第146話 二百十七番

 聖国ジャーダルクの宮殿内でも限られた者しか立ち入ることのできない場所を、一人の女が歩いていた。女の出で立ちは右目にアイパッチ、レザーアーマーにショートソードと、宮殿内で奉仕する信者とは思えない格好である。しかし、廊下ですれ違う信者たちはそんなことを気にも留めないで、女の横を通り過ぎていく。

 女は一際豪華な扉の前に来ると、リズミカルにノックする。


「こんこんこん~、こんこんこん~、あ~、私っす。皆大好きフフっす!」


 なおもノックを続けようとしたそのとき、扉が開かれる。


「そんなにノックをしなくても聞こえています」


 メイド姿のチンツィアが冷めた目でフフを叱る。


「うへっ、チンツィアさんじゃないですか」

「私だとなにか問題でも?」


 フフは大袈裟に驚き、額をぺしりと叩いた。チンツィアに案内され室内へ入ると、いつものようにドゥラランドは読書を楽しんでいた。


「ドゥラランド様、只今戻りましたっす!」

「なんですかその話し方は」

「いや~、カッコイイっしょ? チンツィアさんもそんな無愛想な喋りか……あいたっ! なにするんっすか!?」


 チンツィアに後頭部を殴られたフフが蹲りながら睨むが、チンツィアは何事もなかったかのようにドゥラランドの傍へ移動する。


「はは。二人のやり取りは毎回見ていて飽きないな」

「こっちはいい迷惑っすよ。それよりこれ見てくださいっす!」


 フフは右目のアイパッチを取ると、青い瞳から稲妻が迸る。


「で、今度はこうっす!」


 再度アイパッチをつけて外すと、赤い・・瞳から今度は炎が迸る。


「フフは目を集めるのが趣味だったな」

「そうなんっす! 雷の魔眼に炎の魔眼っす! かっこいいっしょ? 次は……痛いっす!」


 再度自慢のコレクションを自慢しようとしたフフだったが、チンツィアに頭を叩かれる。


「あなたはなにをしにここに来たのですか」

「はっ!? 忘れてた。これが報告書っす」


 フフからの報告書に目を通すドゥラランドであったが、途中で手が止まる。


「フフ、これはなにとも中途半端な報告だな。パッシブスキルは全部、アクティブスキルは途中、固有スキルに関しては白紙じゃないか」

「そうなんっすよ!」

「なにを自慢気に言っているのですか」


 チンツィアに頭を叩かれると思ったのか、素早く距離を取るとフフは柱の後ろから顔だけを覗かせる。


「理由があるっす。理由を聞いてもらえば納得してもらえるはずっす」


 柱の後ろから、フフの頭頂で縛った玉ねぎみたいな髪がチラチラと見えてチンツィアを苛つかせる。


「あはは。フフ、大体想像はつくが言ってみなさい」

「殴らないっす? 本当にチンツィアさんは乱暴なんっすから……ひぇっ、言いますから拳を握り締めないでほしいっす!

 実はですね。ドゥラランド様も知ってのとおり、私の解析の魔眼は一定の距離まで近づかないと効果がないっす。一定と言っても三百メートルほどの距離なんで、普通は気づかれるはずがないんっす。だけどあのサトウって少年と目が合った気がしたんで、私は逃げたっす。いや~大変だったっす。慌てて飛竜を魅了の魔眼で捕まえて、そっから寝ずにジャーダルクまで帰って来たんっすからね」


 腕を組みながらウンウン首を縦に振るフフとは別に、チンツィアの髪はわなわなと震えるように逆立つ。


「ではあなたは確証もないのに、サトウと目が合った気がしただけで任務を放り投げて逃げてきたと?」

「そうっす!」


 チンツィアはフフを追いかけるが、フフも捕まるわけにはいかないとばかりに室内を逃げ回る。話を聞いていたドゥラランドは本を閉じる。


「チンツィア、やめなさい。フフの行動は間違っていない」


 ほら見ろと言わんばかりに、フフはチンツィアにフフンと鼻を鳴らすが、その隙に捕まり顔を鷲掴みされる。頭部からはミシミシ……と聞こえてはいけない音が鳴り始める。


「ドゥラランド様、なにを言っているんですか? なにか悪い物でも食べました? あっ、元から……」

「おいおい、酷い言い草だな。実際、七番と連絡が取れなくなっている。恐らくすでに死んでいるだろう」

「あ~痛かったっす。七番ってナナさんっすよね? あの人が任務失敗するなんて驚きっす」


 チンツィアの拘束から逃れたフフが、こめかみを擦りながら恨めしげにチンツィアを見る。


「相手も並じゃないってことさ。

 それにしても……あれだけ生贄・・を捧げたからには一つのはずがないと思ってはいたが、はは、これはステラに一杯食わされたかな。

 フフ、サトウに変化はなかったか?」

「変化っすか?」

「そう。例えば髪の毛の色や肌、瞳の色なんかはどうだ?」

「無茶言わないでほしいっす。髪の毛や肌の色はともかく、瞳の色がわかる距離まで近づくには危険な相手っす」

「ふむ。しかし……ユウ・サトウは欲張ったな。これは間違いなく簒奪系のスキルを持っているのは間違いない。これだから無知ってのは怖い」

「簒奪……『超越者』ガジンと同系統のスキルですか?」


 流れるような動作でチンツィアはグラスにワインを注ぐと、ドゥラランドへ渡す。


「ありがとう。そう、ガジンだ。彼は大賢者と戦って死んだことになっているが、真相は違う。

 あれは自爆・・だ。もっともその影響で大賢者も無傷とはいかなかったみたいだね」

「今さらっすが、そんなにサトウの変化を知りたかったのなら、ナナさんに聞けば良かったじゃないっすか。あの人すっごく目が良かったはずっす」

「ナナとは連絡がつかなくなったんだから仕方がない」

「そうっすけど……じゃあ、あの人はどうっすか? に、に~、忘れたっす」

「二百十七番?」

「それっす! 思い出したっす。ニーナ・・・さん!」

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