猫と段ボール箱

北路 さうす

猫と段ボール箱

 私は段ボール箱。今回は猫砂を入れて運搬されている。雨に降られることもなく、無事購入者のもとへ届くことができた。

 購入者の女性は私を受け取ると、丁寧にはさみを使ってガムテープに切れ目を入れて開封した。とりあえずリサイクル第一難関『きれいに届ききれいに開封される』をクリアしたようだ。

 女性は中身の猫砂を取りだし、クローゼットにしまった後、私を手に取った。いよいよ解体か。この女性はなかなか几帳面なようだから、私をきれいに開いた後、ほかの段ボール箱とともにひもでしっかり縛り、天気を確認して一番早い資源ごみの日に出してくれるだろう。この町の資源ごみは何曜日だろうか。

「ニャーン」

「あらくるみちゃん。またこれが欲しいの?」

 私は再び床に置かれた。なんだなんだと戸惑っていると、私の中に温かく柔らかいものが入ってきた。

「もう、せっかくベッドを買っても箱のほうが好きなんだから」

 女性は柔らかいものごと私を持ち上げ、窓際に置いた。窓に映った私の中には、大きな三毛猫が満足そうに鎮座していた。女性が横からカメラを構え、その様子を写真に収める。

「新しいのが届いたらすぐ我が物顔で座っちゃうんだから」

 くすくす笑いながら女性は部屋の奥へ消えていった。私は困惑した。私の中に生き物がいる。猫は私を散々嗅ぎまわり、いい位置を見つけたとばかりにどかりと腰を落ち着ける。内側から圧迫され、私はたまらず声を上げる。

「猫、猫。私を押しつぶすのはやめてくれないか」

「今どきの段ボール箱はうるさいんだね」

「私は工場へ戻り、また段ボール箱として生まれ変わらなければならないんだ。私をごみに出してくれ」

「やだね。久々に休まる寝床が手に入ったんだ。気が済むまで使わせてもらうよ」

 猫はあくびを1つしてあっという間に寝てしまった。困ったな。段ボール箱になってから一つの家に長居したことはあまりない。せいぜい、資源ごみの日が遠いとか雨続きでゴミ出しに行けなかったとかで2週間程度だ。私は仕事が終わったら、工場へ戻って潰され溶かされ洗われ混ぜられ、また段ボール箱に生まれ変わり荷物を運ぶのだ。

 どうにか猫に嫌われようと知恵を絞るが、雑誌や新聞の時代にそんなものは書いていなかったため、どうしたらよいか皆目わからなかった。


 猫がいない隙に、部屋を見回してみた。不本意ながら、段ボール箱が一番不要となる『水濡れ』を狙うことにしたのだ。猫が気に入っていても汚れた段ボール箱なら捨てたくなるだろう。部屋には猫の飲み水用だろう浅い水入れが2つと、小さな噴水が飾られている。しかしどちらも遠い場所にあり、作戦には使えないだろう。やはり猫の説得しか道は残されてないと落胆する。あきらめて再び自分の中に寝転ぶ猫に話しかけてみる。

「猫、私は生まれ故郷の工場に帰りたいんだ。たとえるなら、君が出かけた先で監禁されているようなものだ。どうかあきらめてはくれまいか」

「寝物語付きの寝床を簡単に手放してなるものか。今までの段ボール箱と違ってお前はよくしゃべる」

 私は辟易し、もう口を利かないことにした。すこしでも早く飽きてほしかった。猫はすでに寝入っているようで、寝息のたびに中から規則的な圧迫を感じた。


 黙る私にお構いなしに猫は私を寝床にした。日の当たる時間はずっと私の中にいて、ご飯のときと、日が陰る数時間は別のところにいるようだった。私は何一つ作戦が思い浮かばず、ただただ押し黙るしかできない。生き物と違って動くことができない私の宿命だ。

「暇だ。なにか話をしろ」

 無視していると、ショリショリと音がした。猫が私の体をかじっているではないか!

「やめてくれ!工場に戻れなくなる」

「なら私と話をするんだな。なに、すこし汚れたらすぐごみに出されるんだ。短い付き合いくらい頼むよ」

 猫は私から口を離し、宝石のはまったような眼を細める。

「話といっても私はしがない紙製品だ。猫が楽しめるような話題なんてないよ」

「今までの段ボール箱はしゃべらなかったからな。それだけでも楽しいぞ。ラジオを聴いているようだな」

 私はあきらめて猫の気まぐれに付き合うこととした。

「内容は何でもいいんだな」

 猫は答えない。ただ私の中に寝転び、話を待っているようだった。私は仕方なく、自分の来歴でも話すことにした。

 私はもともと木だった。ある日森から切り出されて連れてこられ、砕かれ紙になった。最初から段ボール箱だったわけではなく、はじめは新聞になった。私の意識がはっきりとしたのはこのときだった。それまでは漠然とした感情しかもっていなかったが、言葉を得て思考を得ることができたようだ。読み終えた後は資源ごみに出され、次は雑誌になった。競馬、業界誌、漫画雑誌を経て、段ボール箱となった。それまで蓄積された言葉が私の意識を作っているようだ。

「なんと、お前も何度も生まれ変わっているのか」

「いわゆる輪廻転生?いや、私は生き物ではないからそうではない。ただリサイクルされているだけだ」

 猫の言葉に引っかかった。

「お前も、って言ったのか?猫は前世の記憶があるのか」

「猫は9つの命があるといわれている。私がこの飼い主のもとへきたのはもう3回目だ」

 猫は信じがたいことだけ言うと、そのまま寝てしまった。私は続きが気になり何度か話しかけてみたが、耳すら動かすことはなかった。


「私はあの子が生まれる前に拾われた猫で、1回目は4年くらいで死んでしまったんだ。あの子は散々泣いてしまってね、残りの命を使って、またあの子の前に現れるようにしたんだ」

 起きた猫に話を催促すると、面倒臭そうに説明しはじめた。似た毛色の三毛猫として生まれ、今回が3回目の生まれ変わりらしい。

「元飼い主の近くに生まれ変わっても、また一緒に暮らせる可能性は低いとほかの猫が言っていたが、あの子は何回でも私を見つけ出してくれるはずだ」

 猫は自信満々な顔で言い切り、頭を私に擦り付けた。

 私は猫が求めるまま、話をした。新聞の記事を切り取られたときの喪失感や、漫画雑誌を子供同士で回し読みされ、公園に置き去りにされたときの焦り、ろくに日付を確認せずテキトーなゴミ出しをされあわや燃えるごみになりそうだったこと。猫はどんな話でも静かに聞いていた。そしてそのまま寝てしまう。私は、雑誌だった頃を思い出した。熱心に私に書かれた内容を読む人々。読まれることは楽しかった。一度段ボール箱にリサイクルされた後は、ずっと段ボール箱にリサイクルされていて、おそらくこれからも雑誌に戻ることはないだろう。配達され、回収され、また配達される。そのサイクルの中で体験したことを話すのは、なかなか楽しい。いつの間にか私も寝物語の時間を楽しみにしていた。


「明日資源ごみだし、そろそろ捨てちゃおうかな。くるみ、この段ボール箱もう捨てちゃうよ」

「ニャーン」

 別れは突然やってきた。私は手際よく開きにされ、ほかの段ボール箱とともにひもでしっかり縛られ、暗い玄関先に置かれた。

「楽しかったぞ、段ボール箱。また機会があればうちにくるといい」

「私は自分の意志で動けないからな。私も楽しかったが、期待はしないでおくよ」

 次の日、私は回収され、工場へ戻った。猫の重さなんて目じゃない巨大な圧力で潰され、猫の唾液なんか比じゃない水で溶かされ、洗われて猫の毛を回収され、糊と混ぜられ、再び段ボール箱となり、今まで通り様々なものをいろいろな家へ配達した。そして資源ごみとして工場へ戻り、潰され溶かされ洗われ混ぜられ段ボール箱となり、また配達。雨の日なのに外で置き去りにされたり、子供の工作に使われそうになったりと危機もあった。以前ならただの恐怖体験だった出来事が、また猫に会えたら話したいことになり、すこし楽しい気持ちになった。


 その日は、猫砂を運んでいた。無事受け取りされ、はさみで丁寧に開封される。中身を片付け、いよいよ私の解体か。しかし、私は空のまま日の当たるソファへ運ばれた。

「くるみちゃん、新しい段ボール箱だよ」

「ニャーン」

 私の中に温かく柔らかいものが入ってきた。

「久しぶり」

「久しぶりだ、しゃべる段ボール箱。まさか私が生きているうちに再び会えるとは」

「たくさん冒険してきたから、いろいろ話もできるよ」

 猫はすこし痩せたようだった。別れてから数えきれないくらい配送をこなし、何年かの月日が流れていた。

「老体には休息とラジオがあればいい。またしばらく付き合ってもらおう」

 猫は私の中にどかりと体を横たえる。どの出来事から話そうか。私はとっておきの話を吟味することにした。

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