しろつめ荘の日常
桜城カズマ
第1話「ようこそ、しろつめ荘へ」
「ようこそ、しろつめ荘へ。
優一に対し家の玄関先で優しい笑顔を浮かべて、直樹は告げた。定年退職をしているらしいが、その雰囲気は活力に溢れている。
「はい、お世話になります。こちら、お茶菓子です。常温で大丈夫ですので」
「どうもご丁寧に。ありがたくいただきます」
優一が差し出したほんの少し上等な紙袋を、直樹は頭を下げてから受け取る。
(挨拶の仕方とか調べておいてよかった……)
優一は自身がネットで得た情報が正しかったらしいことを実感して、心底安堵した。
「確か優一くんの隣には君の通う大学の先輩も住んでいるはずだから、挨拶しておいて損はないと思います」
直樹は「そうそう」と思い出したように告げる。
季節は春。桜咲く季節に、悠真優一は晴れて大学生になることができた。……第一志
望を譲ることになりはしたが。
「では、よい大学生活を。困ったことがあればいつでもどうぞ」
「はい、ありがとうございます」
優一は深々とお辞儀をして中田の部屋を後にする。
「ふぅ……」
直樹が確実に扉を締めた音を確認してから、優一は小さくため息を吐く。優一としては初めて会う、それも自分とはかなり年齢の離れた人物を相手にするのは、たとえ軽い挨拶だけにしたとしてもそれなりにストレスだった。
「それにしても」
改めて、今日からおそらく四年間世話になるであろうしろつめ荘を見上げる。リフォームを繰り返してはいるらしいが、それでも隠しきれない古めかしさに若干の不安を覚えないわけではない。
(聞いた話だと、築四十年以上だったか)
二階建てのそれは、一階は三部屋、二階は四部屋の合計七部屋と少ないながらも他の二階建てマンションより幾分か大きい。
お隣さんに挨拶する分の手土産を取りに戻ろうと、自室である二〇二号室へと向かう。二階へと繋がっている鉄の階段は一歩踏み出すたびにギィ、ギィ……と音を立てるので、優一の不安は加速した。
(もう少しちゃんと話を聞いておくべきだったかもしれない)
滑り止め全落ち、前期後期試験全落ちながらなんとか後期追加合格という、担任教師も認める奇跡の大逆転合格を果たした優一は、他の新一年生と比べて部屋探しが遅くなった。
結果入学式前日までに契約でき、大学に近くて一番家賃が安く、奇跡的に一室だけ余っていたしろつめ荘に居住する事になったが、なぜ最後まで余っていたのかがすでにわかってしまった。
「ただいま……って言っても誰もいないのは初めてかもな」
鍵口を捻り部屋に入ると、おおよそ外見からは予想できないほどきれいで新しく見える作りをしていた。それなりに広く、子ども一人の一人核家族なら問題なく生活ができそうなほどだ。紹介されたときは外見抜きで中身のみを紹介されたので、中身は信じていたのだが。
「あっははは! おっかしい!」
壁がかなり薄いらしく、片方からは楽しげな会話が、もう片方からは掃除機をかける音など、生活音がそれなりに聞こえてくる。大家さんに挨拶する前に軽く荷解きをしている最中に気がついて、優一は頭を抱えた。
しろつめ荘を正面に見て右から二番目に位置するここは、両方から音が聞こえてくるという大不人気物件というわけだ。
最悪な出だしに辟易しながら、優一は手土産の入った紙袋を二つ手に取る。一つは先程直樹が言っていた隣の二〇一号室に住む同じ大学の先輩の物。もう一つは、未知数の二〇三号室の人のための物。
たった七部屋、それも自分の分を抜けば六部屋しかここには存在しないので、全員分を用意するべきかと最初悩んだ。しかし面倒な上に優一の性格上出くわしたら挨拶はするだろうが、あまり自ら関わることは無いだろう、と割り切って両隣と大家である直樹のための手土産のみを用意した。
「インターホン……は、当たり前のようにないと」
しろつめ荘を正面に捉えて、二階の一番右に位置する二〇一号室を前に、優一はここに来て何度目かわからない苦悶の表情を浮かべる。直樹に挨拶をする時になって気がついたのだが、ここにはインターホンというものが存在しておらず、尋ねる際は扉をノックするしか手段がないのだ。
ただでさえ初対面の人間に挨拶をするという時点でひどく緊張するのに、気が付かれなければ延々とノックをする羽目になる可能性がある、というのでは優一は胃がいたくなる思いをせずにいられない。
「……よし」
だがずっと部屋の前にいるのではただの不審者になってしまうし、日も暮れてしまう。それに明日に控える入学式のためにも、早いところ挨拶を済ませ荷解きを済ませてしまいたい。
「すみませーん」
コンコンコン、とノックをして声を掛ける。中の住民にはなんとか一度で聞こえたらしく、「はいはーい、ちょっち待ってー」と明るい声が返ってきた。
「どちらさまー……って、もしかして新しく引っ越してきたお隣さん?」
開かれた扉から出てきたのは、長いレイヤーカットに黒髪、グレーベージュのインナーカラーのまさしく絶世の美女という言葉が似合う女性であった。正直なところ、ぼろぼろなしろつめ荘に住むにはあまり似つかわしくないほどにキレイだ。
「あ……はい」
予想外の人物の登場に、優一の声は思わず上ずる。
「そっかそっか、キミかぁ。あ、私
美咲と名乗った美女は、両手を合わせてテヘッと舌を出しながら謝る。「こんなカッコ」と言われてから優一は美咲の格好に気がついた。
美咲の格好は、上はその女性的な体つきがはっきりと分かるタンクトップに、太ももから下がガッツリ見える短パンという、人と会うには肌の露出面積が広いものだった。
「なっ、あっ、え、えと、こ、こりぇお菓子です! では!」
「あっちょ名前――」
女性との交際経験のない優一にとって刺激の強すぎる美咲の格好に、動揺を隠すことなく優一は美咲の部屋の扉を無理やり締める。美咲が何かを言うのが聞こえた気もしなくはないが、今の優一にとってそんなことは些細なことだった。
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