第166話 寂しがり屋
島の象徴とでも言うべき世界樹が山の頂上に聳え立ち、その周囲には百にも及ぶ水生樹が植えられ、空気中に含まれる魔力から水を創り出していた。豊富に創り出される水は世界樹を育み、山頂より溢れ出る水は中腹に造られた窪みに蓄えられ湖となっていた。湖から溢れ出る水は川となり、村の貴重な水源となる。
湖のほとりでは、一人のダークエルフの少女が幸せでしかたがないといった表情で、自らの主にあれこれと世話を焼いていた。
「ご主人様、紅茶を淹れましたのでよろしければどうぞ」
「ん? ああ、ありがとう」
ユウはマリファから紅茶を受け取ると、まず香りを楽しみ次に一口含んで味わう。ユウが美味いなと呟くと、マリファは恐縮ですとばかりに頭を軽く下げるが、耳は真っ赤に染まり嬉しさを隠しきれていなかった。
ちなみにティーカップは、ウードン王都でも一流の食器作りの老舗として名高いロイヤルホーク。テーブルとチェアは木工で有名なウッド・ペインの村の職人が樹齢四百年の大木から作り出した一品物。地面に敷かれている絨毯は、絨毯の三大名産地の一つと知られるマルコーハンの職人が、最高級のシルクを数人がかりで三年もかけて編んだ物である。紅茶の葉も一般庶民では手がでない値段の物を使用しており、これら全ての品々はマリファが自分で稼いだお金で購入した物である。ユウから支払われる給料は、マリファの部屋で大切に保管されていた。
湖では獣人、堕苦、魔落族の子供たちが楽しそうに水遊びをしている。微笑ましい光景とは裏腹に、ユウの表情は優れなかった。
「ニーナ、重い」
ユウの背後から覆いかぶさるようにニーナが抱きついていた。
「えへへ~、こういうのって久しぶりだよね? あっ。ユウ、私にもビスケットちょうだ~い」
自分で取ればいいのにと思いつつ、ユウはビスケットを一つ手に取ると、雛鳥のように口を開けているニーナに食べさせる。美味しそうに咀嚼するニーナであったが、ビスケットに口内の水分を持っていかれたのか、ユウの紅茶へ物欲しそうに視線を向ける。
「ほら、喉が乾いたんだろ?」
「ユウは私のことなんでもわかるんだね~」
少し熱かったのか、ニーナが「熱っ」と舌を火傷する。
「ニーナさん、よろしければこちらの紅茶をどうぞ」
「う~ん、ユウから貰うからいいよ~」
マリファは思わず「ぐぬぬ」っと、唸り声を出すが、ニーナには聞こえていないのか、再度ユウに紅茶をねだる。
「王様~、みてみてお魚~」
獣人の幼女が手に魚を持って、ユウのもとまで駆け寄る。この島にいる獣人族は、様々な種族との間にできた者ばかりで純粋な獣人族はいないのだが、この幼女は犬の獣人の血が濃くでたのか全身真っ白な毛で覆われていた。その姿はサモエドと呼ばれる犬種に似ており、ユウはその姿に今はいないスッケの姿を重ねてしまう。
「おー、大きなの捕まえたな」
湖の中に潜って取ったからか全身びしょ濡れの幼女を、ユウはマリファから受け取った布で拭いてやると、幼女は嬉しそうに目を細め笑みを浮かべた。
「でしょでしょー? このお魚は食べれるの?」
「食べれるけど、増やしてる最中だからな。あんまり取り過ぎないようにな」
幼女は「そっかー」と呟くと、魚を湖に戻すためか遊びを再開するためか、走り去っていく。
「魚くらいであんなに喜んで、あいつらまだまだ子供だな」
水のかけ合いっ子をする子供たちを、どこか冷めた目で見るナマリであったが、全身はびしょ濡れであった。
「ナマリ、その姿では説得力がありませんよ。こちらに来なさい」
マリファが布でナマリの頭を拭く。なすがままのナマリの姿がおかしいのか、マリファが「くすっ」と、笑みを浮かべて濡れたナマリの服を脱がしていく。子供たちの楽しそうな声が気になるのか、ナマリはパンツのまま湖に向かって走っていく。
「ナマリ、待ちなさいっ! まだちゃんと拭けてないのですよ」
「マリ姉ちゃん、平気だよ! 俺は魔人族、強いんだぞー!」
マリファは「もうっ」と、溜息をつき振り返ると、ユウとニーナが自分を見つめているのに気づく。
「ご主人様、どうかされましたか?」
「いや、お前って世話焼きだよな」
「マリちゃんは優しいよ?」
「ニーナさん、違います。私はご主人様にだけ尽くしたいのです」
照れているのか、マリファはユウたちの視線から逃れるように新しい紅茶を淹れなおす。
「あはは、マリちゃん恥ずかしがってる~。
ユウ、この湖も凄いけど。木とか花はヒスイちゃんがぜ~んぶ作ったの?」
「そうだな。ヒスイの能力は凄い。各国がドライアードを保護という名のもと、確保したい理由だよな。育てるのが難しい植物とかも、ヒスイがいれば簡単に育つからな」
ヒスイを絶賛するユウに、ニーナは「ほえ~」と感心し、マリファは興味ないふりをしていたが、マリファの耳はユウがヒスイを褒める度にピクピクと動いていた。
「ところでレナは?」
「レナはね~。島の広さを調べるって飛んでっちゃった」
「島の広さをか……。あいつ、今日中に帰ってこれるかな」
『腐界のエンリオ』の魔物にも慣れてきた頃、時空魔法を使ってステラの墓参りをしに帰ったユウは、焼け崩れ見るも無残な姿と化した家の前で立ち尽くしていた。自分の大切な思い出の家が黒焦げになっていたのだ。ユウがしばし呆然となるのも無理はなかったのだが、ユウは思い出したかのように慌てて家の裏手にあるステラの墓へと向かう。
そこには墓石代わりに置いていた石はどかされ、家と同様に火を放たれ灰と化した墓があった。なにより墓は掘り返されたのか大きな穴が空いており、あるべきはずの遺体が消え去っていた。
「ここまで……ここまでやるのかっ。ジャーダルクか? イモータリッティー教団の奴らか? わかった……そっちがその気ならこっちも合わせてやる。殺してやる……皆殺しだ。必ず後悔させてやる……」
「そこでなにをやっている!」
ユウの背後から声をかけてきた男にユウは見覚えがあった。道具屋の店主で、ユウが何度物を売ってほしいと頼み込んでも、最後まで売ってくれなかった男であった。
「そこでなにをやっていると言ってるんだ!」
男はユウの目の前にくると、再度まくし立てる。
「
「お前……俺が誰かわからないのか?」
ユウに問いかけられた男は一瞬きょとんとするのだが。
「お前みたいな黒髪、一度見たら忘れるわけがないだろうがっ! とぼけたふりをしても無駄だぞ! 俺に叩きだされないうちに、村から早く出て行かんかっ!!」
ユウの耳に男の怒号など全く入ってこなかった。ユウはその場をあとにし、数人の村人に話しかけてみるが、黒髪を珍しそうに見るだけでどの村人も自分のことなど覚えていなかったのだ。
沈みゆく夕日を、ユウは一人山の中腹で寝そべって見ながらレッセル村での出来事を思い出していた。
「ユウ、みーっけ!」
ニーナは隣に座るとユウの顔を覗きこむ。
「マリちゃんが探してたよ。ここでなにしてたの?」
「別になにもしてない」
「ほんとに? そだ。ナマリちゃんがおかしなこと言うんだよ。ユウがね、ず~っと、寝てないって言うんだよ。そんなわけないのにね?」
「ナマリは嘘言ってないぞ」
「どうして寝てないの?」
「『並列思考』ってスキルを覚えてから寝なくても大丈夫になった」
「ほんとうに? 無理してない?」
「ほんとうだ」
ニーナは手で草をいじりながら、なにかユウに言いたそうにそわそわする。
「他にもなにか聞きたいことがあるんだろ?」
「うん。ユウは私のことなんでもわかるんだね。前にね。ユウは一人でどっか行っちゃったでしょ? それって私たちに迷惑かけないためだったのに、今はこの島に人がいっぱいいるでしょ? 私、心配なんだ。ユウって優しいし、寂しがり屋だから……自分だけ悪者になって皆を助けてるんじゃないかなって」
ニーナは立ち上がると、夕日を全身に浴びるように背伸びする。
「はあ? なんで俺がそんなことするんだよ。あれは……ナマリが拾ってきてしかたなくだ。ラスだってトーチャーだって勝手についてきたんだ」
「ユウがそういう風に仕向けたんじゃないの? ナマリちゃん言ってたよ。ユウが休憩したときに獣人の子供を見つけたって、ラスさんを見つけたときもユウが急に道を変えたって、堕苦族や魔落族の人たちもそうなんじゃないの?」
「…………そんなわけないだろ。それに寂しがり屋ってなんだよ」
「えっとね~、ユウは気づいてないみたいだけど、寂しがり屋なんだよ。ほら、この島に来るときに精霊がい~っぱい、ついてきたでしょ?」
「あれは精霊の姿が視える俺を面白がってるだけだ。あと、声も聞こえるからなおさらだな」
「私は違うと思うな~。『精霊の加護』『精霊の呟き』『精霊の祝福』、いくつか精霊と仲良くなれるスキルを持っている人を見たことあるけど、ユウみたいになにもしなくても精霊が集まってくるのは見たことないもん。あれはね。ユウが寂しい寂しいって言ってるから、精霊がどうしたの? って集まってきてるんだよ」
「バカじゃねえの。俺は寂しがり屋でも、誰かのために自分を犠牲にするようなお人好しでもない」
「ほんとうに?」
「誰かのために自分を犠牲にするなんてバカのやることだ」
「ふふ、よかった。私、やっぱりユウが好きだな~」
「いきなり好きってなんだよ。俺には好きって気持ちが、どんな気持ちなのかわからない」
「私も……私もほんとうはわからないんだ」
振り返ったニーナの表情は、夕日が逆光となりユウからは見えなかった。
「なんだそりゃ。ほら、マリファが探してるんだろ? 行くぞ」
「えへへ~、そうだったね」
日が完全に沈み、光から闇が支配する時間に変わる。唯一の光源である月明かりは頼りなく。闇夜の中を一人の少女が空を飛んでいた。
「……ひ、広すぎる。お腹空いた……」
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