第7話 髪の色

 翌日、オレは少しぼーっとしていた。昨日はあれから何もなかったのだが、だからこそ思考がもやもやしたような感じで、気分的にもすっきりしない。

 いつもと同じく店番をしていても、やはりお客さんは来ない。退屈すぎてカウンターへうつ伏せになると、リーゼルがそばへ寄ってきた。

「どうした?」

 と、声をかけつつ片手を伸ばし、指先で彼女の顎を撫でてやる。

 リーゼルが満足気にごろごろと喉を鳴らし、オレはふとその首で輝く赤い宝石に目を留めた。リーゼルを飼い始めた時に先生が作った首輪だ。

 白い体によく映える赤茶色のベルトに、シルバーの金具にはめられた楕円だえん形のルビー。裏にはこの店の住所と先生の名前が掘られており、万が一迷子になってしまっても戻ってこられるようにしてあった。

 ふと手を離すと、リーゼルは不満そうにオレを見た。しかし、何を思ったかすぐに床へ降りてしまう。

 どこへ行くのかと思い見ていたら、リーゼルは奥の作業場へ入っていった。気ままな魔猫が先生の仕事の邪魔をし、オレはふうとため息をつく。

 顔を前へ戻すと、視界に入る前髪が気になった。指先でつまみつつ、思考する。

 毛の色については少し思うところがあった。先生は明るい茶色の髪の毛で、オレは暗い紫色の髪だ。せめて髪の色が似ていれば、第三者から見て親子だと思われただろう。しかし現実は真逆で、誰が見てもオレたちは親子に見えないのだった。

「……」

 いやいや、だから何だと言うんだ。髪の色なんて考えたって仕方がない。どうしようもないのだから、どうしようもないままにしておくしかないだろう。

 そう思って髪をいじるのをやめて背筋を伸ばす。

 ――でも、先生のような茶色い髪に少し憧れみたいなものがあって、オレは自分の紫色が無性に気に入らない時があった。自分が嫌いと言うつもりはないけれど、やっぱり少しは……近づきたい、と思ってしまうのだ。それは魔法に関しても言えることだった。

 オレはもう一度ため息をつき、自分しかいない店内を眺めた。窓からは外を行き交う人が見えるが、お客さんはやってこない。

 緊張して胃が痛くなるのをこらえ、ゆっくりと立ち上がる。

 そっと後ろを振り向いて作業場にいる彼を見る。リーゼルを片手で撫でつつ、もう片方の手で器用に金具へチェーンを通している。じきに棚へ並ぶ新商品だ。

 オレは呼吸を整えるように意識して歩み寄った。

「あの、先生」

 ぱっと彼がこちらを向いた。

「何だい?」

 作業場と店の境界辺りへ立ち、オレは今さっき考えていたことを口にした。

「オレ、魔法使いのことはあまり好きじゃないです。というより、たぶんずっと好きにはなれない。だけど、魔法を学ぶのはありかもしれない、と思います」

 眼鏡越しに先生の目がキラキラと輝き、オレは何故か慌ててしまった。

「いや、ただ自分でも気になるってだけです! 使いこなそうとか言うつもりはまったくなくて、ちょっとくらいは学んでみてもいいかなって――!」

「うん、分かってるよ」

 にこりと優しく彼が微笑し、椅子から腰を上げた。こちらへ寄ってきて、オレの頭をぽんと撫でる。

「自分の力について知っておきたいもんね。ちゃんと考えよう」

「は、はい……」

 頭を撫でられると恥ずかしくて顔が熱くなってしまう。うつむきたくなるのをこらえていたら、先生は言った。

「君に魔法を教えてくれる人を探そう。君の持つ力について、きちんと調査してくれる人もね」

「……はい」

 あらためて自分が怖くなり、先生の手を振り払うようにして店へ戻った。


 店を閉めてきた先生が自宅へ戻ってきて、ダイニングの席へ座った。夕食を作っていたオレが視線を感じて振り返ると、彼はどこか疲れたような顔をして言う。

「やっぱりアロイスに相談するしかないかもね」

「……そう、ですか」

 スープの火加減を確かめる。弱くはないが強くもない。

「ちゃんと話せば理解してくれるし、協力もしてくれるはずだ。でも、アロイスに話したらヘルマンさんにも伝わっちゃうだろうな」

「……そうでしょうね」

 スープの鍋にふたをして、オレは包丁を手に取った。

「ヘルマンさんも協力はしてくれると思うけど、いつかは軍の偉い人たちの耳に入る時が来る。そうなった時にハインツが、ハインツの望む立場でいられる保証はない」

 塊で買ってきた肉をできるだけ細かく切る。パンの上に乗せて食べたら美味しくなるように。

「君のことを知られないようにするには、それ相応の対価がないとダメだろうね」

「……難しいですね」

 無難な言葉を返したつもりだったが、先生はうなずいた。

「ああ、現実はとても難しいよ。すべて思い通りになったらいいのに」

 特別な人間を放ってはおけない、ということだろう。戦争はもう終わったとはいえ、強い魔法使いの存在は軍事力に直結する。だからヘルマンさんは若くして大佐になれたし、かつては先生もこの国の軍事力の一端を担っていた。

 細かく切った肉をフライパンへ移し、オレはそれ以上考えるのをやめた。

「それより先生、リーゼルはどこですか?」

「え? あれ、いないの気づかなかった。探してくる」

 と、先生が席を立ち、家の中を探し始める。オレは内心でほっとして調理に集中した。

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