想像していたよりもいくらか低く、少し気怠げな女性の声。


『最後だから君が以前くれた物を使ってみようかな』

『スタンプか』既読


 贈った、で少年が思い浮かぶのはそれしかなかった。


『そう。それと、良ければ君の名前も知りたい』

『いいよ』既読


 オカユにならって、ボイスメッセージを録音し送信。


『今までありがとうオカユ』既読


 反応を待たず、少年はメッセージを送った。


『こちらこそありがとう。僕にとって三十億人目のお話相手、カナヤケンイチ』


 オカユの返信にはスタンプが添えられている。

 やはりそれは、かつて少年が贈ったものだった。


『なんでバイバイのスタンプ送るんだよオカユ』

『それの横に、またねのスタンプあったじゃん』

『無視するな』


 待てど暮らせど変化のない液晶画面を見つめながら、少年は二つの事実を理解する。


 一つはオカユと話す機会が永久に失われたこと。

 もう一つは、無自覚だった少年自身の心。


 胸の中でオカユという存在が占めていた割合は思いのほか多かったらしく、その分だけ大きな穴が空いてしまったような感覚を少年は味わった。


 実のところ、オカユの素性はさしたる問題ではない。

 もっと多くのことを教えて欲しかったし、もっとたくさん一緒に遊びたかった。


 それが、少年の本音である。


 

「世界を救うために、友達になったわけじゃないのに」

 

<了>

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