第152話 追跡
獅子と山羊の頭を持つ魔物、ロットンキマイラ。それぞれの口より炎、吹雪が放たれる。
迫りくる炎と吹雪をレナの結界が弾き、お返しとばかりに黒魔法第5位階『爆焔』がロットンキマイラを包み込む。
灼熱がロットンキマイラを襲うが、残念ながら相手は痛みを感じないアンデッドである。強引に炎を振り払い、レナへと突っ込んでくる――が、突如巨岩でも背負ったかのごとくロットンキマイラが地にひれ伏す。目を凝らせば焼け爛れた身体のあちこちに、マリファの操る一匹八十キロもあるオスミウム虫がへばりついていた。
身動きの取れなくなったロットンキマイラへ、ニーナが止めを刺すべく駆けると、かろうじて動く獅子の頭部が炎を吐く。しかしニーナは迫りくる炎を躱しもせずに、左手に握る黒竜・牙で斬り裂いた。二つにわかれた炎がニーナの後方の岩にぶつかると、高温により岩が溶ける。
「しっ!」
ニーナの気迫の篭った声と同時に、ロットンキマイラの獅子と山羊の頭部が空へと舞った。頭部を失いながらも蛇の尾がニーナへ一矢報いようと襲いかかるも、コロとランが尾を噛み千切る。そこまでしてやっとロットンキマイラを倒すことに成功する。
『腐界のエンリオ』三十五層、ユウがニーナたちのもとを離れたあと、魔物の襲撃が数度あった。だが、いずれもニーナたちによって撃退されていた。
「なぜマスターはこの
思わずラスの口から独り言が漏れた。
ユウと自分の力があれば一国を落とすことすら容易。それどころか、
自身の目的とユウへの忠誠。ジレンマからラスは自然と手に力が入る。皮膚と肉のない骨が剥き出しの手からは、鈍い乾いた音が聞える。いっそ目の前の者たちを亡き者にすれば……良からぬ考えがラスの頭を過るが、そんなことをすれば間違いなくユウは自分を許さないだろうと堪える。
「マスター、お帰りなさいませ」
音もなくラスの背後に現れたユウが声をかけるより早く、ラスは膝をつきユウを出迎えた。
「なにか変わったことは?」
「問題ございません。死徒との戦闘はいかがでした?」
「予想より強いな。番号が若いほど強いんだよな?」
「私が知るかぎりでは」
「ラス、水晶の作成を急いでくれ。でき次第3rdジョブに就く」
「はい。かしこまりました」
ラスはユウがどこか焦っているように感じていた。当初の計画では『英雄』『勇者』『天地創造』、これらの内どれか一つに就けるようになるまでは、転職しないはずであった。
ラスが違和感を感じ始めたのは、ナマリに五体目の魔物を植えつけている頃である。ナマリは四体目の魔物を植えつけた時点で、すでに隔絶した力を持っていた。だが、ユウはその後もナマリの強化を止めるどころか、さらに強化し続けていたのだ。そんなユウに対して、ラスは「マスター、なぜナマリを強化し続けるのですか?」と幾度か尋ねるも「特に理由はない」。ユウの答えは決まってこうであった。嘘なのは明白で自分が信用されていないと、何度ラスが落ち込んだことだろうか。
しかしラスはユウと行動している内に気づく。ユウは自分を信用していないのでなく、誰も信用していないということに。
「マスターはなにを焦っておられるのですか?」
「なんだよいきなり。俺のどこが焦ってるんだよ?」
「私にはわかります。私のことが信用――」
「ユウ~おかえり~!」
「あっ! ニーナ姉ちゃん、ズルい!」
ユウとラスの会話を遮るように、ニーナがユウへ飛びついた。それを皮切りにナマリがユウの足にしがみつき、モモが高速で飛翔しながらユウの頭の上でクルッ、と回転して着地するとそのまま寝そべる。
「ほらっ、あれ見て見て~。私たちが倒したんだよ~」
「へえ、やるじゃないか」
「でしょでしょ~」
ニーナはラスからユウを引き離すようにレナたちのもとへ押しやった。
ユウがレナたちのもとへ向かうと、ニーナはラスの耳元で囁く。
「ラスさん、ダメだよ~」
「なにがでしょうか?」
「ユウに変なこと言おうとしたでしょ? ユウはねえ~誰も信じちゃダメなんだよ」
「私にはニーナ殿の言っている言葉の意味がわかりません」
ユウを追いかけるようにニーナが駆ける。
「うん。わからなくていいよ~。私だけがわかっていればいいの」
途中で振り返ったニーナは笑みを浮かべ、ラスを見つめる。一瞬ニーナとラスの視線が絡み合う。本来であれば笑みとは相手に友好的な印象を与えるものである。しかしニーナの笑みを見たラスは正反対の印象を受け取っていた。
(あの女……)
「おじいちゃん、まだ怒ってるの?」
「怒っとりゃせんわい」
『腐界のエンリオ』六十七層、ドルムたちは転移石で迷宮から脱出せず、かといって六十五層に上がるわけでもなく。さらに下層へと移動していた。これは外に待ち伏せしている可能性や、ヤーコプの言動から上層より降りてきたと判断してのことであった。
「でもーあのまま殺りあってたら、おじいちゃん抑え利かなくなってたでしょ?」
「うむ……確かに迅雷の言うとおりじゃな。じゃが、あれほどの
「あの子、すごいよねー。あれだけ広範囲の結界を維持しながら、おじいちゃんと戦ってたからね。それにおじいちゃんは気づいてなかったみたいだけど、魔力の糸が全身にまとわりついてたよ」
「なんと。しかし目に見えぬ程度の魔力が込められた糸で、儂の動きを阻害なぞできんはずなんじゃが」
「それはおじいちゃんの死角をついてただけだよ。私からはハッキリと目に見えるほど強い魔力が込められてたからね。少しは魔法のお勉強もした方がいいよ?」
「ふんっ、魔法など女子供の使うもんじゃ!
じゃがおかしいのぅ……儂の動きを鈍らせたのが魔力の糸の仕業と言われれば納得できるが、感覚や知覚にまで影響を及ぼすことなどできんはずじゃ」
呑気に会話をしながら歩くドルムたちであったが、ここは『腐界のエンリオ』の六十七層。上層や中層に比べ魔物の数が減るとはいえ、逆に質は上がる。一匹のアンデッドと化した雷竜が二人の行く手を阻んだ。
「もうー頑固なんだから、えいっ」
アーゼロッテの可愛らしいかけ声とは裏腹に、黒魔法第7位階『雷神』の雷と轟音が雷竜を貫く。雷竜は悲鳴を上げる間もなく滅び塵と化す。
アンデッドとなり、肉は腐り鱗が所々剥がれているとはいえ、高い魔法耐性を誇る竜族。しかも雷に対する高い耐性を誇る雷竜をたった一発の、それも雷の魔法で倒すアーゼロッテの強さは異常である。
「それにしても、教主様はなぜユウ・サトウの髪や肌の色などを知りたがったのか気になるのぅ」
「それはおじいちゃんが直接みーちゃんに聞いてよー」
「それもそうじゃな。じゃが、今はそれよりこやつらを殺すのが先かのぅ」
肉の塊が砂煙を上げながら凄まじい速度でドルムたちの手前で止まる。肉の塊からポンッ、という音とともに男の顔が飛び出す。
「いたいた~。さすがヤーコプさんだね」
肉の塊を追うように、空から大型の魔蟲が地面へ着地する。魔蟲の背にはヤーコプとレンナルトが乗っていた。
「ヤーコプの爺さん、もう少し乗り心地は良くならねえのか? 尻が痛くて仕方がないぜ」
「黙らっしゃい! 乗せてもらっている分際で文句があるなら自分の足で走らんかっ」
「お~怖っ」
レンナルトは魔蟲から降りるとドルムたちを一瞥する。
「ドワーフの爺にエルフのガキか……こいつらが本当にあの死徒なのか?」
「レンナルト、時間はかけられぬぞ。儂らはウードン王国の許可なく国境を越えてきておる。『十二魔屠』は一人一人が一軍に匹敵する力を持っておる。早う死徒を片付けて戻らねば、ちと面倒なことになるでのぅ」
勝って当たり前のようなヤーコプの言葉にドルムが反応する。
「この爺はなにを言っておるんじゃ。お主らが一人で一軍に匹敵するのなら、儂らは一人で一国に匹敵するわい。ごちゃごちゃ言っておらんで、さっさとかかってこぬかっ!」
「あははー、この人たちって面白いね。私たちに勝てるつもりなんだ」
自らが負けるなどと微塵も思っていない五名が睨み合う。
『腐界のエンリオ』六十七層にて、人外の戦いが始まろうとしていた。
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