Octet 3 サルコファガス
palomino4th
Octet 3 サルコファガス
「……ああ、足元気をつけて。足元……だけじゃあないが」
「先生、やはり私が前を行きましょうか」
「いや結構だ、そこまで弱ってなどいない」
「……すみません」
「謝らなくていい。それよりも壁に手をつかないように」
「やはりもっと明るい内に……人のいるうちに出直した方が良いかと……先生?」
「……」
「先生。いえ、生意気と思われるのは分かります、でも安全を考えれば」
「床と壁に気をつけたまえ、ロドニー。模様に……模様にも気をつけるんだ」
「先生」
「ああ、通路の状態も驚くほど良い。年代の古さから言えばここまで保存が良くなされていたというのは人のためではないな。何世紀も前の地震が招いた地崩れが外界から覆い隠したからだ。信じられないくらいしっかりと造られている、なぁ」
「もともと、昔の地震で埋まってしまったものが、数年前の大きな地震で今度は土がどけられてしまった。こんなことがあるのですね……ポンペイは火砕流で街そのものが保存されてましたが、何度目かの地震にも建物が耐えているのは驚きです」
「構造がいつまで耐えられるのか分からないが、それよりも、外気が入り込んでしまい急速に劣化してしまうのが残念でならない……まったく皆が悠長過ぎる」
「……」
「この部屋だ。過去にも地震に見舞われただろうにこんなに見事な状態で残っていたのは奇跡だ。壁面がタイル……ほとんどイズニックタイルだ。陶製で当然褪色は無い。この見事な模様は十世紀以上昔とは到底思えない。装飾デザインには民族の文化的意味があるものだと思うが、抽象的な幾何学的なデザインだ。ほとんど現代都市の部屋だ」
「こちらもタイルですね」
「……ああ。ああ?ん……ロドニー。悪いが君のフラッシュライトをいいかい」
「はい?ライトですか」
「切れてしまうようだ……まったく愚かだ。そちらを貸してくれ」
「私が照らします」
「貸すんだロドニー。こっちを持ってくれ。出た時に返す」
「いえ」
「ロドニー」
「……」
「すまないな。潜ってる最中に切れるとは」
「いえ」
「タイルの隙間だ。モザイク絵のような詰まり方をさせて貼り敷きられているが、所々に完全な切れ目がある。見れば違和感を感じる者もいるだろうが、こう、力を加えても」
「先生、あまり触れては」
「動かない。かっちりと埋め込まれている。押しても引いても……ロドニー、君は日本を知ってるかい」
「一応、知ってはいます。中国の一部だそうですね」
「面白い意見だ。かつて私の友人がその国を旅行してきた時、一つの土産物を持ってきた。木材を切り分け釘を使わずに組み立てる組木細工で作られた木の箱でね。箱なのさ、中に空間のある。手に取ってみてあれこれ見るのだが、色味の違う木材の質感で幾何学模様が作られているただの立方体で蓋も蝶番も鍵穴もない。置物として以上の面白みもどこにあるのか分からず友人に……ほら、ここだ」
「先生?」
「この模様は感触が違う。奥に押し込めるぞ。そら……。聴いたか?音がしただろう。一つ目だ」
「一つ目?」
「……友人に箱を渡したら両手で持ちながら得意気な顔で一つの側面の板の真ん中を横にずらした。驚いた。そして思い出した。その箱は「秘密箱」だった。寄木の作る見かけの模様とは別に、巧妙に隠された切れ目があり、その線に沿って板の部分を動かせるようになっている。それぞれの木片は箱を形作る板であると同時に、各々がそれぞれを留める「かんぬき」の役目をしている。それらは決まった一つの手順で動かしていき、ただ一つの正しい組み合わせで蓋を開けることが出来る仕組みになっている。……ここだ、二つ目はこれだ。一つ目のタイルを押す前まではまったく動く気配は無かったが、一つ先に押すボタンの固定を解除する、そういう仕組みのようだな。二つ目も押すぞ……音がした」
「信じられない……我々の思う以上にこんな見事な技術がこの時代にあるなどとは」
「現在の凡人の頭など追いつきようのない天才たちは何人もいたろうね。これに限らず……「秘密箱」は開閉の仕組みも驚きだが、板の表の幾何学模様が目を騙している。模様の境目とは別に、まったく予想できないところに板としての合わせ目がある。私はこの部屋の壁の幾何学模様を見ていて違和感をずっと感じていた。それが急に私の持つ「秘密箱」のことが思い浮かんで「もしや」と思った。朝まで待てず一緒に来てもらったというわけだ。予想通りじゃないか。一つを押すと、次に押すべきタイルが分かる。秘密箱よりもかなりやりやすい」
「何もない小部屋だと思ってそれ以上調べませんでしたが、まさかこんな仕掛けが」
「秘密箱に価値あるものを入れておく者もいるだろう。「箱」は人が物を入れるのに作った物だ。だが、中にしまうことが目的じゃない。箱そのものが価値あるものだなんてずいぶん面白いじゃないか。……これか。五つ目……いやまだ三つ目だ」
「これは全て押し終わるとどうなるのです」
「分からない。だが家主だけが知る仕掛けだったのは確かだろう。隠し戸じゃないかと。思う……よしこれだ」
「……」
「そう、箱は人が物を中に入れるために作った。それとは別に、人を入れるために作られた箱というのがあるな。建物はそもそも大きな箱のようなものだ。部屋という箱の集まりでもある。人が入る箱だ。そういえばそもそも人を仕舞うだけの、人一人を入れるためだけの箱というものが、つまりは「棺」なのだろうな……それ、これだったか」
「こんなに手数が多いなんてそれだけ隠そうとする部屋なのですか」
「家主は仕掛けのオーナーなのだから、あらかじめ知っているだろう。時間をかけず覚えた通りに押して……1分もかからずに開けていたと思うが」
「でも手探りの割に先生も早いほうだと思いますよ。防犯用の罠のような危険な仕掛けは大丈夫ですか」
「まさか無いだろう。ここまでの通路にそういう物騒な仕掛けは無かった。盗掘を撃退する目的のものなどは仕込んでいないだろう。……手応えが来たぞ。音も大きい」
「……開いてます。……これはすごい、今でもしっかり動くなんて」
「素晴らしい。予想通りだ」
「先生、後は朝にした方が」
「もちろん、朝にもじっくり調査するさ」
「先生……中がどうなっているか分からないのに、危ないのですよ」
「壁だ。何も置かれていないようだが。窓も調度もなく外とつながる他の出入り口はない」
「……」
「君は入ってくることもないだろう」
「ライトがあれば待っていられました」
「すまないな。内側の壁にも模様があるが。折れて角がある。が。死角になってるだけで中には空間だけだ。特に何も無い」
「先生」
「少し黙れないのかロドニー。これだけの発見を前にそれぐらいしか口に出来ないとは」
「……」
「大きなモザイク画だ。神話のモチーフかもしれない。これはすごいぞ」
「息が。そうですよ、ここは埋まった建物だったんです。空気が……塞がってたから」
「素晴らしい。色も鮮やかだ」
「先生、酸欠の恐れがあります、一旦戻りましょう。入口で結構です」
「……」
「先生?」
「……」
「何か音がします。この音は」
「……」
「先生、ライトを……ライト。先生?どこです?失礼、このライト持たせてもらいますよ。先生。どこですか。……嘘でしょう、扉が消えている。閉じてますよ、先生。出れなくなりました。先生、大変です、閉じ込められたんですよ我々。どこなんですか?……抜け出したんですね。どうしてですか、外にいるんでしょう、先生、どうして……冗談でしょう、ひどい冗談です、あんまりです、こういうのは。ねえ出てきてください。あのことで僕を怒ってるんでしょうけど、全て誤解なんです。奥様のことは……でもこんなやり方あんまりじゃないですか。……」
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