ささくれと絆創膏 KAC20244 

ミドリ

ささくれと絆創膏

 母子家庭は大変だって周りの目も優しかったりするけど、実は父子家庭だって大変だったりする。


 うちは、俺と親父の二人家族だ。母さんは大分昔に家出同然で出て行ったきり、一度も会っていない。


 でも、俺はそれでいいって思っている。


 親父は、日中は普通の人。だけど一旦酒が入ると、簡単に手が出る人だった。


 少しでも気に食わない返事をすると、母さんは殴られた。いつもどこかに痣を作って、それでも天涯孤独の身で頼る相手が親父しかいなかった母さんは、耐えていた。


 だけど、俺が中学生になって思春期になり、ちょっと悪い仲間とつるむようになって暫くして――家に帰ったら、母さんの姿は消えていた。


 親父は身体の大きな人じゃないから、その頃にはすくすく育った俺にはもう手を出してこないようになっていた。中身も小さい人間なんだろう。


 だから俺は悟ったんだ。


 母さんは、俺が親父よりでかくなるまで待ってくれてたんだって。


 俺は決して捨てられたんじゃない。母さんは育ち盛りの俺の面倒を見られる自信がなかったから、俺に苦労させたくなくてそっと消えたんだ。


 そう思うことで、心の均衡を保った。



 名前を書けば入れる高校に入学して、すっかり背中が小さくなった親父とひと言も口を聞かないまま、無言で家事をこなす。


 親父は給料が入ると金は置いていくけど、毎月金額はバラバラだ。家賃は引き落としになってるみたいで家を追い出されることはないけど、生活費が足りなくて食費を削ることもよくあった。


 一体どこに入り浸ってるのか、親父は何日も帰ってこないこともままある。


 学校に必要な金、通学にかかる金、食費、その他諸々。


 もう何年もまともに口を聞いてない相手に金をくれと言う気分にどうしてもなれなくて、ここ数年はバイトをしていた。


 場所は、高架下にある赤提灯の店だ。まかないも付くし、サラリーマンが多いからか治安もそれほど悪くない。


 以前はバックパッカーをしていたという店長の宇治さんは、あごひげを生やした二十六歳。コワモテなのに情に脆くて、客の不幸話に涙ぐむような、そんなお人好しだ。


 俺と宇治さんの出会いは、本当に偶然だった。


 その月は、親父が置いていった金が少なくて、俺は腹を減らしていた。


 とにかくなんでもいいから食いたくて、高校の同じような境遇の女に「出会い系で探してみなよ。たまにヤバいヤツいるけど、アキトくらい背が高かったら襲われにくいんじゃね?」と言われた。


 勢いで、男同士の出会い系で「メシを奢ってくれる人」を募集する。


 すると、相手はすぐに見つかった。食事だけでいいって言われて、こんな簡単なんだってホッとしたものだ。


 デブのでかいおっさんと待ち合わせて、内心「うげえ」と思いながらも食事を奢ってもらい。久々に腹一杯食って、満ち足りた気持ちになった。


 だけど。


 メシも食ったしさっさと消えようと思ったら、飲み物に何か仕込まれてたらしくて、気が付いたらラブホの入口まで連れてこられていた。


 ゾッとして逃げようとしたけど、おっさんの力が存外強くて引っ張り込まれて。


 嫌だって心底絶望して、必死でその場にしゃがみ込んだ。


 その時、「その子嫌がってるよ! 警察呼ぶぞ!」と突然声をかけてきた人物。


 それが宇治さんだ。


 警察と聞いて、おっさんは即座に逃げた。俺が高校生だって知ってるのもあったんだと思う。


 地面に座り込んだ俺を、宇治さんは赤提灯の店まで連れて行った。店の奥で横にならせてもらいながら、事情を話すと。


 宇治さんは泣いて、俺の頭を撫でてくれたんだ。


 泣いている宇治さんを見ていたら、何故か俺まで泣けてきた。そんな出会い。


 それから宇治さんは俺をバイトとして雇ってくれて、毎日俺に居場所とうまいメシを提供してくれている。


 宇治さんのお陰で、俺はもうすぐ高校を卒業できそうだ。就職先はこれから見つけることになるけど、宇治さんの下でこのまま働けたらいいなって密かに思っている。


 宇治さんは、ケアなんて一切していない俺の指がささくれ立っているのを見ると、絆創膏を持ってきては「ほら、指出せよ。ああこんなに血が出て可哀想に」って悲しそうに貼ってくれる。


 宇治さんの手は温かくて、俺は癖になってしまっていた。


 ハンドクリームを買えるお金だってもうあるのに、わざとささくれを作っては宇治さんに甘える。


「宇治さん、またささくれできちゃった」

「ええ!? ほら、見せてごらん」


 心配性でお人好しの宇治さんは、いつもすぐに飛んできてくれるんだ。


 宇治さんが指に絆創膏を貼っている間、俺がすぐ目の前にいる宇治さんの顔をじっと見つめるのもいつものこと。


 笑うと横皺ができる目尻。少しぽってりとした唇に、硬そうな顎。すっとした頬骨にいつか触れてみたいと思ってると知ったら、宇治さんは俺を軽蔑するかな。


 俺のささくれ立っていた指も心も、労って守ってくれた宇治さん。だけど俺が宇治さんに対して抱き始めた感情は、きっと宇治さんは受け入れられないだろうから。


 だから俺は絶対言わないでおこうって決めている。


 それでも、傍にいると思わずにはいられないんだ。


「――宇治さんが好きだなあ」


 って。


「……えっ」


 同じ高さにある宇治さんの顔が、驚いたように俺を見る。


「え」


 あれ、今俺、口にしてた?


「あ、しまった……っ」


 どうしよう、なんて言い訳しようって一瞬パニックになったけど、ふと目の前を見ると宇治さんの顔がどんどん真っ赤になっていくじゃないか。


 耳まで真っ赤になってしまった宇治さんが、小さく呟く。

 

「お……おう、そ、そっかなー? なんて、実はちょっと思ってたりして、は、はは……。勘違いだったら恥ずかしいなって思ってたりもして……」


 あれ? もしかしてこれって脈あり?


 気付いた瞬間、俺の全身もかあっと熱くなる。


 お互い真っ赤になって見つめ合いながら、それでも絆創膏を貼る為に握った手は離されることはなくて。


「う、宇治さんは……?」

「お、俺も……かな? や、その、気になり始めたらその、あはは……」

「う、うん……嬉しい……」


 こんなにもささくれに感謝した日は、人生で一度もなかったかもしれない。


 俺は自分のささくれだらけの手を凝視しながら、笑みを浮かべた。

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