四角四面

小狸

短編

 *


 私は、「真面目」だと人に言われる。


 自覚はあまりないが、多く相対した人々はそう言うので、多分世間的にみたらそうなのだろうと思う。


 私の「真面目」のイメージは、正方形である。


 立方体ではないところ、つまり中身がない、というのが味噌だ。


 私はこの世間から評される「真面目」が、あまり好きではない。


 「真面目」だから――中学校の先生は私を強引に生徒会役員にしようとした。


 「真面目」だから――クラスメイトからは常に班長に任ぜられた。


 「真面目」だから――母は私に公務員になることを無理強いした。


 確かに世間からの評価は悪くはない――悪くはないが、決して良い訳でもないのだ。


 私が一番恐れるのは「真面目なだけで中身のない人間」である。


 要は、ただの正方形である。


 そうならないよう、日々精進を怠らぬよう、職務に励んでいる真っ最中である。


 ところで私は、しばし小説を書く。


 私のような「真面目」と呼ばれる者が小説を書くと、必ずと言って良いほど「真面目」な内容になる。扱う事柄も、言葉も、台詞も、どこかに「真面目」さが浮き出るのである。教科書通りとでも言おうか。


 まあそれは、近くの人々を喜ばせるためには丁度良いのかもしれないが、いざ大勢に読んでもらおうとなると、話は変わって来る。


 どこかで見たような設定。


 どこかで読んだような登場人物。


 どこかで記憶に残ったような台詞。


 どこかで印象づいたような句読点の付け方。


 ある新人賞に応募した際、三次選考まで進んだ。


 勿論落ちた。


 その時、「もっと自分の書きたいものを書いてきてほしい」という選評を頂戴したことがあった。


 その通りだと、私は思った。


 ただ、どうだろう。


 ここまで身体に染み付いてしまうと、もう私は「真面目」の呪いから、抜け出すことはできないのではないか。


 そう思ってしまうのだ。


 いつだって賞を取るのは、喝采を浴びるのは――まず何より面白く、読者の目線を引き、既存の作品と引けを取らず、そして尖ったものだからである。


 尖り。


 題名の付け方や筆名など、特にそう感じるのではなかろうか。


 私は極力そういうところではなく「小説」そのものを読んでほしいと思っている。このような平平凡凡な名前で、出来る限り元々ある法則に則り、活動をしている。


 ただ、世間はそうはいかない。というか、そんな生き方が許されるのは、ごく少数だろう。大抵の物語は――これは物語に限った話ではないが――一過性の流行と共に消費され、ただその時だけの輝きを持って、後は錆びてゆくだけである。


 一応、意図してこういうスタンスである、ということは、言っておきたい。


 まあ、そういう姿勢こそが、世間からは「真面目」と評される一因なのやもしれない。


 安定と安心の中からじっくりと培われたものなんて、誰も見向きもしない。


 だからといって尖りを出そうとしても、もう遅いのだ。


 真面目な人間が、不真面目になった時。


 それは、世間の視線が一気に集まる瞬間でもある。


 普段不真面目な人間が、慈善事業をして賞賛される時と同じだ。


 人々は口々に、こういうのだ。


 信じてたのに。


 期待してたのに。


 裏切るなんて。


 最低――と。


 勝手に信じておいて、期待しておいて、裏切るとは何だ、と私なんかは思う。


 と、唐突に端を発してから、さんざ槍玉に挙げた「真面目」だけれど、見ての通り私の文章は恐らく世間風評的には、「真面目」の領域を出ていないだろう。


 だから、呪いと言ったのだ。


 私はこの呪いを生涯背負い、後数十年――まあ、多分60くらいまでは生きるのではないか、と思う。


 あまり長生きできるとは思えない。


 「真面目」と称される以上、世間からの期待値がのしかかる、それだけ仕事も増える、タスクも増える――当然、ストレスも。


 だからこそ、若い世代に伝えたい。


 「真面目」なまま世間に適合してしまった異常者いっぱんじんとして、伝えたい。


 立方体になれ。




(了)

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四角四面 小狸 @segen_gen

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