第七話 第168航空戦闘学校
昨夜から降り続いていた豪雨は、夜が明けてからも止むことはなかった。
初春だというのに肌寒い風が吹き、激しい雨礫が教室の窓ガラスを叩いている。
位置的には司令部兼教員用宿舎の反対側―—。
二階建ての鉄筋コンクリート製の建物の入り口には、大理石と見られる塔に「第168航空戦闘学校学舎」と彫られていた。
その学舎の一階奥にあった教室には、20人の男女が決められた席に座っている。
「よし、それじゃあ自己紹介といくか!」
教壇の横には、一人の女性が晴れ晴れとした顔で仁王立ちしていた。
ウェーブがかかった長髪に逆三角形のようなインテリ眼鏡。
漆黒のスーツドレスの上から純白の白衣を羽織った20代後半と見られる女性。
すっきりと整った顔立ちの中には意志の強そうな二つの瞳が収まり、出るところは出て引っ込んでいるところは引っ込んでいるプロポーションの持ち主であった。
そして女性の後ろにあった黒板には、達筆な字で「
「私の名前は松崎朋子。メディックコース担当教官の一人で、今日からこの1‐Bを受け持つことになった。お前たちは親元から離れて何かと不安だと思うが、金銭的なこと意外はそれなりに面倒見てやるから安心しろ」
見た目と違って大らかな性格をしていた松崎は、窓際の席から順に生徒たちに自己紹介をするように促した。
出席番号順に生徒たちが一人ずつ立ち上がり、出身地と名前、志望コースと今後の抱負などを答えていく。
決められた席に座っていた生徒たちは、全員が航空戦闘学校指定の制服を着用していた。
黒のシャツに紺とパープルのネクタイを締め、上半身には白色のブレザー。
下半身にはストライプが入った黒のズボンを穿いていた。
右胸の部分には航空戦闘学校の紋章が取り付けられ、中央には「168」と刺繍されている。
天馬は自分の番を待ちながら、他の生徒たちの言葉を静かに聞いていた。
昨夜、学生寮の掲示板にはAからCまでのクラス分けが発表された。
その中で天馬はBクラスに決まり、同じクラスにはパイロットコース候補生の空也の名前もあった。
それだけではなく、メディックコース候補生の渚や向日葵、メカニックコース候補生の智則や留美の名前も一緒に書かれていた。
偶然とは恐ろしい。
昨日一日で出会った人間たちとクラスメイトになってしまった。
出席番号順なので顔見知りは向日葵から自己紹介が始まり、続いて空也、渚の順で自己紹介が行われ、空也を投げ飛ばした留美は苗字が小日向だったため、渚の次に自己紹介をしていた。
それから何人かの生徒が自己紹介をして、ようやく天馬の順番が回ってきた。
前の席に座っていた生徒の自己紹介が終わった後、間を計算して天馬が立ち上がる。
「初めまして、白樺天馬です。出身地は東京です。コースはパイロット。将来は航空自衛軍に入隊したいと思っています。特技や趣味は特にありません。以上です」
淡々と自己紹介を終えて天馬は着席した。
その後、智則や他の生徒の自己紹介が終わり、20分ほどでクラス全員の自己紹介が終了した。
松崎は満足そうに柏手を鳴らす。
「よーし、これで全員の自己紹介は無事に終わったな。お前たちはこれから三年間、共に学び共に遊ぶ大事な仲間だ。いいか、みんな仲よくしろよ」
しばらくは松崎の軽快なトークがクラスの緊張していた雰囲気を和ましていたが、一通り航空戦闘学校の生徒に必要な心構えや簡単な施設内の説明を話すと、松崎はクラス全員の顔を見渡して「さてと」と切り出した。
「もしここが普通の高校ならもっと場を盛り上げる話をしたいところなんだが、残念ながらここは航空自衛軍の下部組織に当たる戦闘教育学校だ。授業は一般教科も行われるが、大半はコース別に分かれての特別授業が主になる。それはなぜだか分かるな?」
突如、厳しい眼差しを向けてきた松崎に生徒たちはごくりと唾を飲み込んだ。
それは天馬も例外ではなかった。
普段から沈着冷静を心掛けている天馬自身も、松崎の真剣な迫力を受けて口を真一文字にきつく締めた。
次の瞬間、松崎は教壇の机を平手で叩きつけた。
「今から約30年前、奴らはこの地球上に突如として出現した。いや、正確には奴らが住んでいた大陸が出現した」
そう言うと松崎は、振り返って黒板に書かれていた自分の名前を消した。
次にチョークを動かして黒板一杯に世界地図を描いていく。
ユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、南極大陸、オーストラリア大陸と主要な大陸は西暦2028年の現在でも変わらずに存在している。
天馬は子供の頃、実家の押入れにあった地図を発見して驚いたことがあった。
その日は学校で世界地図を見せられたばかりであり、押入れで偶然発見した世界地図は1999年以前のものであったからだ。
教室のほぼ中央の位置に座っていた天馬は、横目で生徒たちの顔を覗き見た。
窓際の席から二列目の後方に座っていた空也の顔は見られなかったが、左方向には顔見知りの一人である雨野向日葵の横顔が見えた。
ノートに書き写す大事な授業でもないにもかかわらず、向日葵は真剣に松崎の描いていく世界地図を見つめていた。
やがて松崎は世界地図を描き終わった。振り向き、生徒たちの顔を見渡す。
「よーく覚えとけ。これが現在の正確な世界地図だ。特にパイロットコースの奴らは胆に銘じておけよ」
松崎は握った拳を黒板に叩きつけた。
位置的には黒板の中央、描かれた世界地図的にはほぼ中央の位置に当たる。
天馬は目眉を細めた。
黒板に描かれた世界地図の中央――太平洋の真ん中にはオーストラリア大陸を二倍ほど縮小させた大陸が描かれていた。
松崎の言葉は続く。
「1999年に突如として地球上に出現したこの大陸は、遥か昔に同じ太平洋上に存在していたとされた古代大陸の名前に因み『ムー大陸』と命名した人間もいるが、本当は名前なんてどうだっていい。問題だったのはこんな巨大な大陸がなぜ地球上に出現したのかということと、この大陸には信じられない生物が存在していたという事実だけだ」
苦虫を噛み締めるように松崎が奥歯を激しく噛み締めた。
その行為だけで松崎がこれまでどういった人生を歩んできたのかが天馬には手に取るように分かった。
自己紹介をしたときには喋らなかったが、このクラスの中にも自分と同じ『奴ら』から散々な目に遭わせられた人間も多く含まれているだろう。
両腕を軽く組んだ天馬は、熱論をしている松崎に再び顔を戻した。
松崎は七つめの大陸に存在している生物の名前を黒板に書き込んだ。
天馬の目が悪くなければ、地形の中には太文字で「翼竜」と書かれていた。
「これから3年間、お前たちはこの学校で専門的な知識と技術を徹底的に学ぶ。それは自分のため、しいてはこの国の将来のためになることだ。だからよく覚えておけ。この大陸に棲息している古の恐竜……いや、奴らは恐竜なんて生易しい存在じゃない。全世界を震撼させた凶悪なドラゴンこと翼竜どもだ」
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