第218話 名も無き――――

 時はクロと木龍が交戦し始めた頃にまで遡る。


「ええいっ。なにが起こっておる! 先ほどから続く地鳴りに、あの突如現れた森林はなんだというのだ!!」


 約千の騎兵が平原を駆けていた。その中の一人、年老いた将官の男が叫ぶように独り言を漏らす。


 この者たちの正体は木龍討伐のためにウードン王国より派遣された、ウードン王国騎士団でも精強として知られる騎士団の一つ、光鷹こうよう騎士団に所属する騎士たちであった。


「通信兵! 斥候からの連絡はどうなっておるっ!」

「そ、それが……連絡はあったのですが……」


 通信の魔導具を所持する通信兵は、パラムや将官たちの顔色を窺いながらも言っていいものかと言葉を詰まらせた。


「連絡がきているにもかかわらず、報告をしなかったのか!」

「貴様っ。自分がなにをしたのか、わかっておるのか!!」

「軍法会議にかけるまでもなく。ここで斬ってくれるわ!」


 そのとき先頭を走るパラムが馬を止める。将官たちや後方の騎兵たちも一斉に上体を起こし、手綱を引いて馬を制止させる。


「静かに――」


 いまだ激昂する将官たちであったが、パラムの一言で静まり返る。

 我が強くつわもの揃いの光鷹騎士団ではあるが、たった一言で将官たちを黙らせたパラムが、いかに光鷹騎士団の手綱を握っているかがこれだけでも窺えるであろう。


「申してみよ」


 冷や汗を滝のように流す通信兵にパラムが声をかけると、恐る恐るではあるが口を開き始める。


「今からする報告は決して嘘偽りなく。また私がおかしくなったわけでもありません」

「なにをゴチャゴチャ言っとるか。貴様は――」


 パラムが老将官を手で制し、通信兵に続けるよう目で促す。


「げ、現在、木龍は黒いゴブリン・・・・・・と交戦中です。森林は木龍が魔法、あまりにも馬鹿気た規模ですが、恐らく精霊魔法第8位階『創草樹誕』によるものかと、また――」

「待て。待て待て! この辺で木龍を足止めできるほどの騎士団を保有する貴族などいたか?」


 将官の一人が通信兵の報告に割って入るが――


「違うぞ。騎士団ではない。ゴブリン……黒いゴブリンだと? 貴様、ふざけておるのか!」

「静まれ! 報告を続けよ。落ち着いて最初から順に申せ。今の報告では、なにがなにやらちっともわからんわ」


 またもや将官たちが激昂するのだが、今度はパラムではなく老将官が皆を手で制した。


「は、はい。

 木龍に追われていた魔物の群れですが、一匹のゴブリンが現れ――」


黒い・・ゴブリンじゃな?」

「そうです! 黒いゴブリンが魔物の群れの行く手を阻み、そのまま交戦し始めました。その後、半数ほどを倒したところで木龍が精霊魔法第8位階『創草樹誕』を展開し、残りの魔物は全滅しています」


 通信兵の報告を馬鹿馬鹿しいと切って捨てる将官たちとは別に、老将官は顎に手を当てながら思案顔であった。


「少し前に王都の冒険者の間で噂になっておったゴブリンが、確か――ほれっ。黒いゴブリンじゃったな」

「あなたまでなにを仰るのです! 下賤な冒険者共の戯言を信じるのですか! そもそも、その黒いゴブリンが見つかったとされる場所は『悪魔の牢獄』ではありませんか」

「さよう。いたずらに団をかき乱すような発言は控えていただきたいものですな」

「魔物の群れは少なく見積もっても万を下らぬ。その半数といえば五千ですぞ。騎士団のように規律や統制もない烏合の衆とはいえ、たかがゴブリンごときが五千もの魔物を屠ったなどと誰が信じますか? その上、木龍と対峙しているなど、長年光鷹騎士団を支えてきた重鎮の発言とは思えませぬな。

 まさか木龍に臆しているのでは?」


 老将官と対立する将官たちを見て、騎兵たちはどちら側にもつくわけにはいかず、どうすればいいかと伺いを立てるかのようにパラムへ視線を送るのだが、当のパラムは面白そうにことの成り行きを見守っていた。


「ぬははっ。若造共がぬかしおるわ。

 儂はお主らが寝小便を垂れていた頃より戦場を駆け巡っておった。その儂が木龍ごときに臆しただと?

 ここでお主らを叩きのめしてもよいが、今はそのようなことをしている場合ではない。ここが王城ではなく戦場であったことに、神に感謝するのだな」


 老将官から殺気が放たれると、戦場で殺気に慣れているはずの軍馬が思わず後ずさり、将官たちが手綱を引いて制する。


「よいか? 黒いゴブリンは噂などではない。

 事実、王都の冒険者ギルドは黒いゴブリンを見かけても手を出さぬよう冒険者たちに通達しておる」


 この老将官、鍛え抜かれた肉体に傷跡だらけの厳つい顔とは裏腹に、勘ではなく情報収集に基づき理詰めなどで行動する武人であった。


「黒いゴブリンが噂などでなく存在したとして『悪魔の牢獄』より遠く離れたこの場所になんの理由があって?

 冷静に考えればそのようなことありえないとわかりそうなもの。それをゴブリンが龍と戦うなどと」

「恐れながら虚偽の報告ではありません!」

「まだ言うかっ!」


 虚偽の報告ではないと主張する通信兵に、激昂した将官の一人が剣を抜き放つのだが。


「もうよい」


 パラムがそれを許さなかった。


「パラム様っ。し、しかしこの者は」

「行ってみればわかること。

 見よ。貴公らにも、あの森林から飛び出した木龍の巨体が見えているだろう。何者かが木龍の進行を阻止しているのは間違いないのだ」


 パラムが軍馬の腹を蹴り駆けていく。そのあとを将官、騎兵たちが追った。


「龍に挑むゴブリンか……。ナハハッ、面白い」


 笑みを浮かべて呟くパラムの言葉を、老将官だけが聞いていた。

 途中、木龍のいる森林に向かうパラムたちの目前で、爆発でも起こったかのような轟音が鳴り響いた。木々と土砂が宙へと舞い上がり、その中には無数の魔物の死骸と思われる部位が混じっていた。


「ま、まさか本当にゴブリンと木龍がっ!?」


 再び爆発音とともに土煙が上がる。


「血が滾りよるわっ!」

「是非とも参戦せねばな!」


 木龍が起こしていると思われる轟音が鳴り響く度に、将官や騎兵たちの全身が震える。恐怖からではない。武者震いによるものである。

 ウードン王国の精鋭三万でも仕留めること敵わなかった木龍を相手に、光鷹騎士団の者たちは誰一人恐れを抱いていなかった。

 ウードン王国五騎士の一人『絶対なる勝利をもたらす騎士』パラム率いる光鷹騎士団が、自分たちが負けるなどとは微塵も思っていないのである。


 その光鷹騎士団が、目前の光景に愕然となる。

 森林が消し飛び、木龍が横たわっていたのだ。

 あの木龍が――

 剣や槍、矢に魔法を幾度受けようがビクともしなかった木龍が――

 ゴブリンを前に泣き叫んでいるのだ。


「バ、バカなっ!?」

「なんということだ。木龍が……あの木龍が……」

「信じられん……」

「あのゴブリン、負の魔力を纏っておるのか? 邪悪な気配を漂わせておるわ」


 将官や騎兵たちの身体が震える。今度は武者震いではない。

 ゴブリンという矮小な存在が木龍を圧倒していることに、その不気味さに、自分でも気づかぬ内に身体が震えたのだ。


「パラム様、黒いゴブリンですな」


 老将官がクロから目を離さずに呟いた。


「木龍よ。某を失望させるな」


 クロの言葉と共に、両の手にある血塗られた大地の戦斧と天魔アンドロマリウスの大鎚が振り下ろされた。

 身動きのできないところに、頭部へ『斧技』と『槌技』の同時発動による攻撃をまともに喰らったのだ。いかに木龍と言えど、一溜まりもなかった。


「あの少年と大男はなんだ?」

「いやいやっ。それよりもあのローブを纏った者はアンデッドか!? 黒いゴブリンを上回る邪悪な魔力を放っておるわ」


 いまだ愕然とする光鷹騎士団をよそに、ユウたちは木龍の解体を始める。


「あの黒髪の少年は……確かユウ・サトウという名のBランク冒険者だったはず」

「ユウ・サトウ? 以前に陛下と大賢者殿がその名を口にしておられたな」


 老将官とパラムの会話に周囲がざわつく。


「パラム様、それよりもあの大男はジョゼフ・パル・ヨルム。いや、今は貴族姓を捨て、ただのジョゼフ・ヨルムですな」

「ほう。大賢者をして史上最強になれたかもしれぬと言わしめた。あれが元セブンソード筆頭『槍天のジョゼフ』か」

「本物でしょうか?」


 将官の一人が訝しげに尋ねると老将官が応える。


「本物だ。昔、従軍でワルプルギス教団討伐と第三次聖魔大戦の際、一緒になったことがある。

 邪教ワルプルギスの行いはそれは酷かった。罪もない女子供を拐っては、生贄と称して想像を絶する拷問を繰り返しておったからな。さらには『聖の祝福』『魔の祝福』を持つ子供たちを拐って、あやつらは――っと話がそれたか」

「たとえ本物のジョゼフであろうと、今はデリム帝国とはなんの関係もない平民にすぎん。このウードン王国内で好き勝手して許されるはずがない」

「さよう。

 聞けばあの男のジョブは『戦士』『騎士』『聖騎士』『暗黒騎士』。『槍天のジョゼフ』と呼ばれていながら『槍聖』どころか『重槍士』『槍騎士』にすら就いておらぬではないか。

 どうせ槍を持たせれば並ぶ者なしという話も、噂に尾鰭がついただけであろう。ジョゼフ・ヨルムなど恐れるに足らない」


 自分たちこそ最強と自負する男たちである。他国の強者どれほどのものかと、罵るように激を入れる。


「ものを知らぬとは恐ろしいな」


 老将官の一言に、場は水面にできる波紋のように静まり返っていく。


「あの男は就けなかったのではない。就かなかったのだ。

 それこそ、お主が今上げたジョブに特殊ジョブの『英雄』、徒手空拳最強のジョブと名高い『拳神』や剣の最高峰『劍神』に匹敵するジョブまでよりどりみどりな」

「ふ、ふははっ。ならばなぜそのジョブに就かなかったのか教えてほしいものですな」

「ジョゼフはあまりにも強すぎた」


 老将官の言葉に周りの者たちは理解できないといった表情であった。ただ一人パラムだけが。


「なるほど」




「ぶえっくしゅんっ! あっ。屁が出た」


 木龍の素材を剥ぎ取り中のユウたちが、不快な顔を隠さずジョゼフを睨みつける。


「こ、このっ! なんて下品な男だ!!

 マスター、こちらへ。そこにいては不浄の臭気に巻き込まれます!!」

「我が主の前で放屁をかますとはっ! 木龍の次は貴様を屠ってくれよう!!」


 ラスとクロから凄まじい殺気が放たれるが、ジョゼフは「怖い怖い」と言いながら尻を二度三度叩いて臭いを散らす。


「おーおー。酷えこと言うよな。

 それよりユウ、あそこにいる連中がなんか揉めてんぞ」

「放っておけばいいだろ」

「ありゃどっかの騎士団だな。揃いの鎧を着てやがる」


 こちらに近づいてこなければ相手にする必要はないと、ユウは剥ぎ取りを続行するのだが、光鷹騎士団がこちらに向かってくるのが目に入る。


「お前らはここで剥ぎ取りを続けろ。あとクロは木龍から剥ぎ取った魔玉を自分に使えよ」

「こちらは主に献上しようかと」


 クロの手には完全ではないものの、球体を半分に割ったほどの魔玉があった。


「お前、伸び悩んでるだろ?

 今のままじゃラスには一生勝てないぞ」


 ユウの背をクロが目で追う。

 木龍に勝ち、しばしの余韻に浸っていたクロであるが、ではラスと戦えばどうなると自分に問いかけると、自分が勝てる姿を全く想像できなかった。


「余計なことすんなよ」


 勝手についてくるジョゼフとラスに、ユウはなにを言っても無駄だとわかりつつも、邪魔だけはするなよと注意する。


「わははっ! なんだあいつ。馬の背に立ってるぞ」


 光鷹騎士団の先頭を走るのは八本足の軍馬、漆黒のスレイプニルと呼ばれる馬の魔物である。その背に跨るのでなく腕を組んで立っているのは、ウードン王国五騎士の一人にして光鷹騎士団団長のパラムである。その姿に周囲の将官や騎兵たちはいつものことなのか、諦めた表情を浮かべていた。


「ナーハッハッハッ! ナーハッハッハッ!! とうっ!!」


 かけ声とともにパラムが跳び上がる。宙で幾度も回転しながら着地を決めると、ちらっ、とユウたちへ視線を向ける。


「誰だこいつ。ジョゼフの知り合いか?」

「俺がこんな変態の知り合いなわけないだろうが」

「マスター、このような変態を見てはいけません。お目が汚れます」


 ラスがローブでユウの視界を遮った。

 なびく金色の髪に整った顔、美丈夫と言われれば誰もが納得するであろう。その上パラムは見事な聖騎士の鎧を着込んでいるのだ。しかし……その下はへそが見え、丈の短いズボン――いわゆるホットパンツを履いているのだ。二十代前半の細身とはいえ、鍛え抜かれた肉体を持つ男性がきつきつのホットパンツにへそを見せ、笑いながら近づいてくるのである。ジョゼフとラスが変態と決めつけるのも無理はなかった。


「我こそはーっ!」


 パラムが聖剣エクスカリバーをこれ見よがしに掲げ、ユウたちの反応を見る。


「我こそはーっ!!」


 さらに強調するように聖剣エクスカリバーをチラチラ見せるのだが。


「早く名乗れよ」

「汚いものをマスターに見せるな」

「なっ!?」


 辛辣なユウとラスの言葉に、パラムは心にダメージを受けてしまう。

 今まで聖剣エクスカリバーを知らぬものなどいなかったのだ。いつもならここで相手がパラムに気づき、名乗らなくても驚嘆し、喜びの表情を見せるのだ。


「パラム様、もうよろしいでしょう」


 老将官が恥ずかしそうにパラムを諌める。


「うむ。我こそは光鷹騎士団団長にしてウードン王国が誇る五騎士の一人。その名は――」

「パラムだろ? そっちの爺さんが今言っただろうが」

「この羽虫、いや鳥頭か。先ほどのやり取りをもう忘れている」

「ぐぬぬ……。我こそはぁ……ごにょごにょ……パラム・パプスであるぅ……」

「わははっ。なんだこいつ! 急に元気がなくなったぞ」

「や、やめぬか。あ、私の剣に触れるな」

「おいおい、どうした? さっきまでは自分のことを我って言ってただろうが」


 おもちゃを貰った子供のように、ジョゼフがパラムに絡んでいく。面白くないのは光鷹騎士団の面々である。


「ジョゼフ殿、そこまでにしてもらおうか」

「パラム様に対する無礼は許さぬぞ!」

「貴殿が元セブンソードとはいえ、そのような振る舞いは我らが黙ってはいませんぞ」


 殺気立つ将官や騎兵たちであったが、ジョゼフはなんのそのである。


「なにか用があって来たんじゃないのか?」


 ジョゼフに弄られるパラムを無視して、ユウは老将官へ話しかける。その不遜な態度がさらに光鷹騎士団の者たちを苛立たせる。


「それはパラム様から――今は無理か。

 まずは我らが仕留めること敵わぬかった木龍討伐、見事である!」


 老将官の木龍討伐を称える言葉にも、ユウはなんの反応も示さない。パラム同様に部下から慕われている老将官に対してユウの態度は傲慢と受け取られ、周囲の騎兵たちは隠そうともせずユウへ向かって殺気を飛ばしていた。


「こちらの用件は木龍の死骸を譲っていただきたい」

「死にたいのか?」


 ユウではない。殺気立つ光鷹騎士団に向かってラスが言い放ったのだ。


「龍の死骸がどれほどの価値があるかわかって言っているのか? 角、牙、爪はもとより鱗から血肉まで捨てるところがない。木龍の角でこしらえた杖や弓を持てるのならば、一国の王になるよりも価値があると言う者はあとを絶たないであろう」

「だってさ。木龍の死骸は譲れないな」

「貴様っ! 先ほどからなんだその態度は!!」

「こちらが下手に出ておれば図に乗りおって!!」

「我らはウードン王国が誇る光鷹騎士団だぞ! ことを荒立てぬよう頼んでいるにもかかわらず!」


 老将官がいきり立つ騎兵たちを宥めるが、とてもではないが収まる様子はなかった。


「大体なんだ! そちらの薄汚いアンデ――」


 騎兵の一人がラスを侮辱しようとするが、その言葉を最後まで言うことはできなかった。


「ラスは俺の下僕だ。侮辱するなら相手になるぞ」


 光鷹騎士団。数々の戦や魔物を討伐してきた歴戦の兵たちである。その兵達がユウの放つ殺気に気圧されたのだ。


「双方そこまで!」


 老将官がユウと騎兵との間に割って入った。ユウからは殺気が消え、騎兵たちは安堵するかのように、肩から力が抜けていくのを感じた。


「もう一度言おう。木龍の死骸をこちらに譲っていただきたい。

 本来木龍は穏やかな性格で、手を出されねば人に害を及ぼすような魔物ではない。その原因を調べるためにも、こちらへ渡してもらえんか?」

「冒険者保護法第四条、冒険者が倒した魔物の権利は倒した冒険者の物とする」

「むっ」


 拙いと老将官は顔にこそ出さぬものの内心呟いた。


「冒険者ギルドとレーム連合国との間で結ばれた条約だ。レーム連合国の中枢を担う五大国の一つであるウードン王国が護らないのなら、こちらも然るべきところに異議申し立てすることになる。

 その際は俺も高位冒険者としての権利や地位を遠慮なく使うからな。どれほどの冒険者が他国に流出するか見ものだな」


 魔物による被害を食い止めるのに、国の兵だけではとてもではないが手に余る。また冒険者が持ち帰る魔物の素材や貴重な鉱物、植物によって得る利益は、冒険者ギルドから国へ税として納められている。

 今回の木龍による魔物の群れの暴走はウードン王国だけではなく、近隣諸国にまで知れ渡っている。その木龍を倒した冒険者から無理やり木龍の死骸を奪ったと知られれば、他国からの批判、冒険者の流出と、どれほどの損害をウードン王国が被るか。老将官が大雑把に勘定するが、その額は考えるのも嫌になるほどであった。

 またユウが高位冒険者というのも厄介であった。そこらの冒険者であれば力尽くで押さえ込むこともできるのだが、高位冒険者となってくると話は変わってくる。なぜならBランク以上の冒険者からは爵位が与えられる。爵位と言っても国から領土などが与えられるわけではなく。平民では考えられないような権利や税制面での優遇が保証されているのだ。

 これはウードン王国に限ったことではない。どの国も優秀な冒険者が他国へ流出しないようにと同じような権利を与えていた。


「それは困る。こちらの事情も汲み取ってはくれんか?」

「無理だな。

 ラス、戻るぞ」


 取り付く島もないユウの態度に老将官はどうしたものかと、いまだパラムと将官たちを相手にじゃれ合っているジョゼフに近づく。


「ジョゼフ殿からも、なんとか言っていただけぬか?

 このまま我らも手ぶらで帰るわけにはいかぬ」

「ユウが嫌だって言ってるんだから諦めろよ。大体、木龍をさっさと倒さなかったお前らが悪いんだろうが」


 痛いところを突かれて老将官は苦笑するしかなかった。


「なんたる言い草! ウードン王国とデリム帝国との国際問題に発展してもよいのか!!」

「そうだ! 元とはいえデリム帝国軍のトップであったジョゼフ殿が、木龍討伐の現場にいたのだ。知らぬでは済まされぬぞ!!」

「我からも頼む」


 持ち直したパラムも聖剣エクスカリバーを構えながらジョゼフに頼み込むのだが。


「ジョゼフ? 誰だそりゃ。知らねえな」

「う、嘘を申すな! 先ほどの少年もジョゼフと呼んでいたではないかっ!!」

「我からも頼む!」

「だからジョゼフなんて奴は知らねえって言ってんだろうが!」

「では貴殿は誰だと言うのだ!!」

「名を名乗れ!!」

「我こそはパラム・パプスである!!」

「「「パラム様は少し黙っていてください!!」」」

「はい……」


 最早ジョゼフに対する礼儀などない。無礼で傲慢なジョゼフに皆が怒り心頭であった。


「俺は――」


 パラムも将官に騎兵たちも皆がジョゼフに注目した。


「名も無きゴリラだ」


 静寂が訪れた。穏やかな日差しが皆を照らし、一陣の風が頬を撫でるように通り過ぎた。


 そして――


「「「ダハハハッ!!」」」

「ナーハッハッハッ! ゴ、ゴリラ!? ナーハッハッハッ!! ゲホゲホッ! き、気管に唾が、ゲホッ」

「ジョゼフ殿、いくらなんでもゴリ――ぶふっ。し、失礼。しかし名も無きゴリ、ゴリ――ぬははっ!!」


 パラムや将官に騎兵、老将官ですら笑いを堪え切れず大爆笑である。


「こ、これ! お主ら笑うのをぶふふっ、やめぬか!!」

「ナハハッ。わ、我の名はパラムであるが、き、貴公の名はなんと申す?」

「ぐふっ、ぐふふ。パ、パラム様、そちらは名も無きゴリラだそうです。ぷぷぷっ」

「「「グハハハッ!! ゴリラ!? 名も無き!?」」」


 光鷹騎士団の面々は「名も無きゴリラって」と笑いの渦に包まれていた。目の前ではジョゼフが徐々に――いや、元々我慢できるような男ではない。見る間に不機嫌になっていることに気づかなかった。


「これ、やめぬか。

 しかし、ジョゼフ殿も悪いのですぞ? ぬははっ。ご自身をゴリ――げふっ」


 老将官が宙を舞った。光鷹騎士団でも一番の古株である。


「己っ! 名も無きゴリラめっ! 私が成敗し――げぼらっ」


 次に宙に舞ったのは将官の一人であった。


「誰がゴリラだ。ぶん殴るぞ」


 すでに殴っている。

 元々話し合いよりも戦うことが好きな集団である。それ以前に獲物であった木龍をユウたちに横から掻っ攫われたような気分であった。不満はすでに限界近くまで溜まりに溜まっているところに、ジョゼフのこの暴挙である。


 約千の騎士――否、男たちは望むところだと剣を抜いた。


「ぬ、ぬはは! ジョゼフ殿、そちらがその気なら喜んで!!」


 老将官が口内の血を折れた奥歯と一緒に吐き出し、口元を手で拭う。

 すでに数十人の騎兵がジョゼフにぶっ飛ばされていた。


「英雄ジョゼフっ! 相手にとって不足なし!!」


 ジョゼフの岩石竜の大剣と老将官の聖騎士の剣が激突する。


「ジョゼフじゃねえって言ってんだろうが!」

「ぐはっ」


 馬にでも撥ねられたかのように老将官が転がっていく。


「真正面から行くな!」


 将官の指示を受け、騎兵たちが陣形を組む。騎兵の半数が下馬しているのは、対等に戦うためではない。上と下からの攻撃を加えるためである。

 相手はデリム帝国の英雄だ。騎士であるならば、一度は剣を交えてみたいと誰もが願うであろう。その願いが叶うのだ。なにを遠慮する必要があると、ジョゼフに襲いかかる。

 四方八方どころか、上空からも迫る剣をジョゼフは大剣で払いのける。一振りで六、七人の騎兵が吹き飛ばされる様は、まさに剛の剣である。地面に叩きつけられた騎兵の顔はなぜか笑みを浮かべていた。


「ナーハッハッハッ!」

「ちっ」


 ジョゼフを囲む騎兵の背を蹴って、頭上より剣を叩きつけたのはパラムであった。わざわざ声を出して不意打ちするなど馬鹿である。馬鹿ではあるが、ジョゼフが頭上からの攻撃を受け止めたのは躱すことができなかったからだ。


「あっ! パラム様、ズルいですよ!!」

「また自分だけ!」


 将官や騎兵たちから非難の声が上がるが、パラムの耳には届かない。それどころではないのだ。ジョゼフとパラムの間では、すでに数十合の剣撃を交えていた。戦場でも滅多にお目にかかれないほどの高等技術に『剣技』の応酬である。


「パ、パラム様も本気だ!」

「どれが牽制でどれが本命なのかわからん」

「これがジョゼフ・ヨルムかっ」


 パラムが聖剣エクスカリバーを振るう度に、黄金の剣閃がジョゼフを襲う。ジョゼフの身体にいくつもの切創が刻まれ、岩石竜の大剣の刃はすでにボロボロである。一方のパラムは無傷である。正確には聖剣エクスカリバーの鞘が持つ、所有者を永遠に癒やし続けるスキルによって常時回復しているのだ。


「ナハハッ!!」

「この変態野郎がっ」


 互いの剣が拮抗し、鍔迫り合いになる。


「ナーハッハッハッ!! 一度は剣を交えてみたいと思っていたが、噂に違わぬ腕前だ! できることならば、聖魔剣か槍を持った貴殿と戦ってみたかったがな」

「うるせえな」

「剣の技量は我が上回り、身体能力では遠く及ばぬ。しかし、我には聖剣エクスカリバーがある!」

「うるせえって言ってんだろうが! ぺっぺっ!!」

「うわぁっ!? やめろよ~。我の聖剣に唾がああぁぁぁ~」


 パラムが命より大事にしている聖剣エクスカリバーに、ジョゼフが唾を吐きかけたのだ。鍔迫り合いをしていたパラムは慌てて距離を取るのだが。


「これでも喰らえ!」

「ああっ!? やっとの思いで手に入れた炎龍のマントがっ!!」


 聖剣エクスカリバーに吐きかけられた唾を拭っているパラムの背後から、ジョゼフが土を掬ってマントに投げつける。真っ赤なマントはあっという間に泥だらけになり、パラムは涙目になる。


「我のマントがぁ~」

「ジョゼフ殿、卑怯なり!!」

「そうだそうだ!」

「騎士の風上にも置けぬわっ!!」

「うっせ! ばーか、ばーか!!」


 激昂する光鷹騎士団をあざ笑うかのように、ジョゼフは尻を叩いて挑発する。こうなればジョゼフのペースである。パラムとの一騎打ちと見守っていた者たちが、我先にとジョゼフへ襲いかかるのだが、先ほどの一糸乱れぬ陣形や連携は見る影もなく。次々にジョゼフによって倒されていく。

 本来であればパラムがここで指揮を執るのだが、残念ながらパラムはそれどころではない。いまだ泣きながら聖剣エクスカリバーと炎龍のマントの汚れを落としていた。では将官たちはというと、ジョゼフはなにも考えず倒しているようで、光鷹騎士団の将官や隊長クラスを優先的に倒していたのだ。




「主、終わりました」

「よし。帰るぞ」


 木龍の解体、剥ぎ取りが終わり。素材を全てネームレス王国へ運び終えたクロが、ユウに報告する。


「マスター、よろしいのですか?」

あれ・・連れて帰りたいか?」


 ユウたちの視線の先では、ジョゼフと光鷹騎士団の追いかけっこが続いていた。いい大人が、それも国に仕える騎士たちがである。

 あまりにも滑稽な姿にユウからは溜息もでない。ラスもクロも同じ気持ちである。ユウたちはジョゼフを放って、その場をあとにした。

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