第十一話 かつてドラゴンと呼ばれた翼竜 ①
管制塔一階にある視聴覚室では、メディックコースを志望した二十人ほどの生徒たちが巨大スクリーンに映る映像を真剣な表情で見入っていた。
部屋の中は映画館のような暗闇に包まれており、プロジェクターからスクリーンに投影されている映像の光だけが煌々と照らされている。
渚は向日葵の横に座っていた。
生徒の人数分だけ並べられたパイプ椅子の背もたれに堂々と体重を預けている。
正面の壁に吊るされていたスクリーンには、市街地などで猛威を振るっている翼竜の姿が映っていた。
いたいけな子どもが観れば戦隊ヒーロー物の特撮映画だと思ってしまうことだろう。
しかし、スクリーンに映っていた映像は決して架空の映像ではない。
紛れもなく本物の映像であった。
「お前たち、気持ちは分かるが目を逸らすなよ」
スクリーンの横に両腕を組んで立っていたのは、1‐Bの担当教諭であった松崎朋子であった。
「人類の仇敵となった翼竜たちには、現在確認されているだけで三タイプに分類される。まず一つめが【第三種】と呼ばれる翼竜だ」
松崎は生徒たちに説明をしながら、手元にあったリモコンで映像を切り替えていく。
先ほどまでは翼竜たちの猛襲を受け、壊滅的な被害を被った関東一円の映像が映されていたが、松崎の巧みなリモコン操作に従いスクリーンには画面一杯に一体の翼竜が映し出された。
三日月のような形をした頭部に巨大な翼。
だが、肝心な身体部分は十歳前後の子どものように小さかった。
「プテラノドン・ステルンベルギ。この中には知っている奴も多いだろう。かつて地球上に存在していた翼竜だ。翼を広げれば最大で九メートルにも達するが、実際の体重は二十キロ前後しかない。つまり、人間の成人男性よりも身体は小柄だということだ」
松崎の説明を聞いていた渚は、軽く両腕を組んで足を組み替えた。
「そしてこのプテラノドンは現在では比較的危険が少ない【第三種】に分類されている。もちろんこのプテラノドンの他にもランフォリンクスやプテロダクティルスなどと呼ばれる翼竜も【第三種】に分類されている。が、一般的にはこのプテラノドンが一番多く目撃されている。現に第一次大空戦時にはこのプテラノドンを筆頭に【第三種】が世界中に飛び火したからな」
松崎の説明を聞いていた渚は、軽く両腕を組んで足を組み替えた。
中部地方である名古屋に住んでいた渚は、このプテラノドンなどの【第三種】を見ると血液が沸騰する衝動に駆られる。
これは同じ中部地方に住んでいた人間ならば理解できると思う。
西暦2000年。
この年は人間が始めて異種生物と戦争した最悪の年だったという。
渚も母親から寝物語のように毎日のように聞かされていた。
今ではもう存在していないが、当時は日本中にアメリカ軍基地が存在しており、多くのアメリカ軍人が駐留していた。
しかし、太平洋を中心に世界中に拡散した翼竜たちから自国を守るため、日本に駐留していたアメリカ軍は早々に退散。
その名残として、アメリカ軍基地があった場所は、航空自衛軍の主要基地として活用されている。
そしてアメリカに軍備の面でも依存していた日本は、翼竜たちの猛威を退けられず手酷い被害を受けてしまった。
今では復旧作業も完了している地域もあるが、関東一帯や北海道地方は未だ痛い爪痕が残されているという。
それは渚の実家がある名古屋も例外ではなかった。
中部地方はスクリーンに映っている【第三種】に最も空襲された地域の一つであり、多くの人間が翼竜たちに食い殺されたという。
この【第三種】に認定されている翼竜は世界中で最も数が多く目撃され、政府が勧告した情報によれば2028年現在においても約5万匹は棲息しているらしい。
生徒の顔を一望した松崎は、スクリーンの映像を切り替えた。
次に映し出された翼竜は、角ばった頭部に闘牛のような角が二本伸び、引き締まった胴体には四本の逞しい足が付いていた。
背中から生えていた15メートルはあろう翼には鳥のような羽毛が覆われていたが、そんなものは微々たるものに過ぎない。
渚はスクリーンの映像を見ながら目眉を細めた。
「この翼竜の名前はケツァルコアトルス・ノルトロピ。【第三種】より一ランク上の危険がある【第二種】の翼竜だ。ただこのケツァルコアトルスは白亜紀の後期に棲息していたとされる翼竜の変種だと言われている。なぜなら、このケツァルコアトルスの体重は約百キロ。【第三種】の翼竜よりも80キロは体重が増えているからだ」
そこまで説明した松崎は、唐突に一人の生徒に向けて人差し指を突きつけた。
「小見山渚! 起立!」
「え?」
指名されたのは渚であった。
まさか名前を呼ばれるとは思わなかった渚は、起立と言われてもすぐに立つことはできなかった。
「聞こえなかったのか? 起立だ」
「は、はい!」
慌てふためきながらも渚は、二度目の指示で立ち上がった。
「小見山、お前に問おう。翼竜は先にも説明した通り、危険な順から三タイプに分類されている。そして実際には【第二種】から本当の危険な存在と認識されているが、それはなぜだか答えられるか?」
「え、え~と」
渚は人差し指を顎の先端に乗せ、視線を虚空に彷徨わせた。
「【第三種】の翼竜よりも【第二種】の翼竜のほうが大きいからでしょうか……身体が」
松崎は納得したように頷いた。
「そうだ。単純に【第二種】に分類されている翼竜たちは【第三種】に分類されている翼竜たちよりも体格がデカイ。これは人間に当てはめれば理解しやすいだろう。子どもよりも大人のほうが強いのは当たり前だ」
しかし、と松崎は口調をさらに強めた。
「ここで当時の学者は翼竜たちの生態を研究して意外な事実を発見した。お前たちは翼竜が空を飛ぶのは単純に翼が生えているからなんて思っている輩も多いだろう。だが実際には翼が生えているからといって簡単に空を飛ぶことはできんのだ」
渚は依然として立たされながら松崎の話を聞いていた。
「小見山、翼竜の中でも体格が小さい【第三種】の翼竜たちは古代においてどうやって空を飛んでいたと思う?」
「それはやっぱり翼を使っていたんじゃないんですか? 鳥みたいに羽ばたかせて」
「まあ、それが一般的な答えだな。しかし、実際には違う。古代期に棲息していた翼竜たちは翼を羽ばたかせることはせず、主に崖などの上から風に乗って滑翔したんだ。そしてこれは有名な話だが、古代期に棲息していた【第三種】に分類されている翼竜たちには人間を捕食する力がないと言われていた。それは脚力が弱い上、人間などの重い獲物を捕まえながらでは平衡感覚を崩して満足に飛べないからだ」
そのとき、渚は首を傾げた。
「先生、それって少しおかしくないですか? 私が見た記憶によれば【第三種】の翼竜たちは翼を羽ばたかせて堂々と飛行していましたよ。それに人間を捕食したまま飛べないって……現にさっきの映像には人間を嘴で咥えたまま飛行していた姿が映っていたじゃありませんか?」
渚が答えた言葉には、一緒に映像を観ていた他の生徒たちも同意見だっただろう。
松崎が翼竜の生態系に関して説明する前の映像には、第一次大空戦時に撮影された翼竜たちに都市を攻撃されている映像が流れていた。
その映像には確かに【第三種】の翼竜たちが人間を思いのままに捕食している残酷な面があった。
一拍の間を置いた後、松崎は小さく肩をすくめた。
「そうだ。それが翼竜の生態系について研究していた学者たちを悩ませた問題の一つでもある。満足に飛行できないはずの翼竜が自由に大空を飛び、捕食できないとされていた人間を捕食する。これだけでも現代に蘇った翼竜たちが古代期に棲息していた翼竜たちと勝手が違うことが理解できるだろう。だが、それすらも問題の一つに過ぎない。お前たち、よくこの【第二種】の翼竜を見ろ」
松崎の視線を追い、生徒全員の視線がスクリーンに映る映像に釘付けになった。
「このケツァルコアトルスを筆頭にミクロラプトルやディロングなどの羽毛を持っている恐竜が【第二種】に分類されているが、こいつらの推定体重は約100キロ。背中に生えている鳥類のような羽毛に包まれている翼で空を飛行するのだが、ここでお前らはおかしなことに気づかないか?」
生徒全員を見渡しながら松崎は問いかけた。
(何だろう? 何かおかしな部分があるのかな)
未だ着席が許されていない渚は、脳を高速回転させて思考した。
けれど考えれば考えるほど分からない。
筋骨隆々とした胴体に硬そうな皮膚。
逞しい四肢の先端には鋭利な爪が伸び、背中から生え出ていた翼は顔を埋めると気持ちよさそうな羽毛で覆われているだけだ。
しん、と静まった視聴覚室の中、松崎は大きく嘆息した。
「小見山、お前も分からんか?」
唯一、席を立っている渚に白羽の矢が立った。
渚は何か言わなければと思うが、言葉が喉に引っかかって中々出てこない。
そのとき、一人だけすっと挙手をした生徒がいた。
「ん? 雨野か。お前は何か分かったのか?」
渚は隣を見下ろすと、向日葵が小さく右手を挙げていた。
向日葵は松崎に促される前に口を開いた。
「【第二種】の翼竜は明らかに体重が重すぎます。鳥類などもそうですが、体重が10キロを越えた生物は空を飛行する機能が著しく低下すると言われています。そして15キロ以上を過ぎると自力では飛行することができなくなる。過去に化石で発見された鳥類の中には体重が90キロを超えていた鳥もいたそうですが、この鳥たちはダチョウやペンギンなどのように空を飛ぶことを放棄した鳥ではなかった。つまり、太古の昔には体重が100キロ近い鳥が空を飛んでいたことになります。ですが現代の科学力でもそのような鳥がどうやって空を飛んでいたかは解明されていない」
あくまでも冷静に向日葵は言葉を紡いでいく。
「それは翼竜も同じはずだった。けれども、【第二種】以上に分類されている翼竜は重力と揚力のバランスを明らかに無視して飛んでいます」
おお~、と視聴覚室内がどよめいた。
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