第227話 泣き虫

 石畳の上を飛び跳ねるようにニーナがステップを踏む。そのあとに続くのはレナにマリファ、そしてどこか不安げな顔をしたアガフォンたちである。

 現在ニーナたちは雑木林から都市カマー西門へと続く道を歩いていた。通りには大通りに店を構えることができない露天商が並び、今日もいつものように忙しなく道を行き交う人々へ声をかけている。


「オトペ、その背中って大丈夫なの?」

「大丈夫とは?」


 モニクがオトペの背中を見ながら尋ねる。レナやベイブの白魔法によって傷こそ塞がってはいるものの、オトペの背中は何度も斬りつけられ、羽はいまだ歪な形のままであった。


「ああ、羽のことか。レナさんやベイブのおかげで傷は塞がっている。あとは放っておけばいずれ治るだろう」

「あんたねえ! 自分の身体をもっと大事にしなさいよね!」


 オトペの周りを飛び回るアカネは鼻をふんっ、と鳴らし、いつもの定位置であるアガフォンの頭の上に腰を下ろす。


「あんたも、いつまで情けない顔してんのよ」

「うるせえな。俺は盟主にどう報告するかで、頭がいっぱいなんだよ。話しかけんじゃねえよ」

「ふんっ。なによ。大きな身体して情けないわね。そんなにあの人族のことが怖いのかしら!」


 アカネがアガフォンの頭をペシリと叩くも反応はない。


「これじゃ羆じゃなく子熊だわ。子熊ちゃん、私が庇ってあげるから安心しなさい」

「なんだとっ! だ、誰が子熊だ!! 待て! 逃げんじゃねえ!!」

「あはは。こ、子熊だって」

「ベイブっ! なにが可笑しいんだ!!」

「お、怒らないでよ~。い、言ったのはアカネだよ」

「まあ怖い。怖いわ~」


 怒るアガフォンの姿にアカネは嬉しそうに飛んで逃げていく。その姿に周りの者たちが笑みを浮かべるのであった。ただ一人、フラビアを除いて。


「ニーナさん、私は用があるので、ここで失礼させていただきます」

「……なんの用?」

「あなたには関係ありません」


 マリファのつれない態度に、レナの頬がお餅のように膨らむ。


「マリちゃん」

「ニーナさん、雑木林に戻るわけではありません。私はティンたちと買い物をしている最中だったのを思い出しただけです」


 ニーナがマリファの瞳を覗き込むが、臆することなくマリファは見つめ返す。


「そっか。買い物の途中だったんだ」

「ええ。では失礼いたします」


 マリファはスカートを翻すと、西門とは反対方向へと歩き出す。そのまま雑踏の中へと姿を消した。




 雑木林の複数ある入り口の一つ。そこにティンとヴァナモ、さらには狐人のアリアネ、狸人のポコリの姿があった。そして、ティンたちの傍には三名の男が後ろ手に縛られ横たわっている。


「お姉さま、大丈夫かしら」

「ヴァナモじゃあるまいし、大丈夫だよ」

「ティンっ! どういう意味なの!!」

「どういうって、ヴァナモは馬鹿なのかな。やんなっちゃう」

「誰が馬鹿ですかっ!!」

「二人共、止めなさい」

「そうよ。あっ、お姉さま」


 マリファが姿を現すと、ティンとヴァナモはピタリと喧嘩を止めて背筋を伸ばす。


「お、お姉さま、お怪我を!?」

「落ち着きなさい。傷はご主人様にいただいたポーションで治しています」


 マリファのメイド服についた血を見てヴァナモが慌てるが、それをマリファが手で制する。


「それより。アリアネ、ポコリ、首尾は?」

「お姉さま、私とポコリの雑木林を覆う消音、幻影魔法で誰も騒ぎに気づいていませんし、幻影結界を張ってから逃げ出した者はただの一人もいませんわ」

「幻影結界を張る前に逃げた者についてですが、そちらもグラフィーラが追跡しているので問題ないかと。

 屋敷にはメラニーだけでしたので、ネポラを向かわせています」

「さすがですね」


 マリファに褒められると、アリアネとポコリは軽く頭を下げる。


「ところで、捕らえた者たちが死んでいるようですが」


 マリファの視線の先で横たわる男たちは微動だにしない。それもそのはず、男たちはすでに息絶えているのだ。


「そ、それが何者かを問い質そうとしたのですが、口内に毒を仕込んでいたようで自害しました。これだけの覚悟を持った者たちです。恐らくは貴族か王族に仕える直属の――」


 慌ててヴァナモが説明するのだが、そこにティンが割って入る。


「私はお姉さまが戻るまで気を失わせておいたほうがいいって言ったのに、ヴァナモがお姉さまに良いところを見せようとするから、せっかく捕まえた――あいたっ!?」


 ヴァナモがティンの尻を思いっきり抓る。余計なことを言うなと目が語っていた。


「もう、お尻に痣ができたらどうするのよ。やんなっちゃう」

「ヴァナモ」

「は、はい。お、お姉さまっ」

「あなたの憶測で敵を決めつけるのは止めなさい」

「申し訳ございません……」


 マリファが死体の身体を探る。組織によっては身体に刺青いれたり、指輪や首飾りなど組織に属する証を所有していることがあるからだ。すでにティンたちが調べたあとなのだが、それでもマリファは自分の目でも確認する。しかし、男たちからどこかの組織に所属する証拠や、手掛かりとなるような物は見つかることはなかった。


「手掛かりになるような物はないようですね。他に変わったことは?」

「あの変なドワーフが来たよ」


 ティンが尻を擦りながらマリファに報告する。


「変なドワーフ?」

「以前、孤児院で紛れ込んでいたトロピ・トンです」

「『赤き流星』の盟主です。他にも五名ほど仲間を引き連れていました」


 アリアネとポコリが、ティンの不十分な説明につけ加えて話す。


「偶然にしては――」

「えっとね。ここ以外の出入り口にも見張りはいたみたいで、捕まえてくれてたみたいだよ」

「ティン、お姉さまになんて口のきき方ですか!」


 マリファへの口のきき方にヴァナモがティンに抗議するのだが、ティンはどこ吹く風で話を続ける。


「どこの組織か聞き出そうとしたけど、やっぱりあっちでも自害してわかんなかったみたいで、やんなっちゃう」

「そうですか」

「あっ。お姉さま、続きは私がっ! トロピが言うには、他にも数か所は見張りがいないとおかしいはずなのに、誰もいなかったそうです!」


 むふんっ、とヴァナモが横にいるティンに向かって鼻息を荒くする。そんなヴァナモに、アリアネとポコリは困ったものだと互いに顔を見合わせる。


「ヴァナモ、まだ言ってないことがあるでしょ」

「いいえ。抜けはありません!」

「ほら、ご主人様にアピールしてって言ってたでしょ」

「そんなくだらないことを、お姉さまに報告する必要はありません!」


 両手を上げてティンに抗議するヴァナモであったが。


「ヴァナモ、言いなさい」

「はい」


 マリファに言われると、あっさりと前言を翻した。


「で……では、このトロピちゃんの活躍を、ユウ兄ちゃんにアピールしといてよね! 絶対だかんね! まさかユウ兄ちゃんの忠実なるメイドが、私の手柄を奪うようなことはないと思うけど、よろしくね~ちゅっ!」


 ヴァナモが投げキッスの真似をして話を締め括ると、マリファの身体から殺気が漂う。


「お……おっ、お姉さま。わ、わた、私ではありませんよ。あのトロピとかいうドワーフですからねっ!」


 あまりのヴァナモの慌てように、ティンは面白くて指を指して笑っていた。それをアリアネとポコリが「お止めなさい」と注意する。


「わかりました。

 その話は置いておいて、私が戦った相手はまだ生きているので確保しに行きますよ」


 雑木林の中へ入って行くマリファのあとをティンたちが続いた。

 しかし、アガフォンたちが戦闘を繰り広げた場所についたマリファが見たのは、キリンギリンたちどころか、血の一滴さえ落ちていない光景であった。


「そんなはずはありません! お姉さま、誰も雑木林に入っていないのは私とポコリの張り巡らせた幻影結界で確認しています!!」

「もとからいたのかな?」

「その可能性が一番高いですわね」


 だがティンとヴァナモの推測にポコリが異を唱える。


「それなら雑木林の中にまだ潜んでいるということになります」

「それはないでしょう。

 コロもランも匂いがここで途絶えているので困惑しています。以前も似たようなことがありましたが、どのような魔法や魔導具を使えば匂いの痕跡や血の一滴さえ残さず、十名以上の男を連れ出すことができるのでしょうか。

 グラフィーラ、あなたもそう思いませんか?」


 地面に跪いて調べるマリファが振り返らずに声をかけると、木々の間からグラフィーラと従魔であるシャドーウルフのエカチェリーナが姿を現す。


「お姉さま……」


 グラフィーラもエカチェリーナも沈んだ様子で尻尾も垂れ下がっている。


「あれ? どうしてグラフィーラがここにいるの。もしかして逃げられちゃった?」

「グラフィーラ、どうなの?」


 ティンとヴァナモが尋ねるもグラフィーラは口を噤んだままである。


「グラフィーラ、お姉さまに報告しなさい」


 アリアネが声を荒げこそしないものの、強い口調でグラフィーラに迫る。


「アリアネ、よしなさい。ご主人様の考えがあってのことでしょう」


 マリファの言葉に驚いた表情を浮かべるグラフィーラであったが。


「あなたが私になにも言えないということから、ある程度は察することができます。

 ご主人様が今日一人で出向かれたのも、きっとこのことを予想してのことでしょう」

「そんなことないと思うなー」

「ティン、ご主人様を疑うのですか?

 私たちのような浅はかな者が、ご主人様の思慮深さを疑うなど万死に値しますよ」

「お姉さまは、ご主人様のことを盲信し過ぎてやんなっちゃう」

「ばっ!? お馬鹿っ!!」


 ヴァナモがティンの口を塞ぐが、マリファの耳はしっかりと聴き逃してはいなかった。


「ティン、こちらに来なさい」


 マリファは嫌々するティンの両頬を摘むと、思いっきり捻った。


「い、いひゃーい。おねえひゃま、ごめんなひゃいっ。もう、ひゃんなっちゃう」


 雑木林にティンの悲鳴が響いた。




「わかった」


 屋敷の居間では、アガフォンがフラビアのアイテムポーチを盗まれたことをユウに報告している最中であった。

 そのアガフォンの後ろではフラビアたちが整列し、恐る恐るユウの叱責を待っていたのだが――


「どうした。他にもなにか報告があるのか?」

「えっ。い、いえ。これで……全部です」

「なら、もういいだろ」


 叱ってもらえると思っていた。

 貴重なアイテムポーチを奪われ、間抜けがと罵ってくれればどれだけ楽であっただろうか。

 しかし、ユウは怒ることもなく二階の自分の部屋へ向かう。

 残されたアガフォンたちは力なく頭を垂れ、ニーナたちの視線から逃れるように屋敷の外へ出ていく。とてもではないが、ユウのあとを追いかけて叱ってくれなどとは言えなかったのである。


「…………な……さい」


 フラビアの足元に雫が落ち、染みを作る。


「み……みんなっ。ごめん……ざいっ」


 ぽろぽろと溢れ出す涙が流れ落ち、染みが拡がっていく。


「ウ、ウチの、ひっく、せいで。ごめんなざい。が、がんばるから、ウチ、がんばっ……でっ。盟主の信頼を、ひっぐ、取り戻せるように、が、がんばるがらっ!!」


 涙でフラビアの顔はくしゃくしゃである。


「フラビア、泣かないでよっ。あ、あんたが泣くと、私まで、う、うう……っ」


 泣くなと言っているモニクも泣いていた。


「うわ~んっ!!」


 我慢できなくなったアカネが大きな声でわんわんと泣き、その姿にベイブも泣き出す。ヤームも声を殺して泣いていた。その横でオトペは泣いてこそいないものの、歯を食いしばって堪えていた。


「泣くんじゃねえ!! 俺らは冒険者だっ!! 失った信頼は冒険で取り返すしかねえだろうがっ!!」


 ただ一人。アガフォンだけが、燃えるような瞳で決意を新たにする。

 二階の窓よりその様子を見ていたユウは、後ろでなにか言いたそうなラスに向かって呟く。


「厳しすぎるって言いたいんだろ?」

「逆です。マスターは甘すぎです!! あのような者たちに情けをかけるなど、いっそ首でも刎ねてやればよかったのです」

「お前ってウソが下手だよな」


 なにか言いたげに口をパクパクさせるラスを放って、ユウは椅子に座るとマゴやビクトルから提出された資料に目を通すのであった。

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