第287話 人族の歴史

 村の広場に続々と子供たちが集まっていた。地べたに座る子供たちであったが、そこに植えられた芝生は触り心地のいい天然の絨毯のようなものである。


「もうはじまった?」

「まだだよ。はやくはやくー」

「おうさま、おはようございます」

「にいちゃ、どこ~」


 子供たちの甲高い声が広場を行き交う。


「もう始めていいか?」


 コロに背を預けて寝転がるユウが、子供たちに確認する。


「もういいよー」

「いいよね?」

「うん」

「オドノ様、みんないいって」


 ナマリからの報告に、ユウが起き上がる。陽気な天気と芝生の上が気持ちいいのか、コロとランは一足早いお昼寝中である。


「よし、じゃあ始める――」

「王様、少々よろしいですかな?」


 ルバノフが現れ、ユウを子供たちの視線から遮る。当然、子供たちからは不満の声が上がった。


「なんだよ」

「先日の会議で報告し忘れたことが、あと是非とも王様に判断していただきたいこともありまして」

「お前たちで決めればいい」

「なにを仰るのですかっ。あなたはこの国の王なのですよ」

「今日は見てのとおり、こいつらと約束をしてるんだ」

「子供との約束と、国の政を同列にされては困りますぞ」


 いかに大事な話であるかを力説するルバノフであったが、ユウは興味を示さない。


「人族みたいだな」

「なっ。またそのようなことを」

「お前らだけで判断できないならラスに報告しろ。今日はガキ共と約束してるんだ」

「そうだぞっ!」

「わたしたちやくそくしたんだからね」

「ぼくたちのほうがさきにやくそくしてたの!」

「おとななのに、そんなのおかしいよ」


 子供たちがルバノフを囲んで非難する。


「こ、これやめぬかっ。あだだっ、儂の髭を引っ張るでない! わかった、わかったから! 儂が悪かった。謝るから許してくれんかっ」


 素直に非を認めたからか、子供たちがルバノフを解放する。


「とんだ目に遭った……」


 もみくちゃにされた髭を整えながら、どっと疲れたルバノフが大きなため息をつく。


「ハハッ。だから言っただろ?」

「王様、笑い事ではありませんぞっ。ぬわっ!? 行く、もう行くからそう睨むでない」


 子供たちから良からぬ気配を感じ取ったのか、ルバノフは慌てて広場から逃げていく。


「おうさま、おはなしして」

「してー」


 いつもは騒がしい子供たちが、静かにユウの言葉を待つ。静まり返った広場を見渡しながら、ユウが口を開く。


 むか~しむかし、聖暦よりもずっとむかし。その頃は獣人やエルフ、ドワーフなど、ほとんどの種族が人族を脆弱な種族として蔑んでいました。それくらい人族は弱く、地を這う虫のように日々を怯えながら暮らしていたのです。

 あるとき、聖国ジャーダルクにどこからともなく一人の少女が訪れます。その少女がいつ、どこから来たのかは誰も知りませんでした。その黒い髪に黒い瞳を持つ特徴的な人族の少女は、聖に人族の世を変えましょうと持ちかけます。誰もがそんなことは無理だと思いました。それほどまでに人族と他種族の力の差は、それこそ絶望的なまでにあったのです。しかし、黒髪の少女は諦めませんでした。日々、死と隣り合わせの生活を送る無辜の民たちを、弱き子供たちを必ず救ってみせますと、皆を説得していきます。人族の誰もが諦めているなか、一人の少女が足掻いてもしれていると鼻で笑っていた者たちも、徐々に少女に協力していく者が増えていくに連れて、考えが変わっていきます。


 やがて黒髪の少女は、人々からその特徴的な髪の色と功績から『黒の聖女』と呼ばれ始めます。聖国ジャーダルクだけでなく、他国までもが少女に協力していきます。日々を魔物に、他種族に怯えて暮らす人々が、戦うことを決意したのです。


 初めは獣人族でした。人族をはるかに上回る身体能力に、優れた嗅覚や人にはない爪や牙、魔獣とは違い知性を持ち、群れで襲ってくることも珍しくない恐ろしい種族です。その獣人族を相手に黒の聖女は粘り強く交渉し、ついに獣たちの王と不戦条約を結びます。


「ふせんじょうやくってなーに?」

「人族と獣人族でケンカは止めましょうねって約束だ」


 次にエルフ、ダークエルフ、ドワーフと、次々と争うことでしか関わりを持つことがなかった他種族が、交流を持つようになったのです。

 気づけば黒の聖女は人類の希望とも言える存在になっていました。

 一人の力が弱くとも、皆が力を合わせれば世を変えることができることを、黒の聖女は証明したのです。


 そのために流れた血は決して少なくはありません。それでも以前に比べれば、死ぬ者の数は減っていました。なにより黒の聖女という希望が、人族に生きる力を与えていました。

 ただ、龍族や天魔、それに古の巨人族などの神に近いと呼ばれる圧倒的な力を持つ種族は、黒の聖女の考えに賛同することはありませんでした。ですが、それでも人々は落胆することはありませんでした。なぜなら希望という名の酒に酔いしれることができたのですから。

 皆が熱に浮かれていました。今がのちの世に長く語られることになる黄金期だと。自分たちは伝説の中に生きているのだと。黒の聖女に騙されているとも知らずに――


「ねえちゃ、こわいよ……」

「だいじょうぶだから」


 これまでの黒の聖女の行いは、人族や他種族からの信頼を得るためだったのです。

 ある時期から黒の聖女はその本性を現します。魔物や他種族を相手に多くの血が流れ、英雄や高名な騎士たちが次々に亡くなります。すべて黒の聖女の計画どおりでした。膨大な量の生贄が必要だったのです。そして――ついに黒の聖女は、とんでもないモノを召喚したのです。その名を呼ぶことすら憚れることから、それは存在する者モノと呼ばれました。


 最初にモノの存在に気づいたのは八大龍王が一柱、鬭龍とうりゅうでした。八大龍王の中で、もっとも血気盛んな龍でしたが、モノを前に為す術なく命を落としました。

 そしてモノの存在に気づいた各種族の力ある者たちが、次々に挑みますが結果は見えていました。八大龍王の一柱ですら歯牙にもかけない存在を前に、勝てるわけがなかったのです。


「みんなしんじゃうの?」

「しーっ」


 このままでは世界が滅ぶと、誰もが気づいていました。自分たちだけでなく。他種族の、それこそすべての種族の力を結集して、モノに挑まなくては勝てないと、ですが皆が力を合わせようとはしませんでした。これも黒の聖女の思惑どおりでした。他種族を信じられないという、皆の心の奥深くに楔を打ち込んでいたのです。

 もうあとは世界が滅びるさまを眺めるだけだと、黒の聖女が嗤います。しかし、諦めない者たちがいました。


 それは――人族です。


 力を合わせようと他種族に呼びかける人族でしたが、黒の聖女に騙された他種族は、人族の言うことなど信用できないと、誰も耳を貸しませんでした。それでも人族だけは諦めません。

 モノが現れてからどれほどの月日が経ったでしょうか。どれほどの種族や命が散っていったでしょうか。

 死せる運命を受け入れ、誰もが諦め、世界は絶望で塗りつぶされます。しかし、それでもなお諦めなかった人族の中から、五人の勇者が立ち上がったのです。モノに挑み、幾度に渡って地を舐めようとも、勇者は立ち上がります。その折れぬ姿に、挫けぬ心に、すべての種族が心を奮わします。絶望の中に新たな希望が生まれたのです。

 五人の勇者を先頭に、すべての種族の力が合わさり、ついにモノを滅ぼすことに成功します。そのとき五つの光が、まるで神が祝福するかのように五人の勇者を貫きました。

 モノを滅ぼしたことを皆が忘れないようにと、元年――聖暦が始まります。五人の勇者は『始まりの勇者』と呼ばれ、今でもその子孫が無辜の民のために、正義の剣を振るっているのです。


「これが人族に伝わっている昔話だ」


 何度もユウから話を聞いている子供たちも、初めて話を聞く子供たちも「ほうっ」と熱のこもった吐息を漏らす。


「王さま、ほんとのおはなしもして」


 インピカがそう言うと。


「してして!」

「ほんとのおはなしってなーに?」

「ききたい」

「おうさま、おねがい」


 他の子供たちもインピカに続く。


「わかったから、よじ登ってくるな」


 身体をよじ登ってねだる子供たちを、ユウは降ろす。


「さっきの話は人族の作った嘘の昔話で、今から話すのは俺が調べた本当の話だ」


 いつの間にか子供たちに混じって、大人たちもユウの話に耳を傾けていた。


「むかーしむかし、聖国ジャーダルクは――」


 そういって、ユウは話を続けるのであった。

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