魔法使い連続殺人事件と失われし聖地〜世界で唯一混成魔法が使える養父と売れない魔法雑貨屋をやっています〜

晴坂しずか

第1話 誘拐

 鉄さびのような匂いがする。離れた窓からかろうじて光がさしているが、建物自体が日陰に入っているのだろう。まだ日中のはずなのに薄暗くて、有益な情報を何もくれない。

 手足を縄で拘束されたオレは、乱暴に床へ投げ捨てられた。

「ぐっ……」

 口には猿ぐつわを噛まされ、声が出せない。コンクリートの床が冷たく、いまだ状況を把握できないオレを静かにあおる。

「で? どーやって殺す?」

 一人の男が軽い口調で言い放ち、オレはびくっとした。こんなところで殺されるのか? オレが何をしたっていうんだ?

 いつものように図書館へ向かっていたはずだった。次はどんな本を借りようか、考えながら歩いていた。突然、後ろから誰かに口をふさがれ、抵抗したけど無意味で、馬車に無理やり乗せられて……そもそもオレには、どうして誘拐されたか分からない。何も分からないまま殺されるってことか? 最悪だ……!

「立ち直れなくなるぐらい、ひどい目にわせろって指示だったよな」

「四肢切断とか?」

「その前に楽しむってのもいいんじゃねぇか?」

 怯えるばかりのオレの方へ汚いブーツが近づいてくる。しゃがみこんだ男がオレの顎をつかんで顔を上げさせた。

「ほら見ろ、可愛い顔してるぜ」

 怖い。何をされるか予想もつかないが、最後には殺されると思うと涙が出てきた。オレ、この前十六歳になったばかりなのに。

「おいおい、泣かせるなよ」

 顎をつかんでいた男が手を離して仲間たちを振り返る。

「ああ? これから鳴かせんだからいーだろ」

 男たちが下品な笑い声を上げる。その意味が分からなくて、オレはさらに泣いてしまった。何で、何でオレが……人違いじゃないのか? オレにはまったく心当たりがないのに。

 他の男たちも近くへ来て、一人が猿ぐつわを外した。そしてオレの顔をまじまじと見ながら言う。

「最愛の息子が強姦された挙げ句に四肢切断ってか?」

「おもしれーな。そりゃ立ち直れねぇや」

 怖い、怖い。彼らの言葉が理解できず、オレの恐怖心が限界へ達する。ズボンが下着越しにじわりと濡れ、気づいた男の一人が言った。

「うわ、漏らしてんじゃん。かわいそうに」

「むしろちょうどいいんじゃねぇの? ほら、脱げよ」

 男たちの手がオレの服へと伸びる。乱暴に脱がされ、体で何をされようとしているか理解してしまった。

「やっ、やめ……!」

 抵抗しようとして叫んだら、前髪をつかまれて持ち上げられた。

「静かにしてろ。すぐ楽にしてやるからよ」

 と、荒々しく手を離す。オレはふらっとして、意識が一瞬飛びそうだった。

「何お前、テクに自信でもあんの?」

 また男たちが笑う。床へうつぶせにされそうになると、脳裏に懐かしい声がした。

『ハインツを守る魔法の言葉よ、忘れないでね』

「ま……魔法の、言葉――」

 いつ覚えたもので、誰に教わったものかも思い出せない。しかし、何かにすがりつきたくてたまらなかったオレは無意識に唱えていた。

「ヴェルフェン・ヴァッサー」


 濁流がすべてを飲み込み、激流がすべてをねつける。オレ以外のすべてを平等に。

「ぁ……え?」

 気づいた時、男たちは一人残らず床へ伏せていた。血なまぐさい匂いが鼻についたかと思うと、聞き覚えのある声がした。

「ハインツ……?」

 はっとして起き上がり、涙まじりに叫ぶ。

「せっ、先生ぇ!!」

 呆然としていたらしい先生が、はっとして駆け寄ってくる。そしてオレをぎゅっと抱きしめた。

「無事だったんだね、よかった。だけど……」

 オレは安堵あんどから大声を上げて泣くばかりだ。先生が手の縄をほどいてくれて、すぐにぎゅっと彼へ抱きついた。

「せ、先生ぇ……お、オレ、オレ……っ」

 よかった。殺されなくてよかった。

「こわかっ、た……オレ、ころされ……る、かと」

「うん、話はあとで聞くよ」

 先生がその後に何かつぶやき、一瞬だけ熱風のようなものが吹いた。オレの濡れた頬もあっという間に乾いてしまい、びっくりする。

 直後に人がやってきてたずねた。

「これはいったい……!?」

 先生はオレを抱き上げながら返した。

「僕がやりました。犯人の確保と、ハインツの保護をお願いします」


 先生はオレの養父だ。七年前に養子縁組をして家族になった。

「君が軽傷で済んでよかったよ。さあ、帰ろう」

 最寄りの警察署へ移送され、オレは誘拐の被害者として事情聴取を受けた。先生はちゃんと待っていてくれて、解放された時にはすっかり夜になっていた。

「お腹空いたね。ハインツは何が食べたい?」

「……食欲ない、です。それより眠たい」

 と、あくびまじりに返せば、先生はうなずいた。

「そっか。そうだよね、僕も疲れちゃったよ」

 でも何も食べないのもよくないよねと、どこか能天気に言う。

 夜のイシュドルフは怖いくらいの静けさで、オレはもう何もないと分かりながらも怖くてたまらなかった。昼間のことが嫌でも思い出されて、また誘拐されるんじゃないかと考えてしまうのだ。

 そんな恐怖をごまかすようにオレは口を開く。

「っていうか、先生」

「ん、何だい?」

 隣を歩く彼を横目に見てからオレはたずねた。

「何で、オレのいる場所が分かったんですか?」

 にわかに暖かさをはらんだ風が、先生の後ろで一つに結った長い茶髪を揺らす。

「リーゼルが教えてくれたんだよ」

 彼の上着の中から白い魔猫がぴょこんと顔を出した。

「みゃー!」

 数ヶ月前、先生が唐突に連れて帰ってきた白猫だ。まだ子猫だが純血種の魔猫ということで、おてんばながらも賢かった。

「犬ほどではないにせよ、猫も鼻が利くからねぇ」

 と、先生はリーゼルの頭を指先で撫でる。

 オレはそういうことだったのかと納得し、リーゼルへにこりと笑みを向けた。

「ありがとな、リーゼル」

「うみゃ!」

 誇らしげに鳴く白猫にくすりと笑い、オレはあらためてよかったと安堵した。

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