第204話 委細承知
「ふー。さすがに肝が冷えたな。
司会進行役だからとはいえ、王に物申すのは心臓に悪いわ」
ユウが去ったあと、残された室内ではマウノが大きく溜息をついていた。よほど緊張したのか、顔にはびっしりと汗が浮かび上がっており、恐らく手の平や背中も同様に汗を掻いているのだろう。
「マウノ殿、ご苦労じゃった」
「しかし王様から建軍の許可をいただくことはできんかったわぃ」
「それも予想しておったろうが。すぐに返事をもらえるとは儂らも思ってはおらんかった。
それよりも王様に敵が多い理由を教えてくれんのはなぜなんじゃ? のう、ラス殿は知っているのであろう? よければ儂らに教えてくれんか」
ルバノフがラスに尋ねるが反応がない。
「ラス殿、聞こえておるだろうが」
「黙れ。獣風情が調子に乗るなよ」
まるで先ほどのユウと同じセリフである。
「建軍に加勢したのはマスターのためであり。決して貴様らのためではない。でなければ、誰が獣ごときのために動くか」
「なっ! なんたる言い草じゃ!! 少し儂らより王様とのつき合いが長いからと、増長しておるのでないかっ。
ここにいる儂らは各種族の長、ネームレス王国の重鎮と言っても過言ではない。立場上だけならラス殿より儂ら長の方が上と言っても過言ではないのだぞ」
「獣ごときが私より格上だと? 試してみるか?」
「獣人を舐めるなよ」
ルバノフが牙を剥き、ラスの右手には黒い魔力が集う。その気になれば、ラスは一瞬でこの場にいる者たちを消し去ることができるだろう。
「やめんか! ルバノフ殿もラス殿も一旦冷静にならんか。ネームレス王国の住人同士で争って誰が喜ぶ。王もこのようなことを知れば悲しむとは思わんのか」
マウノがルバノフとラスを一喝する。さらにラスの喉元にはマチュピの飛竜の槍の切っ先が、ルバノフの喉元には背中におぶさったビャルネのナイフが当てられていた。そんな緊迫する状況の中、おババは興味ないのか居眠りしているのだから図太い。
「儂は無闇に揉め事を起こす気などない。この――」
「やめいと言ったばかりだろうが!
で、お主らはいつまでそこにおるんじゃ」
マウノの視線の先には二人のメイドが立っていた。ユウにつき従ってきた七名のメイドの二人である。この二人はユウが部屋を出ていく際ついていかずに、部屋に残っていたのだ。
「少々、長たちに申し上げたいことがあったので残らせていただきました」
堕苦族の少女は澄ました顔で長たちと向き合った。
「私はね。ヴァナモがなんかやらかしそうだから、お守りで残ったんだよ。めんどくさいよね。やんなっちゃう」
魔落族の少女はそう言うと、ヴァナモと呼んだ少女の頭を撫でる。
「だ、誰が誰のお守りですかっ!」
ヴァナモが魔落族の少女の手を払い除ける。
「でも、ヴァナモ怒ってるでしょ?」
「私は冷静です」
「えっと、スカートから虫がはみ出てるよ? ヴァナモが感情を乱してる証拠だよね」
魔落族の少女の指摘どおり、ヴァナモのスカートからは体長三、四センチほどの蜘蛛たちが糸を垂らして顔を覗かせていた。
「くっ。今はあなたに構っている暇はありません。
長の皆様方、ご主人様が優しいからといって少々甘え過ぎではないでしょうか。
先ほどのご主人様に対する言葉遣いや態度もそうですが、会合の度になぜ王であるご主人様が長たちの家に足を運ばなくてはいけないのです」
「だったらお主から王へ頼んでくれんか。儂らの山城への入城許可をな」
苛立ちを隠さずヴァナモを睨みつけるマウノだが、当のヴァナモは澄ました顔で視線を受け流していた。
「ご冗談を。そのようなこと、お姉さまがお許しになるはずがありません。
入城許可が下りないのは、魔落族の忠誠が足りないからではないですか?」
「き、貴様っ! メイド風情がなにを言いおるかっ!!」
「メイドではございません。奴隷メイド見習いです。それにメイド風情とはなんですか? 言葉には気をつけてください。ご主人様に仕える栄誉ある仕事ですよ」
興奮して目を充血させたマウノが歯ぎしりして悔しがる。
マウノを口で言い負かしたヴァナモを、堕苦族の長であるビャルネは満足そうに見つめていた。
「とにかく、お姉さまがいないからといってご主人様に横柄な態度を取るようなことがあれば、私たち奴隷メイド見習いが許しませんからね」
「だって」
言いたいことを言ってスッキリしたのか、ヴァナモは部屋を出ていく。そのあとをスキップしながら追いかける魔落族の少女であったのだが――
「待たんかティンっ!」
マウノに呼び止められた魔落族の少女ティンは「えー」と嫌そうに振り返る。
「なぜ呼び止められたかはわかっておるな?」
「うーんと、わかんなーい」
「バカモンがっ! なんのためにお主を城へ送り込んだと思っておる!! それなのにお主ときたら、一切報告もせずに王の傍で甘味ばかりを貪りおって!! 自分の役目をわかっておるのかっ!! ティン、返事をせんかっ!! ティンっ! ティン?」
ティンが俯いて反省していると思っていたマウノであったが、反応がないので覗き込んでみるとティンは耳に指を突っ込んで、マウノの説教を全く聞いていなかった。
「テ、ティンっ……。お主は長をなんだと思っておるのだ!!」
「あーわーわーわーっ。長の話は長いしうるさいからやんなっちゃう」
「なにをーっ!」
捕まえようとするマウノの手をすり抜けて、ティンはそのまますたこらさっさと部屋の外へ逃げていく。
「これ待たんか! まだ話は終わって――ぐぬぬ……なんて奴だ」
マウノとティンが漫才のようなやり取りをしている一方。ユウはうんざりしていた。
「なあ、俺のことはいいから城に戻れよ」
「そのようなことはできません」
「そうです。ご主人様、悲しいことを仰らないでください」
タレ目の狸人の少女とツリ目の狐人の少女が、悲しそうな目でユウを見つめる。内心溜息をつくユウであったが、メイドたちに悪気はないのであまり邪険にはできない。
ユウが歩けば後ろに控えるメイドたちも歩き、ユウが止まればメイドたちも止まる。ハッキリ言って、ユウは息が詰まる思いであった。
「そうだ。これやるから向こうで食べてこいよ」
ユウはアイテムポーチからアプリの実を使ったアップリパイを取り出す。甘い香りが漂うが、メイドたちは微笑むばかりでその場を動くことはなかった。
(くそっ。ティンならこれでどっか行くんだけどな)
結局ユウが自由になったのは夜になり、就寝すると部屋に戻ってからである。部屋の外ではメイドたちが待機しているのを知っているユウは、時空魔法で扉を創り目的の場所へと向かった。
『悪魔の牢獄』第五十三層。この階層辺りになると、出くわす魔物もアークデーモンクラスも珍しくない。単体であればまだしも、複数を同時に相手する際は高レベルの冒険者パーティーでなくては厳しいだろう。
「ゴガア゛ア゛アアアバア゛ア゛アァッ!!」
体長四メートルを超えるランク7の魔物ペインデビルが、咆哮を上げながら振りかぶる。一本一本の爪が成人男性の胴回りほどもある鋭い爪には大量の魔力と瘴気が纏わりついていた。その禍々しい爪を一人の――否。一匹のゴブリンへ向かって振り下ろす。ペインデビルの爪の軌跡が黒い線を残しながらゴブリンへと迫り来るのだが。
ゴブリンは慌てる様子もなく。右手に握る血塗られた大地の戦斧でペインデビルの爪を迎え撃つ。
爪と戦斧がぶつかり合うと、火花を散らしながら軌道をそらされたペインデビルの爪が地面に接触すると同時に大量の土砂を蒸発させ、大地へ深い爪痕を残す。
驚くべきことにペインデビルの六本あるはずの腕の五本がすでに失われていた。本来であれば、ペインデビルが持つ強力な再生能力で腕が生えていてもおかしくないのだが、腕の傷口には再生を阻害するかのように黒い靄が覆っていた。
「グガウ゛ゥゥ……」
ペインデビルが後退る。ランク7の魔物で、その強さは複数のアークデーモンを相手取っても引けを取らない凶悪な魔物が、目の前にいる身長二メートルもないゴブリンを相手に怯えていたのだ。
目を凝らせば、ペインデビルとゴブリンの周囲には他の個体と思われるペインデビルやアークデーモンにグレーターデーモン、さらにはフローズンデビルなどの死体がそこら中に転がっていた。どの死体も原型を留めておらず。徹底的に肉体は破壊されていた。
この恐るべき惨状は、今ペインデビルと戦闘を繰り広げているたった一匹のゴブリンによってもたらされたのだ。
「主の前で恥をかかすな」
半ば逃げ腰であったペインデビルに無慈悲な一撃が加えられる。大地を蹴ったゴブリンが一瞬にしてペインデビルとの間合いを詰めると、横薙ぎに血塗られた大地の戦斧を振るう。音もなくペインデビルの残る最後の一本の腕が宙を舞った。
「ビャ゛ア゛ア゛アアアアアッー!」
苦痛ではなく、恐怖から悲鳴を上げるペインデビルの頭部へ、ゴブリンは左手に握る魔人の大鎚を容赦なく叩き込んでいく。放たれたのは槌技『
「悪いな。修行の途中だってのに」
『悪魔の牢獄』に巣食う凶悪な魔物であるペインデビルですら恐怖から逃げ出そうとした。その恐怖の対象であったゴブリンが、ユウの前までくると跪いて頭を垂れた。
「委細承知っ! 全て某にお任せください!!」
ゴブリン――クロの全身をある感情が駆け巡る。その感情は歓喜であった。
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