第132話 ネームレスの実力

 ヴァイゴが準備運動のようにミスリルでできたシャムシールと呼ばれる曲刀を振るう。軽く振るわれたにもかかわらず曲刀は空気を斬り裂き、ヴァイゴの実力が確かなモノだと理解するには十分であった。

 身体をほぐしたヴァイゴは悠然とマリファのもとまで歩いて来るが。


「一人だけでよろしいのですか?」


 その言葉にヴァイゴだけでなく、皆が最初なにを言っているのかが理解できずにいたが、いち早く言葉の意味を理解したヴァイゴの顔が怒気で真っ赤に染まる。


「俺一人じゃ、お前の相手をするのに力不足だって言いたいのか?」

「こちらは最初から全員を相手するつもりでした。あとから言い訳をされないよう全員で来られてはどうで――」


 ヴァイゴはマリファの言葉を遮るように攻撃を仕掛ける。不意打ちとも言えるヴァイゴの攻撃であったが、そこに文句を言うものは誰もいない。

 これは騎士団などが行う正々堂々とした試合ではない。審判もいなければルールもあってないようなもの、場合によっては生死も問わずだ。


 横薙ぎに振るったヴァイゴの曲刀がマリファの首元へ迫る。首元に曲刀を押し当てて降参を促せば終わり。簡単な仕事だと内心ヴァイゴは思うのだが、曲刀がまるで鋼鉄でできた壁にでも叩きつけたかのように高音質な音を立てて弾かれる。

 慌ててマリファから距離を取るヴァイゴが見たものは、黒い帷幕いばくのようなモノを纏っているマリファの姿であった。


「なんだ……そりゃ」

「妖樹園の最下層に生息する黒霧羽蟻です。小さな外見とは裏腹に全身が鋼のように硬く重いので、生半可な攻撃など弾き返してしまいます。それにしても話している最中に攻撃を仕掛けて来るとは――」

「卑怯だって? そいつは悪かったな!」


 今度は剣技LV2『乱れ突き』で蟻の隙間を狙うヴァイゴであったが、蟻が作り出す帷幕を抜けた先にはすでにマリファの姿はなく、コロの背に乗って十メートルも離れた場所に移動していた。


(は、速いっ!)


「いえ、これはお互いのクランが潰れるかどうかの言わば殺し合いです。それに不意打ちはお互い様・・・・ですから」


 ヴァイゴがマリファの言葉の意味を知ったのは、首の後ろに重さを感じ、首にぶら下がるなにかを無理矢理引き千切った時ときであった。ヴァイゴは手に握るモノを見ると、思わず「うっ」と短い悲鳴を上げた。手には血をたらふく吸って二十センチほどまでに膨らんだ蛭が、口をパクパクさせながらまだ吸い足りないとばかりに鳴いていた。


「ハングリー・リーチです。あと少し気づくのが遅ければ失血死していましたね。

 余計なお世話ですが早く傷を塞いだ方が良いのでは? と進言します。そのままだと血は延々と流れ続けますよ」


 ハングリー・リーチを地面に叩き付けると、ヴァイゴはアイテムポーチから薬草を練った軟膏を取り出し、首の傷口へ塗りつける。格下相手の楽な勝負と思っていたヴァイゴであったが、手玉に取るどころか逆に翻弄される結果となり余裕がなくなりつつあった。


「あなたが私に勝つには接近戦に持ち込むしかないと思うのですが、そんな悠長にしていていいんですか?」


 敵に助言されるヴァイゴの無様な姿に、周りの者たちが煽り、『赤き流星』の仲間たちからは罵声が飛び交う。

 怒髪天を突くが如く怒りで我を忘れそうになったヴァイゴであったが、自身の足元に漂う白い霧に気づく。

 白い霧はマリファのもう一匹の従魔、雲豹のランの身体から滲み出るように漏れ出していた。

 ヴァイゴは勝負が始まる前にデリッドから聞いていた情報を思い出す。マリファの従魔である雲豹には、通常の雲豹とは違い固有スキル『雲海』を持っており、その能力は魔力を雲状に変化させ周囲を覆い尽くしてしまうことであった。さらに厄介なのが雲海の中では探知系のスキルが封じられ、且つ雲海の中ではランだけが手に取るように相手の状況を把握できるのであった。


 雲海はすでにランを中心に数十メートルにまで拡がり、ヴァイゴの腰の高さにまで積もっていた。このままでは雲海の中で嬲り殺しにされるのは明白だと悟ったヴァイゴは、慌てて雲海の外にいるマリファに接近戦を仕掛けようとするが、転んでしまう。

 いつの間に接近して来たのか、足首にはランの長い尻尾が巻きついており、ヴァイゴが曲刀で斬りつけようとするが、俊敏なランは一瞬にしてその姿をあとにし、雲海の中へと隠れてしまう。

 さらにそのときを狙ってかのように黒い矢が飛んで来るが、ヴァイゴは舐めるなとばかりに矢を手で掴む。


「この程度の弓の腕で俺を射殺せるとでも……ぎゃあ゛あ゛ああっ!!」

「躱せばよかったのに、私の矢をわざわざ掴むなんて悪手以外の何物でもありません」


 ヴァイゴが掴んだ黒い矢の正体は木の矢にバレットアントをまぶしたモノであった。

 バレットアントの尻にある毒針に刺されたヴァイゴの叫び声と、バレットアントの金切り声が周囲に響き渡る。のたうちまわるヴァイゴは、闘技を身に纏うことでバレットアントを吹き飛ばすが、すでに全身を刺されており痙攣を起こしていた。

 満足に身動きのできないヴァイゴの傍に、マリファは悠然と歩いて来ると。


「まだ続けますか?」

「がっ、あ゛あぁ、ぐぁ……が、勘弁し、でく……れ。こ、降参……だ」


 『ネームレス』と『赤き流星』の初戦は、マリファの無傷での完全勝利となる。圧倒的なマリファの強さと冷酷さに、マリファ派の者たちが狂喜乱舞する。一方『赤き流星』の団員たちは歯軋りしながらニーナたちを睨みつけた。

 まさかのヴァイゴの敗北にデリッドの口元から笑みが消える。相手はしょせんDランクになったばかりの、たかが従魔二匹に虫を使う程度と侮っていたデリッドであったが、次に万が一負けることになれば『赤き流星』は解散である。

 ニーナたちの陣営を見れば次の相手はレナという小娘。だがデリッドはレナに関して不安なことがあった。ニーナ、マリファに関しては眼鏡の魔導具に備わっている『解析』によってステータスを見ることができたのだが、レナだけは常時全身に結界を纏っているためにステータスを見ることができずにいたのだ。デリッドの持っている眼鏡の魔導具に備わっている『解析』のレベルは5、つまりレナは解析LV5を以てしても見ることができないほど強力な結界を展開しているということであった。


「ソルンム、次はお前が行け」

「デリッド、本気で言ってんのか? 相手はこの前Cランクに上がったばかりの、言っちゃなんだが小娘だぜ」

「次負ければ『赤き流星』は解散なんだぞ? それとも俺の決定に不満でもあるのか?」

「わかった。わかったからそう睨むなよ」


 ソルンムが前に出てくるとラリットたちの周辺がざわついた。


「ソルンムだ。Bランクで火力特化の後衛を出して来るたぁ、あっちもなりふり構わず来やがったな」

「Bランクを出して来るってことは、レナが負ければ次に出て来るのはデリッドじゃねえのか?」

「はあ? レナちゃんが負けるわけねえだろうが! ソルンムの野郎、もしレナちゃんに怪我でもさせてみろ。ぶっ殺してやる!」


 レナとソルンムは約三十メートルほど離れて対峙するが、すでにお互いの殺傷圏内であった。


「嬢ちゃん、悪いが副団長の命令だ。ぶっ倒させてもらうぜ」

「……こちらの台詞。あなたたちはニーナに酷いことをした。纏めて・・・倒すから」


 先に仕掛けたのはソルンム、無詠唱の使い手であるソルンムの持つ杖の先に魔力が集まり、魔法が完成する。発動したのは黒魔法第4位階『エクスプロージョン』、第4位階にもかかわらず、ここまで早く発動できるのはさすがBランクのソルンムと言えるだろう。


「ジョゼフ、レナの方も無詠唱の使い手だけど、僕には全く魔法の準備をしているように見えないのは気のせいかな? それとも僕が気づいていないだけで魔法は完成しているのかな?」

「うるせえな。黙って見とけ」


 ソルンムもムッスと同じ考えであった。レナが無詠唱を使えることはソルンムも知っていたので、この勝負はいかに早く強い魔法を相手より完成させるかが勝敗をわけると考えていただけに、動きのないレナに怪訝な表情を浮かべた。


「嬢ちゃん、俺の魔法はもう完成しているが、そのまま死ぬ気か?」

「……それがあなたの全力?」


 レナの一言はBランクにまで上り詰めたソルンムのプライドを傷つけるに十分であった。


「死んでも恨むなよ!」


 ソルンムのエクスプロージョンがレナ目掛けて放たれると、ヌングとジョズはムッスを護るため前に出る。

 エクスプロージョンの赤い魔力球がレナの結界に触れると同時に爆発、爆風によって地面がめくり上がり、衝撃の余波とともに草や土がニーナたちのもとまで届く。

 レナがいた場所の土煙が晴れると、そこには変わらぬ姿のレナが立っていた。


「俺の……エクスプロージョンを結界だけで受けきっただとっ!?」


 レナの無事な姿に沸き立つレナ派の男たち、「幼女最高っ!」と揃って手を振り上げ叫ぶが、レナがその一団を睨んでいるのをジョズは見逃さなかった。


「……次は私の番、パンプキンハット」


 レナはアイテムポーチから大きなカボチャの帽子を取り出すと被る。こんなときにふざけるとは思えないソルンムであったが、その姿に気が抜ける。逆にレナ派の男たちはその可愛らしい姿に狂ったかのように興奮していた。


「ソルンムっ! なにをしている。全力で魔法を放て!」

「っと……わかってる。嬢ちゃん、今度はもっと強力な……っ!?」


 さらに強力な魔法を発動させようとしたソルンムであったが、レナの持つミルドの杖の先に莫大な魔力が集まるのを見て、慌てて自身の使える最高の魔法に変更する。


「バカめっ! 相手を舐めるから慌てる羽目になる。最初から全力で戦え!」


 レナの魔力を見て本気になったソルンムに、思わずデリッドの口から罵声が飛び出す。


 遅れて魔法を発動させたソルンムであったが、同時に魔法が完成する。詠唱速度に関してはソルンムの方が上回っていたのだ。

 ソルンムが放った魔法は黒魔法第6位階『氷槍極壁』、対するレナが発動させたのは黒魔法第6位階『雷鳴迅嵐』――だが、使用するMPが十倍になる代わりに使用する魔法の位階を一段階上げるパンプキンハットの能力によって、黒魔法第7位階『風神雷神』が発動する。

 レナ目掛けて巨大な氷の槍が視界を埋め尽くすように飛来する。その光景はまるで巨大な氷の壁が迫るように見えた。レナの身を案じて絶叫する者たちの声など聞こえてなどないとばかりに、氷の壁目掛けてレナは魔法を放つ。


 鎧袖一触――まさにその言葉が当て嵌まるだろう。

 レナの放った荒れ狂う雷と風は氷壁を一瞬にして吹き飛ばす。

 自身が使える最高の魔法を呆気なく吹き飛ばされたソルンムは、自信を喪失している場合ではなかった。慌てて土魔法で地面に穴を作ると、穴の中へ逃げ込み間一髪で助かる。暴力を目に見える形にしたかのような雷と風はソルンムの作った穴の上を通り過ぎると、そのままデリッドたちを飲み込もうとする。


「ひっ、デ、デリッドさん」

「逃げ場がねえっ! け、結界で防げよ!」

「バカかっ!? あんなの結界で防げるか!」


 『赤き流星』の団員たちが慌てふためき、パニックになる。各々が勝手な行動を取ろうとするが、デリッドが静かに前へ出ると。


「慌てるな。俺の後ろに下がれ」


 デリッドの言葉に『赤き流星』団員たちが冷静さを取り戻すと、前に出たデリッドが精霊魔法第7位階『樹界』を展開する。ウルミー鉱山に現れた氷爆竜の放つ息吹すら受け止めた樹の結界が『風神雷神』を受け止める。

 樹を鋭い刃物で抉り取るような凄まじい異音が周囲に響き渡るが、見事、デリッドの『樹界』はレナの『風神雷神』を受け止めた。

 『赤き流星』の団員たちが安堵の溜息をつき、口々にさすがデリッドさんだと褒め称えるが、デリッドが樹界を解くと、そこには穴の中に隠れていたソルンムの喉元に杖を突きつけるレナと、降参の意思表示を手で表しているソルンムの姿があった。


「えっ、これって……ウチが負けたってこと……なのか?」

「嘘だろ……それじゃあ……『赤き流星』は解散?」


 茫然自失になる『赤き流星』の面々であったが、それはデリッドも同じであった。

 ネームレスに圧勝し、一気にクランを拡大させるデリッドの夢が叶うどころか、解散である。デリッドが茫然自失になるのも無理はないだろう。そしてニーナたちの勝利に沸き立つラリットたちの声も、デリッドの耳には届かなかった。


「まだだよ」


 立ち尽くすデリッドたちの前に、いつの間にかニーナが立っていた。


「そこの巨人族の人と私の勝負が終わってない」


 勝負開始から一言も喋らずにいた少女の怒りは少しも収まってなどいなかったのだ。


「ごめ~んね」

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