第72話 お花畑

 都市カマーの大通り。そこは昼夜を問わず多くの人々が行き交う通りで、一際目立つ少女が佇んでいた。

 少女とすれ違う人は皆、振り返る。

 まず1番目につくのが少女の連れている2匹のブラックウルフだった。1匹は少女の前を歩き興奮した様子だ。もう1匹は臆病なのか少女の後ろにピッタリ引っつきながら歩いていた。振り返る人々は毛並みの整ったブラックウルフにまず目を取られ、次に飼い主と思われる少女を見ると一様に動きが止まる。

 それもそのはず。ダークエルフの少女からは乙女特有の青臭さと、大人になりつつある身体からは女の魅力が溢れていた。その姿に男のみならず女までもが振り返る。


「スッケ、いい加減に私から離れなさい。あなたはそれでも誇り高き狼ですか。

 コロ、あなたはもう少し落ち着きなさい。そんなことではいずれ痛い目に遭いますよ」


 マリファに叱られた2匹。スッケは情けない鳴き声でマリファに頭を擦り付ける。コロは叱られたと思っていないのか嬉しそうに尻尾を振っている。

 そんな2匹の姿にマリファは小さな溜息をつく。

 マリファが初めて迷宮に潜ってから16日が経っていた。午前中はブラックウルフたちの調教に、午後は迷宮に潜る日々。努力の甲斐もあり、見事調教スキルを身につけることができていた。今連れている2匹のブラックウルフも、群れの中で若く優秀な個体を選んで育成していた。

 都市カマーの大通りは人混みでごった返していたがブラックウルフのおかげか、マリファは目的の店までさして苦労せずに着くことができた。


 マゴが運営する奴隷商店の店番をしていた男は、人でごった返している通りの異変に気づく。

 店の前の通りは都市カマーの大通り。人でごった返しているのはいつもの光景だったが、人混みの中でぽっかりと開いている空間があった。その空間が段々とこちらに近づいて来る。空間と自分の距離が5メートルほどになると男にも原因がわかった。

 男はダークエルフの少女と2匹のブラックウルフを交互に見ると、次にダークエルフの少女の身体を舐めまわすように観る。


(まだまだガキだがイイ女だ。おっと見過ぎたかな)


 男の視線を感じ取ったコロが小さく唸り声を上げ、スッケは不安そうにマリファを見上げる。


「ダンさん、お久しぶりです。マゴ様はいらっしゃいますか」


 男の名前はダンという名前だったが、こんな見目麗しいダークエルフの少女と面識はなかった。


「な、なんで俺の名前を知っている?」

「お忘れですか? マリファです。つい一ヶ月前までお世話になっていた」

「マリファだとっ! 嘘だろ……」


 ダンがマリファに気づかないのも無理はなかった。以前のマリファは左目は傷で塞がっており、首にも大きな傷跡があった上に身体も痩せ細っていた。今、ダンの目の前にいるダークエルフの少女は、傷などどこにも見当たらず。年頃の健康的な少女までとはいかなかったが、程よく肉がついており、少女の可憐さと女としての魅力を十分に感じさせる身体だったからだ。


「それでマゴ様はいらっしゃるのですか?」


 再度、マリファに問いかけられたダンは慌てて頷くと、急いでマゴの元まで行く。マゴからは丁重に応接室に通すように仰せつかるとマリファを案内する。


「ホッホ、久しぶりですね。

 それにしても驚きましたよ。傷は治ったんですね」


 マゴは言葉とは裏腹に落ち着いた様子で応対する。


「マゴ様、ご冗談・・・を。ご存知のはずです」


 マリファの言葉に、普段は閉じられているマゴの瞼が片方上がる。


「冗談を言った覚えはないのですが、今日はどういったご用件で?」

「お忘れですか。今日は私の1回目の代金支払期日です。

 あとご主人様よりポーションをお預かりしています」


 マリファはそう言うとエプロンについているアイテムポーチから、次々と容器に収められたポーションを取り出す。

 フタ付きのバケツの様な容器に収められたポーションは、マゴの方で販売用の容器に移し替える契約になっていた。

 ユウから納品されるポーションは口コミで広まり、今では冒険者だけではなく一般市民までもが購入するようになっていた。

 マゴが経営する店舗の屋台骨は奴隷商館だったが、今ではアイテムショップの売上が追い抜きつつあった。いや、来月には間違いなく追い抜いているだろうとマゴは判断していた。


「そしてこちらが私の代金になります。お納めください」


 マゴがマリファのエプロンについているポケットが、アイテムポーチだと気づく。表面上は冷静を装いつつ内心では驚いていると、小さな布袋がテーブルに置かれる。

 布袋を開けると金貨がぎっしりと詰まっており、数えると53枚入っていた。


「こちらはユウ様がご用意を?」


 マゴがそう尋ねるのも無理がなかった。

 金貨53枚といえば、Cランクに成りたての冒険者が一月でどうにか稼げる金額であった。


「いいえ。私が迷宮で稼いだ金額になります」


 マリファの言葉にマゴの両方の瞼が見開かれていた。

 マゴはユウの元へ間者を送っていた。それはポーション作成の秘密、ユウの弱み、マリファの購入代金をどのように返済させるのかなど、しかし間者からは一向に手掛かりになるような情報を入手することができなかった。わかったのはマリファの傷がいつの間にか治っており、傷を治したのが高位神官などではないということだけだった。


「ホッホ、それは素晴らしいですね。冒険者になったとは聞いていましたが、一ヶ月でここまで稼げるとは大変な才能をお持ちだ。

 そこで相談なんですが――」


「最近、蝿が多いので困っています」


 マゴが金銭でマリファと交渉しようとした矢先に話を変えられる。


「蝿……ですか?」

「はい。私の・・ご主人様はとても優しい方です。

 その優しさにつけ込んで金の蝿と銀の蝿が警告をしているにもかかわらず、屋敷の周りを飛び回っています」


 マリファの言葉に、マゴは市民の間でよく言われる言葉を思い出す。

『貴族は金に群がる金の蝿だ』『商人は銀で全身を固めた銀の蝿だ』この言葉は市民の間で隠語としてよく上がるもので、貴族はなにかと金を市民から毟り取ることから『金の蝿』、商人は全身を銀の装飾で着飾る者が多いことから『銀の蝿』と呼ばれていた。


「それは……お困りでしょうね」

「マゴ様はローリスィッチの花は好きですか?」


 また話を変えられたがマゴは黙って聞いていた。


「ローリスィッチの花は少々変わった特徴があるんですよ。

 土壌にある物・・・を混ぜるとそれはもう鮮やかで綺麗な赤色・・の花を咲かせるんです。

 よろしければ今度お持ちしましょうか?」

「…………いえ、遠慮して……おきましょう」

「そうですか。残念です」


 マリファは見惚れるような笑みを浮かべていたが、マゴの表情からはそんな甘いモノではないと窺えた。

 その後、次のポーション納品の日程を決めるとマリファは帰って行った。

 応接室に残されたマゴは大きく溜息をつくと、普段は飲まない度数の高い酒をグラスに注ぎ一気に飲み干す。

 マゴの表情からは普段貴族が相手であっても一歩も引くことのない姿からは想像もできないほど、憔悴しているのが窺えた。




「ユウ、昼食はまだかい? 僕はそろそろお腹と背中がくっつきそうだよ」


 ムッスは居間のソファーに寝っ転がりながら不満を口にする。 


「うるさい。マリファが戻ってくるまで昼食は作らないって言ってるだろうが。

 大体、毎日毎日飯を食いに来るな! 仮にも都市カマーを治めている貴族だろうが」


 ユウが心底鬱陶しそうに応対する。


「ユウ様、こちらをどうぞ」


 ヌングがフルーツを載せたクラッカーと葡萄のジュースをユウの前に用意していく。


「ヌングさん、いつも言っていますがこういったことをされると困ります」

「ユウ様、私は執事です。お仕えするのが仕事です。お気になさらずに」


 ユウはステラと似た雰囲気を持つヌングには強く出られないでいた。

 ムッスはこれ幸いにとヌングを利用しては、毎日暇さえあればユウの屋敷に来訪し、食事を共にしては口説いていた。


「お~い。ヌング、僕には葡萄酒をくれよ。それに君が仕えているのは僕だよ僕!」

「はて? そのような些細なことはよろしいではないですか」

「ええっ! 些細じゃないよ! ヌングにも困ったもんだよ。

 そうそう。ユウ、ゴルーバード子爵とペリット男爵になにかした? 僕がいくら注意しても裏でコソコソしていたのに、急に大人しくなったからさ」


 ユウはクラッカーを物欲しそうに見ていたニーナに食べさせていた。その横でレナもチラチラと見ていたので、食べさせることになるであろうと考えていた。


「なにもしてない。――ただ花をプレゼントしただけだ」

「花をプレゼントかい?」

「そう。綺麗な赤い色の花だ」


 ムッスはふ~んと言うと興味をなくしたようで、クラッカーを口に放り込みつつ葡萄酒で流し込む。

 今日も平和な一日が流れていた。

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