第242話 ゴロをまく
第十七地区ポンテ。
ウードン王国の王都テンカッシは、二十四の地区にわかれているのだが、その十七番目の地区ポンテはウードン王国内でも屈指のスラム街である。
このスラム街に住む者たちの多くは犯罪組織や訳ありの人族に、亜人と蔑称される他種族が占めている。
なかでも王都を牛耳る犯罪組織のトップであるローレンスが幅を利かせていた。
そのスラム街の寂れた道を、二人組の男が周囲を威嚇するように凄みながら歩いていた。
「幹部連中が言ってたんだがよ。なんでも近々でけえ仕事があるらしいぜ」
「ああ、らしいな。今回はカマーって都市を、それもまるごと手に入れるどころの話じゃ――どけっ! ボケが!!」
道端に座り込んでいた浮浪者をローレンスの男が蹴り飛ばす。もともと抵抗する気のない浮浪者は、鼻から血を噴き出しながら地面に転がる。しかし、男たちの浮浪者への暴行はなおも続く。周囲で見ている者たちはいたのだが、スラム街では日常的な光景で止める者は誰もいなかった。
やがて浮浪者が動かなくなったところで、男たちの暴力はやっと止まる。
「たくよ。俺らローレンスの者を見たら黙って道を空けるか、隠れとけってんだ」
「まったくだ。
だがよ。カマーっていやあ、第六支部のストゥールさんが乗り込んだっきり連絡がつかねえらしいじゃねえか」
「あの人は昔から女癖がひどかったからな。どうせ気に入った女でも見つけて、拐って宿にでも引きこもってんじゃねえのか?」
「あーあ。俺も早くこんなくっせえスラム街の担当じゃなくよ。中心街か、よその都市を任せてくれねえかな」
「
男たちは談笑しながらスラム街で商売する者たちから、ショバ代や用心棒代などという名目のみかじめ料を回収していた。
実際にはローレンスへみかじめ料を支払ってもなんの役にも立たない。いや、払わなければ理不尽な嫌がらせや暴力を受けることを考えれば、意味はあるのかもしれない。
不当なみかじめ料に誰もが納得はしていなかったのだが、ローレンスを相手に逆らう者など皆無であった。数年前に都市カマーから来た商人が財務大臣やローレンスを相手に立ち向かったことがあった。しかし、それも一年ともたずに逃げ帰った。さらにもっと前には、従業員や家族を皆殺しにされ、唯一生き残っていた一人娘は顔を酸で無残にも溶かされ晒し者にされたのだ。その娘も今は生きているのか死んでいるのかすら、王都に住む者たちは知らない。
「よっしゃ。次のところで最後だな」
次の露店へ向かおうとしたそのとき、少年が男たちにぶつかる。
「こらっ! クソガキが、どこ見て歩いてやがる!!」
「なんだぁ。てめえのその格好、スラム街の住人じゃねえな」
ローレンスの末端にまで情報が行き届いていなかったのか。自分たちにぶつかってきた少年が――ユウであることに男たちは気づいていなかった。
「そりゃこっちのセリフだろ。でかい図体して邪魔なんだよ」
「――は? ……はぁっ!? お前、いまなんてっ。おおうっ!! もういっぺん言ってみろや!!」
「こんのクソガキがっ! どこの誰に向かって生意気な口を利いてるか、わかってんだろうなっ!!」
まさか言い返されるとは思っていなかった男たちは一瞬固まったあと、烈火のごとく怒鳴り始める。
スラム街の住人は危険な臭いに敏感である。男たちにみかじめ料を渡していた露店商の男の姿はすでに消えており、スラム街の住人たちも建物の陰から様子を窺う者や自分たちに被害が及ばないよう遠巻きに見物する者などにわかれていた。
「あのガキ、殺されるぞ」
壁に空いた穴から様子を窺っていた浮浪者の一人が、憐れみの目をユウに向けながら呟く。ローレンスの構成員がたとえ相手が子供だろうと、躊躇なく殺すことを知っているのだ。
「それが大丈夫なんだな」
「なに言ってんだ。
ローレンスの連中が遊び半分にガキを殺してるのを、お前だって何回も――ってなんだよそれっ」
声をかけてきた顔見知りの浮浪者の指には、スラム街の住人が持つには不釣り合いな銀や金の指輪がはめられていた。
「へっへー。これか? まあ、あとで教えてやるから。それよりあっち見ろよ。きっと面白いことが起きるぜ」
問い質したいところであったが、確かに今はそれどころではない。再び壁穴から覗き込むと、男の一人がユウの額に自分の額がひっつくほど顔を寄せて睨みつけていた。
「クソガキがっ。一丁前に冒険者の真似事か? なんとか言ってみろや!」
「臭えから目の前で喋んなよ」
「ああ゛っ!!」
ユウに殴りかかろうとする男の肩を、相棒の男が掴んで引き離す。
「まあ、待てよ。
そんな凄んだら、このガキがビビって漏らしちまうぞ。この前も態度が気に食わないって、獣人のガキを殺したばっかりだろうが。今回は俺に譲れよな」
気持ちの悪い笑みを浮かべながら、品定めするように男はユウの全身を見つめる。
「おい、聞いてんのか。俺に譲れって――どうした?」
ユウに凄んでいた男から反応がないことに、訝しんだ男が横から顔を覗き込むと――
「うおおおおおおっ!? か、顔が……顔がねえっ!!」
そこには、まるで巨大なスプーンで顔を掬ったかのように、楕円形に抉られた男の顔があった。
男の絶叫が合図かのように抉れた箇所から血が噴き出し、膝から崩れ落ちる。そのあまりの凄惨な光景に、男のズボンに染みがあっという間に拡がっていく。恐怖と驚きで失禁したのだ。
「お、おおおっ……お前がっ。お前ががっ、殺ったのか!? そ、うなんだなっ? わか、わかってんのか!! こんな真似して、お、俺らが……俺らがローレンスだってわかってて!!」
「知ってる」
それが男が最期に耳した言葉であった。
最初の男と同様に、ユウの裏拳を喰らった男の頭部が綺麗に首の上から消失していた。
「な……んだ。あのガキ、ローレンスの構成員を殺っちまいやがった。相手が誰かわかってんのか?」
壁穴から一部始終を見ていた浮浪者の男は、興奮と恐怖から全身が小刻みに震えていた。
「わかってると思うぜ。
ちょっとこっちに来いよ。お前って目はよかったよな? こっからでもお前なら見えるだろ」
こうなることを予め知っていたかのような顔見知りの浮浪者のあとをついていくと、ユウがいた場所とは違う通りが見えてくる。
「ほら、よ~く見てみろよ」
目を凝らすと、そこには全裸で横たわる人の姿があった。珍しいことではない。スラム街で亡くなった者は、金目になりそうな物を住人に剥ぎ取られる。その結果、残るのは丸裸の遺体のみというわけである。そう、スラム街では日常的な出来事なのだ。
だが、その遺体の数があまりにも多すぎた。
「……五、七……十二……十五…………まさか、あれ全部がっ」
「へへっ。そう、あそこに転がってるのはぜ~んぶローレンスの連中さ」
「ほ、本当にあのガキが、あれだけの人数を一人で殺ったのか?」
「俺も最初に見たときはたまげたね。
スラム街に似つかわしくない格好で、それもガキがたった一人で歩いてるんだからよ。そりゃなんか
そしたら、ひ……うひひっ。早速ローレンスの連中と揉めやがってさ。こりゃ、ガキの身につけてるもん手に入れるチャンスだって物陰に隠れて……待とうとしたんだよ。
ほんの瞬きするくらいの時間だぜ? そのわずかな時間でローレンスの連中の頭が吹っ飛んでやんの!」
男は徐々に興奮が抑えきれぬようで、言葉に熱が帯びていく。
「あのガキは俺や他の連中のことにも気づいててよ。こりゃもうダメだって思ってたらさ。ローレンスの連中の死体は好きにしていいからって、その代わりこのことをスラム中に言いふらせって偉そうに言いやがった。まあ、逆らう理由なんてないからよ。ありがたくローレンスの連中の身ぐるみは剥がさせてもらったってわけよ」
そう言いながら、男は両手の指にはめられた指輪を見せびらかすように掲げる。
一頻り自慢をして気が済んだのか、話を続けようとしたそのとき――
「おら~っ! ローレンスにケンカ売ってるボケはどこだっ!」
「どけどけっ!!」
「ゴミどもが邪魔だ!」
遠くから怒鳴り声を上げながらローレンスの男たちが向かってくるのが見えた。
「み、見ろ。ありゃローレンスだ。あのガキ殺されるぞ!」
「へへっ。いいじゃねえかよ。あのガキが自分で言ったんだぜ」
「本気で言ってんのか? まだ子供だぞ! 俺らはスラムでしか生きられねえような屑さ。だけどな、ローレンスの連中ほど腐っちゃいないだろうが」
「なにムキになってんだよ。
お前だってローレンスは嫌いだろ? 遊び半分でションベンぶっかけられたり。一昨日なんか犬の真似して残飯を食わさせられてたじゃねえか。それに俺の
それをあのガキが、ぶっ殺してくれるっつってんだ」
「お前っ!! いくら強いって言ってもガキだぞ!! ローレンスには元冒険者や傭兵の用心棒がうじゃうじゃいるのは知ってんだろうがっ!!」
胸ぐらを掴まれた男はバツが悪そうに頬を掻く。
「放せよ。
そんなこと俺だってわかってんだ。だから言ったんだぜ? ローレンスにはゴロツキだけじゃなく、殺しを本職にするような冒険者たちがいるってよ。
そしたら……あのガキ、なんて言ったと思う? へ、へへ。『手間が省けるな』だぞ? 思わず笑っちまったよ。俺はちゃんと言ったんだぞ! 猛獣や魔物を相手にするようなバケモンみたいな連中が何十人も雇われてるって!
なのに、わかったからさっさと話を拡めてこいって、他の連中もぽか~んって口を開いたまんまだったぜ」
「そ……そんな馬鹿な。あの……あのローレンスを相手にケンカを売る奴がいたなんて、それもあんなガキが……」
立ち竦む浮浪者の男をよそに、ローレンスの男たちの怒号がさらに大きくなる。ユウと接触したのだろう。しかしその怒号が悲鳴に変わっていく。そして、その悲鳴もすぐに静まり返る。
「なんだ……。静かになったぞ」
「いくらなんでも早すぎる」
恐る恐る物陰から覗き込むと、そこには数十人のローレンスの男たちの屍が横たわっており、中心には一滴の返り血すら浴びずに佇むユウの姿があった。
「終わったから剥ぎ取っていいぞ」
何事もなかったかのように、ユウはスラム街の住人たちへ声をかける。しかし、普段なら喜んで群がるはずのスラム街の住人たちが動けずにいた。恐怖からくる震えが全身を襲い、指一本すら動かすことができないのだ。
「早くしろよ。
剥ぎ取りが終わったら、次の塵どもを連れてこい」
苛立つようなユウの言葉に、やっとスラム街の住人たちは止まっていた時が動き出したかのように死体へ群がった。
「お~い。大変だっ!」
スラム街ポンテの一角で、見るからにガラの悪そうな男たちが暇つぶしの
「まーた始まったよ」
「この間はなんだっけ?」
「あれだ。山のような巨人を見ただ」
いつものことなのか。男たちは取り合わず互いに見合って苦笑する。
「おいおいおいっ! 今回はマジなんだって!!」
「お前なぁ……。毎回すぐバレるウソをつくんじゃねえよ」
「だからっ! 今回はマジだってーの!!
迫真の表情で語る男の目は真剣そのものである。
だが――
「「「だっはっはー!!」」」
その場は笑いの渦に包まれた。
「ウードン王国で、それも王都テンカッシで俺らにケンカ売る奴なんているわけねえだろうがっ」
「ホラを吹くなら、もうちょっとマシなホラにしろっての」
「そう言ってやるなって。
でもよ。数年前にCだかBランクだかの冒険者がケンカ売ってきたじゃねえか」
「そりゃ俺たちがローレンスだって知らなかったからだろうが、最初こそ威勢よく十人くらい斬り殺してたが、ローレンスって名前と本隊の用心棒を連れてきたら土下座して謝ってたじゃねえか」
「ありゃ可哀想だったな。
本人がバラされるだけならまだしも、嫁やガキは犯されて最後は娼館送りだもんな」
「なに言ってやがる。
その冒険者の目の前で、泣き叫ぶ嫁とガキに縄かけて笑いながら娼館に連れてったのはおめえじゃねえか」
「そうだったか?」
自分たちローレンスにケンカを売った者が、どのような末路を辿ったのかを思い思いに話す男たちへ、報せをもたらせに来た男が苛立ちながら会話に割って入る。
「だからーっ! ホラじゃなくて本当だって言ってんだろうがっ!! それで招集が、かかってんだ」
男の剣幕に疑っていた男たちも、さすがにここまでムキになるのなら嘘ではないのだろうと信じるのだが。
「――ってのが一時間くらい前の話だ。まっ、
男が大袈裟に肩を竦めて笑う。
「なんだよそれ!」
「くっそ。マジの話だったのかよ」
「そんな面白いことが起きてたなんて、こっちで遊んでる場合じゃなかったぜ。なあ、
そう言って男の一人がいやらしい笑みを向けた先は、異様な光景であった。
太い二本の木柱が地面に突き立てられ、その木柱同士を木の梁が繋いでいる。シンプルな構造であるが、その役割を知れば皆が顔をしかめられずにはいられない物、絞首台である。
それはスラム街の一角にあるにはあまりにも似つかわしくない代物であった。
「う、うる……さいっ。それより……や、やくそくをまもれよっ!」
獣人の少年が苦しそうな表情で、ローレンスの男たちを睨みながら吠える。
苦痛に顔を歪める獣人の少年の肩には、まだ幼い妹の足が乗っていた。その幼女の首には縄がくくりつけられており、手は後ろ手に縛られていて身動きがとれない。獣人の少年が支えねば、たちまち幼女の細首に縄が喰い込み、文字どおり縛り首になるであろう。
「おーおー、ちゃ~んと約束は守るぜ。男と男の約束だ!」
「ひっひ。この砂時計が落ちるまで耐えたら、お前のかわいいかわいい~妹ちゃんは助けてやるってよ」
もともとはローレンスに逆らう者たちを処刑し、見せしめにするために設置されていた紋首台であったが、今ではローレンスに逆らう者など皆無なために、こうして暇つぶしの道具として使われていた。
この獣人の兄妹は、ローレンスに対してなにか悪さをしでかしたわけでもなく。ただ、目についただけで難癖をつけてこのような理不尽な目に遭っているのだ
「ひっく。にぃちゃぁ……ごわいよ~」
「だいじょうぶだ! もうすこしのしんぼうだからな」
少しでも兄の肩から足を滑らせれば死ぬ恐怖から、涙と鼻水で幼女の顔はぐしゃぐしゃ、疲労から足は震えて今にも崩れ落ちそうな状態であった。
「ほらほら~、お兄ちゃんがんばって~」
「クハハ。そうだぞ。妹の命はお前の肩にかかってるんだ」
「なんだよあれ。兄貴の方も足が震えてんじゃねえか。だらしのねえ奴だぜ」
馬鹿にするローレンスの男たちの声など、獣人の少年の耳に届かない。そんな声に耳を傾ける余裕などとうになく。すでに体力の限界近くまですり減らしながらも、幼い妹のために気力を振り絞って耐えているのだ。
テーブルの上に置かれている砂時計は九割以上の砂が落ちており、あと少しだけ耐えれば自分も妹も解放される。
徐々に落ちていく砂粒を早く落ちきれと心の中で叫びながら、獣人の少年は祈るように砂時計を凝視していたのだが。
「おっと~」
わざとらしく男の一人がよろけて砂時計を倒した。
「あ~あ~。おめえ、勝負の最中だぞ」
「こりゃ最初からやり直しだな」
「最初からか? でもそうなるか」
「残念だな~。まっ、頑張れ!」
ヘラヘラと獣人の少年をあざ笑いながら、砂時計を倒した男が再度セットし直す。
「ふ……ふざげるなっ!」
「そう怒るなよ。俺だって悪いと、ぷ、ぷぷ。思ってんだぜ」
「笑ってんじゃん、クハハッ」
「ぷぷっ。そういうお前もな!」
獣人の少年は心身ともに疲弊している。それは肩の上に立っている妹も同じで、いつ倒れてもおかしくない。今から砂時計を戻してやり直すなど、到底ではないが耐えきれるものではなかった。
「面白そうなことをしてるな。俺も混ぜろよ」
絶望の表情を浮かべていた獣人の少年の前に、いつの間にか人族の少年――ユウが立っていた。
「なんだぁてめえは」
「どっから現れた。鬱陶しいから殺されたくなきゃ、さっさと――うおっ!?」
楽しみを邪魔されたローレンスの男たちがユウを追い払おうとしたそのとき、テーブルの上にユウが小さな布袋を落とす。すると、小さな布袋とは思えぬ音とともに、金貨がテーブルの上に散らばった。
「き、金貨だと」
「どっかの貴族のガキか? それとも商人の」
「いいじゃねえか。どこの誰だろうが。
この小僧は賭けに混ざりたいって言ってんだ。それもこんな大金を出してまでよ。
おい、小僧。混ぜてやるんだから、俺らから賭けさせてもらうぜ」
「いいよ」
男たちは互いに見合って笑みを浮かべる。
「ルールは簡単だ。
この砂時計が落ちるまで亜人のガキたちが耐えれるかどうかってだけだ。
見てのとおりその亜人のガキは今にもくたばりそうだ。当然、俺らは耐えられない方に賭けさせてもらうぜ。おっと、今さらやめるとか言うなよ? くひひっ。そんときゃあ賭け金は置いてってもらうかんな」
「ワハハッ。わざわざ俺らに大金くれるってんだから、ありがたくってしょうがねえぜ」
男たちが嘲笑するなか、そんなこと気にもとめずにユウは獣人の兄妹に近づいていく。
「できるよな?」
「ク……ズどもがっ。でき……る……できる! やってやる!!」
ユウの問いかけにすでに限界を迎えつつあった獣人の少年は、虚勢を張って声を荒げる。まるで自らを奮い立たせるように。
しかし、妹の方はそうはいかなかった。
「う゛え~ん。に、にいちゃ……もう、あだぢ……あだぢむりだよう~」
「がんばれ! にいちゃんもがんばるから!!」
泣きじゃくる妹を励ます獣人の少年であったが、妹の方もすでに限界が近かった。
少しでも妹が楽できるように、自分が辛いにもかかわらず獣人の少年は肩を動かさないよう努め、妹の足首をしっかりと手で掴んで支えていた。その両手に、そっとユウが手を添える。
「大丈夫。できるさ、お前なら」
勝手なことを言いやがってと、叫びたかった獣人の少年であったが、不思議なことにあれほど苦しかった身体が嘘のように楽になっていた。いや、それどころか力が漲っていく。それは自分だけでなく、肩で支えている妹も感じていたようで、泣き止み自分の身体の変化を不思議そうにしていた。
「いつ倒れてもおかしくないってのに、わざわざ話しかけるなんて残酷なことするじゃねえか。本当はその亜人が死ぬところが見たかっただけなんだろ? ええ? そうなんだろ? クハハッ!!」
「よっしゃ。開始だ!」
男の一人が砂時計をセットする。
自分たちの勝ちを確信している男たちは、笑いを堪えきれぬのか。見る者を不快にさせる笑みを浮かべていたのだが、その笑みが徐々に凍りついていく。
「う……嘘だろ。どうなってんだ?」
「なんでまだ倒れないんだよ! おかしいだろうがっ!!」
「クソがっ! さっさと倒れてくたばっちまえよ!」
獣人の兄妹はいつまで経っても姿勢を崩すことなく平然としていたのだ。ローレンスの男たちの罵声を浴びながら、砂時計の砂は残りわずかとなっていた。
「まずいぞ。このままだと……」
「成功しちまうな」
男たちが目配せで頷くと、男の一人が砂時計が置かれているテーブルに近づいていく。
そして――
「おおっと――ぎゃあ゛あ゛ああっ」
砂時計を先ほどと同じように倒そうとした男の膝へ、ユウの蹴りが叩き込まれた。
「いでえええよ~っ! あ、足が、俺の足が~!!」
「な、なにしやがる!!」
「こんのクソガキがっ!!」
男たちは凄むのだが、誰もユウに襲いかかる気配はない。
ユウがどのように動いて、仲間の男の膝を砕いたのかまったく見えておらず、恐れから腰が引けていたのだ。
「そりゃ俺のセリフだろ。勝負の最中に砂時計へ近づくなよ」
ユウが見守るなか、ローレンスの男たちは獣人の兄妹へ手出しすることもできぬまま、時間だけが過ぎていく。
そして、とうとう砂時計の砂がすべて落ちきった。
「俺の勝ちだな。さっさと、あのガキを降ろせ」
逆らう者は誰もいなかった。
怯える獣人の幼女は、絞首台から降ろされると兄の背に隠れた。
「さあ、金を出せ」
「そんな金ねえよ……」
ユウが賭けた金額は、スラム街を担当するローレンスの者たちではとてもではないが、支払える額ではなかった。
「持ってる有り金と金目の物を全部だせ」
「ふっ、ふざけんな! 俺らがだ――ぎゃんっ」
不満を述べた男の鼻から血が噴き出す。殴られたのか、蹴られたのかすらわからず、男が鼻を押さえながら蹲る。
ローレンスの男たちが渋々と有り金と指輪や腕輪などの装飾をテーブルの上に置いていく。
すると、ユウは銀貨や銅貨を鷲掴みにして獣人の少年に手渡す。
「え? な、なんで」
「お前らの取り分だ」
ユウから渡された金を信じられない物でも見るように、何度も獣人の少年はユウの顔と金を交互に確認する。親もおらずスラム街でその日を生きるのにも苦労する獣人の少年にはあまりにも大金であった。
「しゅごーい! にいちゃ、これだけあればごはんたべれる?」
「あ、ああ。たべれる。腹いっぱいごはんをたべれるぞ!」
「やった!」
さっきまで死にかけてたのも忘れて、獣人の幼女が大喜びで兄に抱きつく。その姿を見ながら、ユウはネームレス王国にいるヘンデとレテルの獣人の兄妹の姿を重ねる。思わず口角が上がりそうになるのを手で隠して、険しい表情を作ると。
「取り分をやったんだ。さっさと失せろ」
「で、でもあんた。なあ、あんたさっき俺と妹に」
「いいから早く行けよ」
ユウに手で追い払われても、獣人の兄妹は何度も礼を言いながら去っていった。
「あんなのおかしいぜ」
「魔法かなにかで汚え真似をしたに決まってる」
「あの亜人のガキはヘロヘロだったのに、おかしいだろ」
「クッソ。俺の指輪や首飾りは買ったばかりなんだぞっ」
「俺だって腕輪を新調したばっかだってのに」
口々に不満を述べるローレンスの男たちに向かってユウは。
「ああ、魔法で回復と強化してたが、なにか文句でもあるのか?」
「て、てめえっ!」
「やっぱりか!!」
「クソガキがっ!」
数人の男たちがユウに襲いかかるが、両足を砕かれると苦痛の悲鳴とともに、その場に倒れる。
「痛え……痛えよ」
「ぐがあ……ぁ。へ、へへっ。このスラム街は俺らの庭みてえなもんだ。あんな亜人のガキなんてすぐに見つけてやる!」
「そ、そうだ! お前だって、タダじゃ済まさねえからな! 俺らローレンスにこれだけの真似をしたんだ。どうなるかわか――ぐべぇ?」
啖呵を切っていた男の頭部が消失する。
ユウの左腕が水平に伸びていた。裏拳で男の鼻から上を吹き飛ばしたのだ。
「なんで俺がお前らを殺さないと思ってんだ」
淡々と言い放ち、次にユウは蹴りを放つ。別の男の胸にぽっかりと風穴があく。
「あ、ああっ……。待て! 待っでぐへぇっ」
「わかってんのか! お前の親も知り合いも全員ころぼぇ?」
「悪かった。もう亜人のガキで遊ばげねぇがはっ」
次々とユウに処刑されていくローレンスの男たちのなか、一人だけ生かされている者がいた。
「なあ。なあ! わかってる。俺は殺さないんだろ? へ、へへへ。そうさ、俺はあんたに逆らう気なんてないんだ。こいつらは悪態ついたり、脅したり相手も見ずに調子に乗るから死ぬ羽目になるんだ」
「どうしてお前は殺さないかわかるか?」
「へ? それは俺があんたに逆らわないから」
「お前、マゴ商店を覚えてるか?」
「マゴ商店? し、知らねえ」
「お前が、そこの従業員を殺したことも覚えてないのか?」
「ほ、本当に知らねえんだ! 一々、殺した奴のことなんて覚えてねえよ! なあ、信じてくれ!!」
「女は犯されて、男は執拗に傷つけられた跡があった」
「頼むよ。反省する! もう悪いことはしないからさ!! な? いいだろ? こんだけ謝ってんだ。許してくれよぉ~」
地面に頭を擦りつけて、ユウの靴を舐めようとした男の頭を踏んで押さえつける。
「ダメだ。お前みたいな屑が簡単に死ねると思ったのか?」
なにやらユウが動いているのはわかるのだが、頭を押さえつけられている男にはなにをしているのかがわからなかった。
「トーチャー、新しい玩具だ。好きなだけ可愛がっていいが、壊すなよ」
ユウが時空魔法で創り出した門の奥で、トーチャーが心外だと手を上げて抗議する。その手には愛用の手鉤が握られていた。
その手鉤をトーチャーは男の眼窩に突き刺して、力尽くで自分のもとへ引き寄せる。
「ぎゃあっ!? や、やめでくれ!! ひぃっ。だ、誰か助けでっ!!」
その華奢な身体のどこにそんな力があるのか。男はトーチャーの力に抗えずに組み伏せられる。
「この死体もあとで死霊魔法で生き返らせるから、保管しといてくれ」
先ほど殺したローレンスの男たちの死体をユウが放り投げていく。そんなユウの言葉に、トーチャーは任せてと胸を叩く。
今日のトーチャーはずっとご機嫌であった。なにしろ今日だけで、新しい玩具を数十個もユウがプレゼントしてくれたのだ。それに、ユウの話ではまだまだ玩具は増えるというのだから、トーチャーが喜ぶのも無理はなかった。
「待ちわびたぞ」
カーサの丘にある邸宅の一室で、待望の品を入手したと報告を受けたバリューが、興奮を抑えきれずにいた。
「大変お待たせしました」
バリューに仕える文官のフランソワは、言葉とは裏腹に感情を込めず、その品をバリューに差し出す。
「こ、これがっ」
「はい。時知らずのアイテムポーチです」
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