第160話 納品

 『腐界のエンリオ』でニーナたちの成長の確認や魔人族との話し合いが終わったユウは、屋敷へ戻っていた。マゴとビクトルへ頼んでいた品の納品が今日の午後からということもあって、本来であればしばしの休息を取るところであったが、居間でソファーに座っているユウの機嫌はあまりよろしくなかった。

 その理由は――


「おうっ! 帰ってきてたなら教えろよな。俺は暇で暇で仕方がなかったぞ」


 木工で有名なウッド・ペインの村の職人が手間暇かけて作ったソファーは適度な反発があり、いつまで座っていても心地よい座り心地を使用者に与えるのだが、ユウの対面ではジョゼフがパンツ一丁でソファーに横になって、主であるユウよりもくつろいでいるのである。


「お前、なにやってんの?」

「あん? 俺がなにかやってるように見えるのか? それより酒くれよ。そうだな、今日はエールって気分だな」

「酒はめでたい日しか飲まないんじゃなかったのか?」

「ユウが戻ってきたからめでたい日だろうが」


 ジョゼフが、なに言ってんだこいつとばかりに言い返す。ユウの後ろに控えているマリファは、ユウがどんどん不機嫌になっていく姿を不安そうに見ていた。ユウの頭の上ではモモが珍しい物を見るようにジョゼフを見つめ、ナマリはジョゼフの筋肉をすっごいなぁ! っと言いながら触りまくっていた。レナはユウから貰ったつもりの魔導書を読むのに夢中である。


「マリファ、エールを持ってきてくれ」

「かしこまりました」


 マリファは台所へ行くと、ユウが創った魔道具、いわゆる冷蔵庫からキンキンに冷えたエールの入った樽を取り出し、グラスに入れて持ってくる。


「か~っ! たまんねえな! キンキンに冷えてやがるっ!」


 グラスに注がれたエールを一気に飲み干すと、ジョゼフはぷはぁっ、と手で口を拭う。


「そうか……。じゃあ、帰れ」

「ばっか野郎。こんなうまいエールを一杯だけで満足できるわけないだろうが。おう。マリファ、おかわりだ」


 マリファはチラッ、と主であるユウの顔を窺った。ユウは溜息をつきながら頷く。


「あ~、エールだけってのも寂しいもんだな。なにかつまみが欲しいところだ」


 ユウがこめかみをピクピクさせながら、台所へ行く。温めたフライパンに油をひき、鳥の皮を放り込む。横では煮だった鍋に枝豆を塩と一緒に湯がく。


「ご、ご主人様っ、そのようなことは私がします!」

「ああ……いいんだよ。ジョゼフの相手すると疲れるわ」


 居間ではジョゼフの腹の上でナマリが飛び跳ねて、鍛え上げられた腹筋の硬さに驚き喜んでいた。モモはジョゼフの無精髭を引っ張り遊んでいる。


「うほっ! パリパリの皮が冷えたエールにあうのなんのってなっ!」


 ジョゼフは熱々のパリパリになった皮を頬張り、エールで流しこむ。枝豆も同様に食べると、エールをまたおかわりする。何度もおかわりするジョゼフに、ユウはマリファに樽ごと持ってこさせると、テーブルの上にどんっ、と置いて勝手に飲めと言い放つ。ジョゼフの横で枝豆を食べていたナマリとモモが、あまりにも美味そうにエールを飲むジョゼフの姿に興味が湧いたのか、エールに手を伸ばそうとしてユウに叱られると、家の外へと逃げていく。


「今日は午後から客が来るから、その前に帰れよ」

「むっ、俺の相手してくれてもいいだろうが」

「昼間っから仕事もせずに酒を飲むいい歳したおっさん。こういうの世間じゃなんて言うんだろうな」

「ご主人様、ダークエルフの間では無駄飯ぐらいのゴブリンと言います」


 ユウとマリファから無言で見つめられたジョゼフは、レナに助けと求めるが、魔導書を読んでいたはずのレナもいつの間にか、ユウたちと同じように冷たい視線をジョゼフへと向けていた。ジョゼフは日曜日に家でごろごろしている父親が、母親からの邪魔だと言わんばかりの視線に耐えかねて出かけるようにエールを飲み干すと立ち上がる。


「あ~っ、モーフィスがにしか頼めない仕事があるって言ってたな。か~優秀な奴は満足に休暇を取ることすらできないわ。あ~できないわ~、あ~辛いわ~」


 ジョゼフは途端に忙しいフリをして、ユウへチラチラと視線を送る。どうだ? 俺は頼られて忙しいんだと目が訴えていたのだが、ユウはその胡散臭い態度をまったく信用していなかった。


「うっ……そろそろモーフィスとの約束の時間だな」


 ジョゼフは下着姿から慌てて服を着て出かける準備をする。


「ジョゼフ」


 逃げるように居間から立ち去ろうとしたジョゼフへ、ユウが鍵を放り投げる。


「お? 嘘じゃないぞ! 俺は仕事で……なんだこりゃ。鍵か?」

「この屋敷の鍵だ。午後から屋敷を数日空けることになる。その間、屋敷は好きに使って構わない。エールは台所に、ワインや干し肉は地下室にあるから」


 ユウたちは酒を飲まない。にもかかわらずエールやワインが置いてあるのはそういうことなんだろう。ジョゼフは、また屋敷を空けるユウたちに少し寂しさを感じながらも、頼まれたことが嬉しかったのか。


「おう! 任せろや」


 頼もしい返事であった。




 ユウの屋敷へと続く道を羊、山羊、牛、馬などが埋め尽くしていた。数人の羊飼いや牧羊犬が隊列を崩さないように誘導し、周囲をマゴとビクトルの雇った護衛が油断なく警護していた。馬車には絹や布から家具などが所狭しと積まれており、当然アイテムポーチなども利用しての運搬であった。


「ホッホ、こちらがユウ様に頼まれた品々です。どれもどこへ出しても恥ずかしくない物ばかりです」

「なんのなんの。私が用意した品々もマゴ殿に決して負けてはいませんぞ」


 屋敷の門前では、マゴとビクトルの商人同士の意地の張り合いが起こっていた。マゴとしては、ユウがDランク冒険者の頃から取引している。他の商人たちがユウの能力を評価し始めた頃には、すでに一歩も二歩も出遅れていたのだ。そこに自由国家ハーメルンの商人が割って入るなど、許せるはずもなかった。かたやビクトルもこんな争いは手慣れたものであった。他国の王族、貴族には当然その国の商人たちが喰い込んでいる。その商人たちを押し退けて、信用、信頼を勝ち取ってきたのがビクトルである。


「ビクトル殿、そんなに対抗心を剥き出しにせんでもよろしいでしょう。確かに・・・私とユウ様のつき合いは、他の商人たちと比べれば比較にならないほど懇意にさせていただいています。ですが……ビクトル殿も、それなり・・・・には懇意になることはできるでしょう」

「いやいや。私はマゴ殿に対して対抗心など持っておりませんぞ。それに私の見たところ……十分・・にサトウ様と仲良くなる隙間はありそうですしな」


 マゴの牽制をさらに煽るように返すビクトルに、ユウはどうでもいいとばかりに家畜や商品の確認をしていく。


「どれも問題なさそうだな」

「ユウ様にお売りする商品ですから。それでこれだけの品々に家畜。どちらへ運べばよろしいでしょうか?」


 マゴの質問はビクトルも興味のあるところであった。ある程度推測はできているが、それを実際に目にすることができるかもしれないと。人懐っこい笑みを浮かべるビクトルの目の奥では、鋭い眼光が隠されていた。


「それなら問題ない。マリファ、頼む」

「かしこまりました」


 マリファはマゴたちに丁寧な挨拶をすると、コロを筆頭にブラックウルフたちが家畜を屋敷の中へと誘導していく。大きな屋敷の庭とはいえ、数百頭の家畜が入りきるわけがないのだが、吸い込まれるように家畜たちは暴れることもなく屋敷の門を次々と潜っていく。その光景に羊飼いや護衛たちは、不思議なものを見るような驚きの表情を浮かべていた。


「これはこれは。驚きましたな。どのようなことになっているのか屋敷の庭を見せていただくことは……」

「ダメに決まってるだろ」


 予想どおりの返答であったのか、ビクトルはそれ以上踏み込むようなことはなかった。屋敷の外壁は唯でさえ無駄に高いのに、今はヒスイの影響で草木が生い茂っている。外から中を見通すことなど不可能であった。


「ユウ様、いずれには教えていただけるのでしょうか」


 マゴの言葉に髭を撫でていたビクトルの手が止まる。


「お前たちとは今後も長いつき合いになるだろうな」


 ユウはマゴの質問をはぐらかしながら布袋を二人に渡した。布袋の中身は白金貨だ。それもぎっしり詰められている。あまりの大金にマゴの護衛や羊飼いたちからは「おおっ!」っと声が漏れ出る。一方ビクトルの陣営からは、そのような素振りは見えなかった。これが他国を相手に長年勝ち続けているハーメルンの商人、ビクトルの実力とも言えた。


「お客様の前ですよ」


 声を荒げたわけではなかったが、声に力が篭っていた。バツが悪そうに護衛たちは視線を逸し、羊飼いたちは作業を続ける。


「ハッハ、マゴ殿。そのように叱っては可哀想ですぞ。普段大金を見慣れて・・・・いない者であれば当然の反応でしょうな」


 マゴは苦々しげにビクトルを見るが、ユウから受け取った金額が予想以上に多いことに気づいた。


「はて。ユウ様、こちらの代金ですが……」

「今回は無理して用意してもらったからな。少し多めに入れてある」

「少しというには多すぎますな。さすがはサトウ様、私はそんなあなたが――」


 ユウへ抱きつこうとしたビクトルであったが、門の隙間からじ~っと覗いているナマリとモモの視線に気づくと、コホンッ、と咳払いして襟を正した。


「お前たち、船とか持ってるか?」

「「船ですか?」」


 ユウの問いかけに、マゴとビクトルが同時に返事し、マゴは嫌そうに、ビクトルは笑みを浮かべて互いに見つめあう。


「いや、気にすんな」


 ユウの失言であったかもしれない。二人は金の匂いがすると、頭の中では凄まじい速さで船を、それも大きな船を持っている商人、伝手、船乗り、船長などが検索されていた。それは王族、貴族などを蔑ろにしてでも、ユウとの商いはやがて莫大な金を生み出すと、二人の老獪な商人は気づいていたのだ。

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