段ボール
夏蜜柑
段ボール
去年のことだ。
出張でとある地方へと赴いた。
そこは未だ自然が多く残り、幹線道路から外れると地平線さえも眺めそうなほど広大な田園が広がっていた。
六月の下旬。夕方の夏。日差しは緩やかとなり、蝉の声は夕暮れ色に染まり、私は畦道を歩いていた。
革靴はでこぼこした地面に馴染まず、歩き難かった。
少し歩くと草むらの傍、地面に猫が横たわっていた。
横たわっていた、という表現は適正ではないかもしれない。猫はお腹を空に向け、大の字になって寝ていたのだ。
こんなに堂々とお腹を見せて眠る猫というのも珍しく、田舎特有の豪胆な猫だなと思いつつ傍を通り過ぎると猫の顔がむくりと少し上がり、こちらを見つめてきた。
猫は灰色と黒が混じった毛色だった。私を見て、目を少し細めた。逃げる素振りはない。
ゆっくりと近づいてみた。猫は動じない。
足先まで迫って屈み込み、そっと手を伸ばした。
猫は警戒する様子もなく、そのまま手を伸ばしてお腹を触った。もふもふとしていた。柔らかい。ふさふさだ。
そのでっぷりしたお腹を撫でても嫌がることはなく、猫はゴロゴロと音を立て始めた。
その日は見事な晴天で雲一つなく、真紅の夕日は辺りを別世界のように赤く染め上げていた。
蝉の声は響き、初夏の香りは風と共に流れ、揺らめく草木と共に猫を愛でた。
猫は気持ちよさそうに目を細め、猫のお腹をゆっくり撫で続けた。
そのとき静寂さは心の中にあり、まるでこの場所には時間が存在していないようだった。
猫のお腹を撫で終えると足を伸ばし、ぐるりと辺りを見回した。夕焼けは明るく、稲穂は微笑むように揺らいでいた。
ここには何処か憧憬のような拠り所があった。
猫は起き上がり大口を開けて欠伸を始め、それから顔を拭うと私を見た。
にゃあ。
一声鳴くと踵を返し、とぼとぼと歩き出した。
先を目で追うと、そこには萎びた段ボールがあった。
猫はそこに向かって歩き、不意に段ボールの中から猫の声が聞こえた。
他にも猫がいるのだろうか。
そう思い、猫の後を追いかけ段ボールの中に目を向けると空だった。
猫の声は気のせいで、しかしその瞬間、幼かった頃の自分の姿がそこにあった。
私が拾い、一緒に暮らし始めた猫。
にゃあ。
猫の声でハッと我に返り、現実の猫は訝げに私を見つめ、興味を失ったように前に向きなおすと再び歩み出した。
視界の片隅に革靴が映り、止まっていた時間が再び動き始める。
蝉の声は四方を囲み、未だ響いていた。
段ボール 夏蜜柑 @murabitosan
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