第285話 アプリの実

「う~んっ」


 陽の光を全身に浴びながら、インピカが気持ちよさそうに背伸びする。


「おはようっ!」

「おう、おはよ。もう森に行くんじゃねえぞ」

「おっはよ~!」

「おはよう。いつも元気ね」


 インピカは、会う村人に次々と元気いっぱいに挨拶していく。今日は学校も休みなので、いつもならレテルやムルルたちと遊ぶところなのだが――


「わお~んっ」


 インピカは空気を限界まで胸いっぱいに吸い込むと、山城のある山々に向かって遠吠えをする。


「わお~ん、わお~んっ」


 続けて二度、三度と繰り返す。山や谷に声が反響して、可愛らしい遠吠えが響く。すると――


「わおーん、わおーんっ!」


 ブラックウルフの遠吠えが返ってくる。その聞き慣れた遠吠えに、インピカは笑みを浮かべる。


「わお~んっ! インピカはここだよ~」


 しばらくすると、一匹のブラックウルフがインピカのもとへ現れる。

「わふっ」


 インピカとブラックウルフが、互いの匂いを嗅ぎながら顔をスリスリする。


「ねえ、王さまのはたけまであんないして」

「うぉん……」


 なんとも情けない返事であった。まるで「そんなことしたら怒られるよ……」とでも言わんばかりである。


「おねがい」


 インピカが自分の頬をブラックウルフの顔へスリスリすると、情けない声を出して逡巡しゅんじゅんしていたブラックウルフは、山城のある山へ向かって歩きだす。その背をインピカが嬉しそうに追うのであった。


「オドノ様~」


 もいだばかりのとうもろこしを籠に詰め込んで、ナマリが走り寄ってくる。

 山城の中腹の港側にはユウ個人の畑があるのだが、ここでは商人たちから購入した植物の種や、迷宮で手に入れた様々な作物や果樹を育てているのだ。


「これすっごいおいしそうでしょ!」

「俺が育てたとうもろこしだけどな」


 ナマリの両側にいるコロとランは、ナマリの籠にあるとうもろこしに目が釘付けである。


「このネクターコーンは、生でも桃みたいに甘くて食べれるそうだぞ」

 自分の名前を呼ばれたと勘違いしたモモが、ユウの頭の上から覗き込む。


「オドノ様、たべていい?」

「そうだな、食べてみるか」


 ユウはナマリの持つ籠からネクターコーンを手に取り、皮や髭を取ってナマリへ渡す。


「あまいっ! これすっごくあまいんだぞ!!」


 ネクターコーンにかじりついたナマリが、その甘さに驚く。いつの間にかユウの頭からナマリの頭へ飛び移ったモモが、自分にも食べさせてと、ナマリの頭をペシペシ叩く。


「ほら、コロとランも食べてみろよ。あっ、実だけだぞ」


 ずっとその言葉を待っていたコロは、ユウの差し出すネクターコーンにかじりつく。そのまま芯まで食べそうな勢いだ。逆にランはユウがネクターコーンの粒を取るまで待っている。「私はコロのように齧りつくなど、はしたない真似はしないのよ」とでも言うような、なんともすました顔である。ピクシーなどは、こことは反対の場所に住居があるにもかかわらず、勝手気ままに来てはその小さなお腹がぽっこりするまで食べていくのだ。


「王さま~」


 森の奥から聞き覚えのある声がする。


「インピカだっ」


 全身の毛に草や枝を絡ませたインピカが飛び出してくる。


「インピカだよ~」


 そのままインピカはユウの足に抱きつく。


「どうやってここまで来た?」


 ラスが森にかけている迷いの魔法によって、普通なら村の者ではここまでたどり着くことはできないのだ。


「ベロベーにあんないしてもらったんだよ」

「ベロベー?」


 申し訳なさそうにこちらを見ているブラックウルフは、舌がだらしなく垂れ下がっている。


「ふっ……」

「なんでわらったの?」

「お前、名前のセンスないな」


 ユウが『異界の魔眼』でブラックウルフを見ると、名前は確かに『ベロベー』と表示されていた。


「そんなことないもーん。ねー、ベロベー」


 インピカがベロベーの首元に抱きついてスリスリする。とうもろこしを食べていたコロが「どうしたの?」とユウの足の間から顔を出すと、ベロベーはすぐさま腹を見せて服従の姿勢をとる。普段は甘えん坊のコロだが、こう見えてもネームレスでは狼のボスとして君臨しているのだ。


「で、なにしにきたんだ?」

「あのねー。おてつだいするからインピカにくだものをちょうだい」


 そう言ってインピカは可愛らしく頭を下げる。なにもユウの畑に来なくとも、果物が目的であれば村の南側に拡がる果樹園の手伝いをすればいいのだ。だが、インピカは知っていた。この畑にある作物や果物が、ネームレス王国で一番美味いことを。


「お前なあ……」


 きっと母親や村人たちには、なにも言わずにここまで来ているのだろう。それでも真剣な目で頼むインピカに――


「ちゃんと手伝えよ」


 渋々であるが、ユウは了承するのであった。


「うん! インピカ、がんばるからね!」

「俺も負けないんだぞ!」


 インピカとナマリが、ヒスイやニーナたちがいるとうもろこし畑に走っていく。続いてモモやコロにランが追いかけていくのであった。


「欲しいのはアプリの実でいいのか?」

「うん。これがいっちばんあまくて、おいしいとおもう」

「落とさないように気をつけるんですよ」

「だいじょうぶっ」


 宣言どおり汗を流しながら一生懸命に頑張ったインピカは、褒美に布製のカバンから溢れそうなほど詰め込まれたアプリの実をマリファから受け取ると、満面の笑顔になる。そして、その一つを手に取ると。


「ベロベー、これはおれいだよ」


 自分を案内してくれたベロベーに、アプリの実をお礼に渡すのであった。


「王さま、ありがとうね!」

「わかったから、もう帰れよ」

「ナマリちゃんもありがとうね。ニーナねえちゃんもマリねえちゃんも、コロにランに――」

「もういいから早く帰れよ」


 ずっとユウたちに向かって手を振りながら、インピカとベロベーは村がある方向へ消えていく。




 ネームレス王国の北にある山は、今は雪竜ウラガーノが居す――支配する山があるのだが。


「ウォンッ! ウォンッ!!」

「これ、静かにせぬか」


 吠えるスノーウルフたちに、静まるようウラガーノが命令する。


「なにをそんなに吠えることがあるというのだ。貴様らの声で雪崩でも起きてみよ。我は大丈夫でも、貴様らは死ぬかもしれぬのだぞ? そうなれば、あの小癪な人族の小僧に、我がなんと言われるか……」


 ウラガーノが諭しても、スノーウルフたちは吠え続ける。


「これ、やめよと申しておるだ――むっ?」


 雪に覆われた真っ白な雪原から、ポンっと二つの影が飛び出した。




「お、王さまっ!」

「どうした?」


 村の様子を見に来たユウに、獣人の男が慌てて駆け寄ってくる。


「インピカがいないんですが、もしかして王様のところに?」

「俺の畑に来てたけど、だいぶ前に帰ったはずだぞ」

「それがっ……いないんですよ。村のどこを探しても! ま、まさかまた西の森にっ!?」

「それはないだろう。インピカの母親には?」

「言えるわけないですよ。知れば半狂乱になって、なにをするかわかりませんからね」

「見かけた奴はいないのか?」

「仲の良いブラックウルフと一緒にいるところは、見た者がいます」

「匂いで追えないのか?」

「それが匂いを消すスキルを使ってるみたいで」

「しょうがない奴だな……」


 そう言うと、ユウは時空魔法で門を創り出す。


「コロ、ちょっと来てくれ」


 門の向こうで名前を呼ばれたコロは、嬉しそうに尻尾をフリフリさせながらユウのもとへ駆け寄ってくる。当然のように、マリファとランが来ようとするのだが――


「いや、コロだけでいいから」


 ショックを受けた様子のマリファとランを放って、ユウは門を閉じる。


「コロ、インピカの匂いを追えるか?」


 すぐさまコロは鼻をひくつかせて匂いを嗅ぐのだが。


「不自然に匂いが薄いところや消えているところを教えてくれ」

「ヴォンッ!」


 その言葉にコロは「こっち」とユウを案内する。


「北か……」




「なにをしに参った?」


 雪竜ウラガーノが、自分の住処へ急に現れたユウに問いかける。


「わかってるんだろ」

「…………なんのことか我にはわからんな」


 その姿は竜と呼ばれるだけあって、威風堂々とした――ものではなかった。不自然に目が泳いでおり、スノーウルフたちは先ほどからウラガーノとユウの間を行ったり来たりしている。まるでどちらにつけばいいのか、悩んでいるようだ。


「白々しい奴だな」

「ヴォンッ!!」


 コロが大きな声で吠えると、スノーウルフたちは素早くユウの傍へ移動する。その変わり身の速さに、ウラガーノは「裏切り者めがっ」と呟く。


「インピカ、いるのはわかっているんだぞ!」


 その言葉にウラガーノの前足の間から、ポンッとインピカとベロベーが顔を出す。


「おかーさん、おこってた?」

「怒られるとわかっているなら、こんな真似するな」

「ごめんなさい……」


 耳をペタンと倒して、インピカがウラガーノの前足から身体を抜け出す。そのとき、カバンが引っかかってアプリの実が溢れる。


「あっ。これ、たべてっ。すーっごいおいしいから! みんなのびょうきをなおしてくれたおれいだよ!」


 インピカは自分や友達の獣人熱を治してくれたお礼に、ウラガーノへアプリの実を持ってきたのだ。そのために朝早くからユウの畑に向かい、土まみれになって畑を手伝い。そのままアプリの実を持って北の山までの長い道のりを進んできたのだ。


「一匹くらい、いいではないか」


 ウラガーノが情けない顔と声で、インピカを見つめながら呟く。


「よくねえよ」

「かみさま、またもってくるからね!」


 コロに首元を咥えられているインピカが、ウラガーノへ手を振る。


「またいつでも来るがよい、この我が許す」

「お前な……」

「矮小な童子が少々のやんちゃをしただけではないか。そう目くじらを立てるものではない」

「少々で数百キロ以上も離れた場所まで行かれると、こっちが困るんだよ」

「またねー」

「うむ。待っておるぞ」


 無邪気に手を振るインピカの姿に、ユウはため息をつくのであった。

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