ぬくもり

キザなRye

第1話

 夏休みが明けてから1週間、暑さは残るが9月になった。教室はエアコンがフル稼働しているので暑くはない。登校してからしばらくはこのエアコンに救われるが、日中はむしろ寒いくらいである。


 始業のチャイムが鳴ると同時くらいに教室の後ろのドアを勢いよく開けて朝練終わりの野球部の男子たちが走って入ってきた。

「危なかったぜ」

教室に入ってからはゆっくり歩く彼らの声が静かな教室に響いていた。


 野球部の男子たちが椅子に座る直前くらいに今度は教室前方のドアがゆっくり開いて40代くらいの担任と一人の男子が入ってきた。担任と一緒に教室に入ったその男子は誰もが認めるような美貌を持っていた。彼を見るなり教室は騒がしくなった。

「彼は今日からクラスメイトになる転入生の佐藤蓮さとうれんだ」

先生が言葉を発しても何人に聞こえているかは分からない。教室のこの状況に先生は困ってしまって難しい顔をしていた。


 「俺は佐藤蓮。今日から皆のクラスメイトになった。よろしく」

教室の状況などお構いなしに蓮は自己紹介をした。教室は蓮に夢中なので蓮の自己紹介が始まるとすぐに静かになった。


 「佐藤の席はあそこだ」

先生が蓮に示した席は教室のドア側の最後列だった。

「何か分からないことがあったら隣の鈴木に聞いてくれ」

急に指名を受けた鈴木璃乃すずきりのはびっくりした。蓮が璃乃に対して軽い会釈をすると璃乃の表情が緩んだ。教室の前方から自分の方に蓮が近付いてくると璃乃はドキドキした。自分の席から教壇が遠いのできちんとは蓮の顔が見えていなかったのだ。

「よろしくお願いします」

礼儀正しい蓮に璃乃は少し驚いたが、良い人だなと好印象だった。


 「ほら、1時間目始めるぞ」

先生から注意されるまで璃乃と蓮はずっと話し込んでいた。蓮が教室に入ってきたときのクラスの反応からすれば蓮の机の周りに沢山の人が集まってもおかしくない気がするが、どうやらHRから1時間目までの時間があまりなかったのでそういう選択をしなかったようだ。ほんの数分にも満たない璃乃と蓮の会話で2人はすぐに仲良くなった。


 1時間目以降の休み時間は蓮の机の周りは有名アイドルが街中で目撃されたときのように賑わっていた。到底、璃乃が蓮に気軽に話せるような状況ではなかった。それでもこんなにクラスメイトが集まる人に一番最初に話すことが出来た、学校のことで困ったことがあったら私を頼りにしてくれる、と璃乃は自信を持てた。


 その日の放課後、璃乃や蓮以外のクラスメイトたちはすぐに部活に行ってしまった。教室に残っているのは部活に入っていない璃乃と蓮だけである。

「転入初日の今日はどうだった?」

「最初、誰も知らないところに行くの凄く緊張したけど璃乃のおかげで楽しい学校生活が送れそうで良かったよ」

璃乃も蓮も1日通してそれぞれを呼ぶことはなかったが、急に璃乃と呼び捨てで呼ばれて璃乃はドキッとしてしまった。

「何か顔が赤くなっているけど大丈夫?」

璃乃の頬を蓮が手で触った。蓮の手が自分の頬にあることを認識するのに璃乃は少し時間がかかった。璃乃がその事実を理解したときには頬がより赤くなった。

「もっと顔が赤くなってるよ」

指摘されると璃乃はよりドキドキした。


 自分のことから話を逸らそうと蓮の手を見るとお世辞にも綺麗な手とは言えなかった。ささくれがあったり皮が捲れていたりしているのだ。

「蓮くん、手、荒れてる」

璃乃は蓮のことを呼び捨てにすることはさすがに出来なかった。

「そうなんだよ、どうにかしなくちゃっていつも思うんだけどね……」

「じゃあ、」

璃乃は蓮にそう言いながら自分のバッグから柄のない薄い水色のポーチを取り出した。そしてそのポーチの中から璃乃が愛用しているハンドクリームを出した。

「手出して」

蓮が璃乃の前に出した手にハンドクリームを付けた。

「これを伸ばして」

蓮は璃乃に言われたとおりに両手を重ね合わせてクリームを手のひら全体に広げた。一通りの工程が終わったことを見て璃乃がニコッと笑った。その璃乃の顔を見て蓮自身が幸せを感じていた。

「また手が荒れたら私がハンドクリーム付けてあげるから」

「ありがとう」

2人の間には笑顔が溢れていた。この2人でしか得られない幸せな空間だった。

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ぬくもり キザなRye @yosukew1616

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