第228話 どっち?
都市カマー貴族街。
貴族や大商人と呼ばれる者たちが所有する豪邸が立ち並ぶ通り。その豪邸の一つ、マゴが所有する屋敷の一室にユウの姿があった。
「自立式テントや即席スープも、特に問題はなさそうだから近いうちに卸せそうだ」
ネームレス王国が作る魔導具や加工食品の詳細が書かれた資料をテーブルの上に置くと、ウッド・ペイン製のソファーに座るユウが紅茶を啜る。
「ホッホ、それはなにより。
ユウ様の卸す品々はどれも売れ行きが良く、私の商会でも入荷と同時に飛ぶように売れております。
今では私の所有する店で冒険者や傭兵に混じって、庶民が格安のポーションだけでなく、五徳やジャムに蜂蜜などを我先にと買い漁っていますよ。嬉しい悲鳴なのですが、次の入荷はいつなのかと店の者から問い合わせが来るほどですからね。もちろんカマーだけでなく。サマンサやモリーグールにある店舗でも同じ状況です」
マゴは嬉しそうに都市カマーだけでなく、都市サマンサや要塞都市モリーグールに出店している店舗でも大繁盛だと報告する。
「あっそ。
それよりアイテムポーチは送ったのか?」
「そちらも抜かりはありません。
私が直接王都に出向くのは拙いので、信頼のおける者に任せました。先ほど、その者から無事にアイテムポーチを先方に渡したのを確認しています。しかし、あれだけの数のアイテムポーチをなんのために? そもそも、ユウ様はご自身でアイテムポーチを――」
「おっほん!」
わざとらしい咳払いであった。
現在この部屋は人払いをしているために護衛すら待機しておらず、テーブルに紅茶と軽い茶菓子だけが用意され、部屋にいるのはユウとマゴ、それにビクトルの三名のみであった。
そして、今ユウとマゴの会話を邪魔をしたのは、当然ビクトルである。この男、いい齢をして輪の中心に自分がいないと我慢ならないのだ。
「なんだよ」
ユウが鬱陶しそうに、マゴが冷ややかな視線をビクトルに向ける。
「いやはや。サトウ様、さすがに私の人脈を以てしても、あれだけの貴金属を現金化するのは至難でしたぞ」
髭を指先で摘んで引っ張りながら、ビクトルが山のように積まれた箱を見つめる。狭くない室内には、ビクトルが運び込ませた箱で圧迫感を感じるほどであった。中身はユウがビクトルに売り捌いた貴金属の代金である。
「無理を言った代わりに、相場よりだいぶ安く売ったんだから文句言うなよ」
「まさかっ! このビクトル、サトウ様に文句を言うなど、とてもではありませんが言えませぬな!」
「さっき言ってただろうが」
「ハッハ、そうでしたかな?
しかし、先ほどマゴ殿も仰っていましたが、アイテムポーチといい。これだけの現金といい。なにやら面白いことが起きそうな予感がしますな」
「面白いこととは?」
マゴが訝しげにビクトルに尋ねる。
「そうですな。
例えば、そろそろ王都でオークションが、それも今回開催されるのは年に一度しか開催されないもので、ウードン王国の貴族だけでなく。遠方からも大勢の貴族や王族がすでに王都テンカッシに来ているそうですな。どうも、とんでもない代物が出品される情報を入手しているそうで、どこからそのような情報を、誰が流しているのか調べても、このビクトルでもわからない始末」
髭を撫でながら、意味ありげにビクトルがユウへ視線を向ける。
「いやはや、このビクトルも是が非でも参加せねばと思っておるところです。
それに明日明後日には、財務大臣バリュー様の使者がカマーに到着するはず」
バリューの名前が出た瞬間、マゴの顔が強張る。普段、海千山千の商人や貴族を相手する老獪なマゴらしくもない姿であった。
「あの我侭で傲慢なバリュー様が、わざわざカマーにご自身の使者を送るような面倒な真似をなさるのですから、サトウ様が関係しているのはこのビクトルでも容易に想像できます。だとすれば、ぬははっ! これは面白い――いやはや、これは失礼。ですが、金の匂いがプンプンしますなっ」
「ユウ様、今のビクトル殿の話は」
「こっちでも確認できてる。
名目はカマーの税収について聞きたいことがあるから、ムッスに王都へ来るよう使者が説得しに来るそうだが、本命はなんたらって勲章を俺に授けるからムッスと一緒に王都へ呼び寄せたいらしい」
「間違いなく。罠でしょうな」
怒りを抑えつけるように、顔を手で覆い隠したマゴが呟く。もし手を退ければ、そこには商人の顔ではなく、復讐に人生をかけた一人の男の顔を見ることができたであろう。
「そんなことはわかってる」
興奮するマゴとは正反対にユウは落ち着いたもので、テーブルの茶菓子を一つ摘んで口の中へ放り込む。
「まさか……。ユウ様、王都へ行くつもりでは!?」
「どうだろうな」
「それだけはいけません! 財務大臣は強欲で愚鈍に思われがちですが、それは大間違いです!! ただの欲深き者が長年ウードン王国の表と裏を牛耳ることなど、できるとお思いですか? あの男の本質は狡猾で残忍な――」
「だから、わかってるって言ってるだろ。心配しなくても、お前との約束は守るよ」
「ユウ様が私との約定を違えるなどとは微塵も思っていません。
しかし、そうなると――」
「おや? マゴ殿、どうされました。そんな怖い顔をされて」
おちゃらけた態度でマゴに話しかけるビクトルであったが、マゴの垂れ下がった瞼の奥でギラつく眼光は見逃さなかった。
「ホッホ、ビクトル殿に一つ確認したいことがございます」
「なんですかな?
マゴ殿の頼みとあらば。なんでもとはいきませぬが、このビクトル大抵のことなら答えますぞ!」
「率直にお尋ねしますが、ビクトル殿は
ビクトルから視線を逸らさないマゴの右手には呼び鈴が握られていた。この鈴の鳴らし方一つで、部屋に入ってくるのがメイドなのか、それとも部屋の外で待機させている護衛なのかが決まる。後者であれば、ビクトルに待っているのは死である。
「はて? 率直にと仰ったのに、どちら側とは抽象的ですな」
「滑稽な言動も時と場合を弁えねば、身を滅ぼすことになりますよ。
ビクトル殿が、バリュー財務大臣と懇意にしていることを私が知らぬとでも?
さあ、くだらぬ化かし合いは終わりです。ユウ様につくのか、バリューにつくのか、この場でハッキリしていただきましょうか」
マゴの全身から放たれる圧力は、とても一介の商人とは思えぬほど鬼気迫るものであった。
しかし、その鬼気迫る圧力を受けてもビクトルの態度は些かも変わることはなかった。いや、むしろさらにおどけるように顔を綻ばせる。
「マゴ殿、いかにバリュー様のことを
マゴの言葉は脅しなどではない。
その証拠に笑みを浮かべるビクトルとは対照的に、マゴの表情は感情を失ったかのように無表情である。
ビクトルを始末するべく、マゴは鈴を鳴らそうとするのだが。
「ふははっ。それにしても、どちら側につくかとは傑作ですな」
まさにいま鈴を鳴らそうとしたマゴの手が止まった。
なぜならビクトルの顔を見たからである。そこにいたのは、人を誂い、ときには嘲笑う道化のような男ではなく、自由国家ハーメルンの重鎮の一人と言われるに相応しい佇まいと空気を纏った大商人であった。
「マゴ殿、私たちの職業をお忘れですかな?」
「職業……?」
「そう。ジョブではありませんぞ」
「商人です」
「そのとおり。
なら、どちらにつくのかは決まっています。儲かるほうです」
「ば、馬鹿なっ!?」
「おや? 私は商人として、至極当たり前のことを言っているのですが、なにかおかしいことでもありましたかな」
悪びれもせずビクトルは言いのける。
「ユウ様、処分してもよろしいですね?」
「別にいいだろ」
「なっ!? ユウ様までなにを仰るのです! この男をこのまま帰せば、バリューに多くの情報が漏れてしまいます!!」
「漏れても漏れなくても結果は変わらない。
それに儲かるほうにつくって言ってるんだ。なら、俺たちのほうにつくさ」
「ハッハ。さすがはサトウ様、話がわかる御方ですな!! このビクトル、決してバリュー様にサトウ様の情報を一切漏らさぬことを、この場で誓いましょう!!」
大袈裟に手を掲げ、ニヤつきながらビクトルが宣誓する。そのふざけた態度が、増々マゴの怒りを煽る。
「嘘に決まっている!!
ユウ様、この男の言うことなど、なに一つ信じるに値しません!!」
感情を露わにするマゴを、ビクトルは髭を撫でながら面白そうに眺めていた。そこには先ほどまでの大商人としての風格など影も形もない。
「落ち着けよマゴ。
俺は屑の相手ばかりしてたせいか、俺に悪意を持っている奴の嘘が見抜ける」
「では、嘘ではないと?」
「それが笑えることに、ビクトルには悪意がないんだよな」
「笑いごとではありません。私たちの――私はここで諦めるわけには……」
「ハッハ、またサトウ様の秘密を一つ知ることができましたな。これは私とサトウ様の心が通じ合う日も遠くはないかもしれませぬぞ?」
「道化がっ」
吐き捨てるようにマゴが呟く。
「なに、マゴ殿も落ち着いてくだされ。私は金にさえなれば、たとえ親兄弟が相手であろうが、喜んでサトウ様の味方になりますぞ! それが嘘ではないことは、サトウ様が――どうされましたかな?」
不思議そうな顔で自分を見つめるユウに、ビクトルは珍しく気まずそうな顔を浮かべる。
「いや、金にさえなれば、か」
「そのとおり! このビクトルっ!! 金を、それも莫大な金を手に入れたくて商人になったのですからな。誰よりも金を愛しておるのですぞ!!」
商人として当たり前の考えである。マゴとて、バリューへの復讐さえなければ同意していただろう。
「お前『渇求のビクトル』って呼ばれてるんだってな」
「ふははっ! これはお恥ずかしい。
このビクトル、金に囲まれていないと干からびてしまうのです。金はいいですぞ? 多ければ多いほど、私の渇きは癒やされる。
さて、サトウ様はどれほどの富を私にもたらしてくれるのか。今から楽しみで楽し――」
「乾いたままだ」
「――みで? 今なんと申されました」
「お前の渇きが癒されることはないって言ったんだよ。どれほど金を手に入れても、心の中は乾いたまんまだ。だって、お前が本当に欲しい物は金なんかじゃないんだからな」
「私が……本当に欲しい物……?」
呆気にとられるビクトルの横を通り抜け、ユウは扉へ向かう。
「ユウ様、どちらへ?」
「こう見えても忙しいんだよ。なにかあれば、こっちから連絡する」
ユウが部屋を出たあとも、ビクトルは思案顔で固まったままであった。
都市カマーを治めるムッスの館は、貴族街に建ち並ぶ豪邸の中でももっとも広大な敷地に建てられている。約十六万平方メートルの敷地には本館以外にもいくつもの別館があり、その一つ一つが大豪邸と呼んで差し支えのない建物である。
そのいくつもある別館の一つに、ジョゼフを始めとする食客たちが囲われているのだが。
「いきなり集合ってなんかあったの?」
「もっとお昼寝したかった」
「ごちゃごちゃ言わんと、はよ部屋に入らんかい」
巨人族のヤークムが、クラウディアとララを部屋に押し込む。
食客たちが住む別館の三階。話し合いをする際に使う部屋の中では、完全武装のローレンが席にも着かず立って待っていた。
「なによ。ローレン、そんな物騒な格好して」
「なにかあった?」
「まあ、そんなところさね」
部屋の奥、上座の席をクラウディアが陣取ると、ララもその横に座る。
開かれた窓から入り込む風が二人の頬を撫でた。
「で、話ってなによ?」
頬杖をつきながら、クラウディアがつまらなそうに尋ねる。実際、どこをほっつき歩いているのか、ここ数日ジョゼフが姿を見せないのでつまらないのである。そのクラウディアの横では、ララがすでに身体を前後に揺らして居眠りしつつあった。
「そがな大層な話じゃないわい。
ムッス殿のために、すこ~し勘違いしとるクソガキに世間の厳しさを教えて首輪をつけるだけじゃ」
「クソガキに厳しさをねぇ」
ヤークムの話に興味がないのか、クラウディアは髪の毛を弄りながら適当に相槌を打つ。その舐めた態度にヤークムのこめかみに青筋が浮かぶのだが、それでもクラウディアの態度は変わらない。それどころか、いびきをかいているララを見て、意地悪そうな笑みを浮かべると、ララの鼻辺りを自分の髪の毛でくすぐる。ララはこそばそうに鼻をヒクヒクさせる姿に、クラウディアが堪えきれず「ふひひ」と笑い声が漏れる。
「ところでクソガキって誰のことよ?」
「サトウに決まっとろうが」
クラウディアのいたずらの手が止まり、ララが目を見開いた。
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