第195話 守備範囲は広い
モーベル王国。
自由国家ハーメルンとウードン王国の間にある、レーム大陸最大の湖であるブレイ湖沿いにある中規模国家である。
ブレイ湖はモーベル王国のみならず、自由国家ハーメルン、ウードン王国を始めとする数十の国家へ水源を供給する非常に重要な要所であり、それ故に水資源を求めて国同士が争うことも珍しくはなかった。
数ヶ月前に起きたモーベル王国とロプギヌス王国の戦争も、水資源が原因と思われていたのだが事実は異なる。ロプギヌス王国領内のサーポロ山脈、これといって資源があるわけでも貴重な動植物が生息しているわけでもないのだが、このサーポロ山脈の盆地に突如迷宮が出現したのだ。しかも迷宮のランクこそDランクであったが、どの国も欲しがる鉱物系の迷宮であった。特にロプギヌス王国は水資源こそブレイ湖から潤沢に手に入るのだが、領内にめぼしい鉱山がなかっただけに国内は歓喜に包まれた。しかし、そこに待ったをかけたのがモーベル王国であった。曰くサーポロ山脈がある場所は元々はモーベル王国の領内であり、直ちに返還するよう求める書状をロプギヌス王国へ送りつけたのだ。
この書状に激怒したのは当然ロプギヌス王国である。確かに数百年前まではモーベル王国の書状に書かれているとおり、サーポロ山脈周辺はモーベル王国の領内であったのだが、なにも旨味がないと放棄しロプギヌス王国に半ば無理やり買わせたのが他ならぬモーベル王国であったからだ。それを鉱物系の迷宮が出現したのを知るや否や、領土返還を求める書状である。
怒りに震えるロプギヌス王はすぐさまに軍の編成を命じる。小国であるロプギヌス王国とモーベル王国とでは、戦争になった際に明らかに分が悪いのはロプギヌス王国側であったが、ここでロプギヌス王は先手を打つ。『不死の傭兵団』を雇い入れたのだ。千にも満たぬ傭兵団など相手にならぬと舐めていたモーベル王国第一王子率いるモーベル王国第一騎士団。総勢一万の軍勢であったが『不死の傭兵団』団長のメリット一人によって壊滅的な打撃を受ける。散り散りになったモーベル王国第一騎士団を救おうと、第二王子率いる五千の軍が『不死の傭兵団』と真正面からぶつかり合うが、驚くべきことに五千の軍勢が千に満たぬ傭兵団に国境まで押し返されたのだ。そこにロプギヌス王国の軍が流れ込み、モーベル王国の領内を荒らしに荒らしまくった。自軍の兵をほとんど失うことなく戦勝国となったロプギヌス王国であったが、この話にはオチがある。『不死の傭兵団』がロプギヌス王国に要求した報酬額は、なんとロプギヌス王国の国家予算数年分に匹敵する金額であったのだ。とてもではないが払えぬとロプギヌス王国側は『不死の傭兵団』団長のメリットに、モーベル王国からの賠償金が入るまでは待つよう伝え、また爵位を与えることで譲歩するよう交渉するもメリットはロプギヌス王国側からの提案を一蹴し、交渉は決裂する。またその際、ロプギヌス王国側からの交渉役であった伯爵を殺害し、遺体を王宮にバラ撒いたのだ。このメリットの無法に激怒した一部の騎士団が『不死の傭兵団』と戦闘になるも、相手になるわけもなく、敢えなく撃退される。この結果モーベル王国とロプギヌス王国の間で起こった戦争は、戦勝国と敗戦国があるにもかかわらず、どちらも勝っても負けてもいないのではと周辺国家の将軍や文官は分析していた。
コンコンッ、とメイド服姿に銀縁眼鏡が似合っている女性が執務室の扉をノックするも、部屋の中からは反応がない。
「失礼いたします」
女性はそのまま部屋の中へ入ると、重厚な机の上に山のように積み重なった書類と格闘する男の姿が見えた。書類の山があるにもかかわらず男の姿が見えたのは、それだけ男が大きいのだ。恰幅がいいとも言えるのかもしれない。
「陛下、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「君はこの状況を見て、私が暇に見えるのかね?」
オークのように見えなくもない男は不満げに女性を睨みつけるが、女性のほうも慣れたもので「ホホホ」と笑っていなす。
「それではサトウ様にはそのように伝えさせていただきます」
「待て。それを先に言いたまえ」
「それでは?」
「彼はモーベル王国にとって最重要人物だ。なにがあろうと最優先するべきだろう? と言うか。アドリーヌ、君はわかってて言っているだろう」
「まあ、酷い。そのようにいつも私をイジメてなにが楽しいのでしょうか」
およよと泣き真似をするアドリーヌの姿に、男のコメカミに青筋が浮かび上がる。
「君の泣き顔など嬉しくもなんともない。早くサトウを通したまえ」
「実はもうお部屋の前でお待ちいただいています。あなたたち、サトウ様を部屋にお通しして、くれぐれも失礼のないように。あと、この部屋なにか獣臭がします。窓を開けて換気を! サトウ様に不快な思いをさせては一大事ですわ」
アドリーヌの指示を受けて、部屋に控えていたメイドたちが慌ただしく動き回る。メイドたちが窓を一斉に開けていき、王家御用達の調香師が作った香水を振りまいていく。
「サトウ様、お待たせしました」
申し訳なさそうにするアドリーヌがユウの手を握り締める。さらにはスリスリなんかもしたりしていた。
「アドリーヌさん、気にしていないので手を放してください」
「おっほん」
「まあまあ、サトウ様はお優しいのですね」
「おっほん、おっほん!」
「このアドリーヌ、サトウ様の慈悲の心に感銘しますわ」
「おっほん、えっへん。アドリーヌ、その辺でいいんじゃないのかね?」
「サトウ様、陛下がお怒りのようなのでこの辺で」
ユウとアドリーヌのやり取りにウンザリした様子の、陛下と呼ばれた男がユウと向き合う。
「陛下? お前が?」
「サトウ、言葉に気をつけたまえ。仮にも一国の王に対してお前などと」
「俺だって国を創ったから王じゃねえか。お前だって俺のことを呼び捨てだろうが。それにしても陛下ねえ……前王と第一、第二王子はどうした?」
「隠遁していただいた。しなくてもいい戦を起こし、無辜の民へいらぬ苦しみを与えたのだからね」
「あっそ。それより俺の貸した金、いつになったら返すんだよ」
「返せと言われても、モーベル王国は戦争による被害によって、絶賛復興中だ。ないものは返しようがない。そもそも国同士の借金などあってないようなものだ。一つ勉強になっただろう?」
「おい、ダッダーン。いや、ブタ。お前に貸した金、千億マドカを返さないっていうなら別の物で返してもらってもいいんだぞ?」
「ブ、ブタっ!? 失礼だろうが!」
「そうだな。ブタに失礼だったな。おい、デブ」
「サトウ様、ブタ野――ダッダーン陛下の非礼は私が代わって謝罪しますので、お怒りをお鎮めください」
アドリーヌが謝りながらユウに抱きつく。ダッダーンは「アドリーヌ、い……いま私のことをブタ野郎と言いそうになっていなかったかね?」と身体を震わせるが、アドリーヌは相手にせず「ああ、サトウ様。なんて良い匂いなのかしら。肌もすべすべだわ」と自分の性癖を爆発させていた。
「アドリーヌさん、よかったら俺の国で働きませんか?」
「まあ! 私が欲しいと?」
自分の臣下を目の前で引き抜きにかかるユウに対して、ダッダーンは余裕の態度を崩さなかった。先ほどから主を主とも思わない態度を取っているアドリーヌであるが、実は長年一族で王家に仕える生粋の臣下なのだ。
「金貨百枚でどうですか?」
アドリーヌはメイド長であるが、その給金は一般メイドや通常のメイド長などとは比べ物にならない。その額、破格の年に金貨百二十枚である。とてもではないが、年端もいかぬ少年や少女が好きなアドリーヌとはいえ、金貨百枚で長年一族で仕えてきた王家を裏切ることなどできはしない。
「サトウ様、せっかくのお誘いですが――」
「
アドリーヌの銀縁眼鏡のレンズに、罅が入ったかと思われるほどの衝撃が走った。さらに周りのメイドたちの笑みが凍りつく。どこの世界に、いくら優秀とはいえメイドに月に金貨百枚を払う者がいるだろうか。
「つ、月に金貨……百枚……?」
「ええ。アドリーヌさんの能力なら十分に支払う価値があると思います。それに知ってますか? 獣人の子供は人懐っこくて毛もふわっふわなんですよ? 魔人族、堕苦族、魔落族の子供も人族の子供とはまた違った可愛さがあって、アドリーヌさんならきっと好きになると思うんですよね」
「獣人の子供たち……ふわっふわ……魔人族の子供……ナマリちゃん、堕苦族に魔落族の子供たち……私を待っている」
あらぬ妄想に入り浸っているのか、メイドが声をかけてもアドリーヌはしばし心ここにあらずであった。
「ダッダーン陛下。長い間、一族共々お世――」
アドリーヌが別れの挨拶をダッダーンへ告げようとするが。
「なーんっ!! 待ちたまえ!! サトウ、人の臣下を引き抜くのは止めてもらおうか!! ほんっと君は恐ろしい子だよ。私だけではなくアドリーヌの心まで奪うとは! わかった、こうしよう。私の身体で払おうじゃないか」
ユウのみならず、ダッダーンを除く全員がなに言ってんだこいつという目をダッダーンへ向けた。
「私は知っているぞ。市井では私のような体型をぽっちゃり体型と呼んで、愛でるそうではないか。さあ、思う存分愛でるがいい!」
「お前、馬鹿か?」
「サトウ様の仰るとおりですわ! 陛下はぽっちゃりではなくでっぷりです!! ああ、サトウ様。うちのオー……主の責任は臣下である私の責任です。モーベル王国がサトウ様よりお借りしているお金は私の身体でお支払いします! さあさあ、善は急げです。私の部屋へと参りましょう!」
「参りましょうではない。ところでアドリーヌ、先ほど私のことをオーガと呼びそうになっていなかったか?」
「まあ! 不摂生でお耳まで悪くなったのですか? 私はオーガではなくオークと呼びそうになっていたのですよ?」
「なお悪いわ!」
「もういいか? 金はまだいいが、ちゃんと返済は考えておけよ」
二人のやり取りに呆れたユウが、もういいやと言わんばかりに投げやりの言葉をはく。
「わかっているとも。だがな? 敗戦国ということもあって、王家御用達の商人たちですら足下を見てくるのだ。その上、ロプギヌス王国への賠償金だ。正直、借入金をもっと増やさねば復興も捗らぬ」
「商人か……そっちはどうにかできるかもしれないな。金の方はもう少し様子を見てから判断するから。あと、これ土産だ」
ユウはアイテムポーチより、バスケット一杯に入ったお菓子をダッダーンへ渡そうとするが、横からアドリーヌが手を出し受け取る。
「アドリーヌさん?」
「サトウ様、大変ありがたい戴き物ですが。見てのとおり陛下は日頃の不摂生で甘い物は厳禁となっています。メイド長として、このように甘いお菓子などを陛下に食べさせるわけにはいきません」
アドリーヌの背後では、ダッダーンが「待ちたまえ! それはサトウがわざわざ私に――」と手を伸ばしてバスケットを奪い取ろうとしているのだが、アドリーヌの鉄壁の防御をすり抜けることはできなかった。
「そうですか。でもせっかく持ってきたんで、よかったらアドリーヌさんたちで食べてください」
「ありがとうございます」
アドリーヌは優雅に礼をするとメイドたちのもとへ向かう。
「サトウ様からの戴き物です。感謝してのちほどいただきましょう」
メイドたちが歓喜の声を上げてアドリーヌに群がる。
「なんですかあなたたち、はしたない。サトウ様の前ですよ」
声を荒らげたわけではないが、アドリーヌの静かな叱責にメイドたちは直ぐ様姿勢を正す。さすがは腐っても長年王家に仕えてきたアドリーヌである。
「見苦しいところを見せてしまったな」
「お前も含めてな」
ユウの皮肉もダッダーンには少しも効いていなかった。
「ところで今日は君一人なのかね?」
「ああ」
「むむ……。なぜだ?」
「お前はモモやナマリについでにラスの教育に悪いからな」
「どういう意味だ!」
「そのまんまだけど」
納得いかないダッダーンの顔は不満気であったが、気を取り直すと。
「まあいい。今日は泊まっていくがいい」
「まあ! 陛下にしてはいい提案ですわ!」
ダッダーンの提案にアドリーヌが笑顔で賛同するが、
「アドリーヌ、私の寝室に枕を一つ追加しておいてくれ」
「あ゛?」
主にしてはいけないドスの利いた声がアドリーヌから出る。再度メイドたちの表情も凍りついていた。
「サトウ、君はいくつだったかな?」
「十三……いや、十四になってたかな」
「そうか。安心したまえ。私は十五歳以下は守備範囲内だ」
「死ねよ」
ユウの言葉にダッダーンを除く全員が同意するのであった。
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