第97話 付与士のおっさん

 その日の夕暮れは血のように赤く染まっていた。

 都市カマーから東に進むと草原地帯が、さらに進めばマルマの森が見えてくる。

 西の空に浮かぶ夕日を見ながら、チー・ドゥがフォレストパンサーの頭を撫でる。


「ひっひ、そろそろ時間だな」


 気持ち良さそうに頭を撫でられていた、フォレストパンサーの耳とヒゲが動く。


「誰だ」

「へっへ、旦那こんなところでなんしてるんですか」


 チー・ドゥに声をかけたのは、あの・・付与士の男であった。

 見通しを妨げるものなどない草原にもかかわらず、こんな近くまで接近を許したことにチー・ドゥの警戒心が高まっていく。


「誰だって聞いてんだよ」

「へい、あっしはこの辺りの迷宮入口で付与魔法をかけて、小銭を稼いでる元冒険者です」

「俺は誰だって聞いたんだよ。死ね――」


 付与士の傍の地面が盛り上がり、土を掻きわけて飛び出してきたのは茶色の蛇。全長3メートルほどの蛇は土竜蛇と呼ばれるランク3の魔物である。特徴は名前のとおり、土の中を自在に動き回り、獲物に近づくや否や襲いかかるのだ。


 顎の関節を外した土竜蛇の口は、付与士の顔どころか胴体まで丸呑みすることすら可能だろう。


「俺の楽しみを邪魔するんじゃねぇよ」


 チー・ドゥは付与士の結末も見ずに、警戒をいまだ解かないフォレストパンサーの頭を撫でようとするのだが――


「いやいや、旦那いきなりなにするんですか」

「なん……だと……っ!?」


 付与士は襲い来る土竜蛇の攻撃を、結界で見事に防いでいた。

 土竜蛇は付与士の結界を自慢の牙で砕こうとするが、土竜蛇の鋭い牙を以てしても、付与士の結界にはまったく歯がたたなかったのだ。

 土竜蛇のランクは3だが、チー・ドゥが手塩にかけて育てた従魔だ。そんじょそこらの冒険者が、簡単にあしらえるような鍛え方はしていない。


「てめぇ……楽に死ねると思うなよ」


 付与士とチー・ドゥの戦闘を見守るものは、夕暮れの空を飛ぶ1羽の鳥のみであった。




 1日を休養にあて十分に英気を養ったユウたちは『妖樹園の迷宮』探索に向かい『妖樹園の迷宮』でしか手に入れることのできない、素材や植物を採取する。迷宮の外に出て見上げると、空は真っ赤に染まっていた。


「今日も頑張ったね~」


 ニーナがユウに抱き着く。抱き着いた際の衝撃でユウの頭に乗っていたモモが一瞬浮かび上がり、慌ててユウの髪の毛にしがみつく。


「……面白い装備も手に入った」

「コロ、走り回らない。スッケ、あなたは大人しすぎます」


 マリファの周りをグルグル走り回るコロは叱られてもなんのその。スッケはシュンッ、と頭を垂れ、頭をマリファの足に擦りつける。


 マルマの森を抜けると広がる草原地帯、王道ほど整備されてはいないが、道沿いに進めば都市カマーまで迷わずに着くことができる。道沿いを歩くユウたちだったが、普段と様子の違うユウにニーナが気づく。


「ユウ? どうかした」


 いつもなら、そろそろ離れろと言われるか引き離されるのに、なにも言わないユウにニーナが心配そうに顔を覗き込む。


「用事を思い出した。ニーナたちは先に帰ってろ。クロは荷物持ち・・・・でついて来てくれ」


 なにかいつもと雰囲気が違うユウに、ニーナは用事を聞こうとするが、先に座学の復習や装備の整備を忘れないようにと、小言を言われ聞きそびれる。

 ニーナはこのときのことを死ぬほど後悔することになる。どんなに駄々をコネてでもついて行くべきだったと――




 空気を斬り裂きながら振り下ろされるキマイラの爪が付与士に迫るが、付与士は杖を使い、いとも簡単に受け流す。付与士の背後よりフォレストパンサーが飛びかかるが、淡々と結界で弾く。

 付与士の周りはチー・ドゥの従魔7体が囲んでいた。並みのビーストテイマーで3体の魔物を意のままに操れれば上出来、5体操れれば熟練のビーストテイマーと言えるだろう。


「追加だ」


 さらにチー・ドゥは従魔の数を増やす。召喚魔法により現れたのは灼熱虎、ランク4の魔物だ。

 チー・ドゥは普段数匹の従魔しか連れていないが、戦闘時には召喚魔法を利用し、自分の従魔を次々と増やすことができた。


 灼熱虎が口を大きく開き、空気を吸い込む。灼熱虎の胸が大きく膨れ上がる。次の瞬間――灼熱虎から高温のブレスが放たれた。ブレスの軌道上にある草は一瞬で黒焦げになる。

 迫り来る灼熱のブレスに、付与士は慌てる様子もなく杖を構える。付与士の全面に鋭角な結界が展開され、灼熱のブレスが分断される。


「今の結界は、聖国ジャーダルクでも大司教・・・クラスが使う技術だぞ。てめぇ……他国の奴と思ったが何者だ」


 付与士の周囲は灼熱のブレスによって地面が黒煙を上げているなか、飄々とした姿で立っていた。


お前ら・・・、いい加減にユウ・サトウに手を出すのを止めろ」


 付与士の口調の変化以上に、ユウ・サトウの名前が出てきたことにチー・ドゥは驚く。


「聖女派か?」


 会話をしながらもチー・ドゥの従魔は数を増していく。


「あんたたち、こんな所で殺し合いなんて止めな」

「ちょっと、アニタやめなって。ほっとこうよ」


 付与士とチー・ドゥの会話に割り込んだのは、アニタ達『金月花』だった。

 『妖樹園の迷宮』帰りに、ベルが争っている付与士とチー・ドゥに気づき。モーランたちは『ゴルゴの迷宮』で、付与士の男に何度か付与魔法をかけてもらったことがあったので、男の顔を覚えていたのだ。数度、金を払って付与魔法をかけてもらっただけの男など放っておけばいいのだが、アニタはモーランたちが顔を覚えていたという理由だけで、仲裁に入ってしまった。


「あ? 俺に尻でも貸してくれんのか」

「下衆な男め」


 チー・ドゥの挑発に『金月花』の女性陣の眼光が鋭くなる。


「お嬢さんたち、俺のことは放って置いて早く離れるんだ」


 横目にアニタたちを見ながらも隙を見せない付与士に、チー・ドゥはアニタたちを見ながら口角を上げる。


「アニタっ!」


 ベルが叫ぶと同時に、アニタはフォレストパンサーの体当たりを白銀のタワーシールドで受け止める――が、吹き飛ばされる。ランク5の魔物が相手でも、今まで吹き飛ばされたことなどないアニタが吹き飛ばされたことに『金月花』の団員たちに動揺が広がる。


「油断するんじゃないよっ!」


 アニタが指示を飛ばすが遅かった。

 チー・ドゥの土竜蛇が『金月花』の1人に襲いかかり、胴体に喰いつかれる。土竜蛇の鋭い牙が暴れ牛の革で作られた分厚いレザージャケットを難なく貫通する。土竜蛇はそのまま身体を巻きつけ、仕留めにかかる。


「カミラっ、こんの蛇が!」


 ベルがカミラと呼んだ団員に巻きつく土竜蛇をダガーで斬りつけるが、土竜蛇の表面を覆う液体によって刃が滑る。その間にもカミラの胴体からは骨が砕ける音がミシミシと響く。


「ちっ、ベル退いてな!」


 戦斧を担いだ『金月花』副盟主ワーシャンが、斧技『剛斧』を放つ。重量武器の戦斧を完全にコントロールし、ワーションの戦斧が土竜蛇の身体半分を切断する。土竜蛇は激痛に悲鳴を上げながら、地面へ潜る。

 メメットが慌てて、生命の杖に付与されているスキル『ヒール』でカミラを治療する。

 

「ひっひ、このままだと女たちの誰かが死ぬんじゃねぇか」


 チー・ドゥの言うとおり、アニタたち『金月花』は苦戦していた。今までランク5の魔物が相手であっても倒してきたアニタたちが、チー・ドゥの操るランク4以下の魔物に圧倒されているのだ。


 灼熱虎のブレスが、アプリたち目掛けて放たれる。アプリが先頭に立ちタワーシールドを構えるが、地面を抉りながら迫り来る高温のブレスに、アプリの脳裏に死が過る。


「受けるんじゃないよ!」


 キマイラと戦闘をしているアニタが叫ぶが遅かった。すでにブレスはアプリたちの目前まで迫っていた。


「アプリっ!」


 アプリは後ろにいるメメットたちは必ず守ってみせると覚悟を決める。

 高温のブレスとタワーシールドが接触し、衝撃と高温のブレスがアプリを襲う。高温によってアプリの全身の皮膚が爛れ、髪の毛も焦げつき始める。それでもアプリは耐える。タワーシールドの取っ手は高温により、常人では触ることすらできない温度まで上昇しているのだが、それでもアプリは握り締める手の力を緩めない。


「ぐ……あ、あたしは皆をっ、ま、守る!」

「無駄な足掻きご苦労さん」


 アプリの奮闘をバカにするかのごとく、チー・ドゥは灼熱虎に、再度ブレスを放たせる。ニ度目のブレスがアプリ目掛けて迫る。


「よく頑張ったな。お嬢ちゃんは盾職の鑑だぜ」


 付与士がアプリの前で結界を展開し、ブレスを拡散させると同時に神聖魔法第2位階『新緑の息吹』をアプリにかける。新緑の息吹の効果によってアプリの爛れた皮膚と髪が徐々に回復していき、元の美しい姿に戻っていく。


「やっと隙ができたな」


 決して大きな声ではなかったが、その声を聞いた『金月花』の女たちはぞっとする。

 付与士もチー・ドゥに気を取られた隙に、地面から飛び出した土竜蛇に、脇腹の一部を持っていかれる。

 脇腹からは夥しい血が流れ出るが、アプリの状態は予断を許さない。魔法を継続し、自身の傷はアイテムポーチから取り出したポーションで凌ごうとするが、それをチー・ドゥが許さない。


 アイスリザードが放つ氷のブレスが、付与士を攻撃する。

 結界を再度展開しながら、アプリへの魔法も継続する。代わりに付与士は自分の回復が後回しになる。後手に回ることで、付与士は自分が着々と死に向かっていることを実感させられる。

 チー・ドゥはその間にも召喚魔法の詠唱を唱え終え、従魔を増やしていた。


「女なんか見捨てれば良かったのによ。カッコつけるからこんな目に遭うんだ。どうだ? 何者か喋る気になったか? 地べた這いつくばって命乞いすれば、お前だけは助けてやるぞ。

 ひっひ、女共は俺が楽しんだあとに、従魔の餌にするがな」


 新たにチー・ドゥが召喚した狂乱ヘラジカが、地面を踵で踏み鳴らす。その姿は角まで入れれば全高4メートルを超える巨体だ。角の幅は3メートルほど、付与士どころか治療にあたっているアプリやメメットたちを、纏めて角で刺し殺すことすらできるだろう。鼻息を荒くした狂乱ヘラジカが付与士目掛けて突っ込んで行く。付与士は灼熱虎とアイスリザードのブレスから、アプリたちを守っているために動けない。


「仲裁するつもりが、足を引っ張る形になるとはね。

 あんた、家のアプリを助けてくれて感謝するよ」


 フォレストパンサーと戦っていたアニタが、戦闘をワーシャンに任せて、アプリたちの援護に来る。


「あんた、結構やるじゃないか。名前は? あたしはアニタ――アニタ・ローゼル『金月花』の盟主だ」


 アニタは付与士と会話しながら、盾技『石壁』を発動する。全身が石のように硬くなっていく。


「俺の名前はアンスガー――アンスガー・フォッド・・・・だ」

「あたしは男なんて嫌いだが、もし無事に生き残れたら酒でも一緒に飲みたいもんだね」

「そりゃいい。あんたみたいな美人と酒が飲めるなら、ここで死ぬわけにはいかないな」


 呑気に会話をする2人だが、狂乱ヘラジカは目前まで迫っていた。アニタは2度、深呼吸を繰り返すと覚悟を決める。

 狂乱ヘラジカの角とアニタの白銀の盾がぶつかり合うと、凄まじい音が鳴り響く。


「ぐっ、ぐぅぅっ! あたしは『金月花』盟主のアニタ! この程度っなんてこたないねっ!!」


 狂乱ヘラジカの巨体に膂力、突進の力が加わり、並みの盾職なら1秒も持たずに吹き飛ばされる衝撃を、アニタは受け止めていた。地面には踏ん張ったアニタの足がつけたあとが深々と残る。アニタの髪は逆立ち、目は血走り、盾を支えた腕は内出血で紫色に変色するが、それでも耐え抜いた。

 狂乱ヘラジカは再度突進をするために距離をとろうとするが、命をかけて耐え抜いたアニタが作ったこのチャンスをモーランたちが見逃さない。

 剣技、斧技、槌技、弓技、魔法を狂乱ヘラジカへ一斉に叩き込む。狂乱ヘラジカが吼えるが、それは断末魔の叫びだった。メメットもこのチャンスを逃さず、黒魔法第2位階『フレイムランス』をアイスリザードに見事命中させることに成功する。


 やっとだが、チー・ドゥの従魔を2匹倒すことに成功する。さらに『金月花』の攻撃は止まらない。

 ベルが『隠密』『潜伏』で近づき、チー・ドゥの背後より強襲する。だが、ベルの短剣技『デッドスタブ』をチー・ドゥは振り返りもせずに結界で防ぎ、逆に杖での反撃を喰らう。


「う゛ぇ゛っ。そ、そんな……か、完全に背後をとったのに」


 鳩尾に攻撃を喰らったベルが、チー・ドゥからの追撃を躱すために距離を取るが蹲り嘔吐する。


「ひっひ、後衛職の俺に接近戦で負けるってどんだけ弱いんだよ。

 従魔を2匹倒したくらいで安心するんじゃねぇぞ」

「嬢ちゃんっ、後ろだ!」


 付与士――アンスガーが叫ぶ。メメットの背後から地面を喰い破り、土竜蛇がメメットの喉目掛けて襲いかかる。咄嗟のことに反応のできないメメットは目を瞑ることしかできない。


 一閃――土竜竜の頭頂部から尾にかけて光が走る。メメットの横を通り過ぎた土竜竜は思い出したかのように、宙で身体が縦に割れていく。真っ二つになった身体が勢いそのままに、地面へぶつかり転がる。


「おぉ、やっと付与士を見つけたと思ったら、面白そうなことになってんじゃねぇか」

「だ、旦那……」


 土竜蛇を一刀両断し、現れたのはジョゼフだった。

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