笹くれ
サクライアキラ
本編
朝、いつも通りの目を覚ましたはずだった。なぜかいつもと違う天井だった。そして、布団がないせいか少し肌寒かった。
ふと自分の体を触ろうとすると、服ではなく何かもふもふの感触があった。
「●×●×△●×△」
「え!」と言おうとしたが、獣っぽい聞き取れない声しか発することができない。
うまく立ち上がれもしない、というのも足が短い気がする。
恐る恐る体を見てみると、それはとても愛らしい白と黒の模様があった。
どうやらパンダになってしまったらしい。
周りの景色から考えて、野生というより動物園の中だろう。
戻る方法を考えようとしたが、そんなものはわからない。そもそもなぜパンダになったかすらわからないのだから。それに動物になれるマシーンが開発されたというニュースも見たことがない。これまで読んできたどんな本にも、動物に転生する物語はあっても、現実的に戻る方法なんて書いてもなかった。
だから、開き直ることにした。
ただの動物園と言ってもおそらくそこそこグレードの高い動物園ということは、ただの檻じゃなくファンシーな檻に入れられていることからも明白だった。人間時代は社会の底辺だったが、おそらくパンダ界での地位は高いだろう。
せっかくならば、飼育員さんから甘やかされ、人間たちにひたすらかわいいと言ってもらえるそんな人生、いやパンダ生を生きていきたいと思う。
そう言えば、人間時代、唯一の楽しみは食だった。いくら社会的身分が低く、給料が多くなかろうが、節約を心がければ月に1回のちょっとした贅沢くらいはできた。中でも、珍味が好きで、テレビで見た様々な謎の食材を買っては調理して食べるのが好きだった。中でもドリアンが最高だった。何度か食べてたら、家を追い出されたのも今は良い思い出だ。
そうだ、せっかくならパンダならではの食材をこの際楽しみたい。
やっぱり笹だ。
パンダと言えば、笹だ。
笹は人間では食べられない。ただ、パンダであれば食べられる。
ああ、笹が食べたい。
そんなことを考えていると、早速飼育員がやってきた。
「みゃくみゃく、おはよう」
良かった、日本語ということは日本の動物園だ。これは待遇面でもかなり期待できる。ただ、名前のセンスは……、うん。もしかすると関西の動物園なのかもしれない。
ここで調子に乗って人間っぽいことをしてしまえば、たちまち実験対象にされてしまうかもしれない。最悪中国に戻されてしまうかもしれない。そうなると、せっかくの好待遇は台無しだ。いかにもパンダらしい行動を心がけるため、四足歩行で離れたところで少し歩いてみる。
「今日は元気ね。あとで、また外に出れるから待っててね」
そう言って、飼育員は朝食を置いて出ていった。
遠目だと何かわからなかったので、早速朝食に近づくと、りんごと人参だ。
なんでだよ、笹だろうが。
そう思いながら、りんごを丸かじりした。人間時代ではあまりお目にかかれなかった1個300円のそこそこ良いりんごの味がした。おいしかった。
人参、これは生で丸かじりをしたことないため、戸惑うが、パンダの消化力を信じて食べる。これまで食べたことのないシャキシャキ感がたまらなく、癖になる。
でも、違う。これらは別に人間でも食える。
笹をくれ、笹を。
数時間、パンダっぽくごろごろしていたら、飼育員が来て、外へ連れ出してくれた。
屋外のスペースに連れていかれた。
登場した瞬間、観覧客から大きな歓声が上がる。既にあふれんばかりの人がいた。
これまでの人生でこれほどちやほやされたことはなかったため、思わずファンサービスをしたくなるが、そんなことをすればSNSでたちまちバズッて、研究施設に連れていかれるかもしれない。歓声を聞いていないふりをし、適当に歩いて、そのまま寝転がった。一応、お客さんの方から見えやすいように、岩陰などから隠れない場所を選んだ。
あふれんばかりの人がさらに増えてきて、お客さんの反応も上々だった。
ふと、周りを見回すと、そこには笹っぽいものが生えていた。
とっさに、飼育員に食べていいか確認しようとしたが、よく考えるとパンダなんだから許可なく食べていいことに気付いた。
やっと笹にありつけると、一応四足歩行でありながらそこそこ速いスピードでそこに目がけて行き、すぐにかじった。
くそう、竹だった。
竹の葉を食べたことはなかったが、竹の子と類似の味がした。人間時代、竹の子はそんなに好きな食べ物じゃなかった、むしろ嫌いだった。好みはパンダになっても引き継がれるらしく、普通にまずかった。
野性らしくペッと吐き出そうかと思ったが、その寸前に3歳くらいの女の子と目が合ってしまい、やむなく口に入れたものは消化することにした。
そこから2時間、屋外スペースにある葉っぱを片っ端からかじってみたが、全部竹だった。この間にちやほやされるのも飽きてきた。
やっぱりちやほやされるとかの自己顕示欲ではなく、食欲が勝るらしい。そして、食べたことのない未知の食べ物「笹」への興味が抑えられないでいた。
おそらくこのままだと一生笹にありつけないかもしれない。何とか笹をほしいことを伝えられないだろうか。
そんなとき、外の観覧客の40代の子供連れのお母さんの手が荒れていることに気付いた。そして、そこの親指にあれがあると。
そうか、あれだ。
そう思い、そのお母さんの近くに寄っていき、ひたすら手をこすってアピールする。
お母さんの横にいる子供は大喜びしていて、周りの人たちから写真を撮られるが、全く気付いてもらえない。
何人かあれがあるお客さんの近くでアピールしたが、全く伝わらない。
そろそろ閉園時間が近づいたということで、飼育員が戻るように促してきた。
さっきは手袋をしていたからわからなかったが、飼育員にあれがあることに気付いた。
急いで飼育員のもとに駆けて行った。
ただ、「笹くれ」と伝えたかっただけだった。
目が覚めると、また見知らぬ天井だった。今度はファンシーさのない場所だった。
あの一件は飼育員がパンダに襲われた事故と扱われたらしく中国に返されてしまったらしい。
自分の手で安泰なパンダの社会的地位を捨ててしまった。
外に出ると、そこには他のパンダがたくさんいて、皆見慣れぬ葉をかじっていた。
これは笹だ。
それを確信し、近くの見慣れぬ葉をかじった。
何ともこれまで食べたことのない食感、独特な風味、これは好みの味だ。
パンダ的な社会的地位は底辺になったかもしれないが、この笹さえあれば生きていける。
楽しみさえあれば、誰だって何とか生きていけるんだな。
一心不乱に、それはまるで獣のようにそのパンダは笹を食べていた。
笹くれ サクライアキラ @Sakurai_Akira
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