第二十九話 最強級の翼竜の接近
「それは一体どういうことだッ!」
天馬は剣呑な眼差しのまま渚に怒声を浴びせた。
「どうもこうも急にサイレンが鳴り響いたから慌てて部屋に行ったんだけど、どこにもいなかったのよ!」
切迫した声で怒鳴り返す渚は、音符のマークが入ったパシャマ姿だった。
その後ろにはTシャツと長ズボンを穿いた留美が眠気眼で案山子のように立っている。
数分前――。
第1体育館に到着した天馬と空也は、がやがやと騒いでいる生徒たちの中で渚と留美を発見した。だが、天馬は眉根を細めた。
向日葵の姿がなかったのである。
常に渚と行動をともにしている向日葵が、こんな緊急事態のときに1人で行動するはずがない。
嫌な予感がした天馬は、すぐに渚に問い詰めた。
すると案の定、嫌な予感が的中した。
渚が返してきた答えは、「向日葵がいない」という事実であった。
「一体どこへ……」
下唇を噛み締めて天馬が苛立ちを抑えていると、体育館に到着するなり行方を晦ませていた空也が非常口から飛び出してきた。
散り散りに集まっている生徒たちの中を泳ぐように掻き分け、こちらに駆け寄って来る。
「おい、やべえぞ。どうやら今回の緊急警告は本物だ。どうやら翼竜がこの島目掛けて接近しているらしい」
どこから入手してきた情報か知らないが、空也は天馬の首に腕を回し、他の生徒たちに聞かれないようにぼそりと呟いた。
天馬の瞳孔が拡大する。
「それは本当か!」
「馬鹿、でかい声出すな」
空也は天馬の口を瞬時に塞ぎ、大人しく聞けとばかりに天馬を睨みつける。
そんな空也の意図に気づいた天馬はこくりと頷く。
「間違いないのか?」
塞がれた手を退けた天馬は、再び空也に問いかける。
「間違いねえ。どうも怪しいと思って司令部まで情報を集めに行ってたんだが、そこでパイロットコースの教官と管制官の一人が会話してたのを盗み聞きしてよ……それと聞いて驚くな。どうもその翼竜は【第一種】らしいぜ」
【第一種】。
翼竜の中でも最高危険度に認定されているクラスだ。
「じゃあ、俺たちがここに集められたのも」
「念のために地下シェルターに避難させるためだろうな。俺たちもパイロットコースとはいえまだ飛行免許も取得していない素人だからな。これが他の航戦だったら飛行免許を取得した三期生が戦闘機に乗って迎撃に向かうところだが、この第168航空戦闘学校は今年新設されたばかりで仮飛行免許も取得していない一期生しかいない。教官たちからすれば非難させるのは当然の処置だろうよ」
天馬は小さく舌打ちした。
まさか翼竜がこの島に近づいてくるとは思わなかった。
確かこの四鳥島の周囲には海上自衛軍の巡視艦が絶えず往復し、1匹でも翼竜が近づいてくればすぐさま本土の航空自衛軍基地にスクランブルが発進されるはずだ。
それなのに翼竜の接近を許してしまい、ましてやその翼竜は【第一種】だという。
「ちょっと、何二人だけで盛り上がってんのよ!」
天馬と空也が神妙な面持ちでうつむいていると、横から渚が声を張り上げた。
「朝っぱらから大声を出すな。ただでさえお前の声は響くんだからよ」
横槍を入れてきた渚に空也が悪態をつく。
だが、渚は一向に構わない。
「そんなことよりも、空也。あんたは向日葵の居所に心当たりはないの?」
「向日葵ちゃんがどうしたんだ?」
そう言えば話の途中だったと天馬は気づき、向日葵の事情を聞いていなかった空也に掻い摘んで話した。
「それってやばくないか?」
事情を聞いた空也がぽつりと言った。
「仮にも今は非常時だ。いくら早朝とはいえ指示された場所に集合しなかった生徒は懲罰ものだぞ」
そんなことは分かっている。
天馬は顎先に手を添えて思案した。
現在、この第一体育館に集合している生徒は全体の約3分の2。
しかし、後数分も経てば全員が集合するだろう。
だが、そんな生徒たちの中に向日葵はいない。
だとすると一体どこにいった?
いくらクラスメイトとはいえ、天馬は向日葵の行動パターンなど把握しているはずもない。
仮に日課などがあったら、常日頃から一緒にいる渚たちのほうが詳しいだろう。
たとえば、運動選手が決められた時間以外にもトレーニングをするような日課が向日葵にもあったとしたら……。
その瞬間、天馬の背筋に戦慄が走った。
じんわりと生温い汗がシャツに滲む。
「どうした? 天馬。顔色が悪いぜ」
空也が指摘したとおり、今の天馬の顔は血の気が引いて蒼白に染まっていた。
「……いや、何でもない」
そう言って天馬は、心配そうに顔を覗き込んできた空也に笑みを向けた。
だが、無理に笑顔を作っても顔色自体は変わらない。
天馬の脳裏には、向日葵と翼竜の幼体――ミントの姿が浮かんでいた。
向日葵が1人で寮を抜け出す理由はそれしかない。
間違いなく、ミントの世話をしに行ったのだろう。
そこでふと昨日の記憶が蘇ってくる。
昨日の夕方、2人で学生寮に帰ってきたとき、向日葵はこう言っていた。
今までミントの世話は夕方以外していないと、と。
ならば、なぜ昨日の今日で早朝から世話をしにいく?
天馬はうつむきながら思考をフル回転した。
そして次の瞬間、天馬ははっと顔を上げた。
まさか、向日葵は気づいたのか。
天馬は改めて自分の格好を確認した。
着の身着のままで飛び出してきた他の生徒たちとは違い、1人だけきちんと動きやすいジャージを着ている天馬。
空也には早朝ランニングに向かう途中だと誤魔化したが、本当はそんな健全な目的ではなかった。
殺害である。
密かに海岸付近の雑木林に向かい、寝息を立てているだろう翼竜の幼体を始末する。
ただ、それだけのために天馬は1時間以上も早起きをした。
だが、渚の話では緊急警告のサイレンが鳴って数分後にはもう向日葵の姿はなく、部屋に入ってベッドを触るとひんやりと冷たかったらしい。
となると向日葵は、午前6時前にはすでに部屋を出て行ったことになる。
しかし、ふとそこで疑問が湧き上がってくる。
世話をしに行くにしては時間が早すぎないか?
そうである。
学生寮から抜け出し、海岸付近に向かうまでは結構な距離がある。
そして早朝ならば確かに誰にも見られずミントの元へ行けるだろうが、それでも絶対とは限らない。
女子寮の寮長に見つかる場合もあるし、航空戦闘学校の正面ゲートに詰める警備員の目もある。
教官たちの間で何かと噂になっている向日葵にしてみれば、たとえ姿を見られても咄嗟に誤魔化せる放課後以降の時間帯を選ぶはずだ。
現に向日葵は、今まで夕方以外にミントの元へ行っていないと漏らしていた。
では、なぜ今日に限って早朝を選んだ?
と考えてみたものの、その答えはすでに出されていた。
天馬はチッと舌打ちをし、拳を固く握り締める。
原因は俺だ。
天馬は、向日葵が今までと違う行動を起こした原因を明確に悟った。
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