第6話 水蓮流暗闘②

「ラオル爺さんが殺された?」


 夕方、レイキシリス・ブラウエル宅に帝都警察刑事部長ブラン・アルケインから電話が入り、衝撃的な事実が告げられた。


 どすの効いたレイクの声に怯みもせずブランは淡々と話を続けた。


『ええ、昼前にイスメラ区とクロス区の境に近い川で遺体が発見されたわ。担当した捜査官が四年前の事件について憶えていたから、すぐに話が上がってきたの。遺体に残された傷跡から水属性の魔導剣術で斬られたと思われるわ』

「水の……」

『ええ、私も遺体を見せてもらったけど、あれは恐らく水蓮流剣術で斬られてできた傷よ。貴方に水蓮流を見せてもらったことがあるから分かるわ」


 その言葉を聴いた瞬間、レイクの脳裏にある男の顔が浮かんだ。

 四年前から一度も見ることがなかった忘れもしない卑怯者の顔だ。


「ブラン、今からそっちに行って遺体を見せてもらえる?」

『そう言うと思って準備は済ませているわ』

「ありがとう、助かる」


 レイクは電話を切ると、薄手のコートを羽織り外へ飛び出していった。




 レスター・アランデルの追悼式はアランデル道場で朝十時から開催される手筈となっていた。

 その予定が大幅に変更されたのはアランデルの下男だったラオル老人の死であった。


 レイクは老人の死を伝えられた日の内にルカに事情を説明し、ルカは何人かの門下生の頼んで他の門下生へ連絡をしてもらった。そして、この日追悼式のために集まった者の顔には怒り、戸惑い、哀しみなどあらゆる感情が混在することとなった。


 予定に変更はあったものの追悼式自体は無事に終わった。

 問題があったのは終わった後だ。

 式の後は広間で和やかな食事会を開くはずだったが、事態はそれを許さなかった。


「ラオル殿はアランデル先生に長年仕えてきたお人だ。気難しい人だったが決して間違ったことをする人ではなく、世話になった者も多いだろう。このまま犯人を放っておけるか!」

「そうだ! 座して待つなどできん! 我々で犯人を捕らえよう!」


 いきり立っているのはアランデルを特に慕っていた門下生たちだ。アランデルに一番近かったラオルとも親交があり、か弱い老人が無残に殺められたことに憤慨している。

 集まった者の中で一番の年長者であるアルジャン・ブロワが彼らを諫めた。


「落ち着きなさい。レスターさんの前ではしたない真似は止すんだ」

「アルジャンさんの言う通りだ。“水のように澄んだ心持ちで剣を振るう”のが水蓮流だろう」


 ルカがアルジャンに同意を示すと、怒りの収まらぬ門下生たちはルカに矛先を向けた。


「お前がそんな悠長な態度でどうする! 四年前の時とはわけが違うんだぞ!」

「ここで動かずしていつ動くというのだ!」

「だからってどうするつもりだ? 当てもなく帝都二十六区を隅々まで探して回るというのか?」


 “四年前”という単語にルカが一瞬反応したが、何事もないというように平静に反論した。


「今帝都警察が動いでいるんだ。大人しく経過を待とうよ」


 アルジャンは刺激しないように優しく諭すが、興奮している者の鼻息は荒いままだ。


 ぴりぴりとした空気の中、成り行きを見守っていたリンはレイクが目を瞑って一言も喋っていないことに気づいた。


「レイクさん、どうかしたんですか?」

「……レイク?」


 ルカも異様さを感じて恐る恐る声をかけた。


 レイクは若干迷う素振りを見せると口を開いた。


「昨日帝都警察から連絡が来た後、ラオル爺さんの遺体とさせてもらった。その時に遺体の傷を確認させてもらったんだけど……」

「ど、どうしたっていうんだ」

「遺体の傷跡には非常によく練られた水属性の魔力が残されていた。それにあの斬られ方は……水蓮流剣術に違いない」


 レイクの口から飛び出た衝撃的な言葉により、先程までの空気が霧散した。


「馬鹿な!」

「犯人が水蓮流の使い手……本当なのかい?」


 アルジャンは愕然とした表情だ。ルカは目を見開いたまま口を固く結んでいた。


「残念ながらね。それにもう一つ気がかりな話がある」

「まだ何かあるのか?」

「警察が現場付近で聞き込みした結果、事件の夜に現場近くにいた浮浪者が妙な男を目撃しているんだ。その男はぼさぼさの髪型で帯刀していて――それから顔に痣があったそうだ」


 顔に痣、という言葉でレイクの話に耳を傾けていた者たちがぎょっとした。


「まさか……ミッジか?」


 ぼさぼさで整えられていない髪、顔に痣がある。

 それは四年前までアランデル道場に在籍していたミッジ・ロウの特徴そのものだった。


 その場にいる全員が、今は犯罪者として追われている男の顔を思い浮かべた。


「顔に痣のある男で帯刀した男ってミッジしかいないよな? つまり、ミッジが爺さんを殺したのか?」

「確かに……ミッジならやりかねないな。なにせ四年前にもルカを殺そうとしたんだ」


 若い門下生がちらりとルカの顔を窺った。相変わらずルカは口を結んだままだった。


「で、でもミッジはあの後行方知れずになったじゃないか。もう帝都から逃げ出したって話だっただろ。どうして今になってラオル爺さんを殺すんだよ」

「忘れたのか? あの事件の時にミッジが犯人だってばれたのは、爺さんがミッジを目撃したからだ。そのせいで奴は行方を眩ますしかなかった。そのことで爺さんを逆恨みしていたかもしれない」


 今度は怒りではなく困惑が広がり始めた。門下生たちは数人で纏まって各々の仮説を出し合い、かつての同門への疑惑を深めていく。それからどよめきが部屋を満たすまで大して時間はかからなかった。


 リンは隣に座るレイクに小声で話しかけた。


「レイクさん、四年前の事件って……」

「君も知ってるんじゃないか? ルカが毒殺されそうになった事件のこと」

「ええ、一時は危険な状態に陥ったそうですね」


 リンはその事件をよく憶えていた。

 四年前の春、ルカ・ガードナーが稽古の合間に差し入れの菓子を口にしたところ、突如苦しみだして一時意識を失う事態となった。幸い手当が早く一命をとりとめたが、後に調査した結果、菓子に過剰な量の魔力抑制剤の成分が混入されていたことが判明した。

 魔力抑制剤は魔力を体外に垂れ流してしまう疾患を持つ患者に投与する。魔力を体内に止める効果があり医療施設で用いられるが、過剰に投与すると魔力の出力が急激に低下してショック症状を引き起こす。ルカが食べた菓子からは通常の五倍の量の成分が検出された。


 帝都警察は事件当時道場にいた全員に事情聴取をした。菓子を差し入れした手伝いの娘は、菓子を戸棚から出した後少し目を離した時があったと話した。そこで誰か台所に出入りした者が他にいないか探したところ、ラオル・バンザ老人が事件直前に台所から出ていくミッジ・ロウを見たと証言した。

 警察はすぐにミッジの家へ向かい詳しい話を聴こうとしたが、それが叶うことはなかった。ミッジの姿は家にはなく、どこへ行ったのか誰も知らなかった。それ以降ミッジは完全に行方知れずとなってしまった。


 ミッジが重要参考人として手配されたのは、それからすぐのことだった。


「そういうことなら話は早い」


 リンの回想を遮る耳障りな声がすると、皆の視線がその発生源に集中した。

 ジャドが立ち上がり、演説でも始めるかのように部屋を見回した。


「犯人の目星がついているなら我々だけでも追跡は難しくないのでは? アランデル先生の忠臣といってもいいラオル殿の仇をとるため僕たちは行動すべきとは思いませんか?」

「そんな簡単な話でもないだろう。本当にミッジが犯人なら尚更安易に行動を起こすべきじゃない。あいつは卑怯者だが剣の腕は一流だ。ねぐらを見つけて乗り込んだところで返り討ちに遭うのが落ちだ」


 ルカは自信満々に語るジャドを牽制した。ルカの瞳には傲慢な人間への呆れと共に、警戒心の足りなさへの心配が含まれていた。

 そんなルカの内心を知らずジャドは嘲笑うように言った。


「だからこそ同じ一流の僕が行くんですよ。ミッジが今までどこで何をしていたか知りませんが、逃亡生活を続けていた男と鍛錬を続けていた僕との間には差が生まれているでしょう。何も恐れることはありません」

「流石ジャドさんだ。本当に勇気あるお人だ」

「やはりジャドさんこそアランデル先生の後を継ぐに相応しい!」


 ルカの両脇に座る取り巻きの二人が囃し立て、周囲にいるジャドの派閥に属する門下生たちが力強く頷いた。


「その小芝居はいちいちやらなきゃ気が済まないの?」

「実際に僕が相応しいとは思わないのかい? 確かに先生は僕を後継者に指名しなかったけど、だからといって僕が不適格と言ったわけじゃない。僕は強いし、なによりこの道場をもっと栄えさせることができる。僕が道場主になれたら父さんが支援してくれると約束してくれたからね」

「結局親の金か……」


 レイクの皮肉にもジャドは慢心を押し出すばかりで、流石にレイクもお手上げだと言わんばかりに肩をすくめる。


 そんな時、静かに会話を聴いていたリンが口を挟んだ。


「経営はできても指導力に恵まれているかは分かりませんけどね。少なくともルカさんに勝るとは思えません」


 帝都一の女傑の言葉には実力と経験に裏打ちされた重みがあり、ジャドは顔を強張らせた。


「……リンさんは口出ししないでくれる? これは水蓮流の問題なんだ。晴天流の人間の意見は訊いてないよ」


 そう言うと取り巻きの二人も声を上げる。


「水蓮流のことは水蓮流だけで片付ける!」

「あんたやたらとルカに肩入れするな? よもや晴天流にとって邪魔な水蓮流を貶めるため愚か者に味方しているのではないか? ジャドさんが上に立つと都合が悪いからな」

「何という女だ、アランデル先生が遺した水蓮流を潰そうとするとは! それほど水蓮流を恐れているなんて晴天流も大したことは――」


 リンは額に青筋を立て、発言した門下生を睨みつけようとした。

 だが、それより前にレイクが一瞬の内にその門下生の背後に回り、首筋を手で掴んでいた。魔力で覆われた手に力が籠り、掴まれた門下生が恐怖のあまり唾を飲み込んだ。


「発言には気をつけることだ。今のは水蓮流の品位を貶める発言に他ならない。馬鹿げたことをまだ口にするようなら見逃さんぞ」


 レイクはそう言うと首を掴む手をゆっくりと離した。途端にその門下生が咳き込みながら激しく呼吸した。まるでずっと水に沈んでいた人間が苦しみながら水面に顔を出したようだった。


「とにかく、まずは皆落ち着くことだ。後のことは時間をかけてゆっくり考えよう」


 場の空気がころころ変わることにうんざりした様子で、アルジャンはそう締めくくった。




 陽が落ちて、道場には静けさが漂っていた。

 食事会での悶着の後、門下生たちは感情の整理がつかないまま帰路についた。道場に残ったのはレイクとリンだけで、二人はルカが住む道場に併設された住居へと案内された。

 この住居は元はアランデルが使っており、彼の死後ルカが使うようになった。住居と道場の権利自体はラオルに引き継がれ管理されていたが、ラオルが死んだ今それもルカの手に渡った。


「ふう……」


 爽やかな夜風に吹かれルカは自室の窓から庭を眺めていた。部屋の隅では椅子に座ったレイクが本を読んでいたが、ルカの様子を一瞥すると訊ねた。


「結構参ってる?」


 ルカは問いかけられても黙ったままだったが、ややあって口を開いた。


「そうだな……あの爺さんが殺されるなんて思いもしなかった」

「俺もそうだよ。本当に酷いことするね」


 ラオルは生まれた時から険しい顔をしていたと揶揄されるほど常に不機嫌そうな態度の男だった。アランデル道場に出入りする者の中で彼に睨まれた者は一人もいない。何かにつけて小言を口にする煩い年寄りだと陰口を叩かれていた。

 そんな彼もレイクやルカには悪態を吐きながらも心を許していた。レイクが道場を辞めた時も快く送り出し、ルカが道場を継ぐ時も支持した。アランデルのためにレイクが医者を手配した時には涙を流して感謝した。何十年も前から主のために骨身を惜しまず働いてきたラオルは二人にとって好ましい人物であった。


「ジャドの言ったこと気にしてる?」

「……ん、少しはな。あいつがクソ野郎でも言ってることが全部間違ってるとは思わない」

「それでも先生が選んだのは君だろ。存分に胸を張るがいいさ」


 本心では己が本当に後継者に相応しいかルカが気にしていることをレイクは見抜いていた。血の気の多そうな外見に似合わず繊細な男だというのがレイクのルカに対する評価であった。


 ルカはレイクの方へ向き直ると、突然頭を下げた。


「レイク、改めて四年前のこと例を言わせてくれ。あの時お前がいなかったら俺は助からなかった」

「それまだ言うの? 礼ならあの時耳にたこができるくらい聞いたよ」

「それでもだ。偶然お前が先生を訪ねに来て、俺が倒れた場に居合わせたから俺は死なずに済んだ」


 四年前の事件の日、レイクは師を訪ねるために道場へと足を運んだ。道場で稽古に励む門下生の声に懐かしい思いをしながら住居の方へ行くと、建物の中から女の悲鳴がした。駆けつけたレイクは狼狽える手伝いの娘と冷たい床の上に倒れたルカを目の当たりにしたのだった。


「あの頃の俺はずっと何かに八つ当たりしているようなガキで、周りから煙たがられていた。俺が死んで喜ぶ奴は何人もいたのに、お前は何の躊躇いもなく薬を与えてくれたよな」

「まさかあの薬が役に立つ場面が来るとは思わなかったよ。薬について教えてくれた人が凄く用心深い性格でさ、“毒はどんな強者でも殺しうる武器だからいつどんな時でも対処できるように薬を携帯するのが当然”だって言ったんだ」

「その教えが生きたわけか」


 当時子供ながらレイクは裏社会の人間相手に着々と独自の勢力図を広げていっている最中だった。その時にレイクが師事した薬の専門家は、危険に身を投じることを生業とする人間はいつ如何なる時も生存するための準備をすべしと厳しく教え、レイクに様々な薬の調合を伝授した。

 そして、レイクが事件に居合わせた時、彼が持っていた薬の中に魔力抑制剤を中和する効果のあるものがあった。彼は迷わずルカに与えることを決め、ルカの命は繋がれた。


 あれ以来、ルカはレイクへ全幅の信頼を置くようになった。彼もまたレイクの力になることを約束し、二人の友情はそれから今に至るまで続いている。


「アランデル先生は言ってたよ。君は元来高潔さと公正さを持つ人間だって。正しさを追い求めるあまり周りが見えていないだけで、立ち止まる余裕さえあれば成長できると信じていたから君を後継者に選んだ。君は刺々しくて誰も近寄らせなかったけど、みだりに人を傷つけるような奴じゃなかっただろう? それにあの偏屈なラオル爺さんが小言を口にしながらも認める人間ってのはそうそういない。実際道場を継いでから君は穏やかになった。先生の目に狂いはなかったよ」

「そうか……」


 ルカは再び窓の外を眺めた。どこかで猫が鳴いた。


「レイク、昼間は皆に冷静になるように言ったが、正直俺も爺さんが殺されたことには頭にきてる。本当にミッジが犯人なら絶対に逃がさん。放っておけばいつかまた同じことをやる」

「ああ、俺もそう思うよ」

「だからお前に依頼する。ラオル爺さんを殺した犯人を探してほしい。やってくれるか?」


 レイクはにやりと笑った。


「いいだろう、引き受けた」




 イスメラ区にある居酒屋で、ジャドと取り巻きたちが酒を片手に昼間の出来事について文句を吐き出していた。


「まったく! あいつらときたらジャドさんの邪魔ばかりして!」

「やはり我々だけでも動いた方がいいのでは?」

「そうですね。これは水蓮流の沽券に関わる問題ですから帝都警察に任せきりというわけにはいきません。僕たちで犯人を捕らえましょう」


 ジャドがにっこりと微笑んで宣言すると、全員の心が高揚した。


「そうですとも! 相手がだれであれジャドさんに敵うはずがありませんから」

「四年前の事件の頃のミッジはジャドさんに負け越していて落ち目でしたからね。奴が相手なら後れをとる心配はないでしょう」

「ふふ、本当にミッジくんがラオルさんを殺したなら感謝しなければいけませんね」

「感謝とは?」


 リンを侮辱してレイクに首を掴まれていた門下生が、不思議そうに訊ねた。


「皆さんもご存じでしょう。ラオルさんは僕が後継者になることに反対していてルカくんを支持した一人です。僕が新しい道場主になったら絶対に追い出そうとしてきたでしょう」

「先生が死んだ後も何かと口出ししてきましたからね」

「仕方ないさ。あの道場の権利者はあの爺さんだったんだ。先生が遺言で管理を任せたからな」

「そういえばあの爺さんが死んで誰が新しい権利者になるんだ?」

「子供も孫もいるらしいが道場には一切関わってないから、ルカに引き継がれるんじゃないか?」

「不味いなそれは」


 ラオルを嫌っていた面々が顔を寄せ合い不安になる中、一人の門下生がジャドに話しかけた。


「……ところでジャドさん、一つ気掛かりなことがあるのですが」

「何でしょう?」

「ミッジはラオル爺さんを逆恨みして殺したという話でしたね。ですが、奴が爺さんへの腹いせ目的のためだけに戻ってきたとは考えにくいです。ひょっとしたらジャドさんのことも逆恨みしているのでは……」


 皆がはっとした。


「あり得るな。あいつはルカだけじゃなくジャドさんのことも嫌っていた」

「じゃあ、奴の方からジャドさんの元にやって来るかもしれないのか」


 尊敬する青年が次の標的かもしれないという懸念は、彼らの中に強い闘志を沸き立たせた。

 ジャドは彼らの様子からそれを読み取り、煽ることにした。


「それなら探す手間が省けるというものです。僕たちにとっては都合が良い。そうなってもいいように迎え撃つ準備をしておきましょう。僕たちが団結すれば何の問題もなく解決するのは明らかですから」

「はい!」


 その後、彼らは自分たちが成功する未来を疑うこともなく、ささやかな酒宴を存分に楽しんだ。




「収穫なしだって?」


 ラオルが殺されてから一週間が経過した日、レイクは《甘美荘》でアマリ・デイビアスとホタル・ミスミから調査報告を聴いていた。


「そ、帝都内の宿泊施設を当たってみたけど顔に痣のある男が泊まっている所はなかった。ミッジ・ロウの友人知人の家に匿われている可能性も探ってみたけど、これも全部ハズレ。犯行現場からどこへ向かったかも分からない。痣のある男の目撃証言は現場にいた浮浪者の証言しかないよ」

「私も盗賊時代の伝手を頼りに水の魔導剣術を使う剣客が最近“裏”に来たかどうか調べてみましたが、そういう話はまったくありません。ここ一年の間に起きた水の魔導剣術を用いた殺人も今回の一件しか見つかりませんでした」

「それならミッジが犯罪組織に拾われた可能性ってのは薄いか」


 レイクの知るミッジは粗暴かつ短絡的であり、闇に紛れて動く姿が似合わない人間だった。彼がどこかの犯罪組織に加わったなら必ず刃傷沙汰を起こして裏の世界で話題になっていると考え、そうでないならその可能性は捨てていいと判断した。


「しかし、レイクさんの話から考えると協力者がいるはずなんですが……この手の人間は逃亡生活を続ける内に犯罪に手を染めますから、普通はそこから足がつきます。でもそうでないなら誰かが逃亡生活を支援しているはずです」

「でも、そんな話どこからも出てこないんだよ。一応アランデル道場の関係者も洗ったけど匿ってそうな奴はいないよ」


 二人が出した結論に、レイクは釈然としない感覚に包まれた。


(どうも要領を得ないな……何か見落としてるか、思い違いをしている気がする)




 晴天流創始者ヴァイス・ベスナーを乗せた北部からの魔導列車がリネス中央駅に到着し、降車したベスナーをリンが出迎えた。


「おかえりなさいベスナー先生。御無事で何よりです」

「ただいまリン。私がいない間に大変なことになっていたようだね」


 まだ五十代であるのに老けて見えるベスナーは、一週間前に電話で知らされた急報に心を痛めていた。


 二人は歩きながら話をする。


「アランデルもあの世で悲しんでるだろう。ラオルは実家にいた頃からずっと仕えていた男だったからね」

「今水蓮流では独自に犯人を追っています。義憤で動いている人もいれば、水蓮流での地位向上のために手柄を立てようとしている人もいます」

「アランデルは随分不遇な生き様だった。せめて死んだ後くらい安心させてやりたかったが……」

「ベスナー先生は学生時代からの友だったそうですね」


 ベスナーは過去に思いを馳せ、ほうと小さく息を吐いた。


「ああ、剣術で一番を争う仲だった。良き友、良き好敵手。お互い剣の道を極めようと誓い合った。私の方は卒業してからすぐ支援したいと言う人が現れたから、階段を駆け上がるように成功した。ただ、アランデルはうまくいかなかった。実家を出てから糊口をしのぐ日々を送ることで精一杯で、剣を売り込もうとしても口下手なところが災いして失敗続きだったらしい。三十を過ぎて《ブロワ酒店》の支援を受けられるようになったが、すぐに成功を収めたわけではない。《ブロワ酒店》の先代は水蓮流に入れ込むことに反対でアルジャン殿と揉めていた。水蓮流への支援はアルジャン殿が身銭を切って行っていて、いずれ店を継いだら店として全面的に支援するかもしれんと危惧していたようだ。大きな騒動に発展して一時はアルジャン殿を婿に出すことも考えていたとも聞く。まあ、そうこうしている内に先代が病気で退いて有耶無耶になってしまったがな」


 アルジャンを婿に出す話は事実上の追放に近い対応だったとベスナーは語った。

 アランデルは《ブロワ酒店》の内紛を耳にして親子の関係を破壊するのは忍びないと考え、一度は支援を受けることを止めようと考えた。それをアルジャンが思い留まるように一晩かけて説得し、両者の関係は継続されることとなった。


「アランデルさんも大変だったんですね」

「それに病を患って剣を握るのが難しくなった。ミッジの一件もあって病状が悪化したのもいけなかった。あんなに早く逝ってしまうとは……」

「それでもルカさんはよくやっていると思います。彼なら心配はないとレイクさんも言ってました」


 ベスナーは頷いた。


「ああ、あの若者は良いぞ。アランデルが拾わなければ晴天流に欲しかったくらいだよ。彼ならどんな波でも乗り切れると信じているとも。死んだラオルも、道場にいる者の中でルカだけが信頼できると言っていたよ」


 リンは師の言葉を受けて、しばしの間黙り込んだ。




 《甘美荘》を後にしたレイクは、今度は《ブロワ酒店》へと向かった。

 店にはアルジャンと顔馴染みの女性店員がいて、仕事の合間を縫って話に応じてくれた。


「事件から一週間が経過して門下生たちの行動も大きく二分されてきたよ。大人しく帝都警察に委ねるという集団と、積極的に犯人を探す集団。この内犯人を捜す方はジャドくんの派閥とそれ以外に分かれている。ジャドくんは派閥のメンバーの実家を使って情報を集めてるみたいだね」

「今日街で情報提供を呼び掛けるチラシを貰ったよ。有力な情報には賞金が出るみたい。ジャドの父親が金を出してるね」


 ジャドは人を雇って街頭で大量に刷ったチラシを配らせていた。チラシにはラオルの事件について情報を提供した者に十万エルを支払う旨が記されている。レイクはこのチラシを刷るためジャドの父親が経営する印刷会社を頼ったのだと確信した。


「景気の良いやり方だなあ。僕じゃ真似できないよ」

「《ブロワ酒店》も帝都の酒屋では大きい方でしょ。老舗なんだから」

「最近は競業相手も増えてきたからなあ。魔力酒が造られるようになって酒屋も新しい知識が求められる時代になった。これからは魔術が得意な酒屋が台頭していくよ」


 アルジャンは魔力酒が並べられた棚から一本のボトルを取り出した。アランデルお気に入りの水魔酒『山雫』だ。


「僕も魔力酒の勉強のために教本とか魔力酒の素材とか買ってるんだよ。本当に魔力酒って奥が深くてね。昔は酒に魔力を込めるなんて無理だと思われてたのに、あっという間に常識が塗り替えられた」

「魔導機関時代になっていろいろ変わったからなあ」


 魔導機関の誕生は産業に著しい変化を促した。変化は未知の技術や過去不可能とされた技術を現実のものとし、人々は急速に進む時代についていくことで精一杯だった。


「本当大変よ。魔術師が立ち上げた酒屋は魔術師の買い手が多いのよ。経営は他に人を雇って任せて、魔術師本人は酒蔵に投資して魔力酒の研究をするの。そうして出来上がった魔力酒を別の魔術師に売って名を売るのよ。うちもうかうかしてられないわ。一度前の店があった場所に新しい支店を建てる話が出たけど、今は難しいってことで立ち消えになったのよ」

「うちは水蓮流が盤石になるまでそっちの支援を中心にしたいからね。あまり手を広げたくないな。だからこそジャドくんが羨ましいとも思うけど……」


 アルジャンと女性店員は激しい競争の真っ只中にある状況について話し合う。

 レイクはその話を聞き流しながら、チラシに目を落として難しい表情を作った。




 夜も更けた頃、トライド区の路地裏に一人の男がいた。

 男は整えられていないぼさぼさの髪を揺らし、ゆっくりと大地を踏みしめるように歩いていた。男の片側の頬は暗い紫色で占められ、夜の闇に溶け込んでいる。


 男の足が一枚の髪を踏みつけた。ラオル・バンザ殺害事件の情報提供を呼び掛けるチラシだった。

 彼は徐にそのチラシを拾うと邪悪な笑みを浮かべた。


(馬鹿どもめ。誰にも俺を邪魔することなどできん。水蓮流を継ぐのは俺だ……断じてルカ・ガードナーなんかじゃない。俺が、俺だけが水蓮流を手にする資格を持つ)


 男は路地裏から表へと出た。その時、通りかかった職人のつなぎを着た男に肩をぶつけた。


「ああ、すみません。余所見をしていました」

「なんだあお前、気をつけろよお」


 酔っている職人はじろりと見やると、鼻を鳴らして去っていった。

 男は気にした様子もなく機嫌が良さそうに、職人とは別の方向へと歩いていった。


 職人は肩を揺らしながらたった今出会った男について考えた。


(にたにた笑って変な野郎だな。それに顔に痣があったな……なんかどっかでそんな奴の話を聞いたような気がしたんだが)


 記憶の底を探っても答えが見つからず、職人はそこで男について考えるのを止めた。


 男が出てきた路地裏からジャドと取り巻き二人の無残な亡骸が発見されたのは、明け方になってからだった。

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