第6話 山猿

「はぁ……。なんかよくわからないけど、本当に仲良くなれたのね。夢が叶ってよかったじゃない。素直にすごいと思うわ」


「シャインが褒めるなんて珍しい……。そんなこともあるんだね」


「なによ。私だって褒める時は褒めるんだから」


 シャインは腕を組み、頬を少し赤らめながら話した。いつもは子供っぽいと言いながら貶してくるのに……。やっと僕のことを認めてくれたのかな。

 シャインに褒められた経験がほとんどない僕はまたしても大きな達成感を味わった。大人から褒められるよりも、シャイン本人から褒められた方が何百倍も気持ちが昂る。次も頑張ろうと言う底知れないやる気が爆増した。


「スラちゃんじゃ鍛錬の相手にならないから、アッシュが相手してよ」


「わかったよ。と言っても無色透明の魔石を投げるくらいしかできないよ」


「まあ、スラちゃんが相手より鍛錬になるから、お願いするわ」


「プリュゥン……」


 スラちゃんは木陰に入ってどんよりと暗くなり、いじけてしまった。


「あ、ああ。ご、ごめんなさい。別にスラちゃんが悪い訳じゃないから、落ち込まないで」


 シャインはスラちゃんのもとに歩いて行って、ツルツルの体を優しく撫でながら慰める。

 スラちゃんはシャインに撫でられて上機嫌になったのか色が綺麗に戻り、ゼリーのようにプルプルと震えた。


「はは……。あ、案外可愛いかも……」


 シャインは動物に触れた時のような微笑みを浮かべた。狂暴なシャインでも笑った顔は一段と可愛らしい。彼女の笑みを特等席で見られるのはシャインの両親と唯一の幼馴染であり友達の僕だけだ。


 スラちゃんが見守る中、僕が石や魔石を投げ、シャインが木剣を振って叩き割ると言う鍛練が始まる。彼女が木剣を振るのに飽きると体を鍛える運動が行われ、当たり前のように僕も巻き込まれる。

 体を鍛える運動を始めてから一時間ほどだったころ、草原でヘロヘロになりながら鍛錬していると、


「つっ!」


 僕の頭部に硬い石が掠り、痛みが走った。地面に石が転がり、直撃していたらどうなっていたかと背筋が凍る。ふと、頭部に手を持って行くと皮膚を焼く痛みが得られ、見た覚えがないくらい赤黒く生々しい血が手の平に付いていた。どこからかわからないが、拳よりも小さいけれど硬い石がいきなり飛んできたらしい。


「ちょ! アッシュ、大丈夫!」


 シャインは僕のもとに駆け寄り、ハンカチを頭部に押し当てながら血を止めてくれた。彼女の体温と汗でちょっと湿ったハンカチと僕の生暖かい血が混ざりあっている感覚が刺激に敏感になっている傷口でわかってしまう。


「キャキャキャッツ!」


 手を叩きながら甲高い声が茂みではなく木の上あたりから聞こえた。辺りを見渡すと後方の木の枝に、顔に酷いやけどを負った山猿が立っていた。山の中で火傷を負った山猿なんて今まで見た覚えがないので、僕がフェンリルを助ける時に追っ払った個体の一体で間違いない……。


「あの山猿……、僕に復習しに来たのか……」


 僕は近寄って来たスラちゃんに魔石を当てて中に戻したあとポケットに入れる。近くに置いてあった鞄からナイフを取り出そうとすると別方向から石が飛んできて腕に当たった。骨が軋むような鈍い痛みが腕に走り、じんじんと痺れる。


「つっ! またっ!」


 反対方向にも顔に火傷を負った山猿がいた。彼らの投擲もなかなか切れがあり、ものすごく痛い。僕よりも腕が長く力が強い山猿の投擲なのだから威力は大人顔負けだ。


「ちょ、アッシュ。なんで山猿に狙われてるのよ!」


 シャインは木剣の柄を握りながら辺りを見回し、他の個体がいないか警戒していた。さすがに焦っており、鍛錬の時に掻いていたさらさらとした汗ではなく、体内から無理やり出されたような油と混ざった汗が頬を伝っている。呼吸も荒く、珍しく怖がっているように見えた。


「あ、あはは……。一ヶ月くらい前、始めて見た不思議な生き物を助けるために不意打ち紛いな攻撃で山猿の顔を焼いちゃったんだよね」


 僕は苦笑いを浮かべながらシャインに事情を伝える。まさか山猿が復讐に来るとは思わず、全く警戒していなかった。無知は罪だなー。魔物に関係ない勉強もしないといけないかも。でも、やる気が起きないんだよな……。


「アッシュのバカ! あいつら、執着心が物凄く強い動物だって知らないの!」


「僕、不思議な生き物とシャイン以外に興味がないからな~」


 僕は顎に手を置き、頭部の痛みを堪えてシャインの恐怖心を取り払おうとおちゃらけた決め顔を見せた。


「もうっ! 本当にバカっ!」


 シャインは僕の手首をおもむろに握りしめ、山猿がいない方向に走る。さっきまで鍛錬しすぎて疲れ切っていたのに危機が迫っているとわかったとたん、危機を脱しようと言う気持ちが強く働いて素早く動けた。なんなら、先ほどよりも早く走れている気さえする。


「キャキャキャッ!」


 山猿は僕達を易々と逃がしてくれず、僕の頭を掠った石に近い大きさの石を何個も投げ込んできた。泥玉や雪玉と違い、当たっても割れず何倍も痛いはずだ。今のところ僕の頭部を掠った一投しか受けていない。振り返って石が飛んでくる軌道を予測する時間や余裕は一切無いため、僕達は頭を低くし、どの方向に逃げているのかわからないまま、全力で直走る。


 ◇◇◇◇


「はぁ、はぁ、はぁ……。こ、こっちって始まりの森の入り口方向? それとも深部に向っている? 私、始まりの森にあまり来た覚えがないからわからないんだけど!」


 シャインは辺りを見渡しながら叫んだ。木々に囲まれている状況に加え、空は曇っており日が見えない。そのため、僕も方角がわからなかった。


「とりあえず身を隠して山猿が離れるのを待つしかないんじゃ……」


「あいつら、頭がなまじ賢いから私達の顔を覚えちゃっているわよ。あと執着心が強いって言ったでしょ。絶対追ってくるし諦めてくれない。森の中で火属性魔法を使うとか何を考えていたの? 水属性魔法とか雷属性魔法とかあったでしょ……」


「あの時は赤色の魔石しか持っていなくて必死だったからつい……。逆に三頭の山猿から不思議な生き物を守れただけ僕にしてはすごいでしょ!」


「ちょっと待って……、今なんて言った?」


 シャインは元から白い肌なのに恐怖によって血流が悪くなったのか顔が青白くなった。僕の発言のどこに怖がる部分があったのだろうか。


「僕にしては凄いでしょ……」


「その前」


 シャインは僕の肩を力強く掴み、大きく揺らしてくる。女の子の力とは思えないほど強くて、全く逆らえない。


「えっとえっと……、逆に三頭の山猿から不思議な生き物を守れた……」


「三頭の山猿……。さっきは二頭しかないかった……」


 シャインは山猿の姿が見えない中、少しでも優位に立つために先に見つけようとしているのか辺りに視線を向ける。すると、ガサッと言う音が茂みから聞こえた。その瞬間、僕は彼女の体の身を案じ、勢いよく飛びつく。


「きゃっ!」


 シャインは珍しく女の子みたいな声を出し、僕に押し倒された。

 僕達が草むらに倒れ込むと頭上に大きな石が擦過した。ドゴンッという鈍い音が鳴った方を見ると木の幹に大きな石が当たり、木の幹が凹んでいる。

 あんな石が頭に当たったらひとたまりもない。


「シャイン、大丈夫? いきなり突き飛ばしてごめん」


「う、うん……」


 シャインは軽く頷き、華奢な身を震わせていた。彼女はもともと怖がりなのだ。強い言葉遣いで気持ちを無理やり隠しているが、雷が起こったり怪談話を耳にしてしまったりと言った怖い出来事があると一人でトイレにいけなくなってしまうような女の子。強くなろうとしているのも、お金の為じゃなくて怖がりを克服するためなんじゃないかと僕は思っている。そんなこと、彼女は恥ずかしがって言わないけれど、産まれた時から一緒にいる幼馴染の僕はわかってしまう。だから……、僕がシャインを助けないといけないだ。


「キャキャキャッ!」


 顔に火傷を負っている山猿が一回り大きな山猿に向って何かを喋っていた。

 喋りかけられている山猿は体毛が濃く、通常個体よりも顔が厳つい。その山猿が大きな石を握って肩に担ぐように固定する。山猿と言えど重い石は振りかぶって真っ直ぐ飛ばせないらしい。長い腕と全身の筋力を使って斜めに押し投げるように放たれた石は山なりに落ちてくる。


「シャイン、逃げるよ!」


 僕はシャインの震える手を取り、頭を低くしながら走る。放たれた石は僕達に当たらず、別方向に飛んで行く。当たったら怪我じゃすまない攻撃で背筋に悪寒が走った。戦っても勝てないとわかるので、僕達は逃げるしかない。


 ◇◇◇◇


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 僕達はずっと走っているが森の中から一向に抜け出せなかった。始まりの森に何度も来ている僕ですら見た覚えが無い場所で焦りが生れる。どうやら入口の方角に向っているわけじゃなさそうだ。もう、すでに始まりの森のどこを走っているのかもわからない。引き返したいが、後方を見ると……。


「キャキャキャッ!」


 顏に火傷の跡を追った山猿が三頭おり、後方にデカい山猿が陣取っている。また、その後方に別の山猿が何頭もいた。

 山猿は長い手を使い、木から木を容易く移動している。あまりにも早いので僕達がいくら走っても簡単に追いつかれた。

 でも、奴らは僕達をいたぶっているのか簡単に倒そうとしない。石を投げ、じわじわと傷つけてくる。


「はぁ、はぁ、はぁ……。あ、アッシュ。私、もう走れない……」


 シャインは体に多くの青染みを作り、所々出血していた。

 頭は僕が持って来た革製の鞄で防いでおり無事だ。でも体力に自信があるシャインでも疲れが出て来ているくらい僕達は走っていたらしい。

 僕は必死に走りすぎて疲労を感じていなかった。でも呼吸し過ぎて喉が乾燥し、言葉を出すだけで痛かった。


「諦めちゃ駄目だ……。僕達はまだ、生きている。……シャインはこのまま逃げるんだ。ここは僕が何とかする!」


 僕はシャインを先に行かせ、パパが使っていたナイフを持って山猿たちの前に立ちふさがった。たった一人の大切な幼馴染くらい守れなきゃ、男が廃る。パパならこうするはずだ。


「ば、馬鹿じゃないの! こんなところでカッコつけないでよ!」


 シャインは僕が手を放してからすぐに立ち止まってしまった。少しの停滞ももったいない。一秒、二秒でも彼女に長く生きてほしい。


「女を守るのが男の役目だってパパが言ってた! だから、僕はシャインをいじめるあいつらに立ち向かわないといけないんだ! 僕だって不思議な生き物のことをもっと知りたいし、こんなところでやられたりしない! だから、早く逃げるんだ!」


 僕はシャインに向って喉から血が出そうになるほど叫んだ。今まで、彼女に口喧嘩で勝てた覚えはないけれど、思いを必死に伝えた。でも……、


「くっ……。嫌だ! 私は逃げない! 私もアッシュと一緒に戦う!」


 シャインは僕の思いを振り払い、泣きそうになりながら木剣の柄を握りしめ、僕の横に立った。

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