みどり児の箱
十余一
前編
「お姉さん、飴ちょうだい!」
人々が
「三つちょうだい!」
「三つ? ずいぶんと甘いものが好きなんだね」
「ううん。父さまと母さまも一緒に食べるの」
「そう……。とても仲良しなんだね」
仲良し、という言葉に彼は屈託のない笑みを浮かべる。惜しみなく愛情を注がれて育ったのだろう。幸福に満ちた笑顔だ。
「たくさん買ってくれてありがとう。そうだ、オマケにこれをあげよう」
「これなぁに?」
油紙に包まれ麻紐で結ばれた箱。それは今、男児の小さな両手にすっぽりと収まっている。中身が気になるのか、彼は箱をひっくり返してみたり、耳元で振ってみたり。しかし何の音もせず、箱はただ静かにそこにある。
「この箱にはね、この世で最も尊いものが入っているんだ」
いまだ首を傾げる男児に向けて、「とっても良いものだよ」とつけ足す。すると彼の顔が喜色に染まる。そこでわたしは念を押した。
「お父さんとお母さんと一緒に開けること。いいね?」
期待に胸を躍らせる男児の背中を見送り、わたしは口角を上げた。
◇
物心がついたころ、すでにわたしと母は二人きりだった。父は、わたしが産まれて間もなく病で亡くなったらしい。母が語る思い出の中の父は、優しく暖かい。それがわたしの記憶に存在しないことに、一抹の寂しさを覚えることもあった。けれども、母との暮らしも優しさと暖かさに満ちていて、わたしはそれだけで満足だった。
その日常が壊れてしまったのは、母が
それから、ふた月もしないうちに、母に手を引かれ逃げるように住んでいた長屋を後にする。行き先は、
うだるような熱さの残る夏の夜。寝苦しさに目覚めたわたしは母のひとり言を聞いてしまった。
縁側に腰掛けた身重の母は、
――あなたは一つも悪くないのに、ごめんね
――産まれてくるあなたに、あの
――ちゃんと愛したいのに
幼いころは母の身に何が起きたのかわからなかった。が、今ならわかる。きっと奉公先で不本意に体を暴かれたのだろう。そして身籠ってしまい、勤めることができなくなって逃げ出した。あるいは、事実を隠すために相手の男に追い出された。相手はおそらく、奉公先の跡取り息子か。
きっと母は、相手の男への恐怖や怨恨と、宿った命に対する慈悲との間で苦しんでいたのだと思う。幼いわたしにはまだ、そのような事情や葛藤は理解できなかった。けれども薄らとは母の気持ちを感じていて、母が慈しむのなら、わたしも新たな家族を愛したいと思った。
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