第三十一話   若さゆえの暴挙

 司令部兼教員用宿舎の一階奥にあった司令室の中は、空気を押し潰したような緊張感に包まれていた。


 各コースの教官たちが集まり、沈痛な面持ちでシステム画面に注目している。


 巡視艦。


 無人警戒管制機。


 レーダーサイトなどから得た翼竜の固体情報を素早く電子処理して画面に表示させるシステム画面には、第168航空戦闘学校を中心とした防空領域に侵入してきた1匹の翼竜の姿を捉えていた。


 その他にも部屋の中央には長方形の机が置かれ、その上には四鳥島の全体図と航空地図が広げられている。


「とんでもねえことになったな」


 そう呟いたのは、早朝だというのに油染みが目立つ灰色の作業着を着ていたシゲじいであった。


 壁に寄りかかるように立ち、憤然とした態度で両腕を組んでいる。


「ええ、まったくです」


 鹿取がシステム画面を見つめながら答える。


 パイロットコースの教官たちは全員が訓練服を着用し、作戦本部から通達された指示をオペレーターたちから受けていた。


 翼竜が海上自衛軍の包囲網を突破し、四鳥島へ向かっていることが判明したのは十数分前のことであった。


 本来ならばこんなことはありえない。


 翼竜の存在を感知した途端、本土の作戦本部かから各航空自衛軍の基地に迎撃命令が下される。


 あの悪夢のような第一次、第二次大空戦を経験したことで、今では海上自衛軍と航空自衛軍の連携は確固たるものとなった。


 翼竜に対する対応が最優先。


 それを頑なに守り通してきたからこそ、この十数年は本土に【第一種】の翼竜が侵入することはなかった。


「鹿取教官長」


 オペレーターの一人が鹿取の名前を呼んで振り返る。


「何だ?」


「作戦本部から通達。木更津、市ヶ谷、目黒の三基地が保有する飛行部隊が到着するのは約10分後だそうです」


 鹿取はオペレーターの口から出た数字に愕然とした。


「10分だと? なぜ、そんなに時間がかかる?」


「現在、太平洋沖70海里地点において別の翼竜の存在が確認。それにより、すでに待機していた飛行部隊が迎撃に向かった後だそうです。作戦本部からは現在の作戦行動が終了した時点で飛行部隊を向かわせるとの通達が入っています」


 淡々とした口調で通信報告の結果を述べるオペレーターを見つめながら、鹿取は胸中で激しく舌打ちした。


 はっきり言って10分は長すぎる。


 今頃は市街地にも緊急厳戒態勢が敷かれているはずだが、それでも絶対に被害が出ないとは限らない。


 それに翼竜がこの島に餌となる人間がいないと判断した場合、そのまま本州に向かう可能性が出てくる。


 いや、確実にそうなるだろう。


 何せ相手は【第一種】に分類される翼竜だ。


 これが【第二種】や【第三種】に分類される翼竜ならばまだマシであった。


 仮に本州に侵入されたとしても、陸上自衛軍が保有する特殊翼竜迎撃部隊や地対空部隊だけでも十分に対応できる。


 しかし、【第一種】に分類される翼竜だけは駄目だ。


 人間が溢れ返っている本州に侵入されれば、たとえ1匹とはいえ甚大な被害が予想される。


 何としても【第一種】に分類される翼竜は、本州に侵入される前に叩かなくてはならない。


 一通り悩んだ結果、鹿取が呟いた。


「私が迎撃に出ます」


 その言葉に司令室の中にいた全員が驚愕した。


「おめえさん、本気か?」


 壁に体重を預けていたシゲじいも思わず身を乗り出す。


 鹿取はシゲじいに振り向き、こくりと頷いた。


「シゲさん。今日の実習で使う予定だった機体のチェックは終了済みですよね?」


 メカニックコースの教官長であったシゲじいに鹿取が尋ねる。


「ガキどもの体験搭乗で使用する機体か? ああ、それなら昨日の時点で終了済みだ」


「ならば、その機体で出ます」


 すると他のパイロットコース担当の教官が恐る恐る鹿取に訊いた。


「ですが……教官長は目が」


 他の教官たちも鹿取のことはよく知っている。


 かつてエースパイロットのみで構成されていたという横須賀基地の飛行部隊に所属し、3年前に起った事件を生き残ったパイロットであると。


 そしてパイロットとしては致命的である片目の視覚を失い、飛行部隊から退く結果になったことも。


 周囲から心配する声が上がると、鹿取は毅然とした態度で答えた。


「ご心配なく。迎撃といっても飛行部隊が到着するまで時間稼ぎをするだけです。ただ逃げ回るだけなら今の私でも十分に可能ですから」


「だが、今のお前は仮にも司令だ。勝手な真似は俺らよりも許されねえぜ」


 シゲじいの低い声が部屋の中に響くと、他の教官たちも同意するように頷いた。


 戦闘学校には自衛軍のように正式な司令がいるわけではない。


 そのため、緊急時には各コースの教官長が兼任で司令の役割をこなす仕組みになっている。


 この第168航空戦闘学校では鹿取がその任に当たり、現在のような緊急時にはすべての決定権が彼に与えられていた。


 だからこそ他の教官たちは鹿取に出撃を取り止めるように説得した。


 決定権を与えられた司令が直接前線に出るなど前代未聞である。


 それでも鹿取の意思は変わらなかった。


「シゲさん。後は頼みましたよ」


 鹿取はシゲじいに頭を下げた。


 メカニックコースの教官長であるシゲじいならば、緊急時の司令の任を問題なく移譲できる。


 それに第一次、第二次の大空戦をその身で経験してきたシゲじいは本部にも色々と顔が利く。


 万が一の場合、自分が司令だったときよりも事後処理は簡単に済むだろう。


 まさに鹿取がそう思った矢先、司令室に設けられた専用の直通電話が鳴り響いた。


「電話だぜ、司令殿」


 シゲじいは直通電話を親指で指し示す。


 鹿取は直通電話の前に歩み寄ると、受話器を取って応対した。


「こちら司令室」


『その声は鹿取教官長! いや、今は司令殿ですね?』


 電話をかけてきたのは管制塔に待機している管制官の1人からだった。


「どうした?」


 ひどく慌てている管制官の声に鹿取は眉根を寄せた。


『1つ確認したいのですが、司令殿は誰かに離陸許可を出しましたか?』


「離陸許可? 一体何を言っている?」


 一瞬、鹿取は自分の耳を疑った。この緊急時に離陸許可など出すはずがない。


『つい今しがた格納庫から一機のF‐TⅡが飛び立ちました。この緊急時ですからてっきり司令殿の許可を得て離陸したものかと……』


「馬鹿な! 誰もそんな許可は出していない!」


 鹿取は受話器を叩きつけるように下ろすと、オペレーターの一人に駆け寄った。


 航空戦闘学校の飛行管制は、管制塔と司令室のどちらからでも管理できる。


 もしも格納庫に保有してある飛行機が一機でも屋外に飛び立った場合、その機体の情報は逐一システム画面に表示させることも可能だった。


「この5分以内に飛び立った機体情報を呼び出してくれ!」


 何のことか分からなかったオペレーターに事情を話すと、すぐにオペレーターは機械を操作して機体情報を画面に表示させた。


「くそッ!」


 機体情報が画面に表示されるなり、鹿取はすぐさま踵を返して司令室から飛び出していった。


 眼鏡の体裁を整えながらシゲじいが画面を覗き込む。


「ったく、最近のガキは何を考えてやがる!」


 シゲじいは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。


 システム画面には、2分46秒前に滑走路から飛び立った機体の情報が克明に表示されていた。


 事前に登録されていた搭乗者の1人。


〈TENMA SHIRAKABA〉の名前が――。

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