寂寥なき街の王 ~一億円強奪 狂乱の宴と自愛の果てに~

yaasan

第1話 六本木

 「ほら、コイツは営業のくせにいつもこんな感じなんですよ。小川さんからも何か言って下さいよ。教育して下さいよ」


 既にコイツ呼ばわりだった。その言葉自体に腹が立たないこともない。それにこんな感じとはどんな感じなのだとも思う。キャバクラとしては比較的に静かで明るい店内。佐賀直樹さがなおきの横でキャバ嬢を挟んで座っている上司の鴨田かもだが甲高い声を張り上げていた。


 今日、既に何度も繰り返されているどうでもいいような話題だった。その話題を飽きることもなく、何度も口にしている部長職の鴨田は今年で四十八歳。直樹の直接の上司となる人物だった。


 直樹はその度に笑顔を浮かべてみせる。自身にその自覚はないのだったが、周りからは目が笑っていないとよく言われる笑顔だ。


 別に悪気があるわけではない。そして開き直るつもりもないのだが、昔からそれこそ子供の頃から笑うと自然にこんな顔になるのだ。そこに悪意を含めた他意があるわけでもない。


 もっとも三十二歳になってそれが分かっていながらも、それを直そうとしない自分にも問題があるのかもしれない。直樹の中ではそんな自分に対して内心で苦笑する思いも存在した。


「何だお前、その顔は? ほらお前、ちゃんとしろって。転職早々、クビになっちゃうんだぞ」


 直樹は内心で舌打ちを堪える。何をちゃんとするのかが直樹にはよく分からない。クビも何もそんな人事権がお前にあるわけがないだろう。直樹は心の中で呟く。


 だが、そんな直樹の思いをよそに、鴨田は直樹に向けてふざけたような薄笑いを浮かべている。俗に言う弄るというやつなのだろう。部下を見下して弄りながらクライアントから、周囲から笑いをとる。


 営業にはこの手の人間が多かったりする。ある意味ではそれぐらい厚かましくないと、営業職など長くは務まらないという一面もあるのかもしれない。


「ほらほら鴨田さん、部下を虐めちゃ駄目ですよ。そいつはパワハラってやつだ。今時はNGですよ」


 本当はそう思っていないことが如実に分かる顔。小川が中年太りで肉が乗った頬に、ニヤニヤとした笑いを浮かべながら言う。


 この言葉も今日は既に何度目だったのだろうか。正直、弄られる方もいい加減に飽きてくる。溜息の一つでも盛大につきたいところだったが、そうするわけにもいかず直樹は再び無言で笑みを浮かべてみせた。


 中堅の広告代理店に転職をしてまだ一ヶ月も経っていない。クライアントも含めた社内外の人間関係に詳しいわけではないが、小川は会社のメインクライアントである物流会社の重要人物であるらしかった。


 その接待のお供としてこの夜は直樹が駆り出されたというわけだった。


「小川さん、ひどいなー。パワハラなんてしてないじゃないですか」


 鴨田も小川と同じようなニヤニヤ笑いを浮かべながら言葉を返す。これもさっきから何度目の言葉だったろうか。本当に心の底から聞き飽きたと直樹は思う。この二人がクライアントと業者という関係の中でどれだけ仲がいいのかは知らないが、二人とも非常によく似たタイプなのだろうと直樹は思う。


「ほらほら、そんなに部下を虐めてないで、楽しく飲みましょう」


 直樹たちの席についている左手のキャバ嬢が流石にその様子を見兼ねたのだろう。会話の終わりを捕まえて鴨田と小川に飲み物を勧める。


「あれー? ヒトミちゃん、酷いなー。俺、コイツのことなんて虐めてないじゃん」


 鴨田がそう言いながらキャバ嬢にもたれかかる。キャバ嬢は微妙な嬌声を上げながら、それを巧みに押し返した


 六本木……ここに来る度に奇妙な街だといつも直樹は思う。朝から夜。そして夜から朝へと街は表情を変えながらも、その営みが終わることは決してない。


 大抵の街には深夜や明け方に、それまでの喧騒から街が解き放たれて訪れる静けさがある。しかし六本木は喧騒から街が解き放たれる瞬間がないのだ。だから喧騒から街が解き放たれて、それによって生み出される寂寥感といったような寂しさに街全体が包まれてしまうこともない。


 街が眠らないから街の営みが静まり沈黙することはないのだ。街が眠らないと言っても多国籍で雑多で危険なイメージがある渋谷や池袋、そして新宿などとは全く違う趣きがある。


 それらの地域と趣きが異なるのは、若い先進的な企業や外国の大使館などが周囲に多くて何事にも洗練されていることによるものなのか。多国籍ということで言えば新宿や渋谷などと変わらない。だが、いずれにしても街すべての事象が雑多な新宿などとは、明らかに一線を画している他に類を見ない奇妙な街だった。

 

 中心から多少は離れているとはいえ、そんな生馬の目を抜くような六本木にあるキャバクラだ。そこのキャバ嬢ならば、自分にもたれかかってくる客を自然に押し返すこの程度のあしらいなど児戯に等しいのかもしれない。


「そうだよなー。俺たち別に佐賀さんのことなんて虐めていないよなー」


 鴨田を真似たわけではないだろうが、今度は小川がヒトミではなくて自分の左手、小川と直樹の間にいるキャバ嬢にもたれかかった。彼女は少しだけ引き攣ったような笑顔を浮かべて、ヒトミに倣って小川を軽く押し返そうとする。確か彼女は源氏名をミソラと言っただろうか。


 小川はその押し返そうとする手を巧みにすり抜けて、今度は上半身全体を倒してミソラの短いスカートで露わになっている太ももに自分の頭を乗せた。

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