第14話 微笑み

「蒲田・川崎狂走会きょうそうかい? うちには関係ないな」


 片山が苦々しそうな顔で吐き捨てるかのように言う。


「あいつらの拠点は手前らのシマの中だろう。しっかり管理しないと不味いんじゃねえのか?」


 斉藤の言葉には揶揄するかのような響きがあった。


「余計なお世話だ。その辺の話は関西と話が通っているんだよ。手前らこそ最近は東アジアの連中や、南米の連中が新宿でノシてきているって話じゃねええか」


「中国の連中と話がついたと思えば、次から次にだよ。ヤクザは暴対法で手や足どころか、唾ひとつも下手に吐けやしねえからな。いずれ新宿も変わるかもしれねえな」


 斉藤はそう言って少しだけその顔に陰りのようなものを浮かべた。しかし、次の瞬間には再び嫌な笑みをその顔に浮かべる。


「六本木だって同じだろう? 精々、ヤクザ以外の連中に足下をすくわれないように気をつけるんだな。行くぞ、ハジメ。嫌な奴に会って気分が悪い」


 斉藤は横の若い男にそう言って踵を返した。ハジメと呼ばれた若い男は直樹なおきたちに少しだけ頭を下げて、慌ててその後を追う。


「片山さん、誰です?」


「新宿にシマを持っている組のチンピラですよ。厄介なことに頭がかなりイカれていましてね。何かとトラブルの種になるような男ですかね。まあ、ああいったタイプはこの世界、長生きできないでしょうが……」


 そう言って片山は再び歩き出したのだった。





 部屋に戻ると若菜は既に起きていた。ベッドに寝転がりながらスマホで動画を観ているようだった。


「ちょっと、黙ってどこに行っていたのよ。心配したじゃない」


 心配するような感情が少しもこもっていなようない声で若菜が言う。


「悪いな、ちょっと人と会ってた」


「ふうん……」


 若菜はスマホの画面から目を離そうとしない。直樹は一瞬だけ沈黙した後、再び口を開いた。


「……大阪、一億円」


「……えっ?」


 上半身を起こした若菜は驚いた顔で直樹を見ている。


「どこで、それを……」


「どこでもいい。大阪の連中、かなり本気だぞ。見つかればただではすまない」


「ふん、お金は返さないわよ」


「たかが一億円だ。暴力団を相手にするには分が悪い」


「そうね。でも、あれは私のお金だから。ねえ、直樹、一緒に逃げようよ。沖縄とかさ、海外とかさあ」

 

 若菜が顔を輝かせながら言う。


「無理だな。田舎でひっそりと暮らすなら何とかなるかもしれないが、若菜はそういうタイプじゃないだろう。相手は全国に根を張る暴力団だ。いずれ居所が知られる。手が及びにくい海外に逃げたとしても、一億ぐらいじゃ一生は暮らせない」


 直樹が否定すると、それまで顔を輝かせていた若菜が今度はは両頬を膨らませる。そうすると途端に子供っぽい顔つきになるようだった。


「私のことを知りもしないで、そういうタイプじゃないって何なのよ。それにお金は返さない。あれは私のものなんだから。大体、直樹が何でそんなことを知っているのよ? ただの会社員って言ってたけど、嘘じゃない」


 若菜が睨みつけるようにして言う。先程までの頬を膨らませた子供のような顔が一変する。直情的な性格。やはりそんな言葉がピタリと当てはまるようだった。


「会社員ってのは嘘じゃない。昨日、若菜と会う前にトラブルがあって、たまたま今日から会社に顔を出せなくなっただけだ」


「ふん、どうなんだかね」


 若菜はまだ怒りがこもった目で直樹を睨みつけていた。直樹の言葉などは一片も信じていないようだった。そして更に言葉を続ける。


「それで、何でお金のことを知ったのよ?」


 果たして若菜に言う必要があるのか。そんな考えも浮かんだが、直樹は素直に口を開いた。


「俺の死んだ母親は、六本木を拠点にしている暴力団で組長をしている奴の情婦でな。俺の血縁上の父親はそいつなんだよ。俺はそんな父親とろくに会ったことはないが、認知だけはされている。その関係で今も暴力団とは多少の繋がりがあるんだよ」


「……直樹はヤクザ屋さんなの?」


 何を聞いていたんだと思いながら直樹は首を左右に振った。


「違う。母親がヤクザの妾なだけだ。その息子なだけで俺はヤクザじゃない。少しだけそういった連中と関係があるだけだ」


「ふうん。ま、どっちでもいいんだけどね。ねえ、ヤクザと関係があるなら、上手く逃げられる方法も考えつくんじゃないかな」


 若菜はその端正な顔に魅力的な笑みを浮かべてみせた。それは男ならば、この女のために何とかしてやりたいと思ってしまうほど魅惑に満ちた微笑みだった。


 ……後にして思えば、それは若菜の根底に確実に存在している自己愛護、自愛から生まれてくるもので、他人には残虐でしかない類いの微笑みだったのかもしれなかった。

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寂寥なき街の王 ~一億円強奪 狂乱の宴と自愛の果てに~ yaasan @yaasan

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