第302話 邪魔者
「きゃあっ」
ウードン王宮に仕える宮女が小さな悲鳴を上げ、慌てて口を手で押さえる。顔を真っ赤に染めながらも、すれ違ったウードン五騎士の一人、『天翔剣』グリフレッドの後ろ姿を目で追うのだが、また別の宮女が同じように悲鳴を上げている姿が目に入る。
「そこで止まりなさい」
「おや? これはこれはクソジ――宰相殿、いかがいたしましたか?」
グリフレッドはウードン王国の宰相を任されているボールズを前にして、頭も下げずになんとも傲岸不遜な態度である。
「そこまで言うのなら言い切りなさい」
「ハハハッ。いくら同じウードン五騎士といえど、ボールズ殿は宰相ではないですか。私とてそれくらいの分別はつきます」
鳥が羽ばたくような、片足で立って両手を広げたポーズを取りながら、グリフレッドはボールズと目を合わせずに会話する。
「分別……これは驚きました。あなたの口から分別という言葉が出てくるとは」
グリフレッドと同様に、ボールズも目を合わせないよう視線を逸らしながら話す。互いが互いに目を合わせずに会話する光景は、傍から見ると奇妙に映っただろう。
「不愛想な宰相殿が驚くなど珍しい。では私はこれで――」
ボールズの横を通り過ぎようとしたグリフレッドであったが、結界がその行く手を塞いでいた。
「これはなんの真似でしょうか?」
「どこに向かう気ですか」
「決まっているではありませんか。敬愛する陛下へ、ご挨拶に伺うのです。それがなにか問題でも?」
「ええ、問題大有りです」
「私のどこに問題があるというのですか?」
いちいちポーズを決めながら話すグリフレッドに、ボールズは苛ついているように見えた。
「なぜウードン王国とセット共和国との国境から、あなたが呼び戻されたのかは理解していますか?」
「ハハッ。宰相殿、正気ですか?」
「いいから答えなさい」
額に手を当てながら、グリフレッドは「やれやれ」と首を横に振る。
「陛下を御護りするためです」
「ここは王都と答えるべきですが、まあいいでしょう。では陛下を御護りするために呼び戻されたはずのあなたが、なぜ武具どころか衣服すら着ずに
語気は荒くはないものの、ボールズの言葉には強い不快感が込められていた。しかし、一方のグリフレッドは信じられないと言わんばかりに、肩を竦めながら大袈裟にため息をつく。
「湯浴みしたからです。陛下に拝謁するのですから、身を清めるのは当然なのでは? そんなことも察することができないなんて、ウードン王国の政を任されている宰相の重責を務めることができるのでしょうか。なんなら私から陛下にそれとなくお伝えしておきますよ。では私はこれにて――」
「待ちなさい」
「――いつもいつも邪魔ばかり…………クソジジイがっ。どうして宰相殿は陛下と私の仲を邪魔するのですか!」
「あなたがウードン五騎士でありながら、騎士として逸脱した行為を陛下に働こうとするからです」
「私はっ……私はただ陛下と突き合いたいだけなのにっ!」
グリフレッドの言葉に、聞き耳を立てていた宮女たちから黄色い悲鳴が上がる。
「なんと悍ましい」
もはや嫌悪感を隠そうともせずにボールズが言い放つ。
「今のは問題発言では? 種族を、性別を越えて陛下と愛し合う私に対する差別ですよ」
「誰と誰が愛し合っているのですかっ! だから私はあなたではなく、ヴーウェインを呼び戻すようあれほど陛下へ進言したのにっ!!」
ヴーウェインとはウードン五騎士が一人『王城壁』の二つ名を持つ騎士である。
「ヴーウェイン? あんなデ――失礼。恰幅のいい男など、陛下の傍で御護りするのに相応しくありません。ここは美しく、強く、なにより陛下を愛している私こそが相応しいのです」
自分の身体を抱きしめながら熱を込めて語るグリフレッドを、ボールズは自分の視界に入らないよう手で遮る。
「どうやらその腐敗しか――老いた頭でも、ご理解いただけたようですね。では私は陛下――」
「通すわけないでしょう」
「いい加減にしてください。私にも我慢の限界があるんですよ」
「いつあなたが我慢をしたのですか。存在自体が不快ですが、今まではウードン王国の防衛に役立つからと、温情を与えていたに過ぎません。その邪悪な企みを知ったからには、ここで消すのが陛下の、ウードン王国のためというものです」
「気が合いますね。私も人の恋路を邪魔する頑固な老人には消えていただこうと思っていたところです」
「全裸の変態が私に勝てるとでも?」
「老人の嫉妬は醜いですよ」
ボールズが魔力を解放すると、膨大な魔力が王宮内を駆け巡る。荒れ狂う魔力風のなか、グリフレッドはたじろぎもせずに悠然と立っている。
「た、大変だわ。近衛兵を呼ぶのよ!」
「すぐにっ!」
様子を窺っていた宮女たちが、慌てて近衛兵を呼びに行くのであった。
衝撃的な光景であった。
今までユウと共に数多の敵と戦ってきた。その中には手強い魔物や想像を絶する相手もいた。自分だけでなくラスやモモ、それにユウ自身も大きな傷を負ったことや、何度も死を覚悟したこともある。恐怖や絶望を前に身体が知らず竦むことも――しかし、目の前で行われていた光景はそれらとはまったく違う異質なモノであった。
話したどころか。その顔すら記憶に残っていない父と母を求め、実の両親のように慕っていたユウが、そのユウが磔にされて暴行を受けていたのだ。ユウが動けぬことをいいことに、大勢の騎士は容赦のない暴力を振るっていた。皆一様に目は濁っており、そのくせギラギラと危険な光を帯び、顔は狂気に染まりきっていた。ナマリは人の持つあまりの業の深さに、その場を逃げ出してしまったのだ。そしてそこでバラッシュたちが撤退の指示を出しているのを聞いた。
「に……にがさない…………ぞっ」
ナマリは許せなかった。ユウにあんな真似をしたバラッシュたちジャーダルク聖騎士団を、だから誰にも相談せずに決めたのだ。自分一人で皆殺しにしてやろうと。
「ぜ、ぜったいに……ゆる、ゆるさない……ぃがっ……がふっ」
先回りしていたナマリは、ユウの許可も得ずに力を解放する。十いる化け物のうち、聖国ジャーダルクへ強い恨みを持つハチは積極的に協力を申し出る。次に好戦的な化け物が五匹、中立派や自分を殺したユウに恨みを持つ化け物が三匹、膨大な力を誇る化け物たちを制御するためにユウが用意したナナは反対するも、ナマリや他の化け物たちの殺意に意識を塗り潰され制御権を奪われる。
「な、なんだこの化け物はっ!? どこから現れたんだ!!」
突如、眼前に現れた
都合六匹の化け物によってナマリの姿は大きく変貌していた。その変貌は外骨格にとどまらず、内骨格からさらに骸全体にまでおよんだ。身長は五メートルまで巨大化し、なおも成長をし続けている。腕や足は鋭利な刃物のように幾筋も尖り、触れれば人の皮膚など容易く斬り裂きそうである。魔人族の特徴である羊のような二本の巻き角も骸に合わせるように大きく、禍々しさを増している。辛うじて人の原型を残しているが、もとの愛らしいナマリの姿など欠片も残っていない。
「よくもセサル大隊長をっ!!」
セサルの部下だったのだろう。激昂した一人の騎士がナマリの右足に向かって、剣で突きを放つ。巨大な魔物と戦うときの定石の一つ、まずは足元から切り崩すつもりであった。
だが――その刃がナマリに触れる前に騎士は消え去った。無造作に振るったナマリの右腕に触れて消し飛んだのだ。それを示すかのように、地面には騎士の足首だけが残されていた。
「ば…………化け物めっ。陣を組んで倒すぞ!」
「おうっ!!」
あっという間にナマリの眼前に、千人ほどの騎士が陣形を組んだ姿が目に入る。しかし、そんな者たちには目もくれずに、ナマリは後ろを振り返る。そこには自分を素通りして退却する騎士たちの姿が見えた。
「に、ニに、逃がサナい……ぞ」
両手を大きく広げ、柏手を打つ。瞬間――大地が爆ぜた。開いていた扇を閉じたように、騎士たちが、大地が、扇状に消え去っていた。逃げ延びた者が一人もいないのを確認してからナマリは向き直る。本来であれば、後ろを見せたナマリへ一斉に攻撃を仕掛けるべきであった。だが、あまりにも理不尽な暴力を前に騎士たちは動くどころか言葉を発することすらできずにいたのだ。
呆然としている騎士たちに向かって、ナマリはゆっくり身体を捻じっていく。
「来るぞ! 構えろ!!」
重装騎兵たちが一斉に盾を構え、『闘技』や盾技で防御力を高める。さらに陣形によって、一塊となった重装騎兵たちの防御はより強固となっている。その集団に向かって、ナマリは拳を放った。徐々に大きくなっているナマリの身体はすでに七メートルを超えている。その巨躯が、拳を放った瞬間、上半身が消えたと見間違うほどの迅さで振るわれたのだ。
「なっ、なにが……げぶっ!?」
「なにが起きた」と、隣の同僚へ話しかけようとした男は、そこにいるはずの同僚が、否。同僚どころかナマリの拳を突き出した線上にいたはずの騎士たちが消えていることに驚き、目を見開く。さらに遅れて爆音が、残る騎士たちを巻き込んで吹き飛ばした。
「バラッシュ様、これはいったい……なにが起こっているのですかっ!?」
バラッシュの従者を務める青年は、目の前で繰り広げられている戦い――いや、戦いではない。これは戦いと呼べるようなモノではなかった。ナマリが拳を振るうたび、光の女神イリガミットの名のもとに正義を執行するジャーダルク聖騎士団の騎士が、レーム大陸でも屈指の精強で知られる騎士たちが、砂糖菓子でも砕くかのように脆く砕け散っているのだ。ナマリの拳圧によって抉られた大地には、無数の騎士だったモノが散乱している。もはやユウを――魔王を捕獲云々どころの話ではなかった。このままでは人類の滅亡すら予感させる脅威である。
「知らぬ……知らぬっ! 魔王が、あれほどの化け物を手懐けているなど、こんな話は聞いておらんぞっ!!」
蹂躙されるジャーダルク聖騎士団を半ば呆然と見つめながら、バラッシュはどこか悲痛な叫びにも聞こえる声で叫んだ。
「なにやらお困りのようだ」
「何者だっ!!」
従者の青年がバラッシュの前に出て剣を抜く。この者は厳戒な重装騎兵の警戒網を難なく潜り抜けたのだ。
「お、おお……っ! あなたはっ!!」
この窮地でバラッシュは目の前に神でも降臨したかのように、地面に片膝をつき、頭を下げた。
その姿は闇夜でもハッキリと視認することができた。光り輝く白の杖とローブを身に纏う四十代ほどの男性が、宙に浮かびながらバラッシュを見下ろしていた。
「ドール様っ!?」
バラッシュに続いて、他の者たちも一斉に跪き頭を下げる。聖騎士団の副団長を担うバラッシュや、精鋭の騎士たちですら深い敬意を払う。『双聖の聖者』ドール・フォッドとはそれほどの存在であった。
「なぜあなた様が、このような場所にいるのかと聞きたいところですが、今はそのような状況ではありませぬ」
ドールはなにも言わず、わずかに顎を引く。
「これも光の女神イリガミット様のお導き。なにも聞かずに何卒お力添えを願いたい!」
恐る恐るドールの顔色を窺うバラッシュであったが、聖国ジャーダルク内で聖眼と呼ばれる黄金の瞳からは一切の感情を窺い知ることはできなかった。これほどの戦場で、ドールはまるで散歩でもしているかのように落ち着き払っている。
宙に浮かんだままドールは杖を軽く横に振るう。すると、眩いばかりの光の粒子が一帯を照らす。無数の光の粒子がバラッシュたちの間を飛び交う。やがて光の粒子は互いに身を寄せ合うように集うと、そこから光の騎士が創造される。
「これがっ……。あの名高き
「相も変わらずなんと威厳に満ちた姿なのだ」
驚嘆の声を上げる騎士たちをよそに、光の戦乙女が次々に顕現する。
光の戦乙女は中位の光の精霊が顕現したモノである。高位の後衛職でも一体召喚すれば、二体目を召喚するのは厳しい。それほどの存在をドールは息をするがのごとく、次々に召喚しているのだ。これだけでドールが、どれほど莫大なMPを保有しているかが窺えるだろう。
「これほどの光の戦乙女が……っ。ドール様がいらっしゃれば活路が開けるぞ!!」
「うむ。各自、散っておる兵を集め隊形を整えるのだ! 隊形を組み直し次第、光の戦乙女とともに反撃じゃっ!」
従者の青年や将官たちがバラッシュの声に威勢よく応えようとしたそのとき――
「
ドールの言葉が合図であったかのように、光の戦乙女たちがジャーダルクの騎士たちの胸部を一斉にランスで刺し貫いた。
「な、なに…………ごふっ……こ……これは…………?」
完全に不意を突かれた攻撃であった。バラッシュを護る将官や重装騎兵たちは、光の戦乙女の攻撃に為す術もなく崩れ落ちていく。
「若いのによく鍛えられている」
ただ一人。バラッシュの従者を務める青年だけは、光の戦乙女とバラッシュの間に割って入り、その身を盾にランスを防いだ。それだけではない。従者の青年はバラッシュを護っただけでなく、その右手に握る剣で光の戦乙女の首を横薙ぎに斬り裂いていたのだ。
だが、その決死の一撃をもってしても、光の戦乙女を倒すことは叶わなかった。
「ぐふっ……。バラッ、シュさ……様、お逃げ…………くだ…………」
無念の表情を浮かべながら従者の青年は息絶える。
「そして老いたとはいえ、さすがは『鉄壁』のバラッシュ。私の光の戦乙女の攻撃を防ぐとは」
従者の青年の胸部を貫いた光の戦乙女のランスを、バラッシュは盾で防いでいたのだ。
「それともそのアイギスの盾のおかげなのだろうか。どちらにしても無駄な抵抗は止めて、潔く死を受け入れるべきだ」
「これはっ、なんの真似じゃ。ドール様、いや『双聖の聖者』ドール! 答えてもらおうかっ!!」
周囲を光の戦乙女たちに囲まれた状況で、怯むことなくバラッシュは吠える。老いた身でありながら、いまだにジャーダルク聖騎士団の副団長を任されるだけはある精神の強さであった。
「答えんかっ!! 返答次第では――そ、その杯はまさかっ!?」
宙に浮かぶドールの左手には杯があった。その杯を見るなり、バラッシュは垂れ下がった瞼を見開き、注視せずにはいられなかった。その杯に無数の
「うん、見てのとおり聖杯だよ。ただしレプリカだがね。それでも五万人ていどの魂なら回収しきれるだろう」
聖杯とは、ジャーダルク宮殿の最深部にある神託の間で保管されている国宝である。
「それにしても当世の魔王は、たかだか五万の兵を殺すこともできないとは。詰めが甘いのか、見込み違いなのか。おかげで私が後始末をするはめになった」
ドールが独り呟く間も、光の戦乙女たちの猛攻にバラッシュは防ぐのがやっとで、徐々に全身を削られていく。
「困ったな。あなたが無駄に足掻くせいで
ドールよりもさらに上空に胡坐を組んで浮かぶ一人の老人の姿があった。白髪を頭頂部で結び、ポニーテールのように縛り上げ、顔中に深く刻み込まれた皺に、口元を覆い隠す髭――大賢者である。
「天知る、地知る、儂が知るっ! 刮目せよ!!」
胡坐を組んだまま縦横無尽に回転しながら、杖を構えてお決まりの口上を述べる。
「騒がしい老人だ」
無表情でジャーダルクの騎士たちを殺したドールの顔に、本人ですら気づかぬほどわずかだが、不快感が表れていた。
「なぜ王都テンカッシを守護しているはずのあなたが、この場にいるのかお聞きしても?」
ドールの疑問に反応するかのように、光の戦乙女たちもバラッシュへの攻撃を停止する。少し離れた場所では、ナマリがジャーダルク聖騎士団を虐殺しているという異様な光景である。
「なにジンバ王国にも、国の行く末を憂う忠臣はいただけのことじゃ。己が身も顧みず、良からぬ奸計を張り巡らせるジャーダルクの企みをウードン王国に知らせた者がな」
「まったく余計なことをしてくれたものだ」
宙に浮かぶ二人の化け物を見上げながら、バラッシュはなにもすることができず、ただ睨みつけるのみであった。
「余計なことをするのはこれからじゃ。聞けばジャーダルクの騎士を皆殺しにするそうじゃな? ひょほほっ。ならばこの儂が直々に手伝って進ぜよう」
大賢者の額の宝玉が――龍玉が大きく見開き妖しく輝いく。
「ジャーダルクの兵も、あそこで暴れている化け物も消し炭となるがよい」
闇夜の上空に突如、無数の太陽が出現する。
「ついでにお主も死ねば万々歳じゃ」
ドールに向かって「ひょほほっ」と笑いかけながら、大賢者は太陽を――大賢者が編み出したと言われる黒魔法『焦土』を落とした。
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