第三十二話   天馬VSドラゴン ①

 正面から吹き付ける強風が風防に直撃する。


 天馬はラダー・ペダルと操縦桿を巧みに操作して機体を大きく右に旋回させた。


 F‐TⅡは操縦者である天馬の命令に従い、大空を泳ぐように飛行していく。


 これが戦闘機か! 


 天馬は風防の外に広がる景色をヘルメットの濃色シールド越しに見下ろし、まるで自分が風と一体化したような感動を覚えた。


 だが、それも最初だけであった。


 父親と一緒に練習した小型飛行機とは段違いな加速と性能。


 それにともないデリケートな操縦技術を要求され、ジェット・エンジンの高出力回転から発生する加速度にすぐさま墜落するのではないかと恐怖する。


 それも当然であった。


 生まれて初めて乗る本物の戦闘機。


 滑走路から無事に離陸出来たまでは予定の範疇だったが、まさか十分に加速が出ないはずの低高度でも時速200キロ近くの加速が出るとは思わなかった。


 そのため天馬が操縦するF‐TⅡは、1発の弾丸のように一気に陸地を離れて大海原まで飛行してしまった。


 本来の予定では低高度を保ちながら、向日葵の行方を上空から捜索しようと考えていたのだが……。


(そんなに上手くはいかないか)


 天馬は旋回させていたF‐TⅡを水平直線飛行に移行させた。


 父親から徹底的に訓練されたこの水平直進飛行は、単調だがどんな機体にも応用できる操作技術である。


 現に天馬も初めて戦闘機に乗ったとは思えないほど安定した飛行を保っていた。


 やがて操縦に慣れてきたのか、天馬が操作するF‐TⅡは初心者パイロットにありがちな機体の激しい揺れが収まっていた。


 そして訓練空域へ戻ろうとラダー・ペダルを少しだけ踏み込む。


 機体が旋回して激しいGが身体を襲う。


 おそらく4Gほどだろうか。


 それでも遠心加速器でGを体感していたお陰か特に気にならない。


 だがこのとき本人は意識していなかった。


 機体を低高度で保つためには、熟練した操作技術が要求される。


 なぜなら十分に加速が出ていない低高度で翼を傾けたりすると、揚力を生み出す気流が安定し難くなるからだ。


 それゆえに仮に航空自衛軍のパイロットであっても、滑走路から離陸するときに翼の先端を地表に擦り付けてそのまま墜落してしまう場合だってある。


 無論、天馬はそこまで考えてはいなかった。


 ただ、父親から習い覚えた技術を戦闘機で実行し、目的を達成させる。


 それだけを考えて操縦していた。


 風防の外に広がっていた青が濃い緑に変わっていく。


 天馬は視界を確保する度に操縦桿を絶妙な角度で調整する。


 眼下にはアスファルトの道路が蛇の身体のようにくねっていた。


 早朝ということもあり、通っている車やバイクは一台もない。


 だが、それは別にいい。


 天馬は注意深く道路を見下ろしていく。


 道路の両脇には奥深い雑木林が広がり、燦然と輝く太陽の光を一心に受けていた。


 おかしい。


 慎重に機体の高度とバランスを調整しながら天馬は思った。


 向日葵の自転車がない。


 上空と地上では、パイロットが感じる距離感覚が微妙に異なるのは天馬も知っている。


 航空自衛軍では空中戦の訓練において、500フィート(約150メートル)から2000フィート(約600メートル)の距離を、正確に判断して飛行することが必須になっているという。


 しかし、今の天馬は視覚で地上の様子を確認している。


 道路脇に置かれている自転車を発見することなど容易いはずであった。


 俺の勘違いだったか。


 そんなことを考えていると、低高度で飛行していたF‐TⅡは雑木林を抜け切って海岸にまで到達した。


 上空から見える砂浜には幻想的な風紋が見事に描かれている。


(どうする。一度降りて探してみるか)


 もしかすると、向日葵は自転車を使わずにミントの元へ向かった可能性もある。


 ならば自転車が見つけられないのは当然であった。


 いや、それどころか向日葵はミントの元へ向っていない可能性も否定できない。


(まあ、どちらにせよ懲罰は確実だしな)


 酸素マスクの中で天馬はふっと苦笑した。


 今頃、教官たちはパニックに陥っているだろう。


 何せ仮飛行免許も取得していない一生徒が無許可で戦闘機を飛ばしたのである。


 これが航空自衛軍ならば、戦闘機強奪の罪で撃墜されていたかもしれない。


 それでも天馬は行動した。


 自分の早合点ならばまだよし。


 だが、予想が的中していたら間違いなく向日葵はただでは済まされない。


 天馬は海岸付近の道路に戦闘機を着陸させようと機体を操作した。


 この近くの道路は滑走路の代わりになるほど道幅も距離も十分にあり、時間帯が時間帯だから着陸に一番障害となる車が通る心配もないだろう。


 と油断した次の瞬間、



 ギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!



 大気を振動させるほどの猛々しい咆哮が轟いた。


 その咆哮は物理的な攻撃力となって機体を大きく左右に揺らす。


 天馬は操縦桿を前方に倒して出力上昇。


 道路脇に密集していた塵やゴミをジェット噴射で飛散させ、F‐TⅡは低高度から一気に急加速した。


 水平直進飛行など関係ない。


 裏返しになるほど不自然な姿勢のまま、F‐TⅡは太陽に吸い込まれるように上昇していく。


 操縦桿を握る手が小刻みに震え、呼吸が荒くなる。


 視界がおぼろげに霞み、ヘルメットを着用しているのに鼓膜の奥に先ほどの咆哮がこびり付いて離れない。


(そう言えばそうだったな)


 大空と大海原が逆転し、平衡感覚が大きく狂う。


 F‐TⅡは螺旋を描きながら急速上昇。


 それは操縦桿を中立位置で固定しながら、胴体を横方向に回転させて飛行するエルロン・ロールであった。 


 さほど難しくない曲芸飛行を展開させた天馬は、再び機体を水平方向に戻す。


 そして左斜め方向に視線を向けると、約200メートル前方に黒い物体を捉えた。


 背中に生えた翼を羽ばたかせているが、確実に鳥ではない。


 それも200メートルも離れた場所から肉眼で視認ができるということは、相当に巨大な体格を有している証である。


 間違いない。


【第一種】に分類される、ドラゴンこと翼竜だ。


 最悪だった。


 当初の予定では翼竜に発見される前に向日葵を見つけて連れ帰りたかったのだが、まさか翼竜との遭遇のほうが早いとは。


 天馬はラダー・ペダルを踏み込んだ。機体が旋回して横滑りを始める。


 一方、翼竜のほうにも動きがあった。


 小さかった姿が徐々に拡大する。


 ものの10秒も経たないうちに翼竜は、生物とは思えないほどの飛行速度で接近してきた。


 F‐TⅡと翼竜が空中で×字に交差し、互いの位置が一瞬で逆転する。


 その瞬間、天馬は心臓を握り潰されるほどの圧迫感を覚えた。


 風防の外に見えた巨大な体躯は、岩のように頑強そうで分厚い。


【第一種】の証である1つしかない眼球は、正面から睨まれただけでも精神を蹂躙する禍々しい歪さがあった。


 天馬の額に薄っすらと冷たい汗が滲む。


 正直、一刻も早くこの場から逃げ出し、航空戦闘学校の敷地内に逃げ帰りたいという思いも込み上げてきた。


 だが、天馬は逃げることを本能的に拒否した。


  

 操縦桿を左に倒して機体を傾かせる。天馬の顔が苦悶の表情に彩られた。

  

 無理な急旋回をしたために強いGが身体に襲い掛かる。


 額のみに浮かんでいた冷汗が今では全身の至る箇所から滲み、鼻と口の周囲から滲み出た汗が酸素マスクの底に溜まっていく。


  

 それでも天馬は歯を食い縛ってGに耐え抜いた。


 そしてギシギシと悲鳴を上げる機体は水平方向を維持しながら旋回。


 前方約180メートルに翼竜を捕捉する。


 Gの圧力から開放された天馬は、ざっと計器板を見渡した。


 現在時速220キロ。


 高度1600メートル。


 燃料消費3分の1。


 機体損傷無し。


 12ミリヴァルカン機関砲残弾数350発。


 テレビジョン・センサー良好。


 気流安定。


 天馬は震える手で操縦桿を操作していく。


 斜め宙返りのように機体が旋回し、翼を羽ばたかせて態勢を整えようとしている翼竜の背後を捉えた。


(ここだ!)


 一気に操縦桿を前方に倒して急加速。


 翼竜との間合いを詰めた天馬は、操縦桿の握りの部分を後方に円を描くように廻した。


 機銃砲の照準機が作動し、テレビジョン・センサーに表示されていた翼竜の身体に光の環が重なり始める。


 この光の環が標的を捕捉したまま2秒間以上経つと、F‐TⅡは自動的に機関砲を作動させる仕組みであった。


 天馬は焦らずに呼吸を整えた。


 やがて光の環が翼竜の幅と同じくらいに狭まり、テレビジョン・センサーに表示されていた光の環が緑から赤に変わった刹那――。


「食らいやがれ!」


 機関砲の銃身が甲高い唸り声を上げながら高速回転し、銃口から発射火炎とともに弾丸が勢いよく吐き出された。


 機体全体に衝撃が走り抜ける。


 翼竜に向かって降り注いだ弾丸の雨は全弾命中とまではいかなかったが、それでも何十発かは確実に身体に直撃した。


 しかし――。

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