ささくれだった恋をした

村田鉄則

ささくれだった恋をした

 14年前―――の話だ。


「ささくれができてるよ」

 そう言って彼女は、私の手をじーっと眺めていたかと思うと突然、私のささくれだった右手のひとさし指をパクッとくわえた。

 彼女の口腔内の粘液が指に纏わりつく。

 私の指にかかった彼女の長い黒髪からシャンプーの良い匂いがする。

 心臓の脈が早まり、背中がのけぞるような快感が襲って来た。


 その時、下腹部に何かが出たような感覚が伴い、私は


 目が覚めた。


 パジャマのズボンをボクサーパンツごと引っ張り、その中を覗く。またか…またやってしまった。


 自室から出て、階段を音を立てないようにそっと忍者が如く下り、洗面所まで向かう。ハンドソープを使い、ボクサーパンツを手洗いし、洗濯物置きにある濡れたバスタオルをその上から巻き付け、そこに置いた。


 帰りも音を立てずに寝室に戻り、ベッドに潜り込む。


 彼女が家に来てからというもの頻繁に私は、この夢を見てしまう。

 夢で起こった出来事は全て現実であったことで。

 当時の私にとってそれほどまで彼女とのその体験が胸を衝く出来事だったのだろう。私は今、28歳だが、彼女との体験は今も私の心に残っている。


 彼女が私の家に来たのは冬休みのことだった。

 冬休みのある日、家に帰ると、煌びやかな黒髪ロングの髪の毛を持つ、黒のタートルネックとベージュ色のデニムを身にまとった女性が居た。彼女の周りからは、シャンプーの良い匂いがした。

 鼻筋の通った顔に、まつ毛の長い大きな瞳、その顔や立ち振る舞いから漂う艶な雰囲気に思春期の私は一目見て心惹かれてしまった。

 彼女は週に2回各2時間、私の家庭教師をしに来るという。

 会ったその日から授業があったのだが、彼女はまず自己紹介をした。

 家の近くにある大学の教育学部に通っているらしい。年齢は早生まれのためにまだ18歳。大学1回生だった。当時14歳の私と歳がかなり近かった。

 彼女は、私の成績を伸ばすために頑張る!と決意を込めた声をあげていた。

 授業の最中、彼女が顔を近づけるたびに私が心臓をバクバクとさせて、顔を赤らめてしまったのを覚えている。

 そして、授業が終わり、彼女は満面の笑みを浮かべて「じゃあね!」と言って手を振り、私の部屋を立ち去った。その日、お風呂に入る時、目に入ったのだが、私のパンツの中はガビガビになっていた。

 

 そして、そのような楽しくドキドキする授業を続けて、2月頃になったときのことだ。夢の中のように、乾燥肌でささくれだった私の右手のひとさし指を彼女は舐めたのだ。当時の私には、それがとても鮮烈な体験であり、何度も夢に見て、その度に下着を濡らしていた。


 私は彼女に恋をしていたのだ。


 しかし、そんな恋は終わりを告げる。

 夏になり、中学3年生になった私は家の近所にある喫茶店で勉強をしていた。家の近所が日中は工事中でうるさかったため、家では勉強に集中できなかったからだ。そこで、彼女と出会った。彼女は私の家とは違い、少し胸元を強調したようなファッションを身に着けていた。彼女の隣には、50代のおじさんが居た。彼女は自分に気づいていなかった。

 当時の私はまだ性知識に疎く、彼女とおじさんを最初に見たとき、友達、もしくは親子なのだと思った。しかし、実際は違った。すぐに、おじさんがお札を彼女に渡したかと思うやいなや、彼女はおじさんにキスをしたのだ。

 私は見てはいけないものを見てしまったと思い、すぐさま、顔を伏せて勉強を再開した。しかし、頭の中の感情が、絡まったイヤホンのようにごちゃごちゃになって、勉強に集中できなかった。


 夜、家に帰り、自室のベッドで仰向けになって白い天井を見る。


 何で彼女の恋の相手は歳の近い、私じゃないんだ…


 そう私の中にささくれだった感情が灯った。


 次の授業日、家に彼女が訪ねてきた。白のブラウスに、花柄でモノトーンのロングスカート、真面目な大学生といったような服装だ。


 彼女は笑いながら、「よっ!」と挨拶をしたが、私は無視して俯いた。

 そんな私の様子を見て、彼女はしゃがんで、私の顔を覗き込んだ。心配している表情を浮かべた彼女は、相も変わらず美しかった。しかし、その時の私にはその美しさが腹立たしかった。


「せ…先生、見ちゃったんだ…先週、喫茶店で…」

 チラチラと彼女の顔を見ては目を逸らすを繰り返しながら、つい、私は口を走らせてしまった。

 彼女はその言葉を聞き、目を見開いたかと思うと、すぐに、八の字眉を浮かべて、眉間に皺を寄せに寄せて気まずそうな表情をした。


 そして、

「体調悪いから今日は帰るね」

 と言い残し、部屋を立った。


 それが彼女との最後の出会いになった。

 彼女は私の家庭教師をその日、辞めた。


 私はその事実を知った時、蒲団を涙で濡らした。


 28歳になった私は彼女がおじさんと何をしていたのかは検討が付いている。

 授業中、彼女から聞いた話では、彼女の家は裕福ではなく、大学の授業料を払うのに精一杯で、彼女は親に仕送りをもらっておらず、家賃も自分で払っていたらしい。そこから考えると、生活のためにそういったことをしていたのだと考えられる。

 

 喫茶店で見た姿、私に勉強を教えていた姿、どちらかが彼女の本当の姿であったかは今ではわからない。


 しかし、これだけは言える。


 彼女に対する恋はささくれだったものになり、そして、失恋へと導かれたのだ。

 

 ただ、私は今でも年上の女性が好きだ。まだ彼女の幻影を追っている節があるのかもしれない。


 

  

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ささくれだった恋をした 村田鉄則 @muratetsu

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