第232話 ハズレ
全くの偶然であった。
得物の持ち手を逆手に変え、右腕を上段に左腕を下段に構える天地の構えへ移行する最中に、それは起こった。
右手に握る
右手首は辛うじて薄皮一枚で繋がっていた。本来であれば曲がらぬ方向へ手首がだらしなくぶら下がり。千切れかけた手首が揺れるごとに走る激痛が、目の前の出来事が幻などではなく現実であることを非情にもジョズへ告げた。
(なにが起こった!? 僕はニーナから片時も目を離していない)
魔言もなしに固有スキルを使用した? だとしても『疾風迅雷』を発動している自分が全く反応できないのはおかしい。二つ目の固有スキル!? 第三者が潜んでいる可能性は? それこそあり得ない。
様々な考えがジョズの頭の中を駆け巡るが、それ以上は思考に時間を割くわけにはいかなかった。
ジョズの右手首から今もなお噴き出し続ける血飛沫。恐るべきことに地面へ到達するときには、まるでレバーのように血は凝固していた。ニーナの黒竜・爪に斬り裂かれたことによって、神経毒や出血毒など複数の毒が同時発動したのである。
発動した猛毒は今も猛威を振るっており、手首から徐々に肘に向かって皮膚が裂け、鮮やかな桃色の肉がその姿を覗かせていた。
ジョズに躊躇している時間はなかった。ポーションや解毒剤では間に合わぬと判断し、左手に握る
大量の出血によってジョズの肌から色が急速に失われていく。ジョズは右腕の切断面より上を急いで鋼糸で縛って止血する。これはポーションなどで傷口を塞ぐと、高位の神聖魔法を使わねば右腕を再生することが困難になるからである。
「おかしいな~」
その声にジョズが振り返る。
そこには納得できないように、首をかしげるニーナの姿があった。
「どうしてジョズさんは死んでないのかな?
たかがAランクのジョズさんじゃ、防げないはずなのにな~」
決して煽っているわけではない。
ニーナは純粋に不思議に思っているのだ。
それはジョズが死んでいなければおかしいと言っているようなもので、異様とも言えるニーナの思考に、ジョズは唖然と立ち尽くすことしかできなかった。
昔のニーナであれば、そんな疑問など気にもかけずにジョズへ追撃を加えていただろう。そうであれば、今頃ジョズは間違いなく亡き者となっていた。
自らに興味がないニーナは、その小さな変化に気づくことはなかった。ただ、不思議そうに何度も「おかしいな~」と呟いた。
そのわずかなニーナの戸惑いがジョズの命を救い。そして――
「ジョゼフさんも敵なのかな?」
――ジョゼフの到着を間に合わせた。
「ジョゼフさん……どこを……ぐっ、ほっつき歩いていたんですかっ」
ジョズが苦痛に歪んだ顔でジョゼフを問い詰める。そのジョゼフであるが、全身傷だらけであった。身体から滴り落ちる血が、傷を負ってからそれほど時間が経過していないことをジョズに教える。
「ニーナ、ジョズのバカが迷惑かけたな。この辺で勘弁してやってくれや」
どこかいつものジョゼフとは違う雰囲気を漂わせていた。
「なにを言ってるんです! 僕はまだ戦え――」
小枝を折ったかのような乾いた音とともに、ジョズの歯が飛び散る。ジョズの顔があった位置には拳を固めたジョゼフの右腕があった。地面の上を馬にでも蹴られたかのように、ジョズが転がっていく。ジョゼフのいる場所からざっと数十メートル先まで転がると、やっとジョズはその動きを止めた。どれほどの膂力で殴られたのか、もしこの光景を見ていた者がいれば、想像したくもないと誰しもが思うであろう。
不意打ちとはいえ、手負いであったとはいえ、あのAランク冒険者として数々の実績を残してきたジョズを相手に、裏拳を叩き込むジョゼフがいかに常人離れしているかが窺えた。
「俺はユウたちに手を出すなって言ったよな」
ジョゼフの全身から溢れ出していたのは怒気であった。いや、怒気と言うには生易しいかもしれない。殺気と言われても疑う者はいないであろう。それほど剣呑な雰囲気をジョゼフは纏っていたのだ。
「ちっ。いつまで効いたフリしてんだ。さっさと起きろ」
ジョゼフが振り返りもせずに声をかけるも、ジョズはピクリとも反応を示さず、また動く様子すらなかった。
ニーナはこの間、ジョゼフとジョズのやり取りを黙って見守っていたのだが、やがて黒竜・爪と黒竜・牙を腰に差している鞘に仕舞う。
「おっ、引いてくれるのか。悪いな」
「うん。だってトドメはジョゼフさんが刺しちゃったし」
「あ?」
ニーナの言葉に訝しげな表情を浮かべるジョゼフであったが。
「今の一撃で、多分ジョズさんの首の骨が折れてるよ」
そう告げると、ニーナはその場をあとにする。残されたジョゼフは、しょうがねえなと言わんばかりに舌打ちしながら、ジョズのもとへと向かうのであった。
「……こほっ、こほごほっ」
咳き込むごとに、地面に新たな赤い染みが拡がる。
レナの展開する結界とランポゥが操るミスリルのゴーレムが激突する瞬間、レナは見た。ミスリルのゴーレムの
「……ごほっ」
右肺を潰されたことによって呼吸がままならず、レナは回復魔法を使おうとするのだが、痛みと苦しさで集中できずにいた。
「どうよ。俺のミスリルのゴーレムは? 触媒に結構な量のミスリルを消費するが、それに見合うだけの性能だろう。
どうやらその様子だと気づいたようだな。ミスリルって鉱物は魔力と相性が良い。魔力が通りやすく、術者の能力を高めるのに適している素材の一つだ。だから後衛職の多くは武器や防具にミスリルを選択する。そのままだと重くてまともに動けねえから糸に加工して、ローブにしたりな。
逆を言えば、干渉し易いってことだわな。大層な魔力自慢だそうだが、ちょっとこっちから干渉してやれば途端にボロを出しやがって、お前なんかが天才魔術師だ? 笑わせんなよ」
満足に動けないレナを見下ろしながら、ランポゥが言葉でレナを嬲る。レナは反論しようにも受けたダメージが深すぎるために、顔を上げることすらできずにいた。
「それにしても、この程度の傷で満足に魔法も使えなくなるなんて、本当に雑魚なんだな。こりゃサトウとかいうクソガキも、ジョズが大袈裟に言ってただけで大したことないだろうな」
「……っ!?」
怒りがレナの身体を無理やり突き動かす。
治療を優先するべきところ、レナはランポゥへの攻撃を優先する。自身が使用できる最大の魔法、以前はパンプキンハットのスキルを使うことによって発動できた黒魔法第7位階『風神雷神』。今のレナであれば、己の力のみで発動させることが可能であった。
『詠唱破棄』のスキルによって、レナの魔力が風と雷の力に変換され瞬く間に発――動するよりも速く、ランポゥの精霊魔法第6位階『ミストラル・パイル』によって創造されたミスリルの杭がレナの両手の平を貫き、地面へと縫いつけた。
「……あ゛あ゛っ!」
そのあまりの痛みに、レナの口から声にならない苦痛の声が漏れ出る。
「はっはー。なんだなんだ。大きな声も出せるんじゃねえか。
そのミスリルの杭は、お前の魔力を吸って造形を維持してるからよ。お前のMPが空っぽになるまでは消えねえぞ。まあ、楽しんでくれや。
さっきの魔力構成から察するに、黒魔法第7位階『風神雷神』か。なんで最初に使わなかった? 俺を倒せないまでも、手傷を負わせることは十分に可能だったはずだ。この俺を舐め――いや、違うな。お前、人を殺したことがないな」
「……ぅ、うる……さ……いっ」
「やっぱりか。半端な覚悟で冒険者になりやがって」
レナがミスリルの杭から手を引き抜こうとするが、ランポゥがミスリルの杭に足を乗せ体重をかける。その足の重みに呼応してミスリルの杭がより深くレナの手に喰い込んでいく。
「……あ゛ぁっ!!」
「そう焦るなよ。お喋りでもして時間を潰そうぜ?
俺はよ。どこにでもあるような村の出なんだがよ。これがまたクソ田舎で周りを見渡しても山しかねえような辺鄙なところなんだ。だがよ。そんなクソみてえな田舎の村でも治める領主がいるわけよ。
その領主ってのがまーたクソみてえな典型的な貴族様でよ? 大した税を取れるわけでもねえ村に、無理難題を押しつけていびってくんだよ。そんときの俺はー、はっは。冒険者に成り立てのいわゆる駆け出し冒険者ってやつで、村の連中がいびられてても、黙って見ることしかできなくて、いつかクソ領主をぶっ殺してやろうと毎日考えてたな」
ランポゥは陽気に話していたが、ミスリルの杭に乗せている足にかける力が徐々に増していく。
「村にいた大半の若い女を権力を笠に着て強引に抱くわ。ガキは目つきが気に食わないって理由で、遊び半分に斬られるわ。領主やその取り巻き連中のあまりの無法に、普段は大人しい村の奴らも我慢の限界を超えちまってよ。みーんな死んでもいいから一矢報いようって、土弄りしかしたことねえ連中がフォークや鎌を手に領主の住む館に乗り込もうって意気込む姿は笑っちまうわな。
俺か? もちろんその中に混ざってたさ。なにしろ領主に抱かれるのを拒んで嬲り殺しになった女の一人は、俺の姉貴だったからな。
こっからが傑作でよ。領主の館へ向かう道の真ん中で、領主の取り巻きや兵士が待ち構えてやがったんだ。あいつらにとっちゃ、大した税も取れねえ田舎の村なんて玩具みてえなもんだったんだよ。適当に遊んで、逆らえば皆殺しにすればいい程度の認識だったのさ。
さあ、領主側の連中が気持ちの悪い笑みを浮かべながら、俺らを殺そうと動き出したそのときよ。現れたのさ。貴族の中の貴族と謳われるワイアット・ゴッファ・バフ様がよ。そう、ムッス様の父君だ。
ワイアット様はどこからか陳情を聞きつけて、調べてたんだろうな。クソみてえな領主と、その取り巻きをあっという間に引っ捕らえて、クズ共はそのまま縛り首さ。しかも、そのあとに村の連中に謝罪してんだぜ? 貴族として恥ずべき行いであったと。学も力もなーんもない村の連中を相手に、大貴族様がよ。
そんときの俺はぁ、こんな貴族もいるんだな程度だったんだがよ」
ランポゥが上機嫌に話を続ける間も、レナは懸命にミスリルの杭から手を引き抜こうと試みていたのだが、杭は円錐状になっており引き抜こうとすればするほど、傷口が拡がる仕様になっていた。
「俺は二度とこんな理不尽な力に負けねえように鍛えに鍛えまくってよ。気がつけば二つ名がつくくらいには実力がついてたんだわ。これなら村の連中にも自慢ができるって、意気揚々と村に帰ってみれば、まーたクソみてえな貴族が治めてやがんだよ。キレたね。一人だって見逃しやしねえ。皆殺しにしてやった!
さすがの俺も貴族や大勢の取り巻きを殺したんだ。覚悟を決めていたんだが、いつまでたっても俺を捕まえに来ねえんだなこれが。すると、やっとやって来たのが優男の貴族と執事のじいさんだ。まあ、これがムッス様にヌングさんなんだけどよ。俺を捕まえに、いや殺しに来たのかって聞いたら、ムッス様はなんて言ったと思う? どうしてクズを処分した勇気ある者を殺す必要が? だってよ。詳しい事情はわからねえが、ムッス様が方々に手を回して村や俺に貴族の手が及ばないようにしてくれたのは、馬鹿な俺にだって理解できた。ムッス様が、あのワイアット様のご子息であるってこともそんときに知った」
ランポゥの足にさらなる力が加わる。
「……あ゛ぁ゛あ゛ぁああっ」
すでにレナの手の平は、穴の方が占める面積が多くなっていた。
「まあ、他の
「……ユ、ユウには……関係……ないっ」
「その態度が許せねえって言ってんだ!」
レナの横っ面にランポゥが蹴りを叩き込む。手を地面に縫いつけられているレナは、躱すことも衝撃を逃すこともできずに、無防備な状態で蹴りを受け止めることしかできない。
「最後のチャンスだ。ムッス様のために協力すると誓え」
殺気を纏ったランポゥの言葉だ。断ればどうなるかはレナも容易に想像できる。にもかかわらず、レナは――
「……無理」
「どうなるかわかって言ってるんだよな?」
「……私はユウの仲間」
「残念だ」
嘘偽りのないランポゥの本音であった。右手に魔力が集まり、普段はゴーレムを精妙に操る魔力の糸がレナの首に絡もうとしたそのとき――
「おおっ!?」
あまりにも禍々しい魔力であった。あまりにも醜悪な瘴気であった。
その者が通り過ぎたあとには草木が枯れ、残るは死の大地であった。
その姿はまさに死を運ぶ死神であった。ローブで身を隠してはいるが、わずかに覗かせる顔は皮と肉が削げ落ちた髑髏である。
「でやがったな。サトウの犬がっ!」
ランポゥがレナから大きく距離を取り、自慢のゴーレムで周囲を固める。
「レナ殿、交代です」
「……わ……私は、まだ負けてないっ」
「そのざまで?
やはりあなたではマスターの横に並び立つ資格はありません。此度のことで、それはレナ殿も痛感したでしょう」
「……私は、私は――っ!?」
突如、頭上に影が差す。見上げれば空を覆うほどの氷の塊が落ちている最中であった。
「ゴンロヤっ! こっちはハズレだ!! さっさと片付けてジョズとプリリのところに向かうぞ!!」
氷塊に向かってランポゥが叫ぶ。姿は見えぬが、氷塊の上にゴンロヤがいるのであろう。そしてランポゥは氷塊の下敷きにならぬように、土の精霊魔法によってその身を土中へと隠していた。
「羽虫が小癪な」
ラスはこのまま氷塊が落ちるのを黙って見ているわけにはいかなかった。自分はともかく、山と見紛うほどの氷塊が落ちれば動けぬレナは間違いなく死ぬであろう。そうなれば、自分を信頼し任せてくれたユウを裏切ることになる。
ラスが一振りの杖を掲げる。アンデッドが持つには不釣り合いで神聖な力を感じさせるその杖から、黒魔法第8位階『焦熱』が発動する。山のような氷塊を、それ以上に強大な炎が飲み込むように包み込んだ。
この日、都市カマーの北部に局地的な豪雨が降り注いだ。
「化け物がっ」
降り注ぐ高温の雨を結界で弾きながらランポゥが呟いた。
「こりゃ簡単には倒せそうにないな」
首を鳴らしながら熊人のゴンロヤが、身体についた氷を身震いで振り落とす。
「ムッス様が食客の一人『前衛要らずのランポゥ』だ」
「同じく『氷塊のゴンロヤ』だ」
名乗りを上げる二人に対して、ラスからはなんの反応もない。
「おいっ、名くらい名乗れや。それともアンデッドだから脳みそまで腐ってんのか」
「貴様はいちいち羽虫に名を名乗るのか?」
「は、羽虫だとっ。俺らが?」
「俺はどっちかってーと獣なんだがな」
「ゴンロヤは黙ってろ!」
ランポゥの叱責にゴンロヤは肩を竦める。
「貴様ら羽虫が名乗る必要も、私の名を知る必要もない。
ただ黙って死ぬがよい」
ムッスが誇るランポゥ、ゴンロヤ。二人の食客に対して、ラスは黙って死ねと告げた。
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