遺産相続

細蟹姫

遺産相続

 ――― ある資産家が死んだ


 葬儀もそこそこに、遺産についての話し合いの場が設けられ、親族が集まった今日。幸いにも、相続に関しては順当に事が済み、大きな問題も無く一同が納得したのだが…


「それでは最後になりますが、故人より遺言書を預かっております。」


 弁護士・須藤すどうの言葉に、和みかけていた空気は一瞬にして凍り付いた。


「ふざけるなっ。今までの時間は何だったんだ!」


 怒りを露わにする長男・真太郎しんたろうを宥め、須藤は言葉を続けた。


「これも故人の遺志なのです。ご理解ください。また、こちらの遺言は只今説明いたしました遺産分割には干渉させないようにと伺っております。では、読み上げさせていただきますね。」


 ―― 妻・良子よしこ、長男・真太郎、次男・正次まさつぐ、長女・優子ゆうこ。理解ある素晴らしい家族に恵まれたことは最上の幸せだった。

 良子、長い間支えてくれてありがとう。

 真太郎、会社を頼む。

 正次、孫の顔を先に拝む事になる私を許してくれ。彩夏さんにも謝っておく。

 優子、お前はお前のやりたい事をしなさい。


 須藤先生にはこの遺言書と共に箱を預けてあるので、お前達にはこの箱の相続者を決めて欲しい。相続者が決まるまでは、箱を開ける事も中身を調べる事もしてはならない。

 全ての者が相続放棄した場合、須藤先生が適切に処理する事とする ―――


「内容は以上になります。そして、こちらがその【箱】になります。」


 一同が囲むテーブルの中心に、眼鏡ケースサイズの寄木細工の【箱】が置かれた。

 驚いた顔で、怪訝な顔で、血色の悪い顔で、呆れた顔で、まじまじと【箱】を観察して息を飲む。


「くだらねぇ。俺が貰うぞ? 金目になるものだったら会社の経営に役立てる。」


 口火を切ったのは真太郎。そこから口々に意見が飛び交う。


「いや、兄さん、やめた方が良いんじゃない? 父さん、晩年は投資で失敗したとか言って事もあったんだ、秘密裏に作った負債とかだったらどうするのさ?」

「えー、遺産は須藤さんが整理してくれてるんだから、それは無いと思うよお兄ちゃん。」

「分からないよ? 僕の知り合いが、父親が「友人に100万あげる約束してるから私といてくれ」って、手紙を残したって聞いたんだ。そういう手紙が入ってたらどうするんだ?」

「んー。私、お父さんはそんなキャラじゃないと思うんだけど…。」

「けど、現にこんな回りくどい事してるじゃないか。」

「そうだけど…でもさ、負債の可能性もあるんだとしたら尚更、真太郎兄さんが受け取るのが良いんじゃないの? 会社も継ぐし、何が入ってても何とか出来そう。とにかく、私は要らないかな。興味無いし。」


 箱の中身が資産だったとしても、既に普通に生活するには十分すぎる金額が受け取れると決まっている為、優子は「いち抜けた」と首を大袈裟に横に振った。


「僕も欲しいとは思わないけど…わざわざ書いてある「全員相続放棄」が気になる。父さんはコレを望んでいる気がするんだ。」

「気がするって、相続する気が無いなら黙っとけよ! 優子の言う通り、俺が貰ってどうにかする。それでいいだろ?」

「いや、でも…母さんは? 父さんから何も聞いてない?」

「そうねぇ…」


 ずっと黙っていた良子は、話を振られて悲し気な表情で家族を見渡す。


「その箱は、多分お父さんが一番大事にしていた物よ。触るなって、いつも鍵付きの棚の奥にしまってたわ。中身はきっと、あなた達が思っているようなものでは無いわね。」

「だったら、お母さんが相続する?」

「そうねぇ。気にならないと言ったら嘘だけど、お父さんとの大切な思い出の品は私がちゃんと持っているし、このお家も相続して住み続けられるから、もう十分。今更、あの人が隠し通した秘密を暴こうとは思わないわ。だから、あなた達の好きにしなさい。もし、お母さんへの恋文でも出てきたら、捨てる前に読ませてくれたら嬉しいわ。」


 元々、家族間での揉め事も少なかった仲の良い家族。

 各々が自立していることもあり、醜く資産を奪い合うような姿はみせない。


「それなら、やっぱりその箱の中身は僕達が容易に開けていい物じゃない。須藤さんに処分してもらうべきだよ。」

「だったら預けず自分で捨てりゃいい話だろうが。親父がこうして残したことに、意味がねぇ訳がねぇ。」


 しかし、意図の見えない遺物の扱いに対しては慎重にならざるを得ず、話し合いはその後もしばらく続いた。


 *


 話し合いにもキリが付いたので、休憩をしようと須藤は台所へと立った。

 お茶は須藤の趣味でもあって、この家でも以前から、しばしば茶葉を持ち込み茶を振舞っているので、そのこと自体を気にする人間はいない。



 ――― さて、適切に処理をしなければいけませんね。


「須藤君、どうかこれを受け取って欲しい。」


 ある時彼に呼び出され、受け取ったのは、寄木細工の【箱】だった。


「懐かしいですね。娘が好きだったんですよ。」

「あぁ、良く知っている。難易度が高くてね、中に入れた物を、私は出す事が出来ない。彩夏さやかさんが居てくれたらと何度も思ったよ。」


 須藤の娘・彩夏は、正次の嫁だった。

 おしどり夫婦と言われる程、いつでも一緒に行動していた2人だったが、数年前、お腹に宿った命と共に帰らぬ人になっていた。


「君は、彼女の病死を疑っているのだな。この家の誰かが毒を盛ったと。」

「えぇ。申し訳ありませんが。」

「構わんよ。君は仕事出来る男だからな。しかし、例の件に関しては、決定的な証拠は見つかっていないのだろう?」


 だから、それを使うと良い。


 彼はそう言って、自慢の髭を撫でた。


「あれは殺人だ。」

「あなたが?」

「違う。私はあの日、落と物を拾っただけだ。この箱に入っている。気にならばそれが本物かを見極めるのは容易いだろう。…間違いなく、家族の中に殺人犯が居る。それから、これが私の遺言だ。上手く使ってくれ。」

「私が【これ】をもって警察に行くとは考えないのですか?」

「何年の付き合いだと思っている。君はそんな人間じゃないだろう。犯人が捕まり刑期を終えたとしても、君はその手で仇を取る。そもそもに、今更そんなもので警察が動いたりはしないだろうがな。だが、放っておくと、君は一族全員を亡き者にしてしまいそうだからな。それは困る。」


 だから、犯人を探し出すならそいつだけを殺してくれと、彼はそう言って笑う。

 そうして遺言書と【箱】を託した数日後に、息を引き取った。



 ――― さて、適切に処理をしなくてはいけません。


 箱を見た瞬間に、青白くなった人間がいた。

 箱をしたがっていた人間がいた。

 言葉巧みに、全員を相続放棄へと導こうとする人間が居た。


 それは、あの箱が何なのか、箱の中身が何なのかを知っている人物。箱をあけられては困る人物。

 幸せな結婚生活を送っていると思っていたが、とんだ勘違いだった様だ。


 ――― 適切にをしなくては


 一つの湯呑にだけ特別に入れるのは、箱の中に入っていた一包の粉薬。

 彩夏が持病で呑んでいた薬の名前が記載されてはいるが、幼い頃にはこの薬を飲ませた事もあるから分かる。色も粒子の細かさも、若干違うという事に。

 これは偽物だ。

 だから試さなくてはいけない。

 適切な相手犯人に、適切な方法で摂取させて、それがどういうものに

 すり替わったのかを。


「お待たせいたしました。本日は京都から取り寄せたてもみ茶です。」


 そうして今日、この場で再び誰かが死ぬ。

 遺産相続は、まだ終わりそうにない。

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