箱師の銀造

七倉イルカ

第1話 箱師

 俺が三課で現役だったころの話だよ。

 ああ、そうだ。

 昭和の時代の古い話だな。


 そのころ俺は、『箱師』の銀造という男を追っていたんだ。

 『箱師』ってのは、刑事や犯罪者たちが使う隠語だよ。

 『箱』ってのは、電車のことだ。

 電車の中を仕事場にしている掏摸(スリ)のことを『箱師』と呼ぶんだよ。


 電車以外か? ちゃんと隠語があるぞ。

 客船の中を仕事場にしている掏摸は『浮巣(うきす)使い』

 混雑したデパートや繁華街を仕事場にしている掏摸は『平場師』。

 祭や縁日を仕事場にしている掏摸は『高町師』だ。

 高町ってのは、縁日のことだな。


 銀造は、一匹オオカミの『箱師』だったよ。

 掏摸は、一人でやる犯罪だろって?

 いや、そんなことは無い。

 チームを組んでいる掏摸も多いぞ。

 掏摸役。

 見張り役。

 受け取り役。

 この三人組だ。


 掏摸役は分かるだろ。

 狙った相手からサイフや金目の物を掏り取る役目だ。

 こいつがリーダーであることが多いわな。

 見張り役も分かるだろ。

 俺たちのような刑事が近くにいないか、周囲を見張る役だ。

 こいつは、掏る現場を第三者の目から隠すため、壁役をこなすこともある。

 受け取り役は、掏摸役が掏ったサイフを受け取る役だよ。

 この受け取り役ってのが、やっかいなのさ。


 掏摸ってのは、現行犯逮捕が原則だ。

 張り込んでいる俺たち刑事が、掏摸の犯行を確認。

 その後、すぐに掏摸を確保して、掏ったサイフを証拠として押収し、掏られた被害者に確認してもらう。

 それから逮捕、署に連行って流れだな。

 ところがだ、受け取り役がいると、こうはいかなくなる。


 掏摸役が、被害者からサイフを掏るだろ。

 そして、その場を離れながら、近くにいる受け取り役に、そのサイフをそっと渡しちまうんだ。

 分かるだろ。この場合、その後で掏摸役を捕まえたとしても、証拠になるサイフを持っていないんだよ。

 「掏摸なんて知りませんよ。

 刑事さん、誰かと見間違えたんじゃないですか?」

 ってニヤニヤしながら、しらばっくれられても手の出しようが無いんだ。


 そりゃ、掏摸役と受け取り役、どっちも捕まえることが出来たら言うことないさ。

 だけど、そのためには、掏摸役が受け取り役にサイフを渡す瞬間も確認しなくちゃなんない。

 掏摸グループも、それは分かっているから、受け取り役にサイフを渡すときも、周囲から見えない様に素早くやる。

 しかも現場は、混雑しているのが常だ。

 俺たちも、五人、十人で張り込んでいるわけじゃない。

 二人。せいぜい三人までだよ。

 捕まえるのが難しいってことが分かるだろ。


 じゃあ、銀造は簡単だったのかって?

 いや、そんなことは無かったよ。


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