第155話 黒い戦士
Aランク迷宮『悪魔の牢獄』の第三十二層、一組のパーティーがグレーターデーモンを相手に戦っていた。
「よっしゃ! 一匹は倒したぞっ!」
斧、槍、鉤爪を一体化させたハルベルトと呼ばれる武器で、グレーターデーモンの首を斬り裂いた男が叫ぶ。
「でかしたっ! 残りは一匹だ。
ハンヌ、俺が注意を引くから任せたぞ!」
大盾を構えて男がグレーターデーモンへと突っ込んでいく。グレーターデーモンの背後では、ハンヌと呼ばれた男が神聖魔法の詠唱を始めていた。
「うおおおおおっ!! 盾技『鉄壁』!」
人の頭部ほどもあるグレーターデーモンの鉤爪が振り下ろされ、大盾を構えた男が受け止める。盾技『鉄壁』によって全身が鉄のように頑強になった男であったが、それでもなおグレーターデーモンの膂力は男の予想を上回っていた。
「ハンヌっ、まだかっ!」
グレーターデーモンの圧力に屈しそうになった男の叫びと同時に、ハンヌの神聖魔法第3位階『聖炎』がグレーターデーモンを包み込んだ。
「ゴア゛ア゛ア゛アアアオオオオオオォォォォッ!!」
グレーターデーモンの悲鳴が辺りに響き渡る。聖なる炎により焼き尽くされたグレーターデーモンは消し炭と化していた。
ランク6のグレーターデーモン、強力な再生に高い魔法耐性、強靭な肉体には生半可な武器ではかすり傷程度しか与えられない。それも二匹相手に勝利したこのパーティーは優秀な冒険者といえるだろう。
「ヘルマンニ、急いでグレーターデーモンから皮を剥ぎ取るぞ。ハンヌはエステルの回復を頼む」
「へへ、消し炭になったグレーターデーモンはちと勿体ないな」
ハルベルトを肩に担ぎながら、ヘルマンニと呼ばれた男が黒煙を上げるグレーターデーモンの死体に目を向ける。
「仕方ないさ。こいつらは異常な再生力で生半可な攻撃じゃ死なないからな。それに奇襲を喰らったエステルが恐慌状態のままだ」
天魔族の多くが持つ状態異常攻撃に『恐慌』がある。喰らった者はパニックになり、しばらくの間は使い物にならないのだ。
「お喋りはもういいだろう。ここはAランク迷宮『悪魔の牢獄』、呑気にしていられるほど安全な場所じゃない」
「それもそうだ。さっさと剥ぎ取って、王都の酒場で一杯やろうぜ」
ヘルマンニが剥ぎ取り用のナイフを手にグレーターデーモンへと近づくと、ほとんど千切れかけていた首が八割方再生し、残りの傷も触手のように肉が蠢き繋がろうとしていた。
「こ、こいつ死んでねえっ!?」
「ヘルマンニっ! 止めを刺せ!!」
「メ゛エ゛エ゛ェェエェッェェェェェエエッ……ゲブッ」
奇声を発するグレーターデーモンの首へ、ヘルマンニがハルベルトで止めの一撃を放った。
「ま……拙いぞ。今の叫び声……仲間を呼びやがった。ハンヌ! エステルの回復はまだか?」
「まだかかる。思っていたより精神に大きなダメージを受けている」
「急げっ! すぐに……っ!? 来やがった……」
最初に現れたのはレッサーデーモンであった。口から溢れ出る涎は、腹を空かせた肉食獣を思わせた。
「レッサーデーモンか。エンシオ、この程度なら大丈夫だ」
ヘルマンニがレッサーデーモンに襲いかかろうとしたそのとき、レッサーデーモンの背後から現れたグレーターデーモンがレッサーデーモンを地面へと叩き潰した。脳髄を撒き散らせながらも藻掻くレッサーデーモンであったが、やがて動きを完全に停止させる。その後も次々と現れるグレーターデーモン、その数は九匹にも及んだ。
「撤退だ! 転移石の準備をしろ!」
「待ってくれ! 今のエステルの状態じゃ転移石を使うことができない!」
転移石は使用することで迷宮から脱出することができるアイテムである。迷宮探索する際は必須のアイテムであるが、使用する際は本人が魔力を込めなければ発動しないのだ。
「もう一度言うぞ。すぐに転移石を使え」
エンシオの言葉は、エステルは見捨てるという意味が込められていた。ヘルマンニの顔が絶望に歪み、いまだ意識が混濁しているエステルへと目を向けるが、迷いを振り払うかのようにアイテムポーチから転移石を取り出すと発動させた。次にエンシオも同じように転移石を発動させる。非情とも言えるが、冒険者としては正しい選択であった。一時の情によって全滅する冒険者は、想像以上に多い。
「待ってくれっ! 俺たちパーティーだろっ! ずっと一緒にやってきたじゃないか!! エステルは……エステルは俺たちの幼馴染だろうがっ!!」
泣き叫ぶハンヌの声に応えるものは誰もいなかった。残されたハンヌはエステルを抱き締めて覚悟を決める。自分が守らなければ誰がエステルを守るのだ。
獲物が減ったことでグレーターデーモンは焦ったのか、ハンヌたちは逃さないとばかりにゆっくりと、だが確実に迫ってきていた。
逃れられない恐怖を振り払うかのように、ハンヌは神聖魔法の詠唱をし始める。いよいよとなった際にはエステル諸共……死を覚悟したハンヌであったが――
「助けは必要か?」
突然背後から聞こえた呼びかけに、ハンヌは身構える。恐る恐る後ろを振り返ると、そこには全身黒一色の鎧に巨大な戦斧、大鎚を両手に持った戦士が立っていた。神聖魔法の使い手であるハンヌにはすぐにわかった。戦士の纏う装備のほとんどが呪われていることに。なにより甲冑だけではなく戦士自体も黒かった。顔は鬼のような面で覆ってはいるものの、鎧や面の隙間から見える肌の色は黒、口からは牙も見える。その立派な体格と牙から鬼人族かと思ったハンヌであったが、青色や赤色の肌を持つ鬼人族ならまだしも、黒色の肌の鬼人族など見たことも聞いたこともなかった。
「聞こえておらぬのか? 助けは必要かと聞いておる。要らぬのなら某は先を行くぞ」
「ま、待ってくれ! 助けて……俺たちを助けてくれるのか?」
ハンヌの問いかけに黒色の戦士から返事はなかったが、返事の代わりとばかりにそれぞれの手に持つ戦斧と大鎚を両手いっぱいに広げて、グレーターデーモンたちを威嚇するように歩いていく。それぞれが両手で扱う超重量の武器を、小枝でも扱うかの如く片手で持つその姿に、その背中に、危機的な状況であるにもかかわらず、ハンヌの中ではなぜか安堵が広がっていた。相手はグレーターデーモン、それも九匹。普通に考えればたった一人で勝てる相手ではない。
「ゴオ゛オ゛オオオオッ!!」
突然の乱入者。食事を邪魔されて気分を害したのか。一匹のグレーターデーモンが黒い戦士に跳びかかった。身長約二百七十センチ、体重は三百五十キロは超える巨体とは思えぬ跳躍力で、黒い戦士へと自慢の鉤爪を降り下ろした――のだが。
一撃――ハンヌの目には黒い戦士の左腕が一瞬消えたかのように見えた。左に握る大鎚が消えたと思った瞬間、並の武器ではかすり傷すらつけることのできないグレーターデーモンを叩き潰していたのだ。ヘルマンニのように『斧技』や『槍技』を使ったわけではない。ただ無造作に振るわれた一撃で、グレーターデーモンは息絶えていた。頭部から股間にかけて縦に潰されたその死体は、どこか滑稽な姿にも見えた。
「た……たった一撃で…………グレーターデーモンを……倒した?」
目の前の光景にハンヌは信じられないと言った表情を浮かべていた。一方のグレーターデーモンも同じ気持ちであったのであろう。自分たちより遥かに小さな生き物に仲間が簡単に殺られたのだ。八匹のグレーターデーモンは固まったまま、黒い戦士を見つめていた。
「次――」
黒い戦士の言葉にグレーターデーモンたちの身体がビクッ、と反応する。知らず知らずのうちにグレーターデーモンたちは後退していたのだ。黒い戦士の身振りでわかったのだろう。自分たちを恐れるどころか歯牙にもかけていないことに。強者として生きてきたグレーターデーモンたちのプライドが大きく傷つけられた。激昂したグレーターデーモンたちが一斉に黒い戦士へと群がる。
横薙ぎに振るわれた戦斧を受け止めようとしたグレーターデーモンが、受け止めようとした腕ごと真っ二つになり、頭部に止めの大鎚が降り下ろされる。次のグレーターデーモンは黒魔法第5位階『迅雷』を放つが、黒い戦士は空から降り注がれる雷を喰らいながら、縦一文字に斬り裂く。三匹のグレーターデーモンが一斉に状態異常攻撃の『恐慌』を放つも、黒い戦士は意に介さず屠っていく。残る三匹が勝てぬと逃げようとするも、黒い戦士は背後より一匹一匹確実に屠っていった。
「勝った……信じられない」
ハンヌは自分たちが助かったことがいまだ信じられぬのか、気の抜けた表情であった。
「この程度の相手に……某もまだまだ未熟」
黒い戦士はグレーターデーモン相手に圧勝したにもかかわらず納得がいかない様子であったが、グレーターデーモンたちから魔玉を剥ぎ取ると、そのまま去ろうとしたので慌ててハンヌは呼び止める。
「待ってくれ! あんたは……いや、あなたは何者ですか?」
黒い戦士は歩みを止めると、ハンヌの方へ振り返った。
「某は偉大な主に仕える一匹の下僕。それ以上でも以下でもない」
あれほどの力を持っていながら「下僕っ!?」っと、驚くハンヌをよそに黒い戦士は名も名乗らずに去っていく。その後、助かったハンヌと意識を取り戻したエステルがお礼をしようと、王都で黒い戦士を探すのだが、黒い戦士を見つけることは終にできなかった。しかし、王都の冒険者たちの間ではある噂が拡がっていた。『悪魔の牢獄』で全身黒尽くめの戦士を見かけても、決して手を出してはいけない。噂を信じずに一笑に付したある冒険者たちがいたのだが、その冒険者が戻ってくることはなかった。迷宮内で死んだのだろうと言う者や、黒い戦士に手を出して返り討ちに遭ったのだと言う者もいたが、真実は闇の中である。
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